SATOH HIROYUKI Private Live & Tea Party 1999
| 1999年12月11日(土) | O-Pary | 18:00〜 | 梅田ア・ム・ホール |
| 1999年12月19日(日) | T-Party(1部) T-Party(2部) |
13:30〜 16:00〜 |
渋谷ティティー・ブー |
| 質問コーナー |
| ビンゴ大会 |
| ミニライブ |
| 1.Miss you,babe |
| 2.keios |
| 3.君のKAKERA〜Shade |
| 4.ROCKETMAN |
【序章】
梅田アムホール。場所が判らないのでとりあえず場所確認の意味合いも含めて、開場時間前に行ってみると、そこには”ファンの集い”の看板があって、ちょっと赤面(笑)
かなり並んでらっしゃる方がいるので時間潰しはせずにその後ろに並ぶ。この時点では行った順に並んでいたのだが、当然開場前には係の人の誘導で、整理番号順に並び直すのだと思っていた。
ところが、案に相違して、そのまま入場。あれ?いいの?
最初は、係の人に「入場時に招待状のはがきを渡す。」ように言われて、ざわつく。当然そのまま手元に置いて記念にするつもりだったし、他の人もそのつもりだったようで、不満の声があがり、はがきの回収は見送られる。
入場時にはドアの前で住所氏名を書かされる。これは後々の資料となるのかもしれないのでしっかり間違いのないように書く。しかし、これでかなり時間がかかったのも事実。
会場内に入ると、白いテーブルクロスのかかった丸テーブルに結婚披露宴でよう使われるような椅子。1つのテーブルにつき8つの椅子。そしてテーブルの上にはイチゴのケーキ(イチゴショートケーキではない。)が置かれていた。ドリンクはワンドリンク好きなものをカウンターから取ってくる形式。
ざっと見渡したところ、丸テーブルが16。最後部に長方形のテーブルが3つ。うち2つのテーブルには8つかまたはそれ以上のケーキが置かれ、残りの1つのテーブル上にはケーキが2つ。
単純計算すると、8×16+10×2+2=150。当初定員が100名だったから、1.5倍の人数を入れたことになる。
入場した順に好きなところに座ってよい形式だったので、空いている席を探し、尚且つ見易そうな所をチョイス☆
【O-Party開始】
時間になり、「もう少し待て」という司会の男性の後ろに立っているお茶目な寛之に場内爆笑。
まずは「99年のうちにみんなの姿を見てしめたいと思っていたので実現して嬉しくてほっとしている。」との言葉。ファンも99年中に寛之の元気な姿を見られて嬉しい。
ケイロックとの契約は「暗黙の了解」で離れることになったようだ。
そして「2000年に向けていろいろやっていきたいと思うのでよろしくお願いします。」の決意表明。
いつも注目の的のヘアスタイルもちょっと襟足長めな感じだけど、良い感じ☆そして髪の色も名古屋で見た金髪から、茶髪といっていいのか、色をぬいた感じでとてもよく似合っていてgood !(^^)! ピンク髪やブルー髪だったらどうしようかと抱いていた不安が杞憂に終りホッとする。
服装はといえば、大阪はグレーの濃淡のボーダーのセーターに、グレーに少々茶が入った感じの色の(照明のせい?)のパンツに茶の革靴。
パーティということで、おしゃれをしていったのに、寛之は思いっきり普段着で、思わずあれ?(笑)寛之、そのセーターの袖口や裾は伸びてない?(笑)
そんなところもいかにも寛之らしくていいかもしれない。でも、正装した寛之も見てみたい。複雑に揺れる乙女心。
【質問コーナー】
犬と公園を散歩してるとき幸せを感じる。
昔はラッキーストライクとか洋モクだったけど、最近はマイルドセブンでオヤジになった。
流行っている人の曲は結構ちゃんと……レンタルで……買って聴くまでは……。
アラリス・モルセット(正確ではないかも(^^;))とか……。
3ヵ月くらい前に赤坂と山本と3人でゴルフに行った。(誰が一番うまかった?)「それは決まってるじゃないですか。それは年も年ですから。(笑)」
千葉のゴルフ場に早朝ゴルフに行き、6時半か7時スタートで1時間前に××インターのインターチェンジを出たところで待ち合わせをしてそれぞれクルマで行き、寛之と山本くんは連絡を取り合って、寛之は「ちょっと寝坊しちゃった。(会場爆笑)山本も寝坊してて。」
結局、山本くんの方がちょっと早くついて赤坂くんがいて赤坂くんに聞いたら、初めてコースにでるので「4時から待ってる。(会場爆笑)まだ真っ暗でさぁ、たそがれちゃったよ。」なのだそうだ。赤坂くんのはりきり様が目に浮かぶようだ。(*^^*) 2時間以上、赤坂くんは1人で景色を見ながらまっていたのだ。
ゴルフのほうは「ゴルフにならなかったですけどね。」
昔はスポーツジム行ったりして筋トレとかしてたんですけど。
「筋肉番付」出演にふれ、「最後まで残るのはまずムリだと思う」そうで、あの番組に出演する芸能人の皆さん、中村繁之さん、おさるさんなどは、いかに長くテレビに映るかというのを考えて出ているのだそうだ。実にリアリティあふれるお話。寛之も次に出演する機会があったら、より長く映るように日頃から身体を鍛えていてほしい。
寛之曰く、「僕は30秒くらいで……。」オンエアは見ていないのだそうだが、オンエアは約10秒だった。>寛之
「筋肉番付」出演の話が来たのが1〜2週間くらい前で全然トレーニングしてなかったが、前に出たので大体の感じは判っていたら、変っていたのでローリング丸太で池に落ちてしまい、「あれは恥ずかしかった。」そうだ。
「今年はまだ雪降ってないですから。」
前はザウスとかに行ってたそうで、「去年は全然出来なかったので今年も1回はやりたい。」
スノボーで内海くんに会った話を思い出して、話してくれた。それによると六本木の道端でサッカー選手が着る長いブレーカー着て帽子かぶって絶対内海くんだと思ったら案の定内海くんで、顔を見ると真っ黒に日焼けしてたから、「内海くん”ウリ”変えました?」と質問したところ、内海くんはスノボーにはまって結構やっているらしく、「スポーツやってるなら色黒い方が。」ということで色グロになっていたらしい。内海くん、ファンが泣いてる……(^^;)
サンタクルーズ(?知らないので聞き取れなかった。m(_ _)m)とかK2とか。
使ってない。最近iModeに変えた。
ここでモーニング娘。の中で誰が好みかの質問になり、「昔、僕らが言われてたけど、顔と名前が一致しない。」そうだ。更に質問者が重ねて聞くと「やめちゃった子。」で、質問者さんは追いうちで最初に辞めた子か最近”脱退”を発表した子かと発言。会場も寛之も”脱退”の言葉に反応。質問者さんもそこで自分の発言に思い当たったのかそこで質問を打ち切った。”脱退”の言葉にはトラウマがあるのか妙に過剰反応してしまう私たち。これは未来永劫続くのか。
最後の質問者に男性を選んで「挑戦してるなオレ。」
で、唯一の男性の質問が上記な理由だが、この場にふさわしくない質問だと私には思えるのだがいかがなものだろうか。寛之に他のメンバーの活動状況を尋ねる真意が判らない。
寛之も困っているように見受けられたのは気のせいだろうか。
寛之の答え的には、最近はそれぞれ仕事が忙しく、会ってなく、1回連絡を取り合うとバーっと毎日でも会うが、ピタッと会わなくなるとほとんど会わなくなり、またある日突然電話をかけたりかかってきたりで、時間の流れを感じない、今会っても一緒にいた頃と変わらない、時間がそこだけ止まってるというようなものだった。
【まとめ】
90年代一緒に……流れて、最後の最後まで心配かけたりして申し訳ないと思ってるが、2000年は自分でやりたい事、思った事を実行していきたい。
30歳を迎える前にとことんやって30を迎えたい。
2000年の間にFCを作り、仕事も20代最後の1年間がんばってふんばってよい30代を迎えたい。
そういった気持ち、新たな気持ちでがんばっていきたい。
「7人のことは関係ない」ではなく大切な想い出として死ぬまで感じているだろうし。
これからもよろしくお願いします。
というようなメッセージが寛之の口から語られた。今回の最大のメッセージだろう。これらの言葉たちを寛之自身の口から聞けたことで大阪に行った甲斐があった。
【ビンゴ大会】
景品は恒例の寛之の私物。『NaNaNa』のジャケ写のTシャツ、『Cloudy sky』のジャケ写のシャツ、『Feel so High』のジャケ写のトレーナー(?)、サイン入りCD(シングル・アルバム全て)、サングラス2つ。
ビンゴ大会の勝者2人と、なぜかそこにあった95年春当初の寛之のポラロイド写真を寛之が1度してみたかったという競りで、3000円の値を付けた方(もちろん、競りは冗談だったので3000円を払ってはいない。)でそれらの景品が別けられた。
個人的には、Tシャツが寝間着がわりになりそうだなどと罰当たりなことを考えていた。(^^;)
【ミニライブ】
高田馬場で6月16日にアコースティックでやったのを大阪でも披露との形で、JIZOさんのギターサポートを受け、寛之自らもギターを手にアコースティックライブ。
高田馬場でのパーカッションを入れてのものは初めてで気に入ったそうだが、今回はパーカッションはなし。
JIZOさんと2人でこうして本格的に演るのも初めてでギターの練習をしてるが「なかなか奥の深い楽器ですね。」1度間違えると動揺していろいろなことが気になるそうだ。
『Miss you,babe』は最初に詞がついていてそのときは不倫の歌で不倫の歌を「歌っていいのか?」と思ったが、みんなに反対されたそうだ。
「そういえばレコード会社なくなったんですよ。」バンダイさんの邦楽部門を廃止に伴い、契約が切れたそうだが、「2000年の間にはCDを作りたいと思います。」期待して待ってるね。
JIZOさんとTSUKASAさん(『Can you hear me now?』のアレンジなどをされた方)と寛之と3人でユニットを組んで楽曲を発表したい腹案があるようで、ユニット名をファンからも募集する事になった。
寛之的には、「長い名前がいい。」そうなので、何かよいグループ名を思いつかれたら、寛之に書き送ってみたら?
高田馬場のアコースティックを大阪でも披露とのことだったが、アコースティックはアコースティックだが、曲の並びも変えて、高田馬場でのライブを聴いた人間も新鮮に聴く事ができた。
特に馬場では『Miss you,babe』から『恋をいつから休んでますか』にメドレーで繋げたものを、今回は『Miss you,babe』は単体とし、馬場で演らなかった『きみのKAKERA』から『Shade』へのバラードのメドレーは絶品だった。
『きみのKAKERA』でうっとりしてるところに『Shade』に繋げられたものだから、一瞬「ホント?!」と頭真っ白。次に「この曲歌われたら泣くしかないのに反則だよ。(;_;)」『Shade』を聴くといろいろな想い出、特にファーストソロコンのときの情景が思い起こされてつい涙ぐんでしまう。
客席も、顔に手をやるファンの姿がそこかしこで見られた。今回のライブで最もインパクトの強かった曲が『Shade』だろう。
7月21日に名古屋のラジオの公開生放送で『今、翼いて』を歌ったことへの、『Shade』はアンサーソングのような気がする。
【開場前】
会場40分前に会場に到着。既に30人以上の方が会場隣の公園に列を作っている。公園で吹きさらしの分、昼間だが大阪よりも待ち時間は寒く感じられた。
いよいよ開場の段になってスタッフの人が前の方で1回だけ整理番号順の入場と言ったが、1回だけであり列の最も前のところで言ったので、後方にはほとんど聞こえなかったので、既に作られていた列のままでの入場となった。
大阪では列を作っていた順での入場であり、東京で整理番号順にしようとしてもそれは無理というものだろう。それでもなお整理番号順にしたいなら、開場のもっと前から整理番号順の入場である旨を、重ねてアナウンスしていなければ収まるべくもない。
早くから並ぶのはエスカレートするものなので、できたら整理番号順等、公平を期す方法を考えていただきたいと個人的に思う。
今回の大阪、東京のTea Partyに関しては、入場に関しては手際がよかったとは残念ながら言えない。
次回への考慮事項だろう。
【T-Party1部】
着席したのち、大阪の反省から、さっさとケーキと飲み物に手をつける。
ケーキはレモン系のレアケーキと抹茶ムースの2個。飲み物はオレンジジュース・烏龍茶・ジンジャーエール、あと1種類あったかなかったか、その程度の冷たい飲み物のみで、寒い中並んで待ち、暖かい飲み物を飲みたいと渇望していたので泣きが入る。時期が時期だけに暖かいお飲み物も用意していてほしかった。特に”Tea Party”と銘打っているのだから尚更だ。
ケーキは大阪よりも東京の方がおいしかった。
司会は柳生さんという、寛之とは11年来のつきあいの男性。柳生さん方が「ちょっと先輩」
ファンが用意したクラッカーでお出迎え。
寛之の服装はグレーの襟の高い……何ていうのでしょう?パーカーみたいな形のトレーナーみたいなので下はブラウン系が少し入ってるようなパンツに茶色の革靴。
上に着ているモノが違っているけれど、イメージ的には大阪とそう変らず、カジュアルな服装。
6月に高田馬場でライブを演って以来なので、開口一番は「元気でしたか?」
今回のTea Partyは2回公演であることから、昔のことへ話題が展開し、昔は2回公演で14時からと18時からなどで14時からのときはその30分前くらいに起きだし、その当時はステージが広く、ファンとの距離があったので目やにを付けていても全然判らなかったし、敦啓くんは10分前くらいに起きてライブをやったりしたこともあったと回顧。
さすがにこのTea Partyは普通のお店で行うので早めに起きたが、道が混んでしまって30分遅刻したそうだ。う〜ん、ほんと?ちょっと疑いの目(笑)
このお店に下見に来たことがあるが、am3時くらいだったのでお店は営業してなかったそうだ。
【質問コーナー】
「FCの会報で好きな芸能人に”K”と書いたらしい。」って自分で書いたのでしょ(^^;)それを深田恭子とファンが勝手に推測して広めたらしいと言うが、名古屋のラジオ番組で寛之が深田恭子さんがいいと自ら話してたと記憶してるのだが。
”K”は「それは言えないな。」 深田恭子さんは、「東山です。」(東山さんの声マネ)東山さんとうわさになったのでやめたのだそうだ。
年上でも年下でもこだわりはなく、「30代後半から下は、じゅう(ファン「犯罪だよ」)犯罪じゃない18。(ファン「え〜〜〜!」)20。」
結論は「楽しい恋愛をしたい。」
最近、スポーツをやってないのでスノーボードとかゴルフとかバスケットをやりたいし、とにかく運動をしていなので運動したい。
挑戦したいことは、 「筋肉番付」が10秒くらいでオンエアが終わってしまったので、機会があれば次はトレーニングをしてチャレンジしたい。
「筋肉番付」の芸能人の出演者はみんな賞金を考えていず、何分、何秒、テレビに出ら得るか勝負している。
「毎日がチャレンジ。」と言っておいて、こういう言葉が出るとは思わなかったかと会場に尋ね、会場のファンがうなづくと、「そこで、うんうん言うな!」あ、あのぉ。(^^;)>寛之
事務所の方は2000年くらいには決めたい。
ファンが寛之の中で一番大切なもので財産であり、FCは今度は寛之のところで管理し、事務所はテレビなどの方面で一緒に仕事することを考えている。
そのときにはファンに協力してほしい。
【ビンゴ大会】
大阪のときに、何も考えずにあげすぎてしまったという。今回の私物のプレゼントはリリースしたCDS4枚。1枚にサインが入っていた。
【ミニライブ】
大阪のときは喜びだけに囚われて考えつきもしなかったが、今回聴いた「Shade」は、数年前に聴いたもの、あるいはCDにあるものよりも、遥かに表現力、包容力がついているのではないたと急に思えた。そこに5年の歳月の重さがあるのかもしれない。
東京の会場はパーティ専門のレストランのため、音響機器は使えるものの、その音質はライブハウスである大阪のアムホールと比ぶべくもなく、音が割れるなどしていて、その点では、東京で歌を聴かれた方は残念だっただろう。
【最後に】
事務所を離れることになったが、来年に向けてがんばっていきたいと決意を語ってくれた。
クリスマスを1人で迎えたいと言う寛之にファンが「え〜〜〜!!!」に、「そのリアクションを待ってた。」には会場爆笑。(笑)
会場に大晦日の過ごし方を尋ね、「仕事」が返ると「どっかの誰かがカウントダウンライブをするみたい。」とさりげなく諸星くんのカウントダウンライブのことに触れた。何気にチェックしてるようだ。
2000年の春先くらいにはライブをやりたいそうで、ファンに言わないと実行に移さないと思われるので言っておくようなことを述べると会場から「やろう☆」の声があがり、その声に押されるように、「やります!」ときっぱり。場内から拍手が沸き起こったのは言うまでもない。春先ライブ。しっかりと脳裏に焼き付けて楽しみにしている。(*^^*)
来年はライブはユニットでやろうと考えているらしく、大阪ではデモテープを流したが、東京ではテープを忘れてしまったとかで、デモテープは聞けなかった。ユニットの名前が浮かんだら手紙に書いてほしいそうだ。
【入場】
1回目終了後、店を出てただちに、2回目に入場するための列に並ぶ。当然ながら、1回目よりも列の後方。
空いている席を狭い中でうろうろしながら探さなくてはならないのが、少々不便。
2回目も1回目と同じケーキかと思いきや、ムースの方が、抹茶からオレンジになっていて、オレンジの方が個人的においしかった。(*^^*)
ケーキ大好きなので1日4個食べてもノープロブレム。(笑)
【T-Party2部】
1回目が大変盛り上がったので、2回目も1回目に負けないくらい楽しくやりたいというご挨拶から2部がスタート。
ただし、1回目を見て2回目を見る人が何人もいたので、「同じネタじゃダメだからやりにくい。」らしい。
【質問コーナー】
質問を最初に募ったときに挙った手が少ないので1度手を下ろしてもらって再チャレンジ。だって、質問って公衆の面前で何を尋いたらいいか判らなくって手が上げられないの。(^^;)
今はいろいろ他に大切な人がいるから、昔みたいに寛之一筋という人がいたら、「目の前に出てきてほしい。(笑)」なんて、笑い話にしていた。
はっきり言われると引いてしまうので言葉で言われないほうがいい。
逆に自分だったらどういうか質問者に尋ね、返答に躊躇する質問者に、大勢の前でそういうことを言われたら、「てれるだろ。」
あまり映画はみない。レンタルビデオで借りるとき、5巻くらいまとめて借りるので、自分の中で良い映画があってもタイトルを覚えていない。
11月は20本以上観た。20本ってビデオ観る以外に何かできたの?
お願い?
最近、みんな(メンバー)舞台に出るようになってメンバーの中で出てないのが寛之だけではないかと認識はしていた。
敦啓くんがどんな役をやるのかわからなく、どこでやるのか質問者に質問する。新宿のサザンシアターとの返答に、会場に向かって、敦啓くんが舞台初挑戦なので見に行ってくださいと声をかける。ちなみに寛之は「多分行かないと思います。」だそうだ。もし万が一行くとしても、こういう場では”行かない”との返答になるのが常套句なように思える。この質問自体、握手のときにするならまだしも、質問コーナーですることが不適切ではないだろうか。寛之はそれに対してよく応え、場を盛り上げていたと思う。
このときの話題で山本くんの舞台のちらしを1回目のときにもらって知っていた。
そこから、寛之自身にもかつて舞台出演の話が……手話をしながらミュージカルetc……いくつかあったようだ……あったが、ちょうどアルバムのレコーディング等があったりで出来なかったが、機会があったら舞台をやってみたいそうだ。
寛之の舞台出演。毎日が真剣勝負の舞台でさまざまなものを経験できると思えるのでぜひとも機会をつかまえて実現してほしい。切望している。
7月は名古屋にラジオで行った。プライベートではドライブがてら湯沢に行った。「誰と?友達と4人くらいで。」
8月9月10月は事務所をやめる部分で、どこか行ったとかは(ない)。
会場にどこへ行きたいか聞き、ディズニーランドの声があり、「ディズニーランドで別れる人多いんだよ。待ち時間長くてイライラして。」
「30代近くになるとこういう質問が(笑)………で、何ていいました?」
目指してる歌手はいない。これになりたいとかではなく、そのときカッコイイと思うもの、いいなと思うものを曲としてやって行きたい。
今は、JIZOさんとTSUKASAさんと3人でユニットとして違う見せ方をしたり、クラブっぽいところなど1回でいいからやってみたいそうだ。
「定期的にアピールしていくことはやっていきたい。」
【ビンゴ大会】
プレゼントの私物はギター。
【ミニライブ】
大阪ではほとんど全編ギターを手にしていたが、東京ではバラードではギターを置き、歌に専念していた。その分、歌に神経が集中でき、より深い味わいになっていたように思う。
これらの歌にプラスアルファで2000年はディナーショーをやりたいそうだ。DSと聞き思わず、\35,000×4=\140,000(概算と推測の回数)を計算して口に出すと、同席者から、びっくりされてしまった。(^^;) DS全制覇ってそんなに変?(自爆)
【ご挨拶】
90年代をずっと共に過ごしてきて、会場の中にもちらほら昔からのファンがいると口にすると、会場から「ちらほら?(笑)」と突っ込まれ、「ほとんど、ね。」と訂正。
「90年代は激動の90年代。特に後半」みたいな感じだったと、本人も自覚しているようだ。(笑) 2000年の春にライブをやりたいと思っているそうで、2000年は2001年までとにかく「やろう!!!」というテーマを元にファンにはがきが行ったら、来てほしいそうだ。