四「ままならぬ世界」


 結局、イリハ会戦はドルファン王国軍の大敗という形で幕を閉じた。

 先鋒同士の緒戦において第2大隊が、戦力の四割を失い戦闘能力を消失。その後行われた第2連隊本隊の第4大隊とヴァルファ第2陣との戦闘に置いても、ヴァルファ側が終始有利に戦闘を進め、ドルファン軍はウエールの北部まで後退を余儀なくされた。

 このままではウエールをも失陥するという事態になったが、プロキア方面において状況が変化する。

 ドルファン−プロキア国境線に有力なプロキア軍が到着。首都防備から引き抜かれた1個旅団とシンラギククルフォンの傭兵隊、あわせて約3000がヴァルファ北部方面隊と対峙した。

 これによりウエールに向け進撃中だったヴァルファの部隊は、後詰めを欠くこととなり、南部方面隊主力はダナンに撤収した。ヴァルファの撤収を受け、ドルファン側もまたウエール北方で防戦に当たっていた騎士団第2連隊を撤収させる。

 以上を持ってドルファン王国内で十数年ぶりに行われた戦闘、イリハ会戦は終了した。
 ドルファン側の被害は、出撃した第2連隊の4割と傭兵隊の一部、ダナンからウエールまでの勢力圏を失った。

 第2連隊長カイル=コーツ大佐は罷免され、実質的に第2連隊は即応戦力外となり再編成に移る。これによりドルファン騎士団は戦力の半分を、たった1週間の戦闘で消失してしまったのだ。

 即時、各地の軍・民兵の召集及び第2次傭兵徴募、義勇兵参加の呼びかけが王室会議で可決され、実行に移されたが、これが効力を発揮するには数ヶ月の時間が必要であった。

 攻勢に出る力を失ったドルファンは、とにかくこの数ヶ月を防衛することが急務となったのである。

 これに対し、ヴァルファバラハリアンは八騎将の一人、“疾風”のネクセラリアを討ち取られるも兵力の損害そのものは軽微であり、いまだドルファン国内においてその勢力を失っていない。

 

「ありがとうございます……トザワさん…」

 モリヤスから髪の束――ヤングの遺髪を受け取りながら、クレア=マジョラムは言った。

 その顔からは、依然モリヤスが見て取れた、まるで周りを自然と暖かくするような、あの春の日差しにも似た朗らかさが消えていた。

 いま彼女の目には、周りの世界は自分とは違って見えているのであろう。そう思いながらモリヤスは口を開いた。

「いえ、クレアさん。このように、ヤング殿の最期をお伝えせねばならないようなことになり、申し訳ありません……」

 その言葉を聞いて、クレアは少し顔を上げてモリヤスを見て微笑んだ。しかしその目はガラス玉のように、おおよそ感情というものを映していなかった。

「トザワさんのせいではないんですから……。それに、これでも軍人の妻です。こうなることにも覚悟はしていたつもりです。ですから余り気にしないで…」

「はい。では、これで失礼いたしますが、何かありましたら遠慮なくおっしゃってください。私にできることでしたら可能な限りご助力させていただきます」

「ごめんなさいね…お気を使わせてしまって。今日は本当にありがとうございました」

 最後に頭を下げるクレアを見ながら、こういった時自分になにができる、と己の無力さを噛みしめながら、モリヤスはヤング宅を辞した。

 

 モリヤスが帰った後も、クレアはしばらくの間、扉のそばで手にあるヤングの遺髪に視線を落としていた。

 そしてどれぐらい経ったであろうか。あたりが夕焼けに染まり始めた頃、初めてクレアの瞳に感情が表れた。

 かすれるような声が口から漏れる。

「うそつき……うそつき……ヤングのうそつき………」
 あふれ出す涙を拭いもせず、ヤングの遺髪を胸にかき抱いて、何度も、何度も、つぶやき続けていた――。

 

 すでに窓の外には夜のとばりが落ちており、兵舎は静まり返っている。

 ピコは、モリヤスに声をかけかねていた。

 彼女が見る限り、宿舎に戻ってきてから、モリヤスはずっと同じ姿勢のままいるように思えた。

 そしてなにより、彼の背中は泣いているように見えるのだった。

 ここ数年なかったことに、ピコはとまどいと悲しみを隠せなず、モリヤスの後ろにたたずんでいる。

「ねぇ…モリヤス?」

 意を決し、ピコはモリヤスにそっと語りかける。

「………」

 しかし、モリヤスは聞こえていないのか、全くピコの言葉に反応していなかった。

 モリヤスの肩にとまり、ピコはさらに優しく語りかけた。

「だいじょうぶだよ…。そんなに自分をいじめないで……ね?…我慢しないで、泣いたっていいんだよ……」

 そして、モリヤスの側頭部の髪を優しい手つきでなでた。

 しばらくそうしているとモリヤスがやっと反応した。

 ぴくりと体を動かしたかと思うと、ゆっくりと頭を動かし、肩のピコを見た。

「ああ、ピコか……」

 そう言うと、かすかに微笑んだ。

 

あ……

 

 ピコは、その笑みのあまりのはかなさに声が出なかった。

 胸が締め付けられる様な感触とともに涙があふれてくる。

 そっとモリヤスの頭に顔を埋めて、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。

「……どうやったら…どうやったら、きみを救えるのかな?」

 なにも与えられず、それでも守りたいと思うものを守ろうとして、“鬼”とまで呼ばれ戦い続ける人間の戦士。

どうか。どうかこの人のこころを救ってください……

ただ、なにかに祈るしか、ピコにはできなかった――。

 

 明朝の出撃に備え、この傭兵団司令部のおかれた建物の周りも、未だ喧噪に包まれている。

 その喧噪を聞きながら、老人は司令部の建物の薄暗い廊下を、前に進む従者の足音を頼りにすすんでいた。

「参謀殿、到着いたしました」

「んん、ありがとう。下がってくれてよい」

「は…」

 従者の足音の遠ざかるのを確認して、老人は扉に向かって言った。

「デュノス様。ミーヒルビスでございます。すこしよろしいですかな?」

「キリングか?かまわん、入ってくれ」

「はい。しつれいいたします」

 少し手を迷わせてノブに手を当てドアをあけた老人――傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンの参謀を務める“幽鬼”のミーヒルビスは、部屋の中に入った。

 すでに人払いがすんでいるらしく、周りに人の気配はない。この部屋にはミーヒルビスと彼の主君しかいないようだった。

「おや?」

 部屋に入っていくと、かすかに主君に寄り添うように立っている人物の気配に気付いた。

 この様に主君と二人きりで部屋に入れる人物は、彼をのぞけば一人しかいない。

「これは、お嬢様もご一緒でしたか」

 ミーヒルビスは、その気配の方に向かって微笑みながら言った。

 すると、その気配の主は主君から離れて彼の方へ歩いてくる。

「さすがね、じいや。気配を断っていたつもりだったのだけれど…。さぁ、こちらに座って」

 彼の手を取り、微かに笑うように言うその気配の主は、まるで可憐な花のごとき美しさを感じる透き通った声をしていた。

「お嬢様もお人が悪い。この様に盲いた老人をからかいあそばされるとは」

「あら。からかってなんかいないわよ?」

 いすに座り、彼がお嬢様――そう呼んだ少女が、くすくす笑うその声を聞きながら、ミーヒルビスはそこはかとない喜びを感じた。彼の育てた姫君は、しっかりと成長してくれているのだ。

 彼がいすに座るのを待っていたのであろう、主君が口を開いた。

「すまぬな、キリング。明日の出撃の準備もあるだろうが…。今、こやつとも話していたのだがな――」

「“鬼”、のことですな」

「うむ。我が迂闊だった…。死んだネクセラリアには済まぬことをしてしまったな……」

「いえ、デュノス様。わたくしが敵情の調査を怠ってしまったが故のことです。本来、その責は私が負わねばならぬ所でしたが、ネクセラリアが代わりとなってしまいました…」

「そうではない。我があの時なんとしても、それこそ殺してでもヴァルファにあやつを加えねばならなかったのだ」

「デュノス様……」

 彼らは、この度のイリハ会戦で八騎将セイル=ネクセラリアを討った敵側の傭兵、モリヤス=トザワについて話していた。

 

 かつて、ここよりはるか北西の地でヴァルファバラハリアン十三騎将の内、3騎将を一戦で討ち取った猛者。あの時、“日の沈まぬ”帝国に雇われていたヴァルファは、その地でおこった内乱鎮圧の戦に参加していた。

 帝国の正規軍と共に北上し、海抜の低い彼の土地に攻め込んだのだった。そのとき反乱軍側に雇われていた、モリヤス=トザワは十三騎将の3人を一人でうち負かし反乱軍に勢いをつけた。そのためその戦で、勢いに乗る反乱軍を押さえるために戦ったヴァルファは、さらに3人の騎将を失ったのだった。

 欧州最強の傭兵騎士団を自他ともに認めていた、ヴァルファバラハリアンが完全な敗北を喫したのは、後にも先にもその戦のみであった。

 その戦の後、彼と戦場で対峙することはなかったが、彼らヴァルファバラハリアンにとって、まさに災厄としか言いようのない人物。それが、“鬼”の異名をとる傭兵、モリヤス=トザワに他ならなかった。

 

「あの時彼の者の顔を見て、まだこの軍に残っているのは、デュノス様とわたくしだけです。あの者の名は傭兵すべてが、あまり口にしたがりませぬ。従ってどの人間が彼の“鬼”かは案外と知れ渡っておりませぬから、細作達にとってもそれと気にして情報を集めることなどできなかったのでしょう」

「うむ…なればこそ、な……」

 暗く沈みがちになっている二人を遮るように、先ほどから黙って彼らを見ていた少女が口を挟んだ。

「お父様。今は、そのことを気にしても仕方がありません。これからのことを――」

 それを聞いてミーヒルビスの主君、ミーヒルビスにはデュノスと呼ばれているが、今世にもっとも知れ渡っている彼の名は、“破滅”のヴォルフガリオ。最強を持って由とする傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンの団長である彼は、少女を見て笑った。

「そうであったな。すまぬ、娘よ」

 そう言って、次にミーヒルビスを見て先ほど彼女と話していたことをミーヒルビスに語った。

「娘を…、いやサリシュアンを、ドルファンに送り込もうと思っておる」

「お嬢様を、ですか!?」

 突然のことに、ミーヒルビスは軽く腰を浮かしかける。

 それを、押しとどめるように少女――サリシュアンは、ミーヒルビスに言った。

「わたしは、これでも八騎将の一人よ。必ず任務はやり遂げてみせるわ」

「いえ。そういうことではありませぬ!デュノス様、いくら“隠密”とはいえ、この度のドルファン攻めにはサリシュアンははずされると…!?」

 激昂したように言う、ミーヒルビスにヴォルフガリオは諭すように言った。

「わかっておる。戦にはもう出さぬと決めたは、お主と我の誓いよ、今となって破ったりはせぬ」

「団長!?」

「そなたは黙っておれ。…キリング、我を見くびるな。スィーズランド経由で留学生として送り込むだけだ。いずれ戦が終われば、これにも戦と関係のない、普通の娘としての生を送らせることもできよう。しかし、いきなりなにかをするは無理というもの…、今回のことはその前備えといったところだ」

 不服な感じのサリシュアンを押しとどめながら言うヴォルフガリオの言葉に、ミーヒルビスはため息をつきながら応えた。

「さよう…ですな。デュノス様の考えも図らず、出過ぎたまねをいたしました。お許しください。ただ、お嬢様の守り役としてこのミーヒルビス、お嬢様の成長をとっくと見て参りました。お嬢様は優しいお方、これ以上戦の場におられるは余りにも不憫、そう思っておりましただけにございます……」

「じいやまで…」

 ヴォルフガリオに頭を下げるミーヒルビスを見て、サリシュアンは少し不機嫌な声を上げる。

 そして、ヴォルフガリオもまた軽くミーヒルビスに頭を下げていった。

「そなたには、本当に感謝している。我は余りかまってやれなんだこの娘を、ここまでしっかりと育ててくれたのだ。いくら礼を言っても言い過ぎることはない……」

「もったいないお言葉にございます」

 しばらくの間、静寂が部屋を満たしていた。

 いくらかして姿勢を改めたミーヒルビスが、ヴォルフガリオに言った。

「それでですが、デュノス様。スィーズランドより手の者が参りまして、ある情報が届きましてございます」

 ミーヒルビスの口調から、なにかただならぬ者を感じたヴォルフガリオとサリシュアンは、いすにしっかりと座り直した。ヴォルフガリオが聞く。

「なにごとなのだ、キリング?」

 二人が聞く姿勢になったのを気配で察して、ミーヒルビスは言葉を紡ぎ始める。

「まだ、ハッキリと判ったことではないらしいのですが…。彼の“日の沈まぬ”帝国が、内海の制圧を実施するとの噂が流れております」

 その言葉を聞いた二人は、ハッと息をのんだ。

「それは…」

「はい。すでにこの欧州の多くの土地が、彼の名家の政略により帝国に属するものとなっております。いまだ、トルキア地方のほとんどがそれに従っておりませんが、いずれ帝国の手が伸びるのは必定でございます…」

「そうなっては、ドルファンは……」

「ええ、彼の帝国は海洋力こそがその土台です。特にドルファン王都は内海を望む絶好の港。真っ先に標的にされることでありましょう」

「今のドルファンでは、帝国に太刀打ちなどできぬ!」

 ヴォルフガリオが苦しげにうめく。ミーヒルビスは頷いて続けた。

「デュノス様の懸念されていたことが現実となりつつあります。噂と、その他の情報を合わせまして見まするところここ2,3年の内、ということではありませぬが…」

「5年、10年となっては、分からない。そういう訳ね?」

「はい。デュノス様が、プロキアとドルファンの戦争を利用してドルファンの現体制を打倒してしまおうとなされたのも、もともとの王家への怨恨は別にしてこの危険を予測されていたからです。もしこの機会を逃し、ドルファンが変わらぬまま腐っていくのであれば……」

「10年後、ドルファン王国は消滅しているであろう」

 重くつぶやいたヴォルフガリオを、ミーヒルビスと少女は見つめた。

 それに気付いたのか、ヴォルフガリオは嘆息して言葉を発した。

「なんと、ままならぬ世なのだ……」

 

 部屋に落ちた沈黙は、その部屋の人間達をいつまでも縛り付けようとしているようだった――。


<あとがき>

 

 読んでくださった皆様に心よりの感謝を。

 サキモリです。

 『こころのちから』の第4話をお届けしました。いかがでしたでしょうか?

 ヴァルファバラハリアン側に恨みだけではない、戦の理由があるのでは?といった感じの疑問を勝手に持っていた私ですが、この話でそれを少し出していこうと思いました。

 これから、物語は中編(第2部)へ入っていきますが、よろしくおつきあいのほどお願いいたします。
 

 毎回のことで申し訳ありませんが、なにかご助言等ありましたらよろしくお願いいたします。

 それでは、次回5話をお届けするまでの間、失礼いたします。


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