参之三「イリハ 〜狼の眠る地〜」


 モリヤス率いる傭兵隊の騎兵達は、3度目の突撃を成功させた後、敵部隊の側面を駆けて傭兵隊本隊との合流をはかろうとしていた。

「もう一撃加えれば、後方の敵は壊乱したんじゃないですか?」

 横を併走しているヴィリは、モリヤスに言った。

 その彼を横目で見て、モリヤスは応えた。

「いや。思ったよりも早く混乱を収拾させ始めていた。次の突撃点を探しているうちに、案外、体勢を立て直してしまうかもしれん。そうなってはこちらに被害が出る。それは避けたいのだ」

「なるほど、さすがです」

 心底感心したヴィリは、続けて言った。

「どうやら、本隊もうまく攻撃に成功したようですね。これでひとまず安心と言うところですか」

 うれしそうにしているヴィリを一瞥して、モリヤスは敵の最先端部を注視した。

 第2大隊は後退したらしい。

 壊乱の一歩手前までいった彼らは、ひとまず再編成を行わなくてはならないだろう。

 しかし、モリヤスの気を引いたのは別のことだった。

 両軍の接触部で、戦闘が行われていないのだ。

 それだけでなく、接触部から敵陣に少しは行った部分で、両軍の兵が奇妙な円を作っていた。

 考えられることは一つしかない。

「大将同士の一騎打ちだ」

 モリヤスがつぶやいた。

 それを聞き取ったヴィリが、さっと血の気を引かせた。
「まさか…。ヤング大尉と“疾風”の、ですか?」

「他にあるまい」

 当然といえば当然の事柄に対するヴィリの言葉を気にした風でもなく、モリヤスは続けて言った。

「ヤング殿としても、混乱しているうちに大将を討っておきたかったのであろう。多少軽率ではあるが…」

 そのとき、円の中より歓声と悲鳴が上がった。

 

「これで終わりだ!!」

 ネクセラリアが気合いと共に繰り出した槍の一撃は、まさに神速と表すべき速さでヤングに迫った。

 体勢を崩していたヤングにそれを避けるすべなどなく。それでも懸命に体を起こして槍の穂先をそらそうとした。しかし、槍は胸から腹にその行き先を変えたのみで、鎧を突き破り、ヤングの体を貫いた。

「ぐおぉぉ…」

 低いうめき声をもらし、ヤングが倒れ伏す。

 ヴァルファ側から歓声が、傭兵隊側から悲鳴と動揺が発せられた。

 傭兵隊側から数名の兵が走ってきて、ヤングを担ぎ後ろに下がる。

 ネクセラリアは、トドメを刺そうとしていたが、ヤングを助けに来た敵兵の姿を認めてヤングから離れた。担がれていくヤングの姿を見てつぶやく。

「ヤングよ…。冥土で会おう……」

 ヤングの姿が視界から消えたのを確認すると、ネクセラリアは大声で言った。

「ヤング=マジョラム大尉は、この八騎将が一人、“疾風”のネクセラリアが討ち取った!ヤングの仇を討ちたいという者はいないか!?」

 敵兵を見渡す。

 もし、一騎打ちを申し出る者が出なければ、後は軍に敵を屠るよう指示を下すだけだ。

 ヤングとの一騎打ちで体に無数にできた傷から、止めどなく血を流しながら、ネクセラリアは再度言った。

「どうした?ドルファンに雇われた傭兵は腰抜けばかりか!?」

 そして、

(もう、よいか)

 ネクセラリアがそう思い、自軍の方に歩き出そうとしたとき、周囲の気配が変わった。

 恐ろしいほどの殺気が、この空間に満ち始める。

「な…んだ……?」

 およそ人が作り出せるとは思えぬ雰囲気にのまれ、声を絞り出すのに苦労しながら、ネクセラリアはその殺気の主に目を向けた。

 先ほどは、そこにいなかった人間が立っていた。

 その手に、長大な片刃作りの緩やかな曲刀を持ち、おおよそ表情と呼べるものがいっさいないその顔で、その人間はネクセラリアを見ていた。

「我が相手をしよう」

 つむぎだされる言葉のあまりの冷たさに、円を形作っている敵味方の兵達が怯えを感じた。

 それは、人間の皮をかぶった別の何かだ。そう思ったネクセラリアは、それでも懸命に一騎打ちの作法を守った。

「しかと、うけたまわった。我が名は、セイル=ネクセラリア。名を名乗られよ」

 ネクセラリアは、唾が枯れてカラカラになったのどで辛うじて言った。

 そして、それを聞いた目の前の何かは名乗った。

「トザワ。モリヤス=トザワだ、“疾風”よ」

 場が凍り付いた。

 少なくとも彼の名前を聞いたヴァルファの兵達はそう感じた。

「お、おまえが、あの“鬼”か?」

 ネクセラリアが、顔を引きつらせながら、うめくように言った。

 欧州に現れてから6年、その名を敵に回し無事であった者はいない。

 そしてなによりも、長きにわたり欧州を席巻したヴァルファバラハリアン。かつて十三騎将として恐れられた武将達。それが今のように八騎将となる原因を作りだした男だ。

 歴戦の勇者であるネクセラリアにとってさえ、その名は禁忌に等しかった。

 

 過去のある戦、ネクセラリアが仲間の3人の騎将と共に本隊と離れて作戦しているときだった。彼らが傭兵騎士団本隊と合流したのは、本隊を離れて一ヶ月も経たたないぐらいだったが、古株の騎将達がいなくなっていた。

 愕然として問う彼らに、参謀長のミーヒルビスは「鬼の仕業だ…」と言葉少なげに語っただけだった。

 

 その“鬼”が今、ネクセラリアの目の前にいた。

 “鬼”は彼の問いには答えず、感情のいっさい浮かんでいない顔で彼を見据えて言った。

「問答など無用…ゆくぞ」

 それと同時に、“鬼”の姿が皆の視界から消えた。

 次の瞬間、ネクセラリアのいた地点で、すさまじい金属音がした。

 辛うじて槍で刀を受け止めているネクセラリアの姿と、無表情に刀を繰り出した姿勢の“鬼”の姿があった。

 人として想像できる速さを遙かに越えた“鬼”の踏み込みと斬撃である。

 しかし、ネクセラリアも傭兵団としては欧州最強を誇る、ヴァルファバラハリアンの八騎将の一人だった。その剛剣を受け止めることに成功していた。

 だが、ネクセラリアの槍はもたなかった。刀を受けた部分を中心にして折れ曲がっていた。

(ばかなっ!?)

ネクセラリアは思った。

(この槍は団長の一撃にも耐えたんだぞ!それを…)

 世界一の槍と惚れ込んでいた自分の獲物の姿に、彼は一瞬呆然とする。そして腕にとんでもない重圧がかかったことで我に返り、踏ん張ろうとした。

 それが、ネクセラリアの最期だった。

 半ばで折れ曲がった槍を、“鬼”の刀はそのまま押し切り、彼を左肩から股間まで切り裂いた。

 一刀両断。“鬼”の力に対し人はもろすぎた。

 倒れる際に己の半身を視界に入れながら、

「ヤ……ン…グ………」

 とつぶやき、倒れ落ちた。

 “疾風”と名をはせた八騎将セイル=ネクセラリアはこの世を去った。

 

 遺体は戦場で処理される。

 将軍や、名家出身の将校でもない限り、遺体の保存の難しいこの時代、戦死した者の完全な遺体は遺族の元になど届かない。

 ヤング=マジョラム大尉の遺体も例外ではなく、体の遺体の一部を除いてその他大勢と共にイリハの大地に埋められた。

 処理は、事故により遅れて到着した第2連隊の本隊、第4大隊の一部と傭兵隊によって行われた。

 夏である。伝染病の危険があるために、たとえ明日また戦闘があるとしても、放置しておく訳にはいかなかった。

 すでにヴァルファの一個八騎軍が到着しており、陣をしいていた。

 彼らにしても、意図することがあるとしても、まず戦場の整理を行わなければならないから、衝突は明日以降になる。

 そして、モリヤス達傭兵隊は王都に撤退するよう命令が下されていた。

 たしかに傭兵隊は、正規の指揮官を失っていたし、戦力も消耗していた。

 しかしなにより、手柄を横取りする邪魔者だと騎士達は思っていたのだった。

 

 無数の土盛りのできた荒野。モリヤスは馬上からそれをみつめていた。

 

 もうだめなのは一目でわかる。

 傭兵隊につけられた療兵が必死に血止めを行っているが、それが無駄に終わるであろうことはそこにいるすべての者が想像できた。

 一騎打ちに敗れ、もはや助かる見込みのない傷を負ったヤングは、そばに来たモリヤスを見て言った。

「…トザワ…すまない。しくじって……しま…った」

「もうしゃべられるな。いま楽にして差し上げる…」

 療兵を下がらせ、トドメの介錯をしようとしてモリヤスは腰の鎧通しを抜いた。

 それを手で遮り、ヤングは首を振った。

「いや、い…い。そ、それよりも…俺の話を聞い…てくれ」

 恐ろしい激痛に苛まれいるだろうヤングは、懸命に言った。

「おれ…は、ドルファ……ンをすくいたいと思ってきた。げほっ!こ、このくには、中から腐り始めている。このままでは、いずれ……他国の侵略を許してしまう。いま…でも、大トルキアの…旧名家としての、名前のために……列強の手が伸びないだけだ…。いずれ、そんなもの…は、本当の無意味になってしまう」

 ヤングは、力を込めて自分の傷跡に差し出されているモリヤスの手を握った。恐ろしい死相に満ちた顔でモリヤスに言う。

「メッセニ中佐をたよれ!そして、ドルファンを救ってくれ!!お前なら。お前ならできる!俺達はできなかったことでも、お前なら…ガフッ!?」

「ヤング殿!」

 多量の血を吐き出したヤングを支え、モリヤスは思った。

(またか?また失うのか?わたしは!?)

 ヤングは、意識が混迷してしまっているのだろう、つぶやき続けていた。

「だいじょうぶだ…トザワが来てくれた……。この国を…クレアの、…俺の………」

 そして、虚空を見つめながら語りかけるように言った。

「クレア……すまない…。やくそく…し………」

 ヤングは、最後の一息を吐き出し。モリヤスの答えも聞かぬまま、2度と言葉を紡ぐことはなかった。

 

「ヤング殿、私は約束をすることはできぬ…」

 モリヤスは、聞く相手のいないつぶやきを漏らした。

「しかし、この戦からは、この国を守って差し上げる」

 そうして、後ろから近づいてくる馬の音を聞いて振り返った。

 ヴィリだった。彼はモリヤスに言った。

「隊長、撤収準備整いました。傭兵隊行動可能です」

「わかった。傭兵隊はこれより王都に向かう。総員に達せ」

「了解しました!」

 ヴィリは来た道を、戻っていく。

 モリヤスも馬を進めながら、懐の物を握りしめ、再び土盛りを見て言った。

「誓って、守って差し上げる……」

 

 そして、馬を駆け出した。

 “狼”の眠る荒野を後にして……。


<あとがき>

 

 読んでいただきありがとうございました。サキモリです。

 第3話「イリハ」は、これで終了です。

 前半最大の山場だ!と思い、気合いを入れたつもりだったのですが、下手に長くなってしまいました。

 私としては、ひとまず書きたいこと、想像したことをほぼ収録できたと思っています。

 でも、ここはこうした方がもっとよくなるとか何かありましたら、どしどしおっしゃってくださいね。

 それでは、次の第4話もよろしくお願いいたします。


四へ

 

参之二へ戻る

 

目次へ戻る