T-Party 2001

2000年12月30日(土) 1部 13:30〜 渋谷Titty Boo
2000年12月30日(土) 2部 16:00〜 渋谷Titty Boo

T-Party(1部)

20世紀を振り返って&来年の年間行事予定
クイズ大会
ミニライブ
 1.僕はここにいる
 2.WOW!YEAH!!
 3.Cloudy Sky
 4.Happy Cristmas
 5.sentimental wash
 6.STAR LIGHT
 7.ガラスの十代

【開始前】

 席を決めて荷物を置いて、ふと前を見上げると、友人の背後に、JIZOさんと寛之が何気にひっそり当たり前のように立っている。一瞬固まり、その次に友人にひたすら「後ろ!後ろ!」さすがに“寛之がいる”と声に出しては言えなかった……というか言ってはいけないような気がした……らしい。

【本日のお衣装】

 11月25日のライブの2部の衣装と同じ。ん〜と、首(襟元)と腕の部分がモスグリーンのニットでボディ部分がオレンジ色のレザーみたいなの。
 親指部分を出す穴が空いていて、そこから親指を出していたのがプリティ。(*^^*)

【本日の司会】

 本日の司会は前回のTea Partyに引き続き、寛之のお友達の柳生さん。柳生さんは、あごひげを伸ばし始めていたが、会場から、「ひげは好きじゃない。」の声にがっくり。

【20世紀を振り返って】

 《B.C物語》

 まずはJr.に入る前。小学校の5年か6年頃らしいが、お姉さんのお供で、マッチさんの入り待ちだか出待ちだかをし、当時まだ身体が小さかったのでカメラを持たされ、人だかりの間を縫って前に出て、写真を撮らせてもらったことがあるそうだ。で、「マッチさんいい人。」でテレビなどでマッチさんを見るようになったとか。

 オーディションのとき、オーディション会場でグレーの服を着たおじさんに「Youそこに座ったらいいよ。」と言われ、その時はそれが誰だか知らなかったそうだ。
 オーディションで応募者が1人づつ何かを言うことができたとき、寛之は「次にいつ来ればいいですか?」と尋ねたら、「来週来ればいい。」と言われたとか。
 それから、レッスン会場に連れて行ってもらい、そこにはイーグルスがいたらしい。「若かった。」って、それはお互いに、でしょう。(笑)それから「カレーを食べた。」

 4年のJr.時代で高校進学もあり。レッスンに行かなくなったときTELがありローラーの練習を開始。月水金の毎週3回で各回18:00から3時間くらいづつ。最初は20人くらいいたが、徐々に少なくなり最終的に7人が残ったらしい。

 《A.D物語》

 最初にテレビ出演した1987年8月19日の「夜のヒットスタジオ」それまで練習していたローラースケートリンクと異なり、スタジオはローラーを滑るようにはできていないので、つるつる滑りやすく、リハーサルの後、某J社長にこっぴどくこき下ろされて臨んだ本番、某くんが転んだので、それまでみんなして「転んではいけない。」と思っていたのが肩の荷が下りたように軽くなり、本番終了後には某J社長にお褒めに預かったそうだ。

 映画「ふ・し・ぎ・なBABY」の撮影中は、朝から翌日の朝まで撮影し、合間に3時間ほど仮眠して、また撮影して、を4、5日続けるなど、合宿所のセットでお弁当を食べたりして本当の合宿のようだったようだ。あのときの舞夢くんももう中学生?

 室井滋さんとのドラマ『素敵な人?!』は室井さんがひっぱってくれたので演りやすかったが、『愛車物語』はGF役の人と挨拶くらいしかしなかったのでちょっと……のようだったそうだ。

 6人になるとコンサートパンフレット撮影終了時に聞き、コンリハをやらずにメンバーで話し合いを続け、7人でなければHGではないからとの思いで去る決意をしたそうだ。
 7人最後のコンサートでコーナーをもらったが、コンサの前半だったのでコンサの流れ自体を止められないと考えて、あっさりした形にしたということだった。6年経て始めてそういう深慮があったことを知った。6年前にはそこまで思い至らなかった。
 コンサの構成で中盤、控え室で出番を待つ時間が辛かったそうだ。

 《そして未来へ》

 来年の行事予定発表!!!(笑) あくまで行事予定。予定は未定、決定にあらずでよろしく。

 3月にライブ。
 「どこでやるの〜?」のファンの声に笑ってかわす寛之。できたら東京だけでなく地方でもやってほしいけど、どうなるのか。
 「もっと遅い時間にして!」の声に賛同する声と、「遅いと帰れなくなる!」の反対の声があがり賛否両論。「昼、夜、2回すれば。」の声が、最も適しているのか?

 その近辺でマキシシングルリリース。
 インディーズになるかどうかはまだ未定。でも「CD屋さんの店頭に並ぶようにしたい。」ということなので、乞うご期待!(^^)!

 夏にライブ

 9月にファンクラブツアー
 「場所は?」の質問に「ハワイ」と答える寛之。

 11月にバースディライブ

 12月にカウントダウンライブ

 その合間のどこかでドラマを演りたい!
 ドラマ、ドラマね。とってもとってもめいっぱい!期待しちゃってるから。(笑)実現するといいなぁ。

【クイズ大会】

  1. オーディションのときグレーの服を着た人(実際には固有名詞で言った(笑))が言った言葉は?
    答え:Youそこに座ったらいいよ。
  2. おじいさんの名前は?
    答え:佐藤りょうたろうさん
 それぞれ、正解者には21世紀にスマイルできるものがプレゼントされた。なんだったのだろう(?_?)

【ミニライブ】

 JIZOさんのギター1本でアコースティックミニライブ。選曲的に、新しい世紀に真っ白い気持ちで出発しよう!みたいな気持ちの表れではないだろうかなどと思ったりした。
 『僕はここにいる』のアコースティックバージョンっていいですね。(*^^*)
 『Happy Cristmas』は12月7日のLove & Peaceのときに歌った曲を行けなかった人も多かっただろうからと披露してくれたもの。
 『STAR LIGHT』と『ガラスの十代』は11月25日のライブと同一バージョン。ただ、何となくだけど、今回の方が気持ちに深く染みとおるものを感じた。個人的な想い込みなのだろうけど。

【最後に】

 チケットの裏にあるナンバーを使って、寛之が思いついた番号を持っている人にプレゼント。これも”スマイル”なもの。

【握手】

 会場を出るとき、寛之と握手タイム。

T-Party(2部)

20世紀を振り返って&来年の年間行事予定
ジャンケン大会&クイズ大会
ミニライブ
 1.僕はここにいる
 2.WOW!YEAH!!
 3.君のKAKERA
 4.Happy Cristmas
 5.STAR LIGHT
 6.ガラスの十代

【20世紀を振り返って】

 《B.C物語》

 Jr.に入るきっかけ=お姉さんが履歴書送っての話。

 《A.D物語》

 レコード大賞や紅白歌合戦にまつわるお話。

 レコード大賞を獲ったとき、島倉千代子さんが『人生いろいろ』で最優秀歌唱賞(だったはず。違ってたらすみません。m(_ _)m) を受賞して歌っているのを聴いていたら、その歌が胸に響いて、レコード大賞受賞のとき泣いてしまったそうだ。

 紅白は30日は司会の方と面接で、メンバー揃って行って、MCの内容の確認などし、31日は朝からリハーサル。
 紅白の控え室は演歌の大御所は個室だが、ポップス系は大御所ではない演歌勢やバンドの方々はひとつの同じ控え室で、演歌勢が鏡の前の椅子を使用するので、若いHGの面々は控え室のロッカーの前で(ここでしゃがみこんでそのポーズをする。いわゆるひとつの……)しゃがみこんでいたり、NHKホールの客席で眠ってたりしたとか。
 紅白話題で会場に「紅白見る人?」を尋ねたら、手を挙げた人=ゼロ。恥ずかしくて手を挙げなかったのか、本当に見る人がいないのか?みやはHGが出演してたときほど真剣に見ることはないし、テレビが紅白になっていても(親が見るからなってはいるけど。)、本を読んでいて”視聴”にはなり得ないので、挙手しなかった。

 テレビ出演もそれまでの見る側から出る側になった最初の1987年8月19日の『夜のヒットスタジオ』出演が最も思い出深く、リハは1回でリハ後某J社長に喝入れられ、楽屋は重〜い空気が淀み、メンバーは1人、また1人と、トイレに行ったり、食堂に行ったりしたが、本番終了後に誉められたそうだ。

 とある人が(みや注、2000年12月31日に大阪でカウントダウンコンサートをやるある人)、「ファンは、タレントの営業担当と言っていたけど、僕のファンは営業が……。」だって。
  いや〜営業、苦手ですみませんm(_ _)m 営業力に自信のある方、待ってるから♪よろしくね☆

 ソロになってたくさんのことを経験して、ファンの大切さを知ったと力説。ファンのこと大切に思ってくれるのってかなり嬉しいゾ♪

 《21才の頃のプライベート話》

 当時は、山本くん、赤坂くん、敦啓くんとカラオケ行ったりディスコ行ったりして遊んでいたそうだ。
 山本くん、敦啓くん、中居くん、森くんと一緒にジュリアナに行ってセンターの円(って何(?_?))を囲んで踊ったことがあるとか、敦啓くんと2人でカラオケ行って敦啓くんが熱唱したりとか、中居くんともカラオケに行ったことがあって中居くんのおはこは尾崎豊だとか、中居くんの「”まー坊”(って何(?_?))は地だ!」とか。
 カラオケはステージ型のよりもボックス型の方が好きだそうだ。

 《そして未来へ》

 来年の行事予定発表!!!くどいようだがあくまで行事予定ってことでよろしく。

 3月にライブ。

 夏頃、CDリリース
 あら?あらら?

 9月にファンクラブツアー
 
 11月にバースディライブ

 12月にカウントダウンライブ

 それとドラマを演りたい!
 今年はずっとライブ中心だったので、来年はドラマ方面にも活動の場を広げたい意思があるそうだ。ドラマ、出てくれたらいいな。予定じゃなく決定になることを熱望してしまう。(笑)

【ジャンケン大会&クイズ大会】

 寛之対全員でまずジャンケン大会。最終的にファン2人が残ったところで、残った2人によるクイズ大会。柳生さん発案で紐を引っ張ると札が上がる帽子(アメリカの国旗模様の帽子で会場では激不評)をかぶっての対戦。
  1. 寛之が21才頃に行ったディスコは?
    答え:ジュリアナ。
  2. 21才の12月30日は何をしてた?
    答え:NHKホールの食堂で食事してた
 それぞれ、正解者には21世紀にスマイルできるものがプレゼントされた。

【ミニライブ】

 12月7日のイベントのことに少し触れ、TSUKASAさんやJIZOさんと知り合ってから、John Lennonの曲を聴くようになったので、12月7日のようなイベントに参加できて、更にたくさんの曲とふれあえたのはよかったし、リハが2日間と短めだったけれど、英語の曲を聞き込めて、とても楽しく、またこのような機会があったら参加したいと思っているそうだ。

【ご挨拶】

 21世紀もよろしく!

【握手】

 会場にT-Partyの後に何か予定が入っているらしく、さかんに時間を気にしていた。握手のときは相手の目を見て話をするのが基本でしょう、ね。

【感想】

 お互いに力を分け合ってHAPPYになれて、成長できたらいいな。

 ところで、1月7日も同じケーキなのかな?やはり(自爆)

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