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Boogiepop easter/Cross over

幻影/坂崎敬一・2


「じゃ、じゃあ。彼女と仲良くね」
 そう言って成瀬は、鞄も持たずに廊下に飛び出した。そしてそのまま振り返りもせずに走っていく。
「……なんだあいつは」
 隣を見れば、朝臣がこちらをじっと見ている。
「な、なんだよ」
「別に」
 つい、と目をそらすと、ため息をひとつついた。
 ……。
 成瀬の気持ちには気づいているつもりだが、今はそれどころじゃないんだ。
 悪い、成瀬。
「今の、成瀬看祢さん?」
 朝臣が成瀬が走り去った廊下を見ながら言った。
「そうだけど、知ってるのか?」
「有名人でしょ、彼女。それも学校で一番の」
 まぁ、そうだろうな。
「お前もあいつに相談に乗ってもらったクチか?」
「私は別に。でも友達にそういうのが好きな子がいてね」
「だったらさ、その友達にあんまりあいつを頼るなって言っておいてくれないか。相手もただの高校生なんだからさ」
 成瀬は世話好きで頼まれると断れない性格の上にお調子者だから、すぐにほいほい人の相談に乗ってはいるが、あいつだってただの人間だ。
 大げさな言い方をすれば、あいつの言葉で人生を決めて、それで失敗したらどうするつもりなんだろうか。
 成瀬に責任をなすりつけるのか?決めたのは自分なのに。
 ……成瀬の悩みは誰が聞いてくれるのだろうか?
「……そうね、言っておくわ。もう遅いだろうけど」
 苦しそうに朝臣が言った。
「?」
「死んだわ。少し前に」
「そうか……」
 俺たちは教室を出た。そろそろクラスメートの視線が痛くなってきた頃だった。なにしろ、朝臣は隣にいるには気が引けるほどの美人だ。明日の朝が怖い。

 これから、二人で俺の部屋に行ってこれからのことを話し合う事になっている。こういう時、独り暮らしというのは便利だ。
 女の子を部屋に入れるのは朝臣で二人目だが、やましい気持ちなど微塵もわかない。これもあいつの、つばさの魔法のせいなのだろうか?
 嫉妬深そうには見えなかったけどな。
「思いだし笑いは気持ち悪いわよ」
 隣を歩いていた朝臣にそう言われて慌てて口元を引き締める。
「朝臣はさ」
「ん?」
「朝臣は、その、死んだ恋人のこと思い出したりするときがあるのか?」
 少し考えて、朝臣は「たまにね」と答えた。
「坂崎君みたいに思い出にひたったりしないけど」
「ち、違っ、俺のは……」
 言いかけて、やめた。
 否定するのは自分の想いまで否定してしまうことになるから。

 それからはずっと無言で、俺の部屋のあるマンションにたどり着いた。
 ドアに手をかけて、鍵が開いていることに気づく。素人目に見て、こじ開けられた形跡はない。一瞬、統和機構の名前が浮かんで緊張したが、すぐに別の考えが浮かんだ。
 合い鍵を使って開けたのだ。
 そして、この部屋の鍵を持っているのは、俺のほかに一人しかいない。
「つばさ!」
 祈りをこめて叫び、ドアを開ける。
 そして、あの頃と寸分と違わない笑顔を見た。
 玄関にちょこんと正座している小さな体。その背中から広がる、純白の翼。
「おかえりなさい、けーいち」
「た、ただいま……」
 それ以上何も言えずに、俺はつばさを抱きしめていた。涙が、後から後から溢れてくる。
 あの時、泣かないと誓ったのに、これじゃ台無しだ。
「おかえり、つばさ」
 つばさはそれには答えず、そっと俺の背中に手を回した。
「あきれた」
 朝臣の、そんな声が聞こえる。
「本当に翼が生えてたのね」
 その朝臣の顔を、不思議そうにつばさが見上げた。
「……だれ?」
「ああ、こいつは朝臣さやかっていう……」
 どう説明したらいいのだろうか。
「かのじょ?」
「……違うよ、馬鹿」
「じゃあ、なおや君のかのじょ?」
 俺たちを見下ろしていた朝臣の肩が、びくりと震えた。
「……昔はね」
 苦りきった声だった。つばさを見る目が厳しくなる。
「直也を知っているの?そもそも、あなたたちは死んだんじゃなかったの?」
「しんじゃったよ」
 つばさは静かに微笑んでいた。
「けーいちが知ってるつばさも、さやかちゃんが知ってるなおや君も。だから、わたしはほんとうのつばさじゃないの」
 聞きたくない言葉だった。
「ほんとうはわかってるんでしょ?」
 その通りだったから。
 あの時、雪で真っ白になった世界で、つばさは確かに俺の腕の中で……
 死んだ、の、だ。
「やめてくれ……」
「わたしは、まぼろしだよ。おもいでの中にある、まぼろしだよ」
「……やめてくれ、つばさ」
 つばさを抱く腕に力をこめる。
 つばさが、今にも消えてしまうような気がしたから。
「なおや君のまぼろしも待ってるよ。いちばんのおもいでのばしょで」
 その言葉に朝臣が走り出す。
 そして、俺たちは二人きりになった。
 あの時と、同じように。つばさが俺の前から消えた、あの時と同じように。
 俺たちはそのまましばらく抱き合っていた。
「けーいち」
「……なんだ?」
「行こう。あのこを助けないと」
「朝臣のことか?」
「ううん、さやかちゃんは一人でもだいじょうぶ。助けないといけないのは、なつみちゃん」
 知らない名前だ。だが、心当たりはあった。
「わたしをつくったひと」
 そして、朝臣の恋人を作った奴。
「なつみちゃんはわたしをつくったかわりに消えちゃいそうなの。だから、助けないと」
「どうして?そうしたらお前は消えちまうんだろ!?……どうしてなんだよ?」
「けーいち」
 つばさは笑顔のままだった。俺は泣き顔のまま。
 あの時と反対に。
「つばさは、しんだんだよ。……今までわたしのこと思ってくれててありがとう。でも、けーいちはもう前にすすまなきゃいけないの」
 つばさは俺の背中に回していた腕をほどき、立ち上がった。そうして俺に手を差し伸べる。その姿はまるで本物の天使のようだった。
「つばさ……」
 俺はつばさの手をとる。
 気持ちの整理はまだついていない。でも、ここで駄々をこねたらかっこ悪いと思った。
「強くなったな……」
「ちがうよ」
 つばさがとびきりの笑顔を見せる。
「わたしがつよいように見えるなら、それはわたしのことをつよいと思ってくれてたけーいちがつよいんだよ。だから、だいじょうぶ」
 何が大丈夫なのかは聞かなかった。何にしろ、自分が大丈夫だという自信がなかったから。
「さあ、いこう」
 つばさの背中から白い羽根が消えた。驚く俺につばさは「まぼろしだから」と笑う。
 二人でドアの外に出る。
 ずっと願っていたことのひとつがかなった。
 それはきっと、別れるための第一歩に違いなかったのだが。


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