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リリカルドクター・まきこさん

 
 まきこさんの職業は精神科のお医者様。今日も県立の総合病院で元気に働いています。
 でも、まきこさんはほかの人とはちょっとだけちがうお医者様。
 まきこさんはフィア・グールだったのです。

 今日も日課の篠北さんいぢめをしていると、館内放送で呼出しがありました。
 自分の診察の時間にはまだ間があるのに、不思議です。
「ち、いいところだったのに」
 まきこさんは抜いていた歯を元通りに戻すと(まきこさんはそんなことばっかりやってます)、病室を出ました。
 出ていく直前、ほっとする篠北さんに首を180°回して「さようなら」を言うのをわすれません。
 まきこさんてば礼儀正しい人ですから。篠北さんは気絶してしまいましたが。
 呼び出された場所が精神科の病棟ではなく、院長室だというのが気になります。
(あのことがバレたのかしら?)
 最近いろいろやっているのでちょっぴり不安です。でも、いろいろやってすぎてどれのことだか特定できません。
「ま、考えてもしょうがないわね。いざとなったら殺しちゃえばいいんだし」
 楽天的にそう考えて、院長室のドアをノックしました。
「どうぞ」
 中に入ると、院長先生のほかにもう一人の人がいました。白衣を着ているので、たぶんここの人なのでしょう。
 まきこさんはその人に軽く会釈すると、院長先生の正面のソファーに腰掛けました。
 院長先生はやさしそうな感じの年輩の女性でしたが、まきこさんは彼女がちょっぴり苦手です。
 この前院長先生の恐いものを見つけようとしたら、それがおまんじゅうだったのが主たる原因でした。
 まきこさんがまだ未熟なのか、院長先生にはなにかすごい力があって、まきこさんの能力をごまかしているのか、本当におまんじゅうが恐いのか。
 まきこさんは3つめが怪しいと睨んでいます。
「ごめんなさいね、休憩中に呼び出したりして」
 院長先生がまきこさんに頭をさげます。
「いえ、昼食も済ませましたし。で、ご要件は何ですか?」
 本当は、お昼(篠北さん)を食べている途中だったのですが、そんなことで相手を困らせるほどまきこさんは子供ではありません。
「その前に、紹介しておかなければね。こちら、小児科の相沢さん」
「相沢です。よろしく」
 そう言って、相沢さんはまきこさんに握手を求めてきました。
 まきこさんと同い年くらいの、ちょっとかっこいい男の人です。
 恐いものはすね毛。
 なにがあったのでしょうか?
「よろしくお願いします」
 握手に応えながら、まきこさんは相沢さんの足元をちらりと見ました。
 当然のことながら、ズボンで生足(男の人に使うとヤな表現ですね)は見えません。
 ちょっと気になります。
 説明を求めるように院長先生の方を見るまきこさん。
 まさか、お見合いでしょうか?たしかにちょっとかっこいい人ですし、お医者様だから高収入・高学歴です。が、すね毛が恐いような人といっしょになるつもりはありません。
 そういう問題ではないのですが。
「残念ながらお見合いではないのだけれど」
 院長先生の言葉にまきこさんの体がぐらりと揺れました。
 たしかに、まきこさんももう27歳。普通だったら将来のことを考えなければならないお年頃です。まきこさんのお母様も心配しています。
 でも、まきこさんにはもっと崇高な目的がなくもないはずです。
(ぶっ殺したろかこのアマ)
 だからそんなこと考えちゃだめです、まきこさん。
「小児科のお遊戯会のことは知っていますね?」
 まきこさんの心の嵐など知らぬ様子で院長先生が話を続けます。
 お遊戯会というのは、小児科の先生方が長い間入院している子供達に楽しんでもらおうと、月に1回開いている催し物です。まきこさんももちろん知っています。
「それがね、今回の出し物をする予定の先生が急用で出られなくなってしまったの」
「……それで?」
 なんだか嫌な予感がします。次に出てくる院長先生の言葉は考えなくてもわかります。
「あなたに、代わりに出てほしいのだけど」
「お断りします」
 まきこさんは即答しました。だいたい、精神科のまきこさんに頼む方がどうかしているのです。
「ほかの小児科の先生に頼めばいいじゃないですか」
「それがね」
 院長先生は困った顔をしました。
「あの人達、仕込に1ヶ月かけてるのよ。『芸人として中途半端な芸は見せられねぇ』って。困った人達よねぇ」
 困ったというか、それは医者として問題があるのではないでしょうか?
 よしんば自分が子供を産んでも、この病院には預けまい。そうまきこさんは心に誓いました。
 よしんば……
 あっ、自分の考えに泣いちゃだめです、まきこさん。
「それでね、霧間さんの件でよく小児科にも顔を出していたあなたにお願いしたんだけど、……聞いてる?」
「え?あ、はい」
 手で涙をぐしぐしと拭って、まきこさんはやっと答えました。
「でも、それならやっぱり私のげ、芸?ではだめなんじゃないでしょうか?」
 その通りです。1ヶ月も仕込んだ芸を見慣れている子供達に、まきこさんがなにをやっても無駄という気がします。
「大丈夫よ。たまにはフレッシュな風も吹いた方がいいわ」
 もはや医者の会話ではありません。
「しかし……」
「ね、お願い。今度、お見合いの相手も探してあげるから」
 ……まきこさんの名誉のために言っておくと、まきこさんが院長先生のお願いをひきうけたのは『ここで断って変に心証を悪くされてもいいことはない』と判断したためであって、けして『お見合いにつられた』わけではありません。念のため。

 お遊戯会の日。まきこさんは、柄にもなく緊張していました。結局、何をやればいいのか思い付きませんでしたし。
 もともとまきこさんは子供があまり好きではありません。
 恐怖が未分化で、個性に欠けるからです。もう少し大きくなれば、それぞれの個性も出てくるのですが、小さい子供の恐怖というのはそのキャパシティも小さいものが多く、あまり満足感もありません。
 まきこさんてばグルメですから。
「まきこさん、準備してください」
「あ、はい」
 裏方の先生に呼ばれました。見れば舞台の袖に『新風亭まきこ』などと札がかけられています。
 いつのまに新風亭になったのか、まきこさんは知りませんでしたが。
「大丈夫ですよ。普段通りの気持ちで子供達に接してください」
 相沢さんがはげましてくれました。今日までついに生足は見ることが出来ませんでしたが。
「はい、やってみます」
 普段通り、普段通り……
 手のひらに人という字を3回書いてそれを飲み込むと、まきこさんは舞台にあがります。
 盛大な拍手。その後はしーんと静まり返る会場。
 とても見ているのが子供とは思えません。落後を見にきている老人のような、そんな落ち着いた雰囲気です。
 なんだか間違っていますが、今のまきこさんにそれを突っ込む余裕はありません。
「い、1番新風亭まきこ。一人芝居やりますっ」
 まきこさん、それは忘年会とかのノリです。
 それはともかく、まきこさんは言うが早いか自分の目にぶすりと指を刺しました。
 会場の静けさの質が変わります。
 おかまいなしにぞろりと眼球を視神経ごと取り出すまきこさん。気の弱い先生がすでに失神していますが、そんなこと気にしてられません。
 一回指を引き抜いて角度調整。大きく息を吸い込んで。
「『おいっ鬼太郎っ』『なんだい?父さん』」
 視神経が手足に見えるから不思議です。
 静まり返ったままの会場。
(は、はずしたかしら?)
 不安になったまきこさんでしたが、次の瞬間会場が揺れました。
「うわーんっお母さーんっ」
「嫌あぁぁぁぁっ……」
「う、気持ち悪っ」(えれえれ)
「恐いよぅ」
「だ、誰かぁぁぁっ。助けてぇぇぇぇっ」
 大パニックです。
 そりゃそうですが。
「や、やだなぁ。なんてことない手品ですよ。て・じ・な」
 まきこさんのそんな言葉に耳をかす人はいません。
「もう。あんまり騒いでると、みんな殺しちゃうぞ?」
 次の瞬間。会場はもとの静けさを取り戻しました。まきこさんは冗談のつもりでしたが。
 でもちょっと本気。

 それから、まきこさんがお遊戯会に呼ばれることは、まきこさんが不気味な泡に遮断されるまでただの一度もなかったということです。
 めでたくなし、めでたくなし。


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