to catalog
怪奇探偵ブギーポップ
『人喰い』

 
 竹田啓司はフリーのルポライターとして、業界では少しは名の知れた存在だ。
 今日も助手の宮下藤花と共に、恋人と失踪した大学教授の取材のため、深陽医科大学まで足を運んでいた。
「先輩、ありましたよ」
 藤花が「響研究室」のプレートがついたドアを指さす。
 響教授は、世界的にも有名な薬物学の権威であり、その失踪ともなれば警察も報道規制をしてはいたが、二人は特別に取材を許可されたのだ。
 だが、啓司は正直気分がのらない。特別に許可がおりた理由を知っているからだ。
 いわく、竹田啓司がからむ事件には並みの人間では想像もつかない「なにか」があり、それを解決できるのは彼だけなのだと――。
「はぁ」
 心当たりが無い訳でもないが、そう期待されるのも困りものだ。
 だいたい「あいつ」さえいなければ……。
「そうそう怪事件なんて起こる訳ないよなぁ」
「そうでもないさ」
 その声に啓司はぎくりとして、後ろにひかえている藤花を見た。
 正確には藤花「だった」ものを。
「世界は警察などでは太刀打ちできない事件で満ち満ちているんだよ、竹田君」
 うかつだった。思えばこの取材のアポを取ったのも藤花だった。
「またお前か、ブギーポップ。……お前がからむとろくでもないことになるんだよな」
「それは逆だよ、竹田君」
 そう言うとそいつは笑っているような、からかっているような、いわく言いがたい左右非対照の表情をした。
「普通の人間に解決できないような事件が起こるから、ぼくみたいなのが浮かび上がってくるのさ」
 
 

「では、百合原さんは響教授と紙木城さんは合意の上で失踪したのではない、と?」
「はい。お二人とも自分の立場はわきまえている方でしたから」
 今、啓司と藤花、もといブギーポップの目の前にいるのは百合原美奈子。響教授のもとで助手をしていた女性だ。
 彼女が現在この響研究室を取り仕切っている。
 もっとも、今この研究室にいるのは彼女ともう一人、早乙女正美という大学院生の青年だけだったが。
「では、なんらかの事件に巻き込まれた可能性が高いということですか?」
「はい」
 そう言うと、彼女は目を伏せた。
 その姿を彼女を刺激しない様注意しながら啓司はカメラにおさめた。
 彼は今、インタビュアーとカメラマンの二役をこなしているのだ。
 いつもならインタビューの方は藤花がやってくれるのだが、ブギーポップとなってしまった今では期待できない。現に『彼』は研究室に入った時から、自己紹介以外は一言も喋ろうとせず、じっと立っているだけだった。
 啓司は内心舌打ちしながら、質問を続ける。
「やはり、響教授の研究に関係しているのでしょうか? その研究、差し支えなければ教えていただきたいのですが」
「……。本当なら部外秘なのですが、警察の方からも協力するように言われていますし、いいでしょう。早乙女君、あれを」
「はい」
 そう答えて早乙女正美は、奥の棚から瓶に入ったうっすらと青い、透き通った液体を持ってきた。
 最初の返事以外一言も喋らない。
 それ以外は特に変わったところはないが、普通すぎるというのが、啓司の彼に対する印象だった。
「これは?」
「人間の体は数年間でその細胞が全て入れ替わるのはご存じですか?」
 美奈子はそんな所から説明を始めた。
「人間の細胞は数年間でその寿命を終え、その都度新しい細胞に入れ替わっていきます。そして、全ての細胞が入れ替わるのに三〜五年。しかし、たとえ細胞の全てが入れ替わったとしても自己は自己として、その総体に変化はありません。それは、細胞の一つ一つが自己を記録しているからです。遺伝子・DNAと呼ばれるものがそれです」
 そこまで一気に説明すると、美奈子はやっと一息ついた。研究者の性か、顔はほのかに上気し自説の説明にやや興奮しているようだ。
「そこで響教授は考えました。人の記憶、知識といったものも、どこかに記録されているのではないか。そして、抽出した知識を他者に移植することはできないだろうか、と」
「じゃぁ、これは……」
「人の記憶、知識と呼ばれるものです。もっとも、試作段階のとんだ欠陥品ですが」
 そう言って、美奈子は寂しげにうつむいた。その表情の変化を敬司は理解できずにいたが、思考は横から入った「失礼」という声に中断された。
 ブギーポップがいつのまにか机の上にあった瓶を取り上げている。
 美奈子に止める間も与えないほどの、魔法のような手際だった。
「匂いはないのか」
 そう言って瓶をもとの場所に戻す。美奈子はただ口をパクパクとするだけで、言葉がでない。
「す、すいませんっ。こいつ時々突拍子もないことしでかすんですよ。ほら、宮下も謝れ」
  慌てて啓司がブギーポップの頭を抑えつけて無理矢理頭を下げさせる。表情にこそださないが、ブギーポップは非常に迷惑そうだ。
「……。まぁ、いいでしょう」
 そうは言っているが、どうやら今日の取材はこれまでのようだ。
「じ、じゃあ今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました」
「最後に一つ」
 この期に及んでブギーポップが口をはさむ。
「紙木城直子さんはなんの研究を?」
「コミュニケーション療法。ようするに会話によって人を癒す研究ですが、それが何か?」
「いや、ありがとう。では失礼しよう、竹田君」
 啓司は美奈子と早乙女青年に一礼すると、さっさと出ていくブギーポップを追いかけた。
「おい、待てよ」
  呼んでも振り向きもしないことはなんとなくわかっていたから、啓司はしかたなくブギーポップの後をついていく。
「まったく、少しは手伝えよな。お前、一応俺の助手なんだからさ」
「前にも言ったろう。僕は宮下藤花じゃない。君の助手でもなければ恋人でもないさ」
「でも、友達だろう?」
「……まぁね」
 振り向かずに歩いていくブギーポップの表情は啓司の方からは見えない。しかし、答えたブギーポップの声が少し慌てたようだったのは啓司の気のせいだろうか。
「そんなことより、はやくこいつを調べないと」
「調べるって、何を……っ!」
 そこまで言って啓司は絶句した。ブギーポップの手の中には、小瓶に入った青い液体。
「お前いつの間に。……匂いを調べた時か」
「まぁね。さぁ、行こうか」
「行くって、どこに?」
「我らが殺人博士の所さ」
 
 

「結論を最初に言うと、毒薬よ。これ」
 彼女、末真和子の声は固い。
 二人は彼女の自室に通されていたが、そこには所狭しと何に使うか解らない実験器具や、ぶ厚い本が積み重ねられている。本はほとんど全てが犯罪関係。この近辺で事件が起これば、最初に疑われるのはまず間違いなく彼女だろう。
 雑然とした部屋の中で、奇跡的に物を置くスペースが残っているテーブルの上に人数分のマグカップを置きながら、説明を続ける。
「元がなんだったのかわからないくらいに加工されているけど、そのせいで主成分がテトロドトキシンに似た物質になっているわ。ひらたく言えばフグの毒ね。竹田先輩、また藤花を危険な目にあわせているんじゃないでしょうね?」
「いや、どちらかというと俺の方が……」
「テトロドトキシンか、なるほど。ゾンビパウダーは知っているかい?」
「え? えぇ」
 藤花の妙に冷静な言葉に末間和子はとまどいの表情を見せた。しかし深くはつっこまない。もともと彼女は犯人の心の動きには聡くても、目の前の人間の機微には疎いのだ。
「たしかに、アレもテトロドトキシンが主成分だと言われているわね。でも、それがどうかしたの?」
「ちょっとまってくれ、話が見えないんだが」
 薬物の知識もオカルトの知識も持ち合わせていない啓司には、なにがなにやらさっぱりな会話である。
「ブードゥー教のゾンビは知ってますよね?一昔前の映画で、よく腐った死体が動きまわっていたでしょ。あれです。でもあれは欧米人が事実を誇張してるんですよ。本当は腐っていない死体を使うんですよ」
 啓司にはそれがどれほどの違いなのか、よくわからなかった。
「でも実際には、死体を使っているわけではないんです。ブードゥー教の神官がゾンビパウダーと呼ばれる薬品を使って人間を仮死状態にして、それから魂を抜くらしいんですけど、テトロドトキシンの作用で重度の精神障害が起こるというのが、一般的な見方ですね」
 どの世界の「一般」なのか見当もつかない。
「で、それが今回の件とどういう関係があるんだ?」
「さて、それが望んだ結果ではないのなら、改良の為に実験をしているはずだ。借りるよ」
 ブギーポップは啓司は答えず、部屋にあったパソコンを操作しはじめた。
 どうやらどこかにメールを送ったようだったが、それがあまりにも手慣れた様子だったので、藤花がパソコンはおろか、ワープロすら使いこなせないのを和子が思い出したのは、二人が帰ってからしばらく後のことだった。
 
 

   駅前の寺月恭一朗像の周辺は、平日だというのに人でごったがえしていた。
 待たせてしまった彼女に平謝りする青年や、待ちぼうけをくって、一人ですねている少女……。そんな場所だから、近くのベンチに少女が腰掛けて、おもむろに携帯電話を耳に持っていっても、誰も見向きもしない。
 だが、少女が椅子に腰掛けてから数分後、同じベンチにもう一人女性が座った時には、少なからずどよめきが起こった。彼女がかなりの美人で、体にフィットしたライダースーツが驚くほど似合っていたからである。
 しかし、彼女が携帯電話を耳に持っていった時にはもう周囲の興味の対象から外れていた。皆、自分のことで忙しいのである。
「待たせたようだな」
 少女に背を向けたままライダースーツの女性が話しはじめた。携帯電話の電源は切ったままだ。
「そうでもないさ。首尾の方はどうだい?」少女が答えた。
 少女の携帯も電源はOFFである。
「一駅はなれた高校だが、新手のヤクが出回ってる。お前の推測通り、青い液体だ」
「すぐ近くで実験をしなかったのは正しい判断だが、しょせんは素人か。で、どんな触れ込みだい?」
「『頭がよくなる薬』だとよ。まぁ、この手のヤクにはありきたりだな。でも、妙なことに途中からそれが『内気な性格を直す薬』に変わったらしい」
「予想通りだ。写真の彼は?」
「ああ、何人か見かけた奴がいた。何も言わずじっと見てるんで、気味悪がってたが、自分たちも警察に通報されるとヤバイ立場だからな」
「まぁ、『スレイブ』なら仕方無いか」
「もう一つ。最初は女が従順になるって作用もあったようだが、最近じゃその効果が薄れてきたって話だ」
「実験は順調だということか。そこまで調べてあれば充分だ。礼を言うよ。ぼくはなかなか自由に動けなくてね。さすがは名探偵黒田慎平の愛弟子、といったところか」
「よせよ。……オレなんかまだまださ」
「偉大なる死者は誰も超えられない、と生者は考えるものさ。そっちのほうは君に処理をお願いしていいのかな?」
「ああ、乗りかかった船だからな」
「元凶は僕が遮断しておくよ。報酬は……、受け取るような人間ではなかったな」
「そーゆーこった。それに報酬っていったって、『お前』は無一文だろ?」
「まぁね」
「じゃ、話は終わりだな」
 そう言うと携帯電話をしまって女性は立ち上がった。
「あぁ、そうだ。お前、一つ思い違いをしてるぞ。オレも黒田さんも探偵なんかじゃない」
「じゃあ、何だい?」
「正義の味方さ」
 にやりと笑いながらそう言うと、女性は愛車にまたがり行ってしまった。
 バイクの爆音が遠ざかるのを確認すると少女も携帯電話をしまい、駅前の賑わいから離れていく。
 雑踏の中、背中合わせにベンチに座った彼女たちの間に会話が成立していたことに気づいた者はいない。
 二人以外の誰の記憶にも残らない会合は、こうして終わった。
 

  「今日はアポを取っていらっしゃらな……」
 ドアを開けながらそこまで言って、百合原美奈子は絶句した。ひたすら恥ずかしそうにしているルポライターの青年の横に立っている、その助手の格好が目に入ったからだ。
 黒いマントに黒帽子。
 そのどちらにも黒光りする鋲だかバッヂだかが縁取りするようにじゃらじゃらと付いている。
 彼いわく、事件を遮断する時の『正装』なのだそうだ。
 啓司が前に聞いた話だと、だれかの影響らしいのだが、本当のところは彼にしかわからない。
 はっとなって百合子がドアを閉めた時にはもう、ブギーポップは部屋の中に入っていた。その後から啓司がおずおずとドアを開けて入ってくる。
「……。警察を呼びますよ」
「ああ。ぼくもそうしようと思っている。でも、その前にこの事件を遮断しなければならない」
「なんですって?」
「響教授と紙木城直子を殺したのは百合原美奈子、あなただ」
 ブギーポップの突然の子飛べに、部屋の空気が固まる。ゆっくりと、言葉を選ぶように美奈子が口を開いた。
「だって、あの二人は一緒に失踪……」
「それを否定したのはあなただ。客観的な意見を述べることで第三者になろうとしたのだろうが、やりすぎは禁物だ。響教授が事件に巻き込まれたのなら、助手であるあなたはなぜ無事なのか。教授が何もかも喋ったのなら、なんらかのレスポンスがあってもおかしくない。そして、二人が一緒に失踪するような人間でないということは、あなたが教えてくれた」
「それは……」
 口ごもる美奈子を前にブギーポップは続ける。
「外部の者でもない。失踪でもないとすれば、犯人は内部にいることになる。動機は功名心かい? あなたは響教授を殺してその薬を作った。……そう、この薬、血液や髄液なんてもので作れるしろものじゃない。本当のところはなにが必要なのかはぼくにもわからないが、恐らく実験段階では体の組織の大部分を使って抽出したはずだ。だが、人を殺してまで作ったその薬には、重大な副作用があった。彼を見たまえ」
 そういって早乙女正美を指さす。彼は二人が入ってきた時から人形のように動かず、中空を見つめ続けていた。
「たしかに知識は移植されたかも知れないが、その代償に正常な自己判断能力が失われて、ただ命令されるだけの存在になってしまう。あなたが飲ませたのか、彼が自発的に飲んだのかは知らないが……」
「私が飲ませるわけないじゃないっ」
 激昂した美奈子はそう叫んで、あっと口元を抑える。
「今のは失態だったな。説明を続けよう。欠陥品なら実験を重ねて修正しなければならない。そこであなたはサンプル採取と偽装の為に紙木城直子も殺した。実験場は一駅先の高校というところまで調べはついている。彼を観察に使っただろう?だが、スレイブの悲しさか、身を隠すところまでは気がまわらなかったようだ」
 うなだれた美奈子の表情は伺い知ることができない。
「……私達をどうするつもりなの?」
「俺達にあなた達を逮捕する権利なんてないけど」
 それまで黙って成り行きを見守っていた啓司が口をはさんだ。
「あなたが一人で頑張るよりも、自首した方が早乙女さんを助けられる可能性が高いと思う」
「!!」
「俺はこいつみたいにうまく説明できないけど、早乙女さんのせいで実験場がばれても、早乙女さんのこと責めなかったし、今だって『私達』って、彼のこと心配してた。実験だって早乙女さんを治すためのものだったんでしょ?」
 美奈子の眼から大粒の涙がこぼれ落ちる。そしてそのまま床にへたたりこんでしまった。よほど今まで張り詰めていたのだろう。
 啓司はその反応におろおするばかりで、ブギーポップがどんな顔をしたか、ついに見ることはなかった。

「彼らに代わって礼を言うよ」
 百合原美奈子が連行されてから、ブギーポップはそんなことを言った。
 もう例の『正装』は着ておらず、普通の女の子の服装だ。
「はぁ?」
「事件を遮断するのはぼくの仕事だが、人を助けるのは君の仕事だということさ」
「よせよ、照れるだろ」
「本当のことさ。……さて、どうやらぼくが出ていられるのはこれまでのようだな」
「そうか。じゃあ、またな」
「いいのかい?ぼくが出てくるとろくでもない事件に巻き込まれるぜ?」
「だって、友達だろ?」
 啓司がそう言うと、そいつは笑っているような、からかっているような、いわく言いがたい表情をした。
「まぁね」



next