第十二幕 結婚するって本当ですか?


<D DAY>

 

「ああ、ライズ」

「……何?」

 普段から気を抜くことのない彼女だが、それに比べても緊張感に満ちた返事が帰ってきた。

「左肩を気にしているようだが、怪我でもしたのか?」

「大丈夫。ちょっとした打ち身よ」

「そういえば兄さま」

 音も立てずにティーポットをテーブルに下ろし、サキは何気なく口を開いた。ちなみに、問い掛けられたソウシの手にあるのは、それなりに趣味のいい(サキの見立てた)ティーカップ。但し中身はドルファンでは珍しい緑茶である。

「なんだ?」

 東洋から極少量輸入されている茶の香りを楽しみながら、ソウシはカップを傾ける。実に地味だが、これは彼なりの“贅沢”だ。

「兄さまもそろそろいいお年ですけど――」

「?」

「結婚の予定はまだないのですか?」

 その時、室内の人物たちの間に走ったものは、緊張というものを超えて、殺気の域にまで達した何かだった。

 

 

<D DAY - Three WEEKS>

 

 ――こんなものをどう使えと……。

 ドルファン王国軍外国人傭兵隊隊長、ソウシ・サガラは、目の前に並ぶ鉄の塊に憮然とした表情を浮かべていた。より端的に表現するならば、彼は困惑していた。

 近衛から回ってきた、出所の怪しい新兵器。似たようなものを、故国の(海を隔てた)隣国の戦場で見たことはあるが、それよりは二周りは小さいようだ。しかも記憶にあるそれは、これのように馬一頭で一門をで引いて運用するようには出来ていなかった。

 ……あれは重かった。風邪が原因であっさり死んでしまった荷馬の代わりに、分隊総出で押したり引いたり。シンラギククルフォンの精鋭相手に刀を振っているほうがよほどましだったな。

 まだ少年兵と呼ばれる年齢だった頃の記憶が頭を掠める。反乱軍が篭る城壁を打ち崩すための、攻城砲の重さが蘇る。

「それで、これをどう使えというのですか、メッセニ中佐殿?」

「私にも良くわからん。だから、君たちに任せる」

「んな無責任な」

「アルベルトさん!」

 通常、傭兵隊にはまず回ってこない新兵器受領ということで出向いた先には、いつもの表情を崩さないメッセニが待っていた。お供についてきたアルベルトとカールが上げる雑音を、その様子も見せずに無視して、彼は淡々と語った。

「これは、かのガレリア教授が試作した新型の砲だ。彼によると、『騎兵砲』というらしい」

 その砲が十門、防錆塗装の鈍い色の砲身を並べている。かつてソウシが引いたことのある攻城砲の力強さは感じられないが、その機能美というべき姿は、十分に兵器の凄みを湛えていた。

「しかし、砲など攻城戦でなければ使いません。でなければ、要塞に据えるか。我々の戦場はドルファンの平野であり、相手はヴァルファの兵たちです」

 ドルファンも当然大砲は備えている。旧式化の著しい大砲=要塞砲が、港を望む丘に並び、海から攻め寄せてくる敵を待ち構えている。

 だが、それらは巨大な、弓矢で対処できない戦闘艦を沈めるためのものであって、野戦向きのものではない。大砲から吐き出される鉄の塊、木造船に大穴を開け、石の城壁を砕くことは出来ても、一個中隊の突撃を止めることは出来ない。それは、陸戦の常識だった。火の中に氷の塊を投げ入れたところで、火は消えないのだ。

「君の言いたい事はわかっている」

 左手を軽く挙げて、メッセニはソウシを制した。やはり淡々とした口調で続ける。

「新開発なのは砲だけではない。砲弾もだ。弾に火薬と子弾を詰め、その爆発で敵兵を叩く。これはそのような思想の元に開発されたそうだ」

 名前はないが、あえて言うなら爆裂弾というところか。メッセにはそう締めくくった。

 理屈はわかるが、想像はし辛い。ソウシだけではなく、アルベルトもカールも同感であるらしい。納得のいかない表情で首をひねっている。

「使用実績が良好ならば、近衛での採用も考えている。運用法の確立もかねて、積極的に使用して欲しい」

「……ならば、騎士団で使用すればよいではありませんか?」

「反対が出てな。騎士とは剣で戦うもの、だそうだ」

 今日初めて、メッセニ中佐が表情を崩した。

「騎士の伝統、ってやつでしたかね?」

「わからないでもありませんが……」

 後ろの二人も同じ表情を浮かべているのだろう、ソウシは口調からそれを想像した。実際、その想像は正しかった。そして彼も同じだった。彼らは四人揃って、憮然と微かな嘲笑を混合した表情を浮かべていた。

「このまま近衛と騎士団で議論していても、結論は出ない。実戦に出られない近衛がこれ以上頑張っても、話が進まん」

「例の長銃みたいに、潰されちゃたまりませんしねぇ」

「……どこでその話を聞いたかは、不問にしよう」

「そいつはどーも」

 アルベルトが口にしたのは、やはりガレリアと同じスィーズランドの技術者が開発したという、新式の銃のことである。銃という兵器は、これまでにも存在していたが、その信頼性と威力の低さから戦場では使えない、そのような判定が下されていた。

 しかし、件の新型は、その全てに当てはまらない、開発者は自身満々で断言したらしい。

 銃身を改良することで命中率を引き上げ、威力は重装騎兵の全身鎧(フルプレートアーマー)すら打ち抜く。雨に弱いという弱点は燐光石を使用した発火装置で解決した。装填速度も、弾と装薬を一体化した実包を使うことで半分以下に短縮される……。

「話半分でも相当使えそうだったんですがねぇ」

「……私は賛成だった」

 それで察しろ、とばかりにメッセニは口を閉じた。アルベルトは黙って肩をすくめる。

 ――これだから誇りと伝統に凝り固まった奴等は。いや、この場合は凝り固まった埃かな。アルベルトは口元を歪ませた。

「あのー……」

「何だ?」

「実はその噂、自分も聞きました。で、その後の話なんですが、その新型銃をヴァルファヴァラハリアンが大量に手に入れた、と。本当でしょうか? だとしたら、これからの戦いにどれだけ影響が出るか……」

 メッセニ中佐の前だからか、カールの発言は腰が引けていた。

「私もそれは聞いている。八騎将の半分と兵力の大半を失ったヴァルファでも、新型銃が額面どおりの性能を発揮すれば……。まだミーヒルビスがいることでもあるし、騎士団は苦戦を免れんだろうな」

 ソウシたちは、その台詞に揃って複雑な表情で答えた。騎士団の苦戦は傭兵隊の飯の種。しかし、苦戦した騎士団の後片付けをするために、悪戦するのも傭兵隊なのだ。

 八騎将の生き残りの一人、“幽鬼の”ミーヒルビスは知将、軍師として知られている。その名が通り始めたのは、本人が中年と呼ばれるようになってからのことだ。しかし、遅咲きの大器など歴史上には履いて捨てるほど、というわけでもないが、結構な数が転がっている。

 そしてそれから二十年以上、今やミーヒルビスは、老人と呼ばれるようになるまで欧州の戦場を駆け続けた古参兵(大ベテラン)である。それに加えて八騎将である以上、個人の戦技も並ではありえない。

 これほどの人物が有力な新兵器を使い始めたらと想像すれば、うそ寒くなってくるのも道理ではある。カールは両手で自分自身を抱くような仕草で、残る二人は表面上は何も見せずに全くの内心で、それぞれ不吉な想像をもてあそんでいた。

 そんな三人に、メッセニはぴくりとこめかみを痙攣させ、次いで薄く笑った。ソウシの笑顔より珍しい(レアな)その表情に、三人が驚いて視線を集中する。

「確かに脅威だ。だが、戦況に深刻な影響は無いと私は見ている」

 ――先程も言ったように、ヴァルファは消耗している。攻勢に出られても後一度が限度。そしてもう一度戦えば、勝ち負けにかかわらず、大規模な補給のない限り、組織的な行動を行う能力を喪失する。彼らは、もう限界なのだ。

 ドルファンの軍(実戦部隊である騎士団五個――増員する端からヴァルファとの戦いで減るので、ここ二年定数割れが続いているのだが――大隊、王都警備隊の色彩が濃い近衛一個大隊を含む軍組織)も、傭兵隊にばかり戦闘を任せて遊んでいたわけではない。戦場で役に立たない実戦部隊の失点を取り返すように、ヴァルファに関する情報収集と分析には尋常ではない努力が払われている。

 何せ、戦場はドルファン国内であり、ヴァルファはその一都市、ダナンに居座っているのだ。ドルファンとヴァルファの諜報合戦は、戦場に劣らない苛烈さで今も展開中である。会戦と会戦の合間といったものが存在しないだけ、こちらの方が激烈かもしれない。彼らもまた、“戦争”を行っているのだった。

 メッセニの言葉は、その“戦果”から導き出されたものである。ドルファン騎士団の戦闘能力に疑問は合っても、メッセニの能力に疑問を持つものはいない。ソウシたちはそれで納得し、矛を収めた。

 まだまだ海のものとも山のものともつかない新兵器を押し付けると、メッセニは足早に立ち去っていった。近衛の実質的な司令官である彼もまた、膨大な仕事量をこなしているのだ。ソウシたちとのやり取りでさえ、一種の余暇だったのかもしれない。

 後に残ったのは、どう扱ったらいいのかわからない物を前に、頭を抱える真面目な人間が二名と、それを他人事の目で見る一名。
 その後三人は、とりあえず受領した騎兵砲を傭兵隊の装備として倉庫に片付け(騎兵小隊と馬が出払っていたので、訓練中の歩兵小隊を駆り出して運搬する羽目になった)ると、場所を傭兵隊の司令部(=ソウシの貸家)に移してああでもないこうでもないと議論を重ねることになった。

 議論は難航した。当面会戦の発生する見通しは無いが、突発的な事態というものの例は、戦史上にそれこそ叩き売りされるリンゴのように転がっている。部隊の再編成と訓練も必要とされる以上、急ぐべきだった。

 全ての小隊長たちと、戦場経験豊富な古参の傭兵隊員までもが、その日の内にかき集められた。欧州、東洋問わず砲というものの使用された戦例が掻き集められ、それを踏まえて議論は百出した。

「あの、兄さま。私は失礼させていただきますが……」

「ん」

「食堂にお夜食を用意しておきましたので、よろしければ」

「はいっ! ありがとうございます、サキさん!」

 返事をしたのはカールだけではなかったが、一番声が大きかったのはやはり彼だった。

 ついには日付が変り、サキが寝室に引き下がったが、それでも方針すら定まらない。

 ――『騎兵砲』なんだから、騎兵隊が引っ張って

 ――あんな重いものを引いたまま突撃できるか!

 ――それじゃ、弓兵隊に混ぜて使うか

 ――馬鹿野郎、それじゃ移動するたびに大騒ぎだ

 ――歩兵隊に……

 ――同じだ!

 この時代以降、近世、現代と呼ばれる時代。複雑化・高度化の一途を辿る新兵器=新たな火砲の運用法というものは、それを探る専門の部隊が長い時間をかけて確立するのが常識となる。

 しかし、未だ中世の空気が色濃く残り、火砲も本格的な進化を始めたばかりのソウシたちが生きるこの時代では、そんな方法は望むべくも無い。夜が白む頃には流石に疲れきった彼らが出した結論は、訓練で使ってみてから方針を決める、という何も決めていないに等しいものだった。

「……とりあえず、今日はみな休んでくれ。ご苦労だった」

 散会した彼らは、議論で疲れた体を引きずって三々五々朝靄の中に消えていった。

 アルベルトとカールはそれからもしばらく残っていたが、簡単な打ち合わせを終えるとそれぞれに引き上げていった。

「さて……」

『少し寝ておいたら?』

 全員を送り出して、ようやく人気が無くなった家の中に、ソウシ以外の声が響く。もっとも、それはソウシ以外の人間には聞こえない。それを発した存在が、彼と妹のサキにしか知覚できない妖精(のような何か)である、ピコであったからだ。

『今日も出かけなきゃならないんでしょ? 一時間でも二時間でも、寝ておいたほうがいいと思うなぁ』

「そうもいかないだろう。あそこに行くのに、みっともない格好は出来ない」

 自分を気遣う表情を見せるピコに、ソウシは軽く肩をすくめた(彼は誰の影響か、こんな仕草まで覚えていた)。それから、水でも浴びて目を覚まそうと、風呂場へと向かう。

「それに、身だしなみは大事だといつも言っているのは、お前とサキだろう?」

『まー、そうだけど』

 思わぬ反撃を受けたピコも、同様に肩をすくめる。その仕草は、スケールの大きさを別として、驚くほど似通っていた。

 ピコとたわいの無いやり取りをしている間に、家の中にもう一つの気配が生まれ、人の立てる音が増えた。休日でも起床時間の変わらないサキが、寝床から出てきたらしい。

『あら、サキちゃん起きたみたいだね』

「俺が水浴びをしていると伝えてくれ。万が一でも、鉢合わせは気まずい」

『はいはい』

 こんな気遣いも、成長の証といえるだろう。

 やがて、かまどに火が入り、炊事場から湯気が立ち始める。

 いつもの休日の風景が始まった。

 

 

 偶然を装った足取りで、ライズはその辻を横切った。それに合わせたかのようなタイミングで、背後を二頭立ての馬車が通り過ぎていく。実際は、彼女が狙ってそうさせたのだが。

 目立たぬように施された精緻な彫刻、そこらの貴族の馬車よりも格段によい乗り心地を保証するであろう、しっかりとした作り。引き馬も、馬車馬に使うのがもったいない肉付きと毛並みをしている。

 それは間違いなく、ドルファンの王女、プリシラがお忍びの際に利用する専用の馬車だった。ライズは、この一年半でそれを把握していた。

「……今日も同じね」

 薄いカーテンが下ろされた中に、人影が二つ、並んでいる。

 馬車が背後を通過するほんの数秒の間に、さらに横目で一瞥しただけで、ライズはそこまで認識していた。ただの女学生にできる業では、勿論無い。

 しかし、人知れずそんな業を披露した本人は、ただ一点、馬車の中にいた二人がソウシ・サガラとプリシラ・ドルファンであったことにのみ、思考を集中していた。

 王女が東洋人の傭兵隊長を個人的に“気に入って”いることは、多少事情に通じている者ならば、当たり前のように知っている。しかし、ここ数週間の二人の行動は、これまでのパターンから外れている。

 プリシラがソウシを平日に連れ出そうとしても、物堅い彼は任務中であることを理由に――彼女に取り入ることを考える若手貴族ならば、到底信じられないだろうが――、決して誘いを受けることは無い。

 ならば、ソウシが非番である週末と安息日に誘い出すしかないのだが、今度は既に予定が入っている場合が多い。人付き合いを大事にし始めたのか、退院してからの彼は、非番の日を“友人”の誰か一人と過ごすことが多い。

 ……ライズ自身がそうなのだから、これも間違いはない。

 ところが、ここ数週間、ソウシは安息日になると、任務の一言を残して出かけてしまう。戦場に出るとき以外は、固定されたパターンの日常を過ごすことを旨としているらしい彼にしては、これは異常と言っていい。相手にしてもらえなくなったロリィの繰言を聞いた上での行動なのだから、なおさらだ。

 任務の内容を尋ねてみても(期待はしていなかったが)、はぐらかされてまともな答えは帰ってこない。サキに対しても軍機だ、と行く先すら伝えていないらしい。

 定期的に(安息日ごとに)行われる軍務、その内容とソウシの行動に不審を抱いたライズは、さっそくそれを調べ始め――。

「(プリシラ王女と二人きりで……、軍務?)」

 しっかりとした足取りで、何処へともなく歩いていくライズ。その内心では、先ほどの光景から類推される様々な事柄を並べ立てられていた。

 ありとあらゆる可能性が脳内に浮かび上がるが、蓋然性や現実性の不足により次々と却下される。その内のいくつかには、彼女にしては信じられないことだが、“そうあって欲しくない”という願望のフィルターによって却下されるものもあった。無論、本人は気付いていない。

「……こうしていても、結論は出ないわね」

 延々と続いた思考を打ち切って、ライズは視線を上げた。見れば、そこは先ほどの辻から程近い場所にある。どうやら近場を一巡りして、戻ってきてしまったようだ。

 ――なんてこと。油断し過ぎた。

 この辺りは、王都治安維持の一翼を立派に担っている傭兵隊の隊長宅がある一角だけに、ライズのような水準以上の美少女がぼんやり歩いていても、まったく危険は無い。だが、彼女の“立場”からすれば、それは身の危険以上の事態に発展しかねないのだ。

 深く長い呼吸をひとつ。それだけで緊張感を取り戻す。

 ――埒があかないか。なら、もう一度あの子に当たってみよう。

 足を向けた先は、ソウシの自宅。この時間なら間違いなくサキがいるはず。兄同様、生真面目な彼女は用も無いのに出歩く性格ではない。生活パターンはとうの昔に把握済みだ。

 自分が訪ねていけば、サキは歓迎してくれるだろう。収穫祭の件から、彼女は自分に好意を持ってくれている。更に、色々と都合のいい誤解――とライズは思っている――をしてくれているらしく、ソウシのことに関する話題ならば、かなり突っ込んだところまで答えてくれる。

 そして何より、サキとはうまが合う。一緒にいることが楽しい。ライズ本人は、それに気付いていなかったが。

 

 

<D DAY - Two WEEKS>

 

 訓練が終了するはずの時間を見計らって顔を出したキャロルは、目の前に広がる光景に目を丸くしていた。見渡す限り全員揃って泥塗れ。雨中に渡沼作戦でも行ったかのような有様だった。無論、軍事知識など欠片も備えていない彼女の脳裏には、そんな形容は浮かばなかったが。

 そして例に漏れずやはり泥塗れになっている傭兵隊一の伊達男、アルベルトを捕まえると、実に率直に疑問を口にする。

「……なーに、あんたたち? 総出で演習場を掘り返したりして、穴掘りの練習? 兵隊辞めて、揃って鉱夫にでもなんの?」

「そんなとこだよ」

 その、アルベルトらしからぬ疲れきった声に、流石のキャロルもいつもの脳天気な笑いを引っ込めた。

 改めて辺りを眺めて見れば、傭兵隊の面々はただ泥だらけになっているだけではなく、例外なく疲れきっている。更に、演習場の一角ではまだ訓練が続いているらしく、薄暗くなり始めた空の下、早々と松明で照らし出されている。

 ――状況、開始!

 指揮官の声に続いて(キャロルは、それがカールの声だと当たりをつけた)、馬の嘶きが聞こえた。何かを引きずった十頭あまりの馬と、その引き綱を持つ兵士たちが、土を盛ってこしらえたと思しき陣地入っていく。

 定位置に付き、引き馬と後ろの荷を切り離す。馬を背後に下がらせ、一箇所にまとめる。同時に、残った何か(キャロルの知識からすると、大砲らしい何かだった)に取り付いた傭兵たちが、その位置を今度は人力で修正する。

 全てが完了するここまでに、十分とかかっていなかった。

 そのきびきびとした動きに、素人のキャロルも感嘆のため息を漏らす。そしてそこから、城勤めの長い、古参の侍女たちの無駄のない動きを思い出した。両者は全く別の動きだというのに、その空気が良く似ていた。

 その一連の動きは、キャロルの目の前で幾度となく繰り返された。ひとしきりそれに見入っていた彼女だったが、ふと足元を見下ろし、どこかに行っていた今日の訪問の目的を唐突に思い出した。

 休息の体制をとりながら、それでもどこか偉そうに(一般的に、軍ではそれを士官らしい態度と呼ぶ)しているアルベルトを捕まえ、意識的な小声で尋ねる。

 ……ねえねえ、あんたたちの隊長さんの、こんな噂、知ってる? なんでもね……。

「……んだとっ!?」

 十数秒の間を空けて、それまでの態度をどこかへ放り捨てた声が、演習場の一角に響いた。
 

 

 それから一夜明けた安息日。サガラ傭兵隊隊長宅に、数人の少女が呼び出された。

 ソフィア・ロベリンゲ、ライズ・ハイマー、ハンナ・ショースキー、レズリー・ロピカーナ、ロリィ・コールウェル。全員がソウシの友人(彼女たちの一部には、また別の意見があるようだが)であり、同時に彼の妹のサキ・サガラとも親しい少女たちである。

 呼び出したのは、この家の主であるソウシでも、サキでもなく、彼の部下のアルベルト・エルランゲン。そして、その“親しい友人”のキャロル・パレッキーである。

 ちなみに、キャロルは呼び出された側のハンナの従姉妹でもあった。今回のこの会合は、その繋がりも利用して、急遽整えられたものだった。

 茶と茶菓子(サキお手製の甘過ぎない東洋風砂糖菓子なので、この表現こそ相応しい。もっとも、茶は紅茶だった)が並べられ、開口一番キャロルが発表した内容に、少女たちは程度の大小こそあれ、明らかな反応を見せた。

「……ねーさん、それ、ほんと?」

「マジ」

「そんな……」

「そんなもこんなも、大マジよ。……噂だけど」

「噂では信憑性に欠けるけど、王宮で囁かれているとなると、これは……」

「私は本当に、そのようなお話は聞いていないのですけれど……」

「お兄ちゃん、結婚しちゃうの?」

「はぁ、あいつがねぇ」

 一番大きな反応を見せているのは、やはりと言おうか、ソフィアだった。衝撃の大きさを表すように、顔から血の気が引いてしまっている。

 対照的なのはライズだったが、よく見れば左手を閉じたり開いたりと忙しい。それほど踏み込んだ感情を持っていなかったが故に、目を白黒させる程度のレズリー以下三人との違いは大きかった。

「アタシも最初はえー、って思ったわよ? 何せ相手は外国嫌いのアナベル卿の一族だもんね? でもさぁ」

「自分で言うのも何だが、ここ二年、俺ら傭兵隊の功績は、騎士団全部合わせたより上だからなぁ。取り込もうってのが現れてもおかしくなかったんだ。指揮系統が近衛に近かったから、今までそういうのとは無縁だったんだが……。まさか、こんな搦め手で来るたぁな」

「でも、効果的ですよね。一門の娘を隊長と結婚させて、身内にしてしまうのは。貴族が良く使う手です」

 隊長を手に入れれば、すなわちドルファン最強の武力――騎士団には異論があるでしょうが――を手に入れることになります。それは同時に、王室寄りの武力を削ぐことにもなりますし。外国人嫌いのピクシス家でも、一門の娘一人で済むなら安い買いも……。

 言いかけたところで、カールは慌てて口を閉じた。少女ばかりのこの場所で口にするには、相応しくないことだと判断したのだろう。加えて、誰かが発した切りつけられるような殺気も、その行動を後押ししたのだろうが。

 ドルファンの貴族界でも、随一の権勢を誇るピクシス家の一族、セーラ・ピクシス。その彼女と、今やドルファンの英雄、契約期間が満了すれば、聖騎士叙勲もありえない話ではないとされている傭兵隊隊長、ソウシ・サガラ。この二人の婚約話が進んでいるという噂が、王宮近辺で広がりつつあった。

 噂の発信源は不明――噂とはたいていそういうもの――だが、カールも推測したような理由により、それはかなりの信憑性を持って受け入れられつつあるようだった。

 曰く、ピクシス家のアナベル卿もそれを認める発言を漏らした。曰く、セーラ嬢の従姉妹でもあるプリシラ王女が引き合わせたことがきっかけになった。曰く、話が進んでいる証拠に、サガラ隊長は一週間と空けずにセーラの館に訪れている……、等々。

 キャロル経由でこの噂を耳にしたアルベルトは、早速真偽をソウシに問い質そうとした。ただ、それはその日のうちには行われなかった。連日の猛訓練で、そんな時間の余裕も体力の余裕も無かったのだ。かと言って、次の日に聞いてみたかというと、それも行われなかった。

 一夜明けて考えてみれば、これはあくまで噂でしかない。それに、アナベル卿の外人嫌い、階級意識の強さは相当なものだ。ソウシに対してそこまでするとは思えない。

 カールが皆の前で披露した程度の論理展開は、アルベルトもこのとき済ませている。しかしその上で、アナベル卿の人となりからそれは無い、と彼は判断していた。貴族というものの中では、奇跡のように差別意識の薄いカールのような人間は極少数派なのだ。

 ならば、これはデマ、少なくともピクシス家云々はデマだろう。しかし、どこかの貴族が、勢力拡大のためにそうした行動に出ることはありえる。それならば、おかしな政争に巻き込まれないように調べる必要がある。

 そして何より、この噂は、直接ソウシから聞き出すよりも、ソウシの回りの女の子たちに流した方が面白い反応が見られそうだ。いろんなタイプの娘たちに加えて、可愛がられている妹。さぞや面白い反応が返ってくるに違いない。

 ――最後のそれを主な理由として、アルベルトは動き始めた。その結果が、今日のこの会合なのである。思った通り、様々な反応を見せてくれる少女たちに、彼は内心人の悪い笑みを浮かべていた。

 ちなみに、アルベルトに悪意は全く無い。彼曰く、『人生の醍醐味』を味わっている少女たちには、心からエールを送っている。ただ、ソウシに対しては、これから彼が陥るであろう苦境に対しても、何の配慮も無かったが。

 喧々諤々の議論――というほどの激しさは無かったが――が一段落すると、少女たちの関心はサキに移った。ソウシの肉親である彼女から、何らかの情報を引き出そうとしてのことだが、これはたいした収穫はなかった。

 事実、彼女の言うとおり、サキはソウシから何も聞いていなかったからである。ただ一つだけ、彼がこの二ヶ月あまりの間、安息日になるとどこかに出かけていくということだけは確認が取れた。行き先は不明だが、一度聞いたときは“軍機”の一点張りで、詳しいことはわからない、とも。

 これに対して、アルベルト曰く。

「安息日に何かあるなんて話は、俺も聞いてないなぁ」

「と、すると……。噂通りに、出かけている可能性もあるのね」

 ライズの推理を聞くまでも無く、その可能性は一同の頭に浮かんでいた。ただ、少女たちの大部分にとっては、嫌な噂と状況証拠が繋がってしまうことになった。

「ソウシさんに直接……」

 その発言は、出るなり尻すぼみに消えていった。(不本意ながら)婚約者のいるソフィアの立場としては、心中穏やかならぬものがあってもこれ以上積極的な発言は出来ないという事だろう。俯けてしまったその表情は、栗色の前髪に隠れてしまってよくわからない。

 そうしたしがらみの無いライズたちにしても、その方法を取ることは難しい。ソフィア同様事情が許さない者、相手が悪いと思ってしまえる者、人にはそれぞれの理由がある。

 しかし、最大の理由は、もし本人の口からそれを肯定されてしまえば、大なり小なりショックを受けてしまうことを自分が理解しているからだった。手詰まりに陥ったように見える少女たちを、沈黙が包む。

 それに巻き込まれていないサキは、ただ優雅にティーカップを傾けていた。

 

 

<D DAT - A WEEK>
 

 夜半、マリーゴールド地区の一角。そこに、ピクシス家の所有する屋敷の一つ――、セーラ・ピクシスが老執事と僅かな使用人と共に暮らす屋敷がある。

 ピクシス家の本邸よりも二周りほど小さい敷地に相応な家屋だが、そこはそれ、手間のかかった居心地の良さそうなつくりになっている。

 あるいは、これは当代のピクシス家の主、アナベル老が病弱なセーラの身を気遣って、そうした屋敷を作らせたのかもしれない。

 頭の隅でそのような思考を巡らしながら、その人影は慎重に、一般的な家が二つ三つは建てられそうな庭を進んでいた。

 この屋敷には犬が飼われている筈なのだが、姿も気配も感じられないところが気にかかる。加えて、見通しが良く、隠れるものも無い庭を通るのならば警戒するにしくは無い。万が一、腕の立つ見張りでもいたならば――確認した限りでは、そのような存在は無かったが――、今夜のような月の無い夜でも、あっさりと発見されてしまう。

 気配を殺し、景色と同化しながらも、可能な限りの速さで足を進める。

 やがて、人影は誰にも誰何されること無く、屋敷の壁に取り付いた。近づいてみて分かったことだが、やはりこの屋敷の作りはかなりの手間がかかっている。侵入は至難、壁は厚く、人の声など通しそうに無い。勿論隙間など皆無だ。

 しかし、ここだけはどうしたものか、明かりの漏れているバルコニーの側に、やけに手頃な立ち木がある。この、隅々まで計算されたような庭に、侵入経路に最適な木があるというのはかえって怪しい。それでも、屋敷の中を窺おうとするならば、そこを上るしかありえない。

 あるいは、これは罠なのか?

 迷ったのは一瞬。危険があれば脇目もふらずに逃げればいい。逃げることに専念するならば、それは不可能ではない。逃亡を防ぐような、機械的な罠が無いことは既に確認済みであることだし。

 決めてしまえば行動は一瞬だった。猫科の動物ような身のこなしで、なおかつ枝葉の一枚とて揺らすことなく、人影が樹上へと登っていく。

 漏れる明かりから器用に身を隠し、内部を覗き込んでみれば、そこには寝台に半身を起した印象の薄い――いや、生命力を感じさせないために、存在感に乏しい少女がいた。間違いなく、セーラ・ピクシス嬢だろう。

 傍らに控えている老人は、彼女の執事だろう。鉄の棒でも飲んでいるかのような、現役の軍人の手本にしたいくらいの姿勢が印象的だった。さらに、その視線は少女に対する慈しみと忠誠心に満ちているのが見て取れる。まさに、執事の鑑というべき老人だった。

 なるほど、この立ち木は、彼女の寝台に日陰を作るための。

 つい身についた習慣から部屋のレイアウトを観察している内に、そんなことに気が付いた。これでは、この木を切ることが出来ないわけだ。

 寝台の上の少女は、気だるい様子ながら、手元の本のページを繰っている。時折執事と二言三言会話をしているようだが、この距離では内容を把握することは難しかった。

 だからと言って、これ以上近づくことは発見される危険を著しく増大させる。今になって気付いたことだが、老執事は寝台の上の少女を気遣っているだけではなく、常に周囲を警戒している。

 試してみたくは無いが、おそらくバルコニーに降りれば、即座に発見されてしまうだろう。かなりの心得のある人物であることは間違い無さそうだった。

 仕方無しに、その場で一層息を潜めて、微かに漏れ聞こえる会話に意識を集中する。勿論、周囲を警戒しながら、だ。

 十五分、三十分と時間が経過するその間、木の上と部屋の中の共に微動すらしない二人に挟まれて、セーラは本を読み続けた。

 流石に、一度では収穫は覚束ないか――。

 木の上の人影が諦めかけたそのとき、意識を刺激する単語が聞こえた。

 セーラは、はっきりと喜色を浮かべて老執事に話し掛けている。

 唇の動きからも、それは見て取れた。また聞こえた。間違いない、『サガラ』という単語が会話に現れている。

 ――当たり(ビンゴ)。

 後は、安息日のソウシの出先を突き止めて、裏付けとすればいい。まだ会話は続いているが、あまり居続けると、危険が増すばかりだ。風が梢を揺らす音よりも静かに、人影がするすると地面へと降りていく。

 後は、この屋敷を抜けて戻るだけ。ソウシの馬車を尾行するよりは大変だろうが、難しいことではない。

 それでも気を緩めることなく、慎重に慎重さを重ねて人影は暗がりを進む。

 その脳裏に、ふと一つの光景が浮かんだ。

 大騒ぎしていた前の安息日、その中で一人平然としていたサキは、このことを聞いても、あの態度を崩さずにいられるのだろうか――?
 

 

<D DAY - Two WEEKS again>
 

 沈んだ表情、あるいは苦笑寸前の表情と、対照的な様子を見せる少女たちの前で、話題の中心の身内であるサキは一人、平素と変わらぬ振る舞いをしていた。強いて言えば、彼女も苦笑組かもしれない。そんな表情を浮かべていた。

「しかしまあ、サキちゃん」

「はい?」

「いやな、君の兄貴が結婚するのしないのと騒ぎになってるわけだけど……。妹として、何かこう、言うべきことは無いのかい?」

 アルベルトの発言は、サキの反応の無さが原因だった。彼女がどう反応するのかを一番の楽しみにしていただけに、肩透かしを食らったような気分なのだろう。

「そうは言われましても……」

 困りました、と言いたげに視線をさ迷わせ、サキは答えた。

「縁組というのは、その通りお相手とのご縁がどれほどのものかで決まるものでしょう。私がとやかく言ったとて、決めてしまわれたらそれを曲げる兄ではありませんし」

 兄さまが選んだのなら、きっと確かな方なのでしょうし。でも、出来ましたら、私とも仲良くしていただける方だと嬉しいのですけれど。

 意味深なニュアンスを感じさせる口調で、サキは締めくくった。同時にソフィア以下、この場に集まった友人たちに視線を走らせる。平然と受け止める者、平然と受け止めようとして微かに頬を染める者。あるいは決まり悪げに視線を逸らす者。

 さすがあの兄にしてこの妹、肝が据わっているのは血筋かねぇ。

 アルベルトは妙なところで感心しつつ、やはりこの会合を開いたことの正しさを確信していた。うんうん、恋に悩む少女たち、ましてや初々しい美少女たちの姿というのは、実にイイ。

「よっしゃ! これ以上うだうだ話し合っても埒があかねぇ!」

 景気のいい音を立てて掌を打ち鳴らし、アルベルトが立ち上がった。

「……何をする気ですか、アルベルトさん?」

「何々? 何か楽しいコト?」

 カールは露骨に顔をしかめ、一方でキャロルは目を輝かせた。二人を手で制したアルベルトは、少女たちを見渡し、宣言した。

「俺とカールで、ソウシが会いに行ってる相手を確かめてきてやろう!」

「僕もですかッ!?」

 悲鳴のようなカールの質問は、当然のように無視するアルベルトだった。

 闇夜に街灯を見つけたような表情を浮かべる――相手がわかったからといって、その胸の悩みが解決するわけではないのだが――少女たちの視線に、得意満面になるアルベルト。この男は、注目されるほどに気分が良くなるタイプなのだ。

 しかしその輪の外側に、一人だけ冷ややかと言っていい視線を向ける少女がいた。ライズは、左手で自分のみつあみにした髪を弄びながら、口を開いた。

「……出来るの、貴方たちに?」

 その質問は当然かもしれない。少し考えれば分かることだが、アルベルトとカールは傭兵。ソウシの行き先をつきとめるようなそうした作業は、傭兵ではなく密偵のすることだ。

「大丈夫だって、ライズちゃん! まあこのアルベルトおにーさんに任せておきなさい!」

「ねぇねぇ、アタシは仲間外れなの?」

「お前さんは、王宮とその周りで噂をもちっと集めてくれや」

「りょうかーい!」

「……僕の意思は、やっぱり無視なんですね……」

 視線以上に冷ややかなその口調を、さらりと受け流して、アルベルトは益々楽しげに笑った。常識人たるカールは深いため息をついていたが、この場の誰も彼を省みることをしなかった。

 そしてその中で、サキはやはり、一人平然とティーカップを傾けていた。

「……あら、もう無くなってしまいました。皆さん、お茶のおかわりは如何ですか?」
 

 

<D DAY - A WEEK again>

 

 今夜の偵察行動は、十分な成果を上げたと見るべきだ。

 ピクシス家の敷地から離脱する寸前、人影はそんなことを考えていた。

 わざわざ隠密潜入用の装束まで調えて、技能の無駄遣いをした気がしないでもないが、これは自分の時間を使って行っている行動。義務を投げ出しているのでは無い以上、自分の職業意識その他以外から非難される憶えは無い。

 離脱にあたって、最後の障害となるのは目の前の外壁のみ。正門はだけではなく、裏門まで門番が配置されていたために、結局使いたくなかった経路を使うことになったのであった。

 しっかりと偽装して、隠しておいたフック付きロープを投げ上げる。

 外壁の向うに人通りが無いことは確認してある。もとより、夜間は人通りの無い治安のいい区域であるし、壁越しに人の気配が感じられないのなら、こんなことはとてもやれたものではない。

 硬い音をたてて、フックが壁をつかむ。

 この外壁の上には、こうしたロープを使われることを防ぐための鉄片が埋め込んであった。しかし、これは並みのロープとは訳が違う。鋼線を編みこんだ特殊ロープは、同類を引き裂こう待ち構える鉄片に、十分に耐えた。

 壁の減りに取り付き、懸垂の要領で頭をその上にまで持っていく。念のため、目視で街路を確認。左右の視界内に、人影は無い。

 改めて体を持ち上げ、素早く街路に体を下ろそうとした、その瞬間。

 背後から聞こえた、ほんの微かな風を切る音に、人影はとっさに体を捻った。同時に、左肩に何かが命中した。

 懸命の努力で、漏れようとする声を押しとどめる。更にロープを回収し、自分から路面に転がり落ちて、落下音と衝撃を極力殺す。

 その全てをほとんど同時に、しかも完璧にこなした人影は、間をおかずに立ち上がり、何事も無かったように立ち去っていく。

 後に残ったのは、何の変哲もない、しかし掃除の行き届いたこの区域の街路には珍しい、胡桃大の小石だけだった。

 

 外壁が見渡せるバルコニーの上で、ピクシス家に使える老執事グスタフは、手の中のスリング(投石器)を素早く袖口に戻した。

 室内に戻り、ガラス戸を閉めてカーテンを閉じる。流れるような動きは、年齢を全く感じさせない。

 それでも、常と違う動きをしたことに、セーラは違和感を憶えたようだった。彼女は全く邪気の無い、儚げという表現がぴったりの口調でその疑問を口にする。

「グスタフ? どうしたの、急に」

「いえ。木の上の猫を、物取りの類と勘違いしてしまいました。ご安心くださいませ、セーラ様。何も、ございません」

「そう?」

「はい。もう夜も遅うございます。そろそろお休みなさいませ」

「……そうですね。そうします。お休みなさい、グスタフ」

「はい、セーラ様」

 彼の全てをもって仕える少女が寝台に身を沈めたことを確認すると、グスタフは部屋の灯りを落とし、その場を辞した。セーラは最近すこぶる体調が良い。今日もゆっくりと眠ることが出来るだろう。

 夜間に、スリングの抜き打ちで、十メートルではきかない先の目標に命中させることが出来るほどの腕を持つグスタフ。その彼の思考の中心は常に、今はもう眠りについているはずのセーラにあった。

 ――あの者もなかなか手錬の泥棒か何かのようでしたが、これだけの目に遭えば、二度とこの屋敷に盗みに入ろうなどとは思わないでしょう。

 今日も務めを果たし終えたことに満足しつつ、グスタフは二階から階下の使用人室へと向かう。明日も来客の予定がある。その準備を終えてしまうまで、まだ休むことは出来ない。

 主人と客人に、髪の毛一筋ほどの不備も見せてはならない。一片の不快感も抱かせてはならない。それが執事の義務である。

 グスタフはその義務感に追われつつ、また、それを十分に楽しんでいた。
 

 そして、安息日の前日。アルベルトとカールが苦労に苦労を重ねて(本人談)、探り出したソウシの行き先は、やはり、かのセーラ・ピクシス嬢の屋敷だった。

 

 

<D DAY again>

 

「――結婚の予定はまだないのですか?」

「(ス、ストレートだ! ……流石はコイツの妹!)」

「(さぁ隊長さん、どーやってかわすのかな〜?)」

 俄然緊張を増す少女たちの中で、アルベルトとキャロルだけが状況を楽しんでいた。ちなみに、カールにその余裕は無い。殺気に等しい気配に絡め取られて、すっかり竦み上がっていた。

「ないな」

 返答がただの一言だったのは、カールのように竦み上がったからではないだろう。ただ、顔をしかめているのは、ソウシもその空気を感じたからだった。

 しかし、ソウシにはその理由までは理解できなかった。人間、可能性を考えてもいないことに対しては想像が及ばないものだからだ。

「でも、こういう噂があるのですけど」

 一言一言のやり取りが、刃の応酬に等しい殺気を発する中で、サキは淡々と話を進めた。

 ソウシとサキにだけしか見えていないが、彼女の肩にはピコが腰を下ろして寛いでいる。

『へぇ、そんな噂になってたんだね〜』

 そして、サキの語る噂の内容に、興味津々の表情で耳を傾けている。対照的に、ソウシの表情は、まさに苦虫を噛み潰したような、という表現がぴったりのものになっていた。

 同席しているソフィア以下のメンバー(二週間前に集合したメンバーは、全員今日この時に集合していた)が、ソウシに視線を集中する。下手な言い逃れをしようものなら、その視線で刺し殺されんばかりの迫力だった。

 しかし、ソウシは口を開かない。何かを迷っているような表情だったが、少女たちはそれを悪い方へ受け取ったようだった。ソフィアが顔色を変え、ロリィが瞳を潤ませる。レズリーとハンナは、やはりと言いたげに顔を見合わせる。

 そしてライズが、駄目押しとばかりに口を開いた。

「……エルランゲン少尉の話によれば、迎えの馬車に乗って、ピクシス家に言ったそうだけど?」

 その台詞に止めを刺され、ソウシは短く息を吐いた。諦めの表情を浮かべて、少女たちを見回す。

「そこまで知られていては仕方が無い……」

 サキの語った噂に関して、ソウシは語り始めた。無論、全く悪びれていないアルベルト(カールはすっかり恐縮していた)に刺すような視線を送ることと、ここで話すことは他言無用だ、と前置きすることは忘れずに。

 

 

<D DAY + A DAY>

 

「……ということがあってな。洗いざらい白状する羽目になってしまった」

「まあ」

「噂って怖いわねー。いつのまにかそんな話になっちゃうなんて」

 ここは、ピクシス家のセーラの部屋。集っているのはソウシとこの屋敷の主であるセーラ(取り仕切っているのは、壁際に控える執事のグスタフだが)、そしてドルファン第一王女、プリシラである。

 噂の真相――というには大げさだが――は、実に他愛のないものである。

 セーラ・ピクシスという少女は、生来病弱な体質であり、この屋敷の敷地の外に出ることすら困難だった。王都郊外への小旅行すら不可能であり、彼女にとって外の世界とは、書物から得た知識を頼りに想像することでしか触れることの出来ない、遠い場所だった。

 これまで、書物でも足りない部分は、ピクシス家に仕える前には訳ありで欧州諸国を渡り歩いたことのあるグスタフと、三年前に家を飛び出したセーラの兄、カルノーが補ってきた。しかし、流石に二人だけの知識ではいつまでも種が続かない。

 そこで、セーラの従姉妹でもあるプリシラが、セーラの見舞いと称してピクシス家を訪れる際に、東洋から欧州まで渡り歩いた――主に戦場なのだが――ソウシを伴うようになったのである。無論、外人嫌いのアナベル翁に知られると厄介なので、訪問自体がお忍びになっていた。

 それでも、やはり隠し事というものは、長く続けることは出来ないものらしい。どこからともなく話が漏れてしまい、サガラ家での尋問騒ぎにまで発展した、ここまでが話の顛末である。

「すまないな、プリシラ。他言無用ということだったが、洗いざらい吐かされてしまった」

 深刻な口調で、ソウシは軽く頭を下げた。への字に引き締められた口元の角度が、いつもより深い。口約束とはいえ、れっきとした約束を守れなかったことに、責任を感じているのだ。

 一方、テーブルの向かい側で、プリシラは苦笑しながらそれを制した。

「あー、もういいわよ。どの道、噂になっちゃった時点でやばかったんだし。アナベル卿も真相を探り出したでしょうから……」

 次いで、プリシラは寝台の上で半身を起したセーラに水を向けた。

「ごめんねー? いくら私でも、アナベル卿をあんまり怒らせるわけにはいかないし」

 この辺り、ドルファンの事情は複雑である。名君とは行かないまでも、良い君主であると国民に指示されている現国王デュランは、その実統治者向きの人物ではない。平時ならば、ぎりぎり並みの君主と呼べる程度の才覚はあるが、彼はそこまでの人物だ。

 その現国王が、戦争という非常事態の中でも国を保っていられるのは、一重にアナベル卿を中心とした貴族たちが、政戦両面で彼を支えていることに理由がある。ドルファンの平和は、アナベル・ピクシスが守っていると言っても過言ではないのだ。無論、戦場を守っているのはソウシたちなのだが。

 故に、プリシラといえども、アナベル卿が顔をしかめるようなことを堂々と続けるわけにはいかなかった。ちょっとした噂程度ならともかく、ここまで話が大きくなってしまっては、お目こぼしも限界だろう。

「もう、あまり顔を出せなくなっちゃうかもねー」

「残念です……」

 心底残念そうに、セーラは視線を落とした。

 ソウシの話は、彼が経験した戦場とその周辺に偏る傾向があったが、プリシラの検閲もあり、セーラはそれを非常に楽しんでいた。東洋の大陸の奇観、大洋を進む船から望む朝日、夕日の景色。時折顔を出す大海獣。中東に広がる砂漠の風景、はるかに霞む幻の都市。

 セーラにとってはそれら全てが(書物で読んだことはあっても)、一度も目にした事の無い風景である。それが、実物を見たソウシの口から語られる。彼女にとって、何者にも代えがたい貴重な時間だった。

 ソウシは決して多弁でも雄弁でもない。むしろ口数は少ない性質であるし、語りに面白味があるわけではない。

 それでも、写実的、客観的な、それこそ博物誌のような口調――真相は、ソウシが軍隊での経験で会得した簡潔で正確な要件を伝えるための話し方――で語られる物語を、セーラは大変に気に入っていた。

 気落ちしたセーラの姿に、ソウシはなおさら申し訳なさを募らせる。プリシラも、その姿に元気付ける必要を感じたのか、おどけた口調で話し掛ける。

「でも、いきなりセーラとソウシの結婚まで話が進んじゃうなんてねぇ? やっぱり、噂って怖いわね」

 プリシラとしては、それは笑い飛ばすための話題だった。ソウシが憮然とした表情を、セーラは驚くか、途方に暮れた表情を浮かべる。それを笑い飛ばして、場を和ませるつもりだった。

 ところが、セーラの反応は予想を越えた。驚き、そしてソウシに視線を向け、逸らし、また視線を下ろし……。同時に、はっきりと頬を紅潮させた。

 元々色白なところに日に当たらない生活が続き、セーラの肌は白磁よりも、多少不健康さを感じるほどに白い。その肌には、赤い色が程よく映えた。

「ええ、ですが……その……」

「(……セーラったら顔赤くしちゃって……。って、もしかして薮蛇!?)」

 その瞬間、プリシラは己の失策を悟った。

 ソウシをつれてきたのはセーラを元気付けるため、その言葉に嘘は無い。従姉妹として、病弱な彼女のことをプリシラは常に頭のどこか出来にかけてきたのだから。

 しかし、プリシラの行動には、嘘は無かったが裏の意味があったのである。

 彼女の「お気に入り」であるソウシの近い場所にいる少女たち。彼女たちからソウシを引き離すこと。それが、これまでのプリシラの行動の最大の目的だったのである。

 平日の間、ソウシは軍務で、少女たちは学業のために(この辺り、プリシラはしっかりと素性から何から調べ上げていた)遊ぶどころではない。ならば、接点となる安息日に、彼を拘束してしまえばどうなるか。

 目論見は上手くいきつつあるように見えた。なんだかんだ言っても、所詮は傭兵と学生。ソウシの妹という接点は残るが、本人がいなければ進展のしようが無いはず。ならばあとは、プリシラの思う通りに出来るはずだった。そのはずだったのだが……。

 まさかここで、セーラという伏兵が現れることなど、プリシラは全く想定していなかった。家を出た兄べったりの、恋愛感情を持つには精神的に幼い娘だとばかり思っていたのに!

 一体どこをどうしたらそうなるのだろうか? あるいは、ソウシを兄に重ねているのか? 二人の前だというのに、プリシラは思わず頭を抱えた。

「いきなりどうしたのだ、二人とも」

 だというのに、問題の当人は、何も気付かずにお気楽な声をかけてくる。プリシラは、無性に腹が立った。

「あーなんでもない! 貴方は気にしないの! これ以上気にするようなら、命令違反で城の地下牢に叩き込むわよ!」

「……よくわからないが、了解した」

 ソウシは言葉通りに口を閉じ、代わりに冷めかけたティーカップを口に運ぶ。空になったティーカップをソーサーに戻すと、実に自然な手つきでグスタフが新しい紅茶でそれを満たす。

 (彼からすれば)奇妙な行動を続ける二人を所在無く眺めながら、ソウシは今度は温かい紅茶を口に含んだ。

 

 

<Furthermore, D DAY once again>

 

 少女たちからの追求(実質は尋問)もどうにか決着がつき、静けさを取り戻した居間で、ソウシは弛緩した体をソファーに預けていた。

「お前は、噂のようなことなど無いということを、知っていたのだろう?」

 訪問者たちが引き上げ、家族しかいない今は、流石のソウシも気を抜いている。声にいつもの張りが無いのも、その現れだ。

 問いに答えるその声は、いくらかの笑いの成分を含んでいた。

「私も、詳しいことは知りませんでした。ですが、結婚のような大事なことであれば兄さまが教えてくれないはずはありませんし」

 笑みを含んだその物言いであっても、内容は信頼に満ちている。早くに二親を失い、寄り添って生きてきた絆が成せる業なのだろうか。

「それに、万が一そのようなことであれば、ピコさんが教えてくれるはずですから」

『そのとーり! 私はソウシの相棒だけど、何よりサキちゃんの味方だからね♪』

 サキとピコが、揃って笑い声を上げる。控えめだが、実に楽しげな声だった。

 色々な意味で反論が出来なかったソウシは、あらぬ方に視線を泳がせた。窓の外は既に暗さを増しつつあり、オレンジの色の陽光が黝い夜の色に駆逐されつつある。

 サキはそんな兄の様子にもう一度小さな笑い声を漏らし、席を立った。台所から漂ってくる匂いが、そろそろ頃合であることを教えてくれたからだった。

 ――うん、美味しく出来ました。

 煮込みの出来上がりを確認し、火から下ろす。それに良く合いそうな果実酒があった事を思い出し、床に埋め込み式の保冷庫からそれを探し出す。

 程なくサガラ家の食堂に明かりが灯り、再び楽しげな会話が微かに漏れ聞こえ出した。
 

 

次回第十三幕 ガールズ! ガールズ!!

目次


後書き

 

 ……お待ちくださった方々、面目次第もございません。『ドルファン英雄物語』、ようやくの再開でございます。

 見捨てられることなく応援のメールを送ってくださった方々の期待に応えられますよう、これからはもう少し努力してみたいと思います。

 ……それにしたって、かなり不安定な連載なことには変わりありませんが(苦笑)

 

 さて、今回の一本、如何でしたでしょうか? 間を空けまくったためによる文体の変化、某作家の影響を受けまくったことによるストーリー展開の変化、「これのどこが『みつめてナイト』か!』と文句を言われる覚悟は完了しております。

 正直、『ドルファンの守護者』あたりに改題しようかと、かなり本気で考えましたからねぇ。

 とりあえず、以後はこんな感じで続くと思いますので、どうぞ今まで通りのんびりお待ちください。
 

 それでは今回のキャラ紹介。

セーラ・ピクシス 17歳 女 A型

 病弱少女、セーラです。

 プリシラの従姉妹でピクシス家の娘。その立場にも関わらず、肉体的なハンデのために非常に控えめな性格をしています。

 今回はまさに脇役でしたが、次の出番には、どんな活躍をしてくれるでしょうか?

 

グスタフ 不明 男 不明

 ピクシス家に仕える老執事。なんだかセーラを書くよりもグスタフを書いているほうが楽しかったです。文章量にも、その辺が現れていますな(笑)

 

 

 それではこの辺で。

 

御意見、ご感想はこちらへ:tanoji@jcom.home.ne.jp 


SS一覧へ戻る