第2話


 

紅が去っていった後をソフィアは座り込んだまま、魂の抜けた顔でいつまでも見つめていた。

「…………」

何が起こったのだろう。

何もかもがまるで現実感を感じない。

何もかも。

遠くに見える客船も、空を舞う海鳥も、波止場に打ち付けられたさざ波も、目の前の首無し死体も。

――死体。

膝元では首無しの男が自らの血だまりに沈み湯気を立てていた。むせ返るような血の匂いの中で、だがそれすらも今のソフィアには意識出来なかった。

体中の感覚という感覚が丸ごと切り離されてしまったような。

感情という感情が根こそぎ消失してしまったような。

「―――ぁ」

一つ一つ感覚を取り戻してゆくかのように。まずは声を出してみる。

自身のその声で、連鎖的に体の感覚がその機能を取り戻してゆく。

瞳が焦点を取り戻すと、視界に映るのはやはり首無し死体だった。

「…………」

何となく、空を見上げてみた。

空は青かった。

紺碧の空の中、海鳥がピヨピヨと鳴いている。

ああ、そういえば自分は未だになかなかカモメとウミネコの区別がつけられない。

確か鳴き声で見分けるのだっけ。

ああそうだ、ニャアと鳴くのがウミネコだったと思うが私はあれを猫の鳴き声と同じという意見には同意できそうにない。

ともあれ、あの海鳥はピヨピヨ鳴いているのだから、カモメということになる。

そんな風に結論を下した所で、もう一度視線を下ろす。

別段何を期待していた訳でも無いが、相変わらずの死体と血臭に溜息をつく。

と、そこで。

いつの間にか妙に冷静になっている自分に気付く。

目の前の物体に関しても、特に恐怖も嫌悪も感じなかった。

「……え?だって、これって、死んでて、血もいっぱい流れてて――」

あまりの出来事に、気が触れてしまったのだろうか。

先程の出来事を思い返す。

そう、あんな、あのような――

途端。

「――――っっ!」

電流でも走ったかのように、背筋が跳ねる。

「…ぎ、い」

息が苦しい。汗がにじむ。吐き気がする。耳鳴りがする。頭が痛い。胸が苦しい。目の奥が焼け付く。体が震える。しまった思い出すべきじゃなかった。ああでも良かった私は正常だだってこんなに怖いものいやそうじゃなくてそういう問題じゃなくてああもうとにかく怖い。怖い。恐い。恐い。怖い恐いコワイ殺されるコロサレル――――

――びちゃり。

「あ」

正気を失う一瞬前、バランスを崩して前のめりに倒れた上半身を支えるために、咄嗟に突き出した両手は、目の前の血だまりに突っ込んでいた。

……泣いていいですか?

恐る恐るというよりは心底うんざりした心持ちで、持ち上げた両手をながめる。

ひと際強くなった血の匂いに、くらり、と眩暈を起こす。だがそれだけだった。本当なら錯乱するか、昏倒しているはずだ。

そこでソフィアは悟った。

首無し死体に視線を移す。

思わず失笑がこぼれた。

そうだ。アレに比べれば。

あの圧倒的なまでの死に比べれば。

あの絶対的なまでの恐怖に比べれば。

あの最凶悪なまでに凶悪過ぎる独眼に比べれば。

文字通り「思い出しただけで」こちらを死に至らしめかねないあの男に比べれば。

こんな、何の害も無いただの肉塊の、何を恐れる必要があろうか?

「そろそろ……帰らなくちゃ」

夕食の準備をしなくてはならない。ゆっくりと腰をあげる。父親と顔を合わせるのは何年経っても苦痛だが、今日のことを思えば、それもどうという程の事でも無いように思える。ああでも当分の間はお肉とトマトは控えさせてもらおう。それと――

「クレナイさん……と言ったっけ」

お礼を考えなければ。

気持ちが落ち着けば、印象もそんなに悪いものではないように思えてきた。

眼は恐いけれど、歳はそんなに離れていないような気がする。そう言えば背も私と同じくらいだった。ひょっとしたら年下かもしれない。

クッキーを焼こうとソフィアは思った。年下なら甘い物好きと言う偏見があったせいかも知れない。

恐怖は去ったはずだが、何故か心臓の高鳴りはなかなか収まらなかった。

それから五分後に我に返るまで、両手を真っ赤に染めた少女は、血だまりの前で夢見る乙女を演じていた。

 

 

 

 

率直に言えば、紅は戸惑っていた。

てっきり故郷の時と同じように、命令を受けてすぐにでも敵を殲滅しに行くものと思い込んでいただけに、いきなりこんな部屋を用意された時は思わず拍子抜けした。

紅はあてがわれた自室でこれからの事について考えを巡らせていた。

傭兵。

道連れに進められるままに手にした初めての職。

仕事で人を殺す人間。

それ自体は別段、思うところは無い。故郷でも同じ事をしていた。

ただ気になったのは、部隊分けという言葉。

自分を雇った者は、自分以外にも大量に、傭兵というものを用意したらしい。

つまりこれは、敵は自分一人では手に余るほどに強大な存在ということなのだろう。

今まではどんな敵であろうと一撃で葬ってきたし、どんな軍勢であろうと一夜で壊滅させてきた。

まだ見ぬ敵に思いを巡らす。

自分の力が及ばぬ敵。

ふと、天井を見上げる。

思えば故郷を出てからこちら、屋根のある場所で夜を過ごすのも初めてのことだ。

殺し以外何も知らなかった自分ですら特に何の問題も無く今までやってこれたのだ。

そうだ。初めてのことなど所詮はそれだけのことに過ぎないのだ。

と、そこで自分が思った以上に長考していた事に気付く。

「…埒も無い」

敵がどのような存在であろうと、自分以外の駒が用意されていようが、そんなことは関係無い。自分は自分の役割を果たすだけだ。

委細構わず細大漏らさず老若男女関係無しに、目に付く者は――

――皆殺す。

結局。

ねじのブッ飛んだ考察を切り上げると紅は、なるようにしかならないといつも通りに結論し、ベッドの前にどっかと座り込み瞬く間に眠りについたのだった。


あとがき

 

まずは読んで下さってありがとうございます。

で、いきなり方向性が妖しくなってきました。

 

設定とか今後とか

予定は未定なのですが、バトルパートはあっけなくなると思います。アクション苦手というのもあるのですが、この話の中では紅の強さは桁外れだからです。もう反則気味です。ヴァルファ八騎将の皆さんのレベルが大体35〜70くらいだとすると、紅のレベルは1300です。

 

キャラについて

一部のキャラは大幅に修正かかってます。

 

 13〜15歳 

鬼のように強い(と言うより鬼そのもの)が、極度に世間知らずなうえ、馬鹿がつくほど素直な性格。

相当に悲惨な少年時代をすごしており、その関係で人の殺し方意外はほとんど(感情も含め)何も持ってません。

ソフィア達や傭兵仲間、そして八騎将との戦いなどを通して少しづつ人間に近づいてゆく…………予定。

 

ソフィア

紅との出会いによって、いろんな意味で人生狂わされた少女。

とりあえず、メインヒロインです。

 

道連れ

ピコ連れている人です。


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