第1話


 

その日、ひとりの東洋人の男性が傭兵としてドルファンに入国した。

 

 

穏やかに揺れる船の甲板の上に男は立っていた。

まだ若い、子供と言っていい顔立ち。

ただ。

そのあまりにも禍々しい独眼が、子供という印象を根こそぎ奪っていた。

もう港が目の前に来ているというのに、漆黒の、道着のようなものを纏ったその少年は何一つ荷物を持たずにただ目の前を見ていた。

ここまでに到る経緯を少年は思い出せない。だが長い旅の中で、殺しに関すること以外何も知らなかった少年も多少は物を知るようになった。

まず初めに、言葉を覚えた。母国語ならば知識として存在していたが、そもそも他者と言葉を交わす環境下にいなかった。

傭兵という仕事は旅の途中で出会った同郷の旅人に教わった。もともと少年は祖国でも、殺しを生業としていた。だが報酬が与えられることなど無かったし、そもそもそれを必要とする生活を送っていなかった。

「あの…」

思えばあの同郷の旅人には随分ものを教わったと思う。既に別れたが、この国に向かうよう提案したのも彼だった。その時に、港で船を使うことも覚えた。

 

馬鹿げた話ではあるが。

少年はその時に、初めて故郷以外の人里に足を踏み入れた。

 

「あの、出入国管理局の者ですが」

そこでようやく、少年はその女が自分に向けて言葉を発しているのだと判断した。

女に向き直り、独眼を向けることで話を促す。

女はそれを正面から受け止めて、露骨に一歩後ずさった。

少年は別にそれを見ても何も感じなかった。大抵の人間は自分を見ると同じような反応を返すからだ。少年はだから、自分はそのような存在なのだと認識していた。

女は一呼吸置いて気を取り直したように、再びこちらに向き直った。ただし、決してこちらと目を合わせようとせずに。

この国の言葉にはまだまだ不慣れなので、女の意図を汲むのには手間を掛けた(ここで少年は、まずはこの国の言葉を覚えようと、そう思った)が、なんとか、女がこちらの身分を知りたがっていることは理解した。

別に隠すような事でもないので素直に書類を受け取って、そこで少年は珍しく判断に迷った。

名前はいい。だが少年は自分がいつ生まれたのかなんて考えた事すら無かったし、そもそも暦を知らなかった。血液型に至ってはその言葉の存在すら知らなかった。

暫し逡巡して、結局、答えられる範囲で答えようと、少年はそう判断した。

名前を書き込もうとしたとき、何故か自分に付きまとっていた同郷の旅人に自分の名を告げた時のことを思い返していた。

 

『へぇ、いい名前だね。あ、それなら外国ではこう名乗るといいよ』

そう言って、自分にその名を書いて見せた。

 

少年は何となくその名前を使うことにした。後は適当に埋めた。

書類を受け取った女は何故か妙な顔をしたまま硬直した。そして今度は真正面から少年を見詰め、相変わらず巌の沈黙が続くのを見て、判断した。

(ああ、この子は馬鹿なんだ)

だが、馬鹿だが悪い人間ではない。

真面目にこんなことを書く人間に悪人はいないだろう。

長年の経験から(?)そう判断すると、出入国管理局の女は表情を明るいものに一変させた。

「ようこそ、ドルファンへ」

 

その書類の一ページ目には五歳児のように拙いトルキア語でこう記されていた。

 

名前 クリムゾン

生年月日 知らん

血液型 赤い

 

 

 

少年がタラップを降りた時、既に港の喧騒は収まっていた。

 

それまで船の上で港の活気を見るともなしに見ていた。

前の港でも同様の活気があったが、その時は道連れにさっさと手を引かれてしまった。そうでもしなければ、速攻ではぐれていただろう、と、道連れは言った。少年もその通りだと思ったのでその時は従った。最も、船に乗る段になって、その同郷の道連れとは袂を分かつことになったのだが。

ともあれ、少年は港の活気を見ていた。別段、少年にとってそれ自体は珍しいものではなかった。

故郷の喧騒を思い出す。

むしろ、少年は故郷では常に喧騒の中に居たと言ってもいい。

最も、そこでの人々の表情には、恐怖と憎悪しか無かったが。

そしてつねに喧騒の始まりは自分であり。

喧騒の終わりも自分であった。

だから、ここでの喧騒は新鮮だった。皆がタノシソウな顔をしている。

『楽しくないよりは楽しいほうがいいだろう?』

いつだったか道連れがそんなことを言っていたのを思い出す。

少年は楽しいという概念を知らなかったので、言葉の上だけで考えて、そんなものかと頷いた覚えがある。

この時、少年は楽しい喧騒もある事を知った。

だから

自分が割って入ると

タノシイがタノシクナイに変わってしまいそうで

何となく、船の上にいた。

 

船であれこれ聞いてきた女に手渡された地図を見て、目的の場所を知る。ついでにざっと他の場所を見渡して、それきり用を成さなくなった紙切れを放り捨て、目的の宿舎に向かう。

と、悲鳴が聞こえた。

久しく聞いていなかったが、自分には馴染みのある声である。

声の方に向き直ると、通り道の脇の、コンテナの陰に女1人と男数名を確認した。

悲鳴を上げたのは女の方か。どうやら女と男達は敵対関係にあるらしい。戦況は女の方が圧倒的に不利のようだ。

それだけを確認すると、少年はそれに対する興味を失って、再び宿舎に足を向けた。

そこに、今度は男の方の誰かが声をあげた。

「おい、待ちな!」

声の向きと周囲の状況から、自分に向けられたものと判断して、少年は振り向いた。

何やら、にやにや笑みを浮かべていた、その奇怪な身なりをした痩せぎすの男は、やはり気圧されたように後ずさり、次の瞬間、それを押し隠すかのような剣幕で何かをまくし立てた。

それは早口すぎて、この国の言葉に慣れていない少年には聞き取れなかった。仕方が無いから、男が喋り終えるのを待った。

そしてじっと待っていたら、何故か男は不自然に顔を歪めてポケットから折り畳みのナイフを取り出すと、奇声をあげて少年の胸に突き刺した。

何故か女の方が尾の長い悲鳴を上げる。

悲鳴が止んだ頃、一滴の血も流さずに平然としている少年を見て、ようやく壊れた笑みを浮かべていた男も異常を察した。

割かし使い込まれていたそのナイフは、しかし少年の皮一枚貫いてはいなかった。

自分に突き立った刃を見て、ようやく少年は分かりやすい展開になったと悟った。

 

何だ。つまり。

コレは、自分の敵か。

 

そこからは話は早かった。

少年は、その、狐につままれたような顔をしている男の顔に手をかざし、そのまま

――ぐしゃり、と

握り潰した。

くびの無くなった首から、何か性質の悪い冗談のように、独特のリズムを取って、赤い血が吹き出る。

最初に勢い良く。徐々に勢いを減らして。

男の体が後ろに倒れこむと同時に、少年は手に掴んでいるモノを海に放り捨てた。

残りの人間を見やると、男達は皆一様に蛙が引き攣れたような声を出しながら四つん這いになって逃げ出した。

少年はそれらも片付けようとして、手を振り上げた所で、ここではそれをする必要が無いことを思い出し、手を下ろした。

そこで思い出したように女を見やった。

ぺたんと座り込んでぽかんとこちらを見つめている妙な反応をするその女に少し興味を覚え、近づいていった。だが近づいて、小刻みに震えだした体とその下に立ちのぼる湯気を見て少し、落胆した。

そのまま踵を返し宿舎に向かう。が、

「あ、あの」

そこにまたしても声が掛けられる。

短気とは違った意味で、忍耐という言葉とは無縁なその少年は気負わず、女を振り返る。

「あの、た、助けて、いただいて、その、あ、ありがとう、ございました」

所々つっかえながらの言葉は、言葉そのものに慣れていない少年にとってはむしろ聞き取りやすかった。

要するに、自分に感謝の言葉を述べているらしい。

と、そこで女が先程の男達と敵対していたことを思い出す。

なるほど、と、少年は納得した。結果的に女のほうを助けた形になったわけか。

が、興味の対象外ではあったので、少年は踵を返した。

ようやく少し呼吸の落ち着いたその女はあわてて、少年の側の、首の無い死体を見ないようにしながら、一気に続けた。

「あ、あの、後日お礼に伺いたいのでせめてお名前を教えてください。えと、あ、私はソフィア・ロベリンゲと申します!」

少年は無視しようかとも思ったが、最近覚えた気まぐれで、本日初めて言葉を発することにした。

だが、船の書類に記した名前を言おうと思って首を向けた所で、何と発音するのか道連れに聞いておくのを忘れていたことに思い当たった。

暫し思案して、結局本来の名前を名乗ることにした。

 

「紅」


あとがき

 

はじめまして、鳳です。

…ええと、初っ端から無茶やっちゃいましたでしょうか?

主人公のモデルは、まあ、分かる人には分かると思います。

…よりによって、何でこんなのモデルにしたんだろう?自分。

ええと、それじゃあ、これからよろしくお願いします!


第2話へ

 

戻る