第6章「ライズとソフィア(前編)」


初めて人を殺したとき、俺はなにも感じなかった。

命の尊厳だとか、大切さだとかは…ひどくうさんくさいものだなあと、ぼんやりと思っただけで。

人を殺すために、剣をふるうこと。

それは、作業だった。自分を傷つけられない為。

作業。肉をはぎ骨を切断し、魂をくりぬく為の…ただの行為に過ぎなかった。

いっそ死んでしまいたいと願っているくせに。怖くてたまらなくて、無茶に剣をふるった。手加減だとかそういうものは、自分よりはるかに弱いものに対してしかできないものだと体が叫んでいた。

相手は、死んだ。

首が皮一枚でつながった姿のまま、彼は、目を見開いて空を見ていた。空は染みるような青い色をしていた。地面の赤黒い血だまりとは、まったく関係のない色を。

俺は額の汗をぬぐう。大きく息を吐き、空を見上げた。

(ああ…)

(きれいな、空だな)

その色だけを、俺は、鮮明に覚えている。

ただ、殺した相手の顔は…記憶にない。

 

 

「あっ…」

ドアを開けると、小さな悲鳴が聞こえた。ノックしようとしていたところらしい。謝ると、ライズは気に止めた様子もなく、ドアの内側に回り込んできた。白地に赤いバラ柄のワンピースが、よく似合っていてかわいらしい。

「失礼するわ。…食事の時間が一刻繰り下がったそうよ。用件は以上、それじゃ…」

こちらとは一度も目を合わせようとせず、なぜか足早に立ち去ろうとする。心なしか、顔が赤い。

「…待て」

「な、何?」

「口、怪我してるのか?」

「……」

「何か赤いぞ」

いくばくかの沈黙の後、ライズは押し殺した声でつぶやく。

「…やはり、殺すべきかしら…」

「え?」

「何でもないの。気にしないで」

いつも通りの無表情で答える。さっきまでとは違う張り詰めた空気が、それ以上の詮索を許そうとしない。

「あ」

ようやくひとつの考えに至る。

「口紅か!」

「お、大きな声出さないでっ」

あっさりと表情が崩れる。…面白い。

それにしても…ライズが化粧するなんて…どういう風の吹き回しなんだ?雨でも降るのか?槍か?それとも彼女の作った豆乳入りアルコール飲料か?

彼女は真っ赤な顔をして、ぶつぶつと言い訳をつらねる。

「ソフィアと一緒に買ったの…あんまりすすめるものだから、つけてみただけよ…・深い意味はないわ」

「俺は、特に何も聞いていないんだが…」

「…そうね。お邪魔して悪かったわ。それじゃ」

ひらりと身をひるがえし、今度こそ出ていこうとする。

俺は背中に向かって声をかけた。

「似合ってるよ」

彼女は立ち止まる。が、振り向きはしない。

「…ありがとう」

廊下を足早に去っていく。逃げるかのように。

(もしかして…)

背中を見送って、考え込む。

(俺に、見せにきたのか?)

  

自分にあてがわれた部屋に飛び込む。鏡台の上のガーゼをつかんだ。口元を拭おうとして…鏡の中の、自分の顔に目を止める。

(似合ってるよ)

赤いくちびる。少しだけ大人びたような気がする、自分の顔。うるんだ瞳。上気した頬は、まるで頬紅をつけたかのようだ。

ガーゼを胸もとにひきよせ、彼の名を呟いた。目の前の赤いくちびるが、一緒に動く。

「マクラウド…」

 

 

見たことのない自分が、そこにはいた。


後書き

 

お久しぶりです、いちこです。

え?予告と題が違う?いやあ実は終わり近くまで書いていたものを書き直しまして。そしてこんなことに(汗)。

次は「第7章 ライズとソフィア(後編)」です。

当然、ソフィアがメインです。


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