第三章「イリハ会戦」


 火にあおられたマントが中に舞う。火の粉を巻き上げながら。

 そしてその横にたたずむ礼装の女性。瞳に新しい力、明日を見つめる力を宿らせながら。

 彼女の名前はクレア・マジョラム。

 ここは共同墓地。クレアの亡夫、ヤン・ マジョラムの一周忌をおこなっていたのだ。

 叢雲は黙って彼女の顔を見つめていた。

「過去にすがってはいけない」

「昨日より明日を見つめてほしい」

 そういって叢雲はクレアを励ました。偽りない真摯な気持ちで。

 戦場に出れば戦死するのも覚悟の上。…坊ちゃん騎士は別だが。そしてヤングは散った。ヴァルファバラハリアンとの初戦でありドルファン騎士団が敗北を喫した、あのイリハ会戦で。

 叢雲は思い出す。イリハを…。

 

 

 むせ返るような血のにおいが充満している。叢雲には慣れたにおいだ。

 突っ込んできた槍兵の懐に入り下から斬りあげる。

「ぎゃあぁぁぁ!」

 両腕をなくした槍兵が悲鳴をあげる。それに気にせず叢雲は次の相手に向かう。

 槍衾を身をひねり、払い、かわす。槍は懐にはいられたらもろい。長さが仇になるのだ。

 叢雲は無造作に切り裂いていく。眼を、喉を、腹を、あるいは手足を切り落とされ敵兵が地に転がっていく。

「うろたえるな!陣形を整えろ!相手はたった一人なんだぞ!!」

 ヴァルファの指揮官が声を枯らして叫ぶ。実際、叢雲の所属する第一傭兵部隊第十一小隊は彼一人を残して全滅していた。

(そう、たった一人なんだぞ!?)

 指揮官は動揺していた。

 両翼から挟み込み敵部隊を殲滅後に残存を一掃する。先ほどまでは自分の作戦どうりであった。一部の生き残りがしぶとく抵抗している以外は。

 そして最後の一人になった。勝利を確信した。

 しかしその一人が倒せない、むしろこちらの死傷者が増えるばかりである。今も手足を失いながら部下が倒れていく。

 

 敵の動きが緩慢になっている。叢雲のねらいどうりになってきた。

 すでに叢雲は敵を斬るだけ、死を覚悟した『死兵』となっている。相手は『生兵』である。勝ち戦でわざわざ死にたくはない。だから及び腰になる。

 加えて叢雲の戦い方である。

 目を切り裂きのどを裂く。腕、足、腹など鎧のないところを的確に狙う。振り下ろされた剣をくぐり腹を斬る。その勢いのまま次の相手へ距離を詰め一閃。振り上げられた刀は敵兵のあごから鼻頭まで斬り上げられる。 身をひねり遠心力を加える。これなら片腕でも人を斬れる。刀刃は相手の頭に吸いこまれすり抜ける。頭の鉢が割れ棒が倒れるように倒れ白い脳しょうを晒す。左から飛び掛ってきた奴を闕bにつけている鉤爪でえぐる。内臓を引っ掛けたまま掻きだし他の兵士たちに投げつける。

 阿鼻叫喚の場であった。

 ヴァルファの部隊は叢雲の尋常ならざる戦いぶりに恐怖を抱き始めた。

 たった一人でありながら獅子奮迅の戦いをし、しかもこの地では珍しい黒い髪、黄色い肌の東洋人。そして人を人と思わぬ残虐な攻撃。歴戦の勇も思わず眉をひそめる。

「東洋人は不死身なのか?」

「本当に人間か?」

 そんな思いが兵達の頭によぎった。

 次の瞬間、叢雲の動きが止まった。

 蒼い鎧に蒼い手甲、脛当て、全身を蒼色で統一している。手甲の鉤爪には人の臓物らしきものが引っかかっている。黒い髪を振り乱し大きく肩で息をついている。その体は多くの返り血と少しの自分の血で紅くなっていた。逆にそれが全身の蒼さを引き出させている。東洋人という見慣れない存在が必要以上に恐れを呼ぶ。

「憑かれているんじゃないのか?」

 誰ともなくつぶやいたとき、叢雲が笑った。凍りつくような酷薄の笑みで。

 戦慄が走る、その場にいた誰もが恐怖を抱いた。

 指揮官も例外ではなかった。だが指揮官という立場が叫びたいほどの恐怖を抑えた。

「ええい!何をしている!奴はもう疲れている。休ませるな、斬りかかれ!」

 部下を、少なくなった部下を叱咤する。その叱咤は自分にもむけられたものでもあるが。

 指揮官みずから斬りかかる。

「いくぞ!…」

 叢雲が腕を振る。指揮官が落馬する。

「隊長!」

 まわりに兵が駆け寄る。

 指揮官は左眼から血を流して絶命していた。

 叢雲は『投げ爪』をはなったのだ。長さ十数センチの鋭利な鉄の棒。ずしりと重く手裏剣などより殺傷力がある。

 顔中に埋没するほど深く刺さったので顔に一つの穴があいているだけで何が刺さったかわからない。何が刺さったのか、奴は何をしたのかわからない。ただわかるのは指揮官の死。

「あ・悪魔だ!」

「奴には悪魔が憑いているんだ!」

 我を失った者が叫ぶ。

 落ち着いていれば指揮官を殺した物が何かわかりもしただろう。だが今までの叢雲の戦い方と相まって、正常な判断が出来なかった。ヴァルファ兵たちはすでに恐怖を表に出していた。

 叢雲が立て続けに腕を振る。そのたびに投げ爪が飛び喉や顔に喰いつく。投げ放つと同時に走る。低く構え飛び込みながら身体のばねを放つ。投げ爪で体勢を崩されていた兵二人をまとめて切る。一人は腹を、もう一人は脇を斬られうずくまる。そいつを踏み台にして飛び上がりつつ首を切る。頚動脈を斬られ血が噴水のように噴き出す。血の噴水を背に、返り血を浴びた蒼い鎧を太陽の光で怪しく輝かせながら叢雲が翔ぶ。

 尾を引く返り血と噴水のせいか、それとも日の光のせいか、一瞬、叢雲に羽根があるように見えた。皮膜の羽根を持ち禍々しい爪を持った蒼い悪魔に。

 叢雲が横に半回]し刀が弧を描く。着地してさらに半弧を描く。叢雲が向き直ったときには五人の兵が地に臥した。さらに近くの兵に両手を突き出し左右の鉤爪を打ち込む。左右各二本ある爪が両目にちょうど突き刺さる。

「あああぁぁーー!」

 痛みと恐怖で悲鳴をあげる。もう一人は爪が脳まで達し絶命していた。

「だめだ!バケモノだ!」

「悪魔とやれるか!」

 わずかに残った数人が逃げ出す。叢雲は追わなかった。いや、追えなかった。

「はぁーっはぁはぁっがはっげほっげほっ!」

 刀を杖代わりにしてそれにすがる。

 息を吐ききり細かく吸う、これを調息の法という。

 数回繰り返し呼吸を整える。

 あらためてまわりを見る。見えるのは死体と怪我人だけ。怪我人もこの分では失血死するであろう。

 叢雲は数十人を斬った。だが斬った数は問題ない。戦争が終わったとき生き残っていなければ意味がないのだ。

 ふと東のほうを見ると傭兵部隊本隊の動きが止まっている。両軍が何かを囲んでいる。戦場でこんなことがあるとすれば…

「一騎打ちか!」

 本能的に、主を失った馬に飛び乗り円陣を目指す。自隊が全滅しているので本隊と合流する必要がある。

 だが本隊へ急ぐのはそれだけの理由ではない。叢雲の本能が何かを告げていた。何かはわからないが、漠然とした不安感を。

「ヤング大尉か!」

 近づくに連れ円陣中央の二人が確認できてきた。

 ドルファン屈指の剣の使い手、かつては『ハンガリアの狼』と勇名を馳せたことがある。そして叢雲の上官でもあり友人でもある。

「相手は…」

 叢雲ははっとした。

 燃えるような赤い鎧をまとった男。

「八騎将!」

 大陸最強と呼ばれる傭兵騎m団ヴァルファバラハリアン。 その頂点に君臨するのが八騎将と呼ばれる八人の騎士。驚異的な実力は大陸中に響き渡っている。この八騎将は槍を使っている。

「疾風のネクセラリアか!」

 八騎将の槍使い。素早い動きから疾風と称されている。

「はぁ!!」

 ヤングの連撃がネクセラリアに傷を生み出す。しかし…

「これで終わりだ!」

 ネクセラリアが吼える。

 高速の槍の刺突がヤングを襲う。

 連続して突き出される槍は赤い尾を引き全身を打ち抜く。血が噴き出しヤングの身体を朱に染める。技の後のわずかな隙をつかれヤングはまともにくらう。

「ぜぁ!」

 最後の一撃が深々と腹に突き刺さり背中へとつきぬける。槍が引き抜かれると同時に前のめりに倒れる。

「あれがレッドイリュージョンか…」

 誰かが怖れを込めてつぶやく。

「ぐおぉぉ…」

ヤングは傷口を押さえるが血を止めることは出来ない。

「ヤングよ、冥土で会おう…」

 ネクセラリアはうずくまるヤングに背を向けそう呟く。

「うぅ…ク、クレア……すまん」

 最愛の妻にわび、それだけを言い残し息絶える。ネクセラリアはその言葉を複雑な心境で聞いていた。

「ヤング大尉、ヤング!!」

 叢雲が兵を掻き分けヤングの所に着いたときには、すでに血の海に沈んでいた。

「くそっ!ヤング!死んじまって…クレアさんはどうするんだよ。クレアさんになんていえばいいんだよ、すまんで済むかよ!」

 ネクセラリアが声をあげる。

「ヤングは我が槍で討ち取った。仇をとろうという者がいるなら受けてたつぞ!」

 しかしネクセラリアの槍技を目の当たりにしたドルファン軍に応じる者はいない。

「ちっ腰抜けどもが、上官の仇を打とうともしないのか。犬以下だな。ヤングも部下に恵まれなかったな。ドルファンなどに雇われるから…」

 殺気が膨れ上がる。

「!?」

 驚いて振り返るとヤングの亡骸に一人の兵がかがんでいた。傷だらけの東洋人が。

 東洋人…ネクセラリアは何か引っかかるものを覚えた。

「まさかな…」

「ヤング…遺髪は届けてやるよ……あいつを倒して!!」

「ドルファン傭兵部隊、叢雲 蒼夜!部下として…友人として仇を討たせてもらうぞ!」

「面白い、討てるものなら討ってみろ!」

 槍を構えて走り出す。疾風と呼ばれる速さで。

「なに!?」

 驚いたのはネクセラリアのほうであった。

 叢雲がすでに打ち込んできていた。ネクセラリアの想像以上の速さであった。かろうじて受け流す。

「ふっ、少しはやるようだな」

「強がりをっ、疾風の動きができても速い敵にはなれていないようだな」

「うぬぼれるなっ!」

 ネクセラリアが槍を振り上げ、突き出す。すばやい攻撃に叢雲の身体に傷ができ血が流れる。だがどれも皮一枚、大きな傷ではない。

「小手先の技でやられるか!」

 叢雲が槍をくぐり飛び込もうとする。

「どうかな!」

 ネクセラリアが槍の向きを変え引きながら薙ぐ。叢雲は背中から殺気を感じとっさに伏せ、横に避ける。かわしたはずの槍が肩先をえぐる。突き出した槍を変化させ、薙いだのだ。

「くっ!そういうことか」

 小技を出し相手を誘い込み横薙ぎの一撃を叩き込む。あえて敵を懐に入れることで死角からの一撃が出せる。そのためにネクセラリアの槍の形状は、刃先が長く、片刃にすることで突くの他に斬ることにも秀でているのだ。もっともネクセラリアの迅速さがなければ出来ない技である。

「槍というより長刀(なぎなた)だな」

 毒づくがいまさらである。叢雲の油断であった。落ち着いていれば想像できたかもしれなかった。

「ここまでだな」

 ネクセラリアが槍を振り穂先に付いた血を振り払う。

「だっ!!」

 一気に間合いをつめ気をたかめる。

(来る!)

 叢雲は身構えた。

 ヤングを葬ったあの技が。

「これで終わりだ!」

 疾風の槍が打ち出される。

「いまだ!」

 叢雲は下半身にためていた力を解き放ち跳ぶ、うしろに。

「うしろに!?」

 叢雲との間合いが不意に開き攻撃があたらない。ネクセラリアの踏み込みは速かったが、叢雲の瞬発力はそれを超えた。それでも槍は長い穂先が鼻をかすめ、鎧に傷を刻む。だがそれだけであった。技が出きり、刹那の隙ができる。そこを叢雲は見逃さなかった。着地と同時に驚異的な速さで再び跳ぶ。今度は前へ。その速さはネクセラリアの予想を越えていた。

「はやい!?」

「風で俺は殺せん!【舞桜斬、求嵐!】」

 叢雲の手がぼやけた、ネクセラリアにはそう見えた。

 次の瞬間、すさまじい風圧と共に無数の刀刃が己の身体を切り裂いた。そのまま後へ吹き飛ばされる。

「疾風では嵐に勝てぬか…」

呟き地面にたたきつけられる。

自分の肩を血止めしながら叢雲が近づいてくる。

「ヤングは良い戦友(とも)を持ったようだな…」

 叢雲は黙っている。

「あらためて名を聞かせてくれるか?」

「叢雲 蒼夜」

「今ひとつ、ゲルタニアで戦ったことは?」

「ある、この前の内紛のときにな」

「やはり……おまえが【悪魔】か…」

 

 内政問題でゆれるゲルタニアで小規模の内紛があったとき、 敵対派閥の数人の要人を護衛ごと葬った東洋人傭兵。

 神出鬼没で容赦のない、いや残虐とも言える暗殺の仕方から、悪魔といわれた男。

 

「さしずめ今は蒼い悪魔か」

 叢雲を見上げながら呟く。そして事切れた。

 仇は打ったが気は晴れなかった。これから戦争よりつらいことが待っているのだから。ヤングの戦死をクレアに伝えるということが。

 

 

 ヤングが死んだのはどうしようもなかった。

 だが自分がもっと早く着いていれば、自分が先にネクセラリアと闘っていたら…。

 蒼雲は仮定論は好きではない、むしろ嫌いである。過ぎた事を考えてもどうにもならないのだから。

 そう考えていてもクレアの寂しげな顔を見るたびに後悔の念が耐えない。

「まだ弱いな…」

 自虐的に呟いた。

 墓地を去り行くクレアの背を見つめながら。


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