ギリシア

2002年3月



 スイス航空さまから一宿一飯の恩義を受け、そのお礼をいつの日にか必ず返そうと心に決めてから1年半が瞬く間に過ぎ去り、その機会は思いの外早くやってきた。スペイン旅行の次のギリシア旅行で成田⇔チューリッヒ間をスイス航空さま、チューリッヒ⇔アテネ間をスイス航空さまの関連会社(子会社?)のクロスエアさまに搭乗することになったのだ。
 自分の意思ではなく、偶然に申し込んだツアーで旅行会社さんがそのように航空機を手配した、たまたまな結果なのだけれど、その偶然に驚く。
 何はともあれ、このような偶然のおかげで早々にスイス航空さまにお礼ができ、心が晴れ晴れしプレッシャーがなくなった気がする。
 2005年、スイス航空さまとルフトハンザドイツ航空さんの合併が決定の報を聞き、恩返しができていたことを安堵した。(*^^*)

アクロポリスの丘
成田空港 → チューリッヒ → アテネ  アテネ泊

 ギリシアは遠い。非常に遠い。アテネの空港に降り立ったとき、家を出てから24時間以上が経過し、ホテルに着いたときには既に日付が変わっていた。それはあまりに遠い道程。疲れのあまりその夜は1度も目覚めることなく朝を迎えた。



アテネ → コリントス → ナフプリオン  ナフプリオン泊

アテネ国立考古学博物館→第1回オリンピックスタジアム→アクロポリスの丘

 の順でアテネ市内観光。

 考古学博物館ではガイドさんについての一通りの見所を廻った後、30分程のフリータイムがあったが、まだまだ時間が足りない思い。
 第1回の近代オリンピックが開催されたスタジアムは100年以上経ってもまだまだ現役で使用できる。スタジアムの片隅に、第1回のアテネに始まり、歴代のオリンピック開催地が刻まれた石碑が建っている。つい1964年TOKYOの文字を探してしまった。オリンピックの歴史に感慨ひとしお。
 このオリンピックスタジアムの出入り口から、アクロポリスの丘を仰ぎ見ることができる。それを見るとアテネに来た気分に満ち溢れる。

1896年 第1回オリンピックスタジアム
2004年のオリンピックではマラソンの
ゴール地点として使用


パルテノン神殿
 アクロポリスの丘へは、丘のふもとからバスを降り、徒歩で登るので、雨が降ると土質というか岩質の関係で非常に登りにくい感じがする。
 登る途中にも音楽堂や劇場などが次々と眼下に現れ、登りのツラサを感じている間がない。

 丘の頂上は岩がごろごろでそれなりに歩きづらい。アテネ一番の観光名所なので人がいっぱい、修復の足場もいっぱい。足場のなくなるときが来るときはあるのだろうか…。
 ガイドさんの説明の後はフリータイム。様々な角度からパルテノン神殿やエレクティオン神殿の写真を撮ったり、アクロポリスの丘から見える古代アテネの中心地である古代アゴラを眺めたりしていたらタイムアップになってしまい、アクロポリス博物館には入れなかったのが残念。
 大統領官邸前では、衛兵2人による衛兵交代の時間に行き合わせ(ガイドさんが時間を見計らったらしい)、バス車中から衛兵の交代を見ることができた。ギリシアの民族衣装らしい、白いブラウスとスカートに黒地で刺繍の入ったベストで木靴を履いた衛兵さん(男性です)の動きはゆったりとしていてどこかユーモラスだった。民族衣装で男性がスカートを着るのはスコットランドしか知らなかったけど、ギリシアも着るのを初めて知った。

 アテネ市内は子供たちの仮装のお祭りの最中とかで、お姫さまや海賊、ナイトなど様々な扮装をした子供たちが街を往来していた。その子供たちの仮装のメイン会場で時間を過ごせたら、きっと楽しかったことだろう。

エレクティオン神殿

コリントス運河
 アクロポリスの丘が見えるレストランでの昼食後、アテネをあとにして本日の宿泊地であるナフプリオンに向う。途中、コリントス運河で写真ストップ。う〜ん、断崖絶壁。全長6343m、幅23m、運河の上の橋から水面まで80m。100年以上前によくこれだけのものを作ったものだ。感心しきり。

 ナフプリオン到着後、ホテル近辺をスルーガイドさんに案内されて散策。要塞跡や小さな教会があったり、港には古い要塞が建つ小島があったりと、ぶらぶら歩きにはなかなか格好な街。

 午後にアテネを発つときから一緒のスルーガイドさん(日本人)はこれからアテネに戻るまで同行して案内をしてくれる。午前中、アテネ市内を案内してくれたガイドさん(ギリシア人/日本語堪能)はこのスルーガイドさんの娘婿にあたるとか。



ナフプリオン → エピダウロス → ミケーネ → オリンピア  オリンピア泊

 雨中の世界遺産観光。

 エピダウロス(世界遺産)では野外劇場と、本来は休館で(休館日or開館時間前のどちらか失念)、見学予定になかった博物館を、土砂降りの雨を見かねた博物館の係員さんのご好意で小降りになるまでの雨宿りをかねて見学させていただけた。古代の医療器具などが展示されていた。

エピダウロスの野外劇場
 現在でも、夏のシーズンにはコンサートが開催されているというエピダウロスの野外劇場は、マイクを使わずに劇場の隅々まで声が届くというガイドさんの説明に、同行者が、劇場中央の、最も反響のよいスポットから歌をうたうことにし、私は劇場の階段最上階でスタンバる。
 準備OKで何を歌うか待つと、「♪ぽっぽっぽ〜♪鳩ぽっぽ〜♪」の声が雨で傘を差しているにも関わらず、はっきりと聴こえた。特に年に何回かのカラオケ以外、歌をうたう機会のない人間の「鳩ぽっぽ」が最上階まで聴こえるのだから、その音響の良さが伺いしれる。
 エピダウロスの野外劇場で、日本人としておそらく最初で最後であろう「鳩ポッポ」独唱者となった同行者に拍手。ぱちぱちぱち。
 コリントスで遺跡と博物館見学。博物館ではモザイクなど一通り見学。遺跡では、グラウケの泉やピレーネの泉の伝説(神話)の説明を受ける。
 ピレーネの泉からは今も満々と水が流れ出している。

コリントス遺跡

ピレーネの泉
 コリントスでの遺跡見学後、さらにドライブしてミケーネで昼食(2時近くになっていた)。そして、ミケーネ(世界遺産)の遺跡観光。ミケーネでは、円形墓地の見学のあと、かつては宮殿があったといわれる山頂(丘の上)まで小雨の中を登った。
 ここに遺跡を発見したシュリーマンは子供の頃の夢を信じてよくぞ見つけたものだ。感慨深い。
 ここも雨と斜面と斜面の石(岩)ごろごろで、結構、足元に注意が必要だった。

 丘から下りた後、近くにあるアトレウスの宝庫までバスで移動。途中で、道路を横断する羊さんたちの群れに出くわす(羊さん優先)。子羊がいて可愛かった。

獅子の門


円形墓地

アトレウスの宝庫
 ミケーネから次の宿泊地オリンピアへ向けて出発したのが16時30分。ミケーネからは途中までは高速道路で、その後はかなりの山道で、霧まで出て大変だったらしい。この辺、幸運にも眠っていて全く知らない。オリンピア到着が19時45分。お疲れさまでした。




オリンピア遺跡
オリンピア → パトラス → イテラ  イテラ泊

 午前中いっぱいオリンピアの遺跡見学(世界遺産)。

 まずオリンピア博物館でゼウスの破風や古代のオリンピック競技に使用したもの、古代オリンピックの模様を描いた壷などの出土品を見てから遺跡へ。
 ゼウスの神殿、近代オリンピックの聖火を採火するヘラの神殿、古代オリンピックが開催されたオリンピックスタジアムなどなど、広大な敷地に遺跡がところ狭しとあり、見所満載。
 スルーガイドさんによる1時間の説明のあと、30分のフリータイムで、見たいところに再び行くのも時間との競争で非常に忙しかった。もう少し時間が欲しい気もするけど、時間があったらあったで、それでも足りないと感じるのかもしれない。
 ヘラの神殿前では、聖火の採火のポーズを取ったりしてオリンピアにいる気分を楽しんだ。
ヘラの神殿

古代オリンピックスタジアム

 古代オリンピックは男性のみ出場可で、男性であることを証明するために裸で競技をしたそうだ。
 このオリンピックスタジアムには、当時のスタートラインとゴールライン(両方とも白い石が埋め込まれている)が残されており、スタートラインからゴールラインまで走ってみた。(^^)v
 オリンピア遺跡近くのレストランで昼食。パトラスでワインのテイスティングをしたのが15時過ぎで、それからフェリーに乗り、デルフィ郊外のイテラのホテルに到着したのが19時15分。忙しい1日だった。
 この当時、工事中で橋げたしかなかったペロポネソス半島と大陸を繋ぐ橋は2005年現在、既に完成しているので、フェリーを使わずに橋で海峡を渡れて、楽になっていることだろう。



イテラ → デルフィ → カランバカ  カランバカ泊

 昨日の午後から晴れてきて、本日、快晴。快晴の中、デルフィ博物館と遺跡観光(世界遺産)。

 まずは博物館でかる〜く出土品を見て&説明を受けてから遺跡へ。

 遺跡に青い空がはえてとても絵になる風景。丘を登っている最中に暑くてセーターを脱いでしまった。木陰に入ると涼しいのだけど、直射日光は強烈。青空の下での観光に大満足。

デルフィ遺跡

アポロンの神殿

劇場
 デルフィの神託を受けるには付近の街で滞在し、さらにデルフィでも何日も待たされてから、ありがたいご神託をいただけたのだそうだ。
 つまり、その間滞在したところで、訪問者の訪問目的、情報、状況などを入手、整理、分析したのち、「神託」が告げられたとは、スルーガイドさんの説明。今も昔も情報戦ということか。

へその石
 世界の中心と考えられていた「へその石」が置かれていた場所。オリジナルはデルフィ博物館に置かれている。

 デルフィ博物館横の郵便局で切手を2枚買ったら、当時、流通間もないユーロでの計算に窓口のおじさんがまごまご。もう慣れたかな。
 午後はメテオラの麓の街カランバカまで移動。ギリシアは高速道路が2路線しかないとかで(当時/今は?)、移動に時間がかかる。
 カランバカからメテオラの修道院まではもう少し離れているかと思っていたのに、ホテルの前からメテオラの修道院が崖の上に見えてビックリ。

 今回のツアーは、遺跡や博物館での一通りのガイドさんの説明のあと、集合時間と集合場所を決めて、自由見学しながら戻るのがパターンで、わずかな時間ながらそれがたいへん貴重だった。

アテナの聖域



カランバカ → メテオラ→ アテネ  アテネ泊

 快晴の中、メテオラの修道院(世界遺産)観光。

 修道院のうち、ルサヌー修道院とメテオメテオロン修道院に立ち寄り、内部見学。ギリシア正教会の教会内部を見学するのは初めて。
 女性は修道院見学時はスカート着用が義務付けられており、自前のスカートを用意していなくとも、修道院にウエストがゴムのスカートが用意されており、Gパン、ズボンの上にスカートを着用する、メテオラ式と呼ばれるスタイルの出来上がり。

 内部は修道院ということもあり、簡素な作りだが、世界遺産に登録されたあと修復工事が急ピッチで進んだそうで、侘びさびがなくなり小奇麗になっている感じがしてちょっと寂しい気がする。とはいえ、初めて訪れた場所なんだけど・・・。

ルスヌー修道院

ヴァルラーヌ修道院

アギオス・ステファノス修道院
 内部見学後、3ヵ所で写真撮影のためバスストップ。これは予想外の嬉しいことで、晴天のもと、よい写真が撮れたような気がする。

 修道院を巡る中、ヤギさんの群れに遭遇。メテオラの岩肌に張り付いて成長する木々の葉や草をばくばく食べている。

アギオス・ニコラウス修道院
 メテオラのレストランで昼食。ここは味が薄くて前菜、メイン、デザートともおいしく、特にデザートの焼きりんごには大満足。(*^^*)

 この日は、高速道路を使用してアテネに向ってひたすら南下。夕食の席で、ツアーの皆さんとご一緒に「鳩ぽっぽ」独唱者のお誕生日をお祝いした。「鳩ぽっぽ」独唱者は、再び「鳩ぽっぽ」を歌いだしそうなくらいスーパーにこにこしていた。








アテネ → チューリッヒ → 成田空港

 帰りの日は朝が早い。夜も明けきらぬうちにホテル出発。朝食はホテルのレストランは営業しておらず、パン、ジュース、チーズ、ハム、ゆで卵、ビスケット類がパックされたブッレックファースト弁当ボックス。
 到底、食欲がわかず、かといってどこかで別れを告げるわけにもいかずに持ったままアテネからチューリッヒ行きの飛行機に搭乗。

 ギリシアに別れを告げて、空路、チューリッヒを経由して成田空港へ向う。
 ……はずだったが、チューリッヒ空港で成田への飛行機の乗継の時間が6時間弱あるので、一旦、空港の外に出て、電車、トラムを乗り継ぎ、チューリッヒ湖畔へ行き、そこで集合場所と集合時間を決めて一旦解散。

チューリッヒ湖畔

チューリッヒ湖畔
 湖畔のベンチに座り、時刻的にすっかり朝昼兼用となったブレックファースト弁当ボックスを食べる。
 空港内など屋内では食べる気になれなかった弁当ボックスも湖畔の清々しい空気と光の下ではおいしく食べられるから不思議。(*^^*)
 空港で、弁当ボックスに別れを告げた一部の方々からはぶ〜ふ〜う〜の声も聞こえたが…。
 湖畔でのほほんとしていると、スイスいいなぁなどと思う。

 チューリッヒ湖畔から、集合場所である最初にトラムに乗車した場所までは、ぶらぶら散策しながら20分程。食後の散策兼ウィンドーショッピングを楽しむ。


 おまけのチューリッヒ散策を満喫してリフレッシュして、一路、成田へ。