エジプト

スフィンクス → ルクソール




労働者の村発掘現場見学 → スフィンクス → ルクソール  ルクソール泊

 更に天候不順(あくまでエジプト流)になり、抜けるほどの晴天。

 まずは午前中、労働者の村の発掘現場で発掘体験2日目。現場に行くと昨日よりもかなり砂がかき分けられ、お墓の頭が砂の上に顔を現していた。


 ↓ の写真で一目瞭然なとおり、1日にしてこの高さに匹敵する砂がどけられていたのだ。
 発掘現場で実際に作業されているエジプト人さんは、親方を中心に編成された一団。
 発掘作業員さんは徒弟制で、親方さんには親方さんの後継者しかなれない仕組み。

 今回、お目にかかったグループは親方さん中心にそのお子さん数人とお弟子さんで合計10人前後。
 力仕事は若者メイン、大切なところで親方さんが出動する。
発掘に携わるエジプト人さんグループの親方さん
シャベルでざっと砂をかき分ける

はけで丁寧に砂をどける

 親方さんの見本の元、お墓の形を損ねてはいけないとばかりに、はけで丁寧に形をなぞっていたら、親方さんにシャベルでざっと成形されてしまい、ショック!(:_;)

 おやつのチャイをいただき、全員で集合写真を撮って、発掘体験終了。
 発掘現場の皆さま、お邪魔をしました。ありがとうございました。m(_ _)m




スフィンクスとカフラー王のピラミッド
 発掘体験終了後、スフィンクス見学。エジプト考古学庁の許可をいただいて、スフィンクスのすぐ近くまで近寄って見学させていただいた。
 テラス越しでは気づかないところまで、見られて感激。ここまで近くで見られると思っていなかったので感謝です。

 スフィンクスとピラミッドのバックには青空が似合う。晴れていると写真写りも格段によい。

 スフィンクスに近寄って見ると、ナポレオンによって破壊された鼻が痛々しい。ナポレオンも罪なことをしたものだ。
 スフィンクスの周りを1周してみると、両足、お尻の部分は修復したのか、とても綺麗な状態だった。 ↑ の写真の前足部分参照。
 スフィンクスのお尻の部分には穴が開いていて中が覗けた。何故、この穴が開けられたのか、あぶちゃんに訊いてみたが、不明とのことだった。

 スフィンクス見学後、カイロ市内のラムセス・ヒルトンでエジプトの中華料理の昼食。エジプトでは宗教的に豚を食さないので、酢豚ならぬ酢鳥になっていた。え〜っと。エジプト料理よりも私的には食べられるような気がする。

 昼食後、カイロ空港からルクソールへのフライト。国内線なのに成田からのフライトと同様に2回もX線検査があったのに驚いた。まだまだアメリカ同時多発テロの影響が濃いときだったからか。

 連日の発掘体験の疲れが出たのか、バス・飛行機ともに爆睡。ちょっと足元がフラフラしてあやしくなってきた。

スフィンクス

ルクソールのナイル河に係留される観光船

 ルクソール空港からホテルへの道をバスで走っていると、「パリダカの自動車だ!」の声がバスの中であがる。
 この時期、ルクソールがパリ・ダカールラリーのコースになっていたらしく(帰国してから自動車好きの友人に教えてもらった)、実際のラリー中ではなかったようだが、ラリーに参戦している自動車とすれ違ったようだ。私は残念ながら、どの自動車か判別できなかったけれど、えむちゃんは判ったらしく、大喜びしていた。

 ルクソールに船が停泊できる箇所が限られているため、ナイル河の観光船は河岸から何艘も岸から河側に向って連なって停泊している。
 ←のとおり、3重、4重は普通。観光船の乗客は岸に向って隣の船から船へと船を移り渡って行くことになる。

 空港からホテルへの道の周りはナイル河畔のせいか、いわゆる日本人が想像する「砂漠」な感じはせず、草木が散見される箇所が多々あった。

 ルクソールのホテルはナイル河の中洲にあるコテージ風なホテル。ホテルまでは橋を渡って行く。レストランやフロントのあるメインの建物から小道を辿ってそれぞれのコテージに行く。コテージは平屋で円形に近い16角形くらい(?)の建物。
 コテージから夕食へレストランへ行くときはそろそろ肌寒くなり、ジャケットが必要なほどだった。コテージ風は作りとして雰囲気があっていいけど、こういうときに少々不便。
 夕食後、添乗員さんが星座の説明をしてくれたけれど、寒くて早々に部屋に引き上げた。添乗員さん、ごめんなさい。m(_ _)m