ズダァァン!!
 大きな音が板張りの床から振動と共に響き渡る。
 音の発信源は一人の少年。彼は痛そうに、少し悔しそうに顔を歪めた。
「っ――――、やっぱ駄目か……!」
「当たり前です。今のは踏み込みが甘すぎた。不意打ちのかけ方は良いですが、シロウの身体能力ではその後の攻撃についてこられない」
 指南役の金髪の少女は、一片の情けもかけず事実だけを言う。元より彼女の教え方はスパルタだ。ここで情けなどかけても戦場に出て役には立たないと知っているからだ。
 士郎はブツブツと呟きながら立ち上がる。それを確認して、セイバーは竹刀を壁に立てかけた。
「今日はここまでにしましょう。そろそろ凛に魔術を教えてもらう時間では?」
「あっ、そうだった! ヤバい、行ってくるな!」
 礼もそこそこに士郎は道場から飛び出してゆく。この後に何も用事がないなら無礼を咎めてもいいのだが、彼のもう一人の師匠はセイバーと同じぐらい厳しい。なので大目に見ることにした。
 二本の竹刀を片付けて、道場を出る。夜の冷気が動いた体には心地よい。空には大きな満月がかかっていた。
 庭を突っ切り、屋敷に入ろうとして、
「セイバーちゃん、お疲れ〜」
 縁側に座っていた人物に声をかけられた。
 ひらひらと手を振り、彼女を縁側へと誘う相手に、セイバーも答えを返す。
「大河。どうしたのですか、こんなところで」
「んー、お月見、かな?」
 見れば大河の傍らにはポットと急須、湯飲みにお茶菓子まで完備している。居間のお茶セットをそのまま持ってきたようだ。
 セイバーが並んで縁側に腰を下ろすと、もうひとつあった湯飲みにお茶が注がれる。
 勧められるままに、セイバーはお茶に口をつけた。
 動いた後なので体は冷えていなかったけれど、温かいお茶とたちのぼる香りは心を落ち着かせてくれる。
「それにしても大河。このような寒いところで月見などせずとも良いのでは?」
 もう長い時間外にいるのが快適とは呼べない季節だ。
「でもほら、障子閉めてたらお月見はできないじゃない」
 しかし相手は頓着しないらしい。お茶請けのどら焼きに手を伸ばしている。もちろんセイバーも遠慮しないでいただくことにした。
 二人並んでお茶をすする。
 ――――家のどこかで、バタバタと音がした。
「士郎ってば走り回ってるー。わたしが走ると走るなって怒るくせに」
「シロウは凛に勉強を教わりに行ったのです。凛は時間に遅れるとうるさいですから、あんなに急いでいるのでしょう」
「そっか。士郎がんばってるんだ」
 うんうん、と大河は大きく頷く。考えてみれば、この人とふたりきりになるのもずいぶん久しぶりだった。
 いつもは傍に士郎がいたりイリヤがいたり桜がいたり。主に相手の衛宮家での行動が、居間でゴロゴロしているから、なのだけど。
 大河は手にしたどら焼きを食べ終えて、口を開いた。
「ねえセイバーちゃん」
「はい? なんですか大河」
「セイバーちゃんがよく鍛えてるみたいだけど、士郎、強くなった?」
「そうですね。ずいぶん上達しました。お世辞ではなくそう思います。
 状況にもよりますが、私と打ち合って一本取ることも、じきに夢ではなくなるでしょう」
 元から体を鍛えていた彼だ。セイバーは技を教えてやることが基本だった。
 しかも士郎は次第に独自の戦法も考えはじめている。さらに身体能力を上げることで、彼はもっと強くなれるだろう。
 経験も彼女との訓練で着実に積んでいる。士郎は少しずつ確実に強くなっているのだ。
「そっかあ…………」
 大河は空を見上げた。つられてセイバーも空を見る。
 頭上には大きな白い月が、明るい月光を投げかけていた。
 ――――ふと、かつてこんな月を見たような気がした。
「ところでさ、お願いがあるんだけど」
「あ、はい。なんでしょう」
「わたしと手合わせしてくれない? 久々にセイバーちゃんと戦ってみたいの」
 突然、大河は屈託のない笑顔で、おかしな事を言い出した。



「それにしても、何故とつぜん手合わせなのです?」
「えー、だってセイバーちゃんいっつも士郎とばっかり手合わせしてるんだもん。たまにはわたしとだってやってくれてもいいじゃない」
 ぷっくり拗ねる様子の大河に、セイバーは内心首をかしげた。
 彼女の気紛れはいつものことだが、なぜこんなことを言い出したものやら。
 それでも青眼に構えて真剣な目をする大河に、セイバーの思考もクリアになった。
 相手が手合わせを求めてきている。ならばこちらも本気でそれに応えるのみ。
「いくわよっ!」
「来なさいっ!」
 咆吼する虎と獅子。真っ直ぐ向かってきた大河に対して、セイバーはわずかに体を右へ動かして――
 パァァン!
 竹刀と竹刀がぶつかる高い音が響いた。
 その瞬間には、もう大河の手に竹刀はなくなっている。
 セイバーは自身の竹刀を絡めるように相手の竹刀へ沿わせ、横から思い切りたたくことで相手の竹刀を弾いたのだ。
「あ――――――」
 気の抜けた大河の声。呆然とセイバーの竹刀と、何もない自分の手を見つめてから。
 あちゃあ、と苦笑いをした。
「あーあ、また負けちゃった。やっぱり強いわセイバーちゃん」
「そう悲観することはない。大河とて、一般人としてはかなりのものです」
「うわ、なんか負けたのにそう言われると嬉しいというか悔しいというか」
 けれど大河の表情に悔しさはない。彼女はそういうものを後に引きずらない人なのだ。
 だが。
「――――ねえ、セイバーちゃん」
 ふいに声に真剣味が増した。
「……なんでしょう、大河」
「やっぱりわたし、もう士郎より弱い?」
「――――それは――――」
 なんと答えたものか。
 YesかNoか、なら答えは簡単だ。しかし正直に答えていいものか。
 セイバーはわずかに迷うが。
 大河はとたん、へにゃらっと顔から力を抜き、
「そっかそっかあ。やっぱりねー。士郎も強くなったんだあ」
 あっさりと、セイバーの本音を見破った。
「た、大河?」
「しょうがないよね。士郎は毎日がんばってるし。男の子だし。目標があるし」
 あっけらかんとした彼女の様子に、セイバーは拍子抜けした。ずっと成長を見守ってきた弟分がいつの間にか自分の実力を追い抜いていたと知ったら、彼女は落胆すると思ったのだ。しかし大河にそんなそぶりは微塵もなく、うんうんと頷いている。
 さっきと同じ場所に竹刀を立てかけ、道場の床にどっかり座りこむ大河。再度の『横へ座れ』のお誘いに、セイバーは素直にうなずく。
 今夜の月のようにまん丸などら焼きをセイバーへ渡しながら、大河は口を開いた。
「セイバーちゃんは、士郎がどうしてあんなに強くなろうとしてるか知ってる?」
「え――――ええ、まあ…………」
「あ、セイバーちゃんも切嗣さんを知ってるもんね。そりゃ話してても不思議はないか」
 彼が強くなろうとするその理由。
 正義の味方。
 かつて彼を地獄から救い出した背中を、今も追い続ける少年。
「士郎ってば昔は、こーんなにちっちゃいガキんちょだったのよ。それがいつのまにか、わたしより大きくなっちゃって」
「大河……今指し示した背丈では、シロウは赤ん坊より小さな小人になってしまいます」
「あはは、そうかな? でもね、それくらい小さく見えたのよ。
 夜も怖い夢見て落ち込んだりしてね」
「――――――」
 知らずセイバーの表情が硬くなる。
 士郎の見る怖い夢。
 最初に連想されるものは。
 炎に包まれた、この世の地獄。
 いきなり言葉を切ったセイバーに、大河は思うところがあったようだ。
「――そっか。知ってるんだ」
「っ!?」
「士郎ってば、そこまでセイバーちゃんのこと信用してるのね。お姉ちゃんはちょっと嬉しい」
「あ、いえ、これはその……!」
 今日の大河はなんだかヘンだ。
 普段の日溜まりで眠る虎のような鈍重さは失せ、周囲のどんな小さな変化も見逃さない野性の虎のよう。
 先程士郎と大河の剣に関する本音を見破られたときのように、セイバーが士郎の悪夢を知っていることを、すでに疑ってすらいないのは明白だった。
 しかしそれは本来、セイバーの与り知らぬところでなければならない。
 聖杯戦争時分、マスターである彼の記憶を見てしまったがゆえの知識なのだ。
 たしかに士郎自身の口から、彼が十年前の被害者であることは聞いている。あれだけの火事だったのだ、どれだけの惨状になったか、彼の記憶を見なくても予想はついた。
 けれどそんな想像は。実際の光景を見た彼に比べれば、十分の一にも満たなくて。
 いくつもの戦場を駆け抜け、血と死体を見てきた彼女にしてみても、足がすくんで動けなくなるぐらいの恐怖。かの記憶を見たとき、胸を占めた感情はそれだった。
 ましてその頃の夢を彼が見ているなど、実際には話してもらったこともないわけで。
「んー。昔は夢を見た次の日がけっこう大変でね。なんかいつもと雰囲気違うからすぐわかったかな」
「……そんな事が……」
 それはそうだろう。まだ十にもならぬ子供があれだけの光景を見てしまっては。
 あの火事は十年前の一時だけではない。その後も彼を苛み続けたのだ。
「でもそれも、いつの間にかなくなってきて。――切嗣さんとセイバーちゃんのおかげよね」
「――――え?」
 知らず伏せていた顔を上げる。
 セイバーの視線の先で、大河はにこにこと笑っていた。
「切嗣さんの背中を追うようになってから、士郎ってばずいぶん強くなったのよ。それまでボーッとした子だったのに、正義の味方になるんだーって。
 最近はセイバーちゃんと一緒にいるようになって、もっと元気になったみたいだし。目標に向けて頑張ってるし」
「いえ、それは」
 それは違う。彼が剣や魔術の修行を本格的にするようになったのは、聖杯戦争がきっかけだ。
 決して自分が理由などでは――
「えー? だって士郎ってば、セイバーちゃんと一緒にいると楽しそうなのに?」
「楽しそう……?」
「うん。前より笑うようになったかな。セイバーちゃんがごはんおいしそうに食べてると、なんか幸せーって顔してるし。なんだかお母さんみたい」
「………………」
「おりょ? もしかして、わたしの言うこと信じらんない?」
「――――――いいえ」
 誰よりも長く彼を見続けてきた大河がそう言うのならば。
 疑う理由がどこにあろうか。
「貴女の言うことを信じます。大河」
「よしよし。素直でいい子ねーセイバーちゃん。こんな子がいてくれるなら、ちょっとは安心かな」
「は? なんのことでしょう?」
 思わず聞き返すセイバーに即答せず、大河はふと表情を消して、道場の窓から空を見上げた。
 深い闇色の空を大きく切り取る満月が、ここからはよく見える。
「こんな月を見てるとね、なんでか思い出すんだ。切嗣さんのこと」
 ――――ああ、思い出した。
 たしかこんな月夜だった。衛宮切嗣が士郎と別れを告げた晩は。
 いくつか士郎の記憶を垣間見た中で、あの晩は月と切嗣の横顔が、いやに鮮明だったのを憶えている。
 けれど、たしかこの女性は。
 あのとき、側にいなかったはずなのに。
 そっと横にいる大河の表情を伺う。
 あの晩と同じ大きな満月。隣には別の人と別の表情。
 残念ながら大河が何を思っているかは、彼女と切嗣の関係を知らないセイバーにはわからなかった。
「士郎はねー。切嗣さんが大好きだったから。きっと同じように、外国に行っちゃうと思うんだ」
「…………ですが、それは何も」
「うん。別に帰ってこないわけじゃないし。士郎からも、絶対帰ってくるって約束してもらったしね」
 いたずらっぽく笑う大河の顔は、なぜか逆に普段よりも年相応に見える。
「士郎はいい子だもの。絶対帰ってくるのはわかってるのよ。
 ――でもね。帰ってきても、いなくなっちゃうことってあると思わない?」
「――――――――」
「切嗣さんもね。『きっと帰ってくる』っていつも言ってて。ちゃんと帰ってきてくれたけど、そしたら外国じゃないとこへ行っちゃったし」
 そっと大河が抱えた膝を引き寄せる。顔の笑みはいたずらっぽいものから苦笑へと変わっていた。
 本人は気づいていないのか、滅多に見せない表情をセイバーへと向ける。
「だから、この家にいるのがわたしだけじゃ士郎も帰ってこなくなっちゃうかもしれないけど、セイバーちゃんもいるなら帰ってくるんじゃないかなーって」
「…………大河…………」
 普段はおくびにも出さないし、彼女自身考えもしないのだろうけど。
 それはおそらく、切嗣を見送った彼女なりの予感だったのだ。
 事実ある平行世界では彼女の予感は当たり、士郎は人を助けて命を落とすばかりか、守護者にまでなっている。
 ……何度も繰り返すが。
 十年間という最も長い時間士郎を見てきたのは、切嗣でも誰でもない。大河なのだ。
「――――残念ながら、それは違います。大河」
「へっ? そのココロは?」
「私がいてもいなくても、きっとシロウはこの家に帰ろうと全力を尽くす。貴女が待っていてくれる限り」
「そ、そうかな?」
「ええ。必ず。
 先程大河は、シロウが元気になったのは私と切嗣のおかげだと言いました。
 けれど私の目から見れば、シロウが真っ直ぐ成長したのは大河のおかげだと思います」
 明るくて、元気が良くて、嘘をつかない姉貴分。
 それは間違いなく士郎にとって、プラスに働いていたはずだ。
「あと私がここにいれば、という考え方も違います。
 私はシロウが自分の身を守れるようにと剣を教えている。しかしいざシロウが危険な場へ赴くのならば、私はどこへでもついていく所存です。
 この身は何があろうとも、シロウの剣になると誓ったのですから」
「セイバーちゃんも一緒に?」
「はい。必ずシロウをこの家へ帰してみせます」
 彼が誰よりもこの家を愛していることを、セイバーはよく知っている。
 士郎は誰かの日常が脅かされるのを嫌って、非日常へ身を投じる。けれどそれは誰かの日常を守るため。
 この世の誰よりも、一番日常を愛しているのは彼なのだ。
 殺し殺され、命を賭けるのが当然の魔術師の世界。この家に集う面々は、結局のところ好むと好まざるとに関わらずそういう一面をもっている。
 その中で唯一そんな世界と関わりを持たない藤村大河。この家の日常である彼女。十年前から、彼女がいることが士郎の守るべき日常の象徴。
 ならばこの人の元へ士郎を帰らせるのが、彼の剣である自分の務めだろう。
「そっかー。なら安心ね!」
 にぱっと大河の顔が明るい笑顔になる。いつもの天真爛漫さが戻ってくる。
 大河はもむっと口の中に残りのどら焼きを押し込み、わずか4秒で咀嚼嚥下すると、
「でも士郎があんまり情けない帰り方をしてきたら気分悪いしなー。セイバーちゃん、わたしにも少し稽古つけてちょうだい」
「はあ、構いませんが……どうして今の流れでそうなるのでしょう?」
「士郎が泣いて帰ってきたら、この根性なしーって叩きのめしてやらなきゃ。その時わたしが士郎より弱かったらカッコつかないでしょ」
「……わかりました。なんとなくですが」
 いや本当は全然わからない。ただ彼女の意気込みだけは見て取れた。
「ふっふっふ、覚悟するのねセイバーちゃん。その時はセイバーちゃんもオシオキの対象なのだ」
「なっ!? わ、私もですか?」
「そーよ。士郎と一緒に行って、一緒に帰ってくるんでしょ?
 なら二人そろって景気悪い顔して帰ってきたら、二人そろってオシオキに決まってるじゃない。
 そんなわけでセイバーちゃんより強くなりたく、修行するつもりでいるのだ」
「むむ……目標が私では手を抜けませんね。いいでしょう、早速稽古を始めます」
 お茶セットを避難させ、二人は竹刀を手に取る。
 大きな大きな満月が、いつまでも響く竹刀の音を聞いていた。






 よそさまの藤ねえSSを読んで、いきなり書きたくなった藤ねえの話。
 でもうちはセイバー抜きでは書けない(笑)んで、二人セット。おねーちゃん二人。(嘘)
 Fateルート13日目夜に、セイバーが「切嗣の変わり様に驚いた」って言ってるから、たぶん聖杯戦争中かなり士郎の記憶をセイバーは夢に見てるはずでって独自設定。少なくとも切嗣臨終シーンぐらい知ってるでしょう。ところでうちの藤ねえは、聖杯戦争とかサーヴァントとか知ってるのか知らないのかどっちなんだ。臨機応変ってコトバはステキよね(殴)
 士郎ってばこんなに思われて幸せ者ですよねえ。でも自分がどんなに幸せかとか愛されてるかとかはそのときには気づかないものと忍センパイも言ってますし。(ところで最近すかちゃんのカラー絵と士郎の見分けがつかないのはジブンだけですか)
 ちなみにシリアス口調な藤ねえにするのはカンタンすぎるので普段の口調でどれだけシリアスっぽくできるかなぜか挑戦。見事失敗。セイバーや凛はとても好きですが、藤ねえは全く別の意味でやっぱり好きです。うーんうまく言えないなこの感覚。でも口調は未だ掴み切れてません(滅)




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