天高く馬肥ゆる秋。
 秋晴れの空は青く、高く、吸い込まれそうなほど大きい。
 こんな日は家に閉じこもっているのがもったいなく感じられる。
 というわけで。
「ツーリングに行かないか? セイバー」
「はあ……。つーりんぐ、ですか?」
 外出に誘ってみたら、セイバーに変な顔をされた。……まあツーリングなんて言葉、セイバーは知らないのかもしれない。デートも知らなかったんだから当然か。
「バイクに乗ってどこか行かないか、ってこと。セイバー、行動範囲が深山町か新都ばっかりだろ。たまには別の場所に出かけるのもいいんじゃないかと思ってさ」
「ばいく、とは、たしか大河が普段学校へ行くときに使用しているあれですか?」
「そう、あんな感じの。でも今回使うのはもうちょっと大きなヤツ」
 先日新しいバイクを買ったライガじーさんから、お下がりのバイクをもらったのだ。藤ねえに見せると交換という名目で取り上げられるので、こっそりカバーをかけて隠してある。
 セイバーと二人で外に出て、奥の方から400ccの中型バイクを引っ張り出す。二人乗りをするのはさすがに初めてだが、何時間も乗るわけじゃないから、まあなんとかなるだろう。
「シロウ。以前大河が、これに乗るためには技術が必要だと言っていました。シロウはこれに乗れるのですか?」
「ああ。ライダーに教えてもらったんだ」
「……ライダーに……?」
 セイバーの声のトーンが落ちる。
 同時に湧き上がる不吉な気配。
 寒くなった背筋をおさえながらおそるおそるセイバーの方を振り向くと、なぜかやたら不機嫌そうなセイバーさんが、上目遣いにこちらを睨みつけている。
 ……普段拗ねたように睨まれるとむしろ可愛い上目遣いが、こうも恐怖を煽るのはなぜだろう。
「なぜよりによってライダーなのです? たしかに彼女の騎乗スキルはAですが、教えを乞うのならば他にもいるではありませんか」
「あー、その……バイクのレンタル料の代わり、ってこと、なんだ、けど――――」
 ヘビに睨まれたカエル。そんなことわざを思い出しながら、なんとか言葉をノドの奥から絞り出した。
 ライダーは前から、俺の3台ある自転車のうち、最も手をかけた一号車を乗り回してみたい、という気持ちを抱いているようだった。しかし衛宮家にバイクがやってきたのを見つけると、同じぐらいこのハイスピードな乗り物に乗ってみたいと思うようになったらしい。ペガサスの方がよっぽどスピードあると思うんだけど。
 そのうちライダーからぜひ乗せてくれと頼み込まれ、一号車のことで色好い返事を出していない俺には、断る術が見当たらなかった。その代価としてライダーに乗り方を教えてもらった、というわけである。
 ちなみにライダーは今でも、週に一、二度のペースでバイクを借りに来る。一度なんて学校まで桜を迎えに来たことがあって、大騒ぎになった。後藤くんが『校門の前にバイクで乗りつけたものすごい美人がいるでござるよー!』なんて叫ぶもんだから、クラス中の人の視線が窓から校門へ釘付けになったっけ。さすがライダー、かつて女神もその美しさに嫉妬したゴルゴン三姉妹の一人だ。
 …………はて、そういえばあの時、誰かの『わたし、衛宮クンがあの人と一緒にいるの見たことある!』って声がして、男子一同に囲まれた覚えがあるんだが……今考えると、あれは遠坂の声だったような…………。
 閑話休題。ともかく運転を教わったのはそんなわけで。
「む。本心を言えば、ライダーに教わった技術でシロウに運転などしてほしくありません。私が代わりに運転したいところですが――――」
「頼むから俺にさせてくれ、セイバー。男には見栄とかプライドとか、つまんないものがあるんだ」
 女の子との二人乗りで、男の方が後ろにくっついてるなんて、あまりにもミジメすぎる。
 後ろにザブトンをくくりつけて、セイバーを乗せる。見た目ははっきり言って良くないが、後ろに座る人が痛くない方法としては一番手っ取り早い。
 バイクと同じくお下がりでもらったフルフェイスのヘルメットを二つ出してきて、セイバーにも被ってもらった。これで準備完了。
 何度か乗ったことはあるから、運転の心配はない。俺はバイクにまたがり――――
「うっ――――!?」
 予想外の事態が起こったことを知った。
「どうかしましたかシロウ?」
 同じように後部へまたがったセイバーが不思議そうにしている。彼女は俺の腰に手を回しており――――その、なんていうか、背中全体の間近で彼女の存在を感じてしまうというか――――
「シロウ。私も準備ができました。出発して構いません」
「あ、ああ…………ぅぅ…………」
 と、特に、ケンコー骨のわずか下。セイバーの、小振りながらも確かに他の場所より突出している場所が…………!
「シロウ?」
「――――――――はっ!?」
 再び声をかけられて我に返った。セイバーの声は不審を通り越して心配そうになっている。
「本当にどうしたのです? 気分でも悪いのですか?」
「いやいやいやいや、なんでもないっっっ! 行くぞっっ!」
 背後のセイバーを意識しないように、なんとか出発させる。
 集中力のカケラもないような状態だが、運転をミスするわけにはいかない。
 以前ライダーにも言われたものだ。
 『――貴方がもし他の人を後ろに乗せるのなら、その人の命も貴方が負っているのだということを、決して忘れないでください』
 ……そういえばそうだった。今、俺の後ろにはセイバーがいて、俺に命を預けてるんだ。
 さっきの「意識しない」というのと矛盾するようだが、これくらい自分に心掛けないと、背中の感触に負けてしまう。
 ライダーの言う事は正しいと心に刻み込み、使命感で煩悩を振り払って、アクセルを大きく踏み込んだ。




 川沿いの堤防をひたすら走る。
 深山町と新都の境目は橋ということになっているが、正確には橋のあるところ当然川がある。この川が両者を区切る本当の境目だ。
 下流に行くとすぐ海になってしまうので、この町からだと上流へ向かう形になる。電車の線路は川を臨むように走っており、普通はこっち方面へ行くのならば電車を利用するのが一般的だ。
 しかし俺の考えている目的地は、隣の駅とさらにもうひとつ隣の駅の間にあるため、電車を使うには都合が悪い。もともと今回はバイクで出かけるのが目的だったので、それならそれであまり電車では行かなさそうな場所を選んでみた。
 家を出て30分弱。話に聞いていたとおり、目的地はすぐに見つかった。
 ブレーキをかけてバイクを止め、ヘルメットを脱いで景色を見渡す。
 ――――ざあ、と通り過ぎる風が、眼下の景色を揺らす。
 否、揺れているのは景色ではなく、川岸に広がる花畑。秋の到来をつげる赤とんぼがその上を飛び回っている。
「セイバー、どうだ? なかなかのもんだろ」
「はい……これはすごい」
 セイバーは目を丸くして、500メートルほど続くコスモス畑を見つめている。俺も話には聞いていたけど、実際見ると驚いた。
 一応このコスモス畑は隣の市が企画した、人為的なものらしい。しかしそうと知っていても十分すごいと思う。
 逆に、人為的なものであるからこそ、面白い一面もあるわけで。
「あ、セイバー、あれ。コスモス畑の大迷路、だってさ」
「迷路、ですか?」
「あの畑、中に入って見られるようになってるみたいだぞ。行ってみようか」
「はい、ぜひ」
 セイバーの目が興味深げに輝く。川岸に下りていくと、俺たちと同じような家族連れや友人・カップルがたくさん来ていた。
 近くで見ると結構背が高い。俺の目線と同じぐらいの身長があるコスモスは、ゆらゆらと微風にゆれている。上から見たらセイバーなんて頭がうっすら見えるか見えないかぐらいだろう。
 なるほどある意味迷路だな。俺は隣で花を見上げるセイバーを眺めながら思った。
「ちゃんと見えるか?」
「ええ。しかしこんな背の高い花は珍しい。なんという花なのですか?」
「コスモスだよ。この国では、秋の代名詞みたいな花だ」
「コスモス……なかなか可愛らしい名前ですね」
 響きが気に入ったみたいで、セイバーは何度か口の中で花の名前を繰り返す。赤白ピンク色とりどりのコスモスは、呼ばれた名前に応えるように風に揺れた。
 コスモス畑の中を二人で歩く。迷路といってもほとんど一本道で、たまに二手に分かれる程度。それも先の方でつながっているらしく、道に迷うことはなかった。たまに子供たちがすごい勢いで走り回っている。
 道を進むと、環境の違いか品種の違いか、だんだんコスモスの背が低くなってきた。今はセイバーの顔よりちょっと下ぐらいだ。この方が彼女には見やすいだろう。
 そう思って隣を見ると、案の定さっきと趣を変えたコスモスの姿に、セイバーの顔がほころんでいる。
「やっと花の顔が見えるようになりました。シロウ、この花はとても綺麗ですね」
「そうだな。こんなにたくさんの人が見に来るんだもんな」
 日曜の午後ということもあって、人出が多い。みんな今のセイバーと同じく、花を見て話したり笑ったりしていた。
 嬉しそうな彼女を見ていると、俺も嬉しくなる。
 今日は連れてきて良かったな。初めて会ったときよりも格段に笑顔の増えたセイバーを思うと本心からそう感じる。
 荒んだ時代と荒んだ戦いが、彼女から少女らしい笑顔を消していたのかもしれない。もちろんその過去を否定するわけじゃないけど。
 それでも、やはりこんなふうに彼女が笑っていられないのは、嘘だと思うのだ。
 そうこうしているうちに、迷路は終わって花畑を出てしまった。
 今度は堤防に上がり、上から見下ろす。さっきみたいにすぐ近くで見るのもいいけど、これはこれで圧巻だ。
「とても驚きました。こんなところに花畑があったなんて――」
「気に入ったか?」
「はい。とても。こんな風景が見られるとは思ってもみませんでした」
 どこか憧れを含んだ声でセイバーは言う。彼女の目は風にゆれる花畑を強く覚えるように見つめていた。
 しだいに空が赤くなってくる。赤い花の上に、赤いとんぼがたくさん飛んでいた。
 その景色を見ていて、ふいに以前この近辺に来たときのことを思い出す。
「そっか。じゃあもう一箇所回ってみるか? とっておきの場所があるんだ」






 バイクを止めて、ヘルメットを脱ぐ。
 ざあ、と風が頬を撫でた。
 目の前の草原を風が渡ってゆく。
 ただし今度の波は、一面黄金色。
 収穫を待つばかりの稲穂がまばゆい、見渡すかぎりの田園。深山町にも田んぼはあるが、ここまで広い田圃はちょっとお目にかかれない。
 俺に続いてバイクから下りたセイバーはヘルメットを取ったまま絶句している。
「こ、これは――――」
「こういうのもなかなかいいだろ?」
 一年のうち半月ほども見ることができない、豊かな実りの海。今年は豊作だ。風に吹かれて揺れる稲穂は、秋の象徴にも感じられる。
 子供の頃初めてこの光景を目にして、とてもキレイだと思った。さっきのコスモス畑と同じくらいに。
 だからセイバーも、きっと喜んで、くれる、はず――――
「…………?」
 やけに静かなお隣さんを見ると。

 ――――つう、と。
 滑り落ちる滴が、強烈に目に焼きついた。

 いくつもいくつも、澄んだ滴が彼女の白い頬をつたう。
 セイバーは――――静かに涙を流していた。
「セ、セイバー……!?」
「……………………」
 彼女の表情は変わらない。ただ、無表情な瞳から、涙だけが溢れ続ける。
 耐えているのでもなく、悲しんでいるのでもなく。セイバーはただ、泣いていた。
「セイバー! どうしたんだ!? いったい……!」
「――――あ、シロウ……。どうしました……?」
 どこか放心したように。
 慌てる俺をやっとセイバーが見てくれた。
「どうした、はこっちのセリフだっ!
 おまえ、なんで泣いたりなんか――」
「泣いてる? 私が、ですか?」
 心底不思議そうなセイバー。指を目元にあてて、ようやく自分が泣いてることに気付いたらしい。
 彼女自身も驚いたような顔で目元をこすっている。
「すみません。驚かせてしまいましたか」
「ああ、驚いた。――その、どうしたんだ? いきなり泣き出したりして」
 俺にはさっぱり理由がわからない。けれどさすがに、何かしらセイバーに思うところがあったのだということぐらいは理解できた。
 セイバーはもう一度、稲穂の海を見る。
 その瞳は遠い、俺の知らないところを見つめる瞳だった。
「――――思い出していたのです。かつてブリテンにいた頃を」
 風が吹き、黄金色の稲穂と黄金色の髪を揺らす。
「私は、こんな平原を夢見ていた。戦によって踏み荒らされた、枯れ草の黄金ではなく、一面実り豊かな黄金色の草原を、ずっと夢見ていたのです。
 血も争いもない、人々が笑いながら収穫をする、こんな黄金色の光景を」
「セイバー…………」
 ――――彼女は、長い戦乱の時代に生を受けた。
 そしてその戦乱を終わらせるために、彼女は自分を押し殺し、多くの人を殺して、戦に勝ってきたのだ。
 けれどアーサー王は、国を平定しきることができなかった。志半ばで斃れてしまった。
 彼女の行った功績は、後の人々に大きな影響を与え、勇気を与えてきたけれど。
 彼女自身は、自らの功績が起こした結果を、その目で見ることはできなかった。
 その半生を存在ごと国に捧げてきた孤独な王。
 報酬として願ったのはちっぽけなこと。争いとは正反対の場所に位置する、人々の笑顔と豊かな実りを一目見るという、ささやかな望み。
 そんなわずかな夢すら叶わなくて。
「今になって、この目でこんな風景が見られるとは思ってもみませんでした。
 それゆえに、とても嬉しく、また心苦しい。
 平和を取り戻すことのできなかった私に、この風景を見ることが許されるのか――――」
 セイバーは、もう泣いてはいなかった。
 けれど切なげに歪められたその顔は。
 さっきの泣き顔よりよほど悲しくて、寂しくて。
 気が付いたら、思いきり抱きしめていた。
「……シロウ……」
「難しいことなんか考えることない。
 セイバーは頑張ったんだ。誰よりも頑張った。だから、おまえには誰より先に、この風景を見る権利がある。
 他の誰がなんて言おうと、セイバー自身が違うって言おうと、俺が保証する。だから」
 もうあんな顔はしなくていいんだ、と。
 セイバーにわかってほしかった。
「……ありがとうございます。シロウ」
 俺の腕の中で彼女が顔を上げる。
 セイバーは、また涙を浮かべていた。
 けれど泣き笑いの彼女の顔は、さっきまでの悲しさも寂しさも感じられなかった。
 二人でまた黄金の海を見る。
 俺とセイバーが体を離した瞬間を見計らっていたかのように。
「あ――――」
 赤とんぼがセイバーの胸元にとまった。
 ピンと羽を伸ばして誇らしげにとまったその姿は。
 まるで彼女の功績を讃える勲章のような。
「認めてもらえた、みたいだな」
「そう、でしょうか」
「ああ。きっとそうさ」
「――――そうですね。きっと――――」




 夕焼けこやけで日が暮れて。
 日が落ちきって、道が暗くならないうちに帰路につくことにした。
 もちろん帰りも俺が運転し、セイバーには後ろに座ってもらうことになる。背中に当たる感触がまたも集中力を落とすが、そこは意地ってものがある。
 赤信号に引っかかり、信号待ちをしているとき、後ろから声がした。
「シロウ」
「ん? どうかしたか?」
「――また、来年も行きましょう」
「……そうだな。来年も行こう。絶対に」
 セイバーの体が一層強く背中に押しつけられる。
 俺たちの家は、もうすぐそこまで近づいていた。






 近所のコスモス畑を見に行って思いついたネタ。
 でもコスモス畑だけだとイマイチ穿ったネタにならなかったんで、稲穂の海を追加。
 うちのセイバーさんは、どこまで行っても王から離れられないんだなあと実感。ジブンがそんなセイバーさんに惚れたせいだからなんですけど。苦労かけるのう。(でも話の前半と後半で雰囲気が違うのって、未熟者の証明ですよね。なおんないなぁ……orz)
 ホントはブリテンはヨーロッパだから麦畑にしたかったんだけど、日本で一面の麦畑ってどこよ、と思ったので田んぼで妥協。
 ぼく地球読んで以来、一面の小麦畑と夕焼けは、まるで原風景のようにジブンの中に刷り込まれてます。一度見てみたいなあ。(出不精のクセに)




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