昼食を作りに居間へ入ると。
 いつもの場所に、いつもの金髪が正座していた。
 待ちきれなくて台所に近いここで待っているのだろう。通りすがりに声をかける。
「ごめんな、セイバー。昼飯これから作るかっ――――!?」
 言葉の途中で違和感に気づき、愕然となった。
 ……食卓に鎮座していた人物は、俺を警戒しながら不機嫌そうに睨み上げている。
 よく見慣れた金色の髪。よく見慣れた緑色の瞳。よく見慣れた整った顔。
 しかし服装はまったく違う。通常の白いブラウスと青いスカートではなく、その人物は武装していた。しかもセイバーならば青と白銀の鎧のはずなのに、そいつの鎧は赤と白銀。しかも、彼女を象徴するクセ毛がまったく見あたらない。
 きわめつけは。
「――――男……………………?」
 自分でもらした言葉が自分で信じられない。
 けれどたしかに、そのセイバーそっくりの人間は男に見えた。
 顔立ちは少女のようだし、きっと女装させたら男と見る人間は少ないだろう。そして鎧はセイバーそっくり。けれど体つきなのか顔の造作の微妙な違いなのか、ともかくなぜか相手は男だとわかった。
 呆然と相手を見つめている俺に、そいつはますます眉を吊り上がらせる。
「シロウ、シロウ! いませんか!!」
 家中に響くような大声にハッと我にかえる。くだんの人物が珍しく、バタバタと足音をたててこちらに走ってきた。
 セイバーはおよそいつもの彼女らしからぬ慌てっぷりで、勢いよく障子を開ける。
「シロウ、大変です! 今度はっ――――」
 そうして居間の中にいる、自分のそっくりさんを見つけて絶句した。
 同時に俺も驚く。彼女の後ろには、白銀の鎧をまとったやはり見慣れぬ黒髪の男がひとり。
 セイバーはたっぷり5秒は固まった後、ご近所迷惑確定の絶叫をあげた。
「な…………………………………………
 なぜ貴方がここにいるのです、モードレッド――――――――!!!」
 …………………………………………へ???





 というわけで。
 セイバーのそっくりさんは、モードレッドと言うらしい。
「……………………」
「――――――――」
「「「………………………………………………………………」」」
 重苦しい沈黙が居間を支配する。
 セイバーの悲鳴を聞きつけ、他の場所にいた桜とイリヤも集まってきた。
 俺と桜とイリヤの視線は、さっきからセイバーと、彼女そっくりの人物――モードレッドの間を行き来している。
 モードレッド。その名を知らぬ者は、この中に存在しないだろう。
 アーサー王と、その姉モルガンとの間にできた不義の子。そして伝説の最後で、アーサー王を裏切り死に追いやった人物。
 桜がおそるおそる、口をひらく。
「えー……と、……モードレッド、さん、なんですか……?」
「いかにも」
 どよよっっ!
 俺たち現代組三人は一斉にどよめいた。
 開かれた口からもれた声は、妙に高い。変声期前の少年ぐらい高い。つか純粋に音として判断するならセイバーよりも高い。
 思わず顔を付き合わせ、当人たちの目の前で内緒話など始めてしまう。
「……先輩。あの方、男性なんですよね……?」
「―――そのはずだ。俺の目にもそう見える」
 もっとも、今の声を聞いた時点で自信など木っ端微塵だが。
 イリヤもひそひそ話に参戦してきた。
「シロウ。聖杯戦争中に、セイバーの過去とか夢に見なかったの? モードレッドは出てこなかった?」
「あ…………そういえば…………」
 言われてみれば、たしかに。モードレッドの記憶はほとんど見なかったが、カムランの丘での一騎打ちだけは見ていたっけ。
 木っ端微塵になった自信をかき集めて断言する。
「間違いない。あれはモードレッドだ」
「じゃあモードレッドって、あんなセイバーそっくりの顔でセイバーの傍近くに仕えてたのね」
 想像する。白いカメロットの中を闊歩するセイバー。少女にしか見えない背丈、顔、そして声。それでも男だと言い張るならば、相手が主君である以上疑うことさえ許されないだろう。
 さらには同じ城の中を歩き回る、セイバーとそっくりな背丈、顔、そして彼女以上に女の子っぽい声のモードレッド。この人物もまた、自分は男であると主張する。
「…………宝塚みたいですね」
 桜の言葉が俺の心中を代弁した。
「おまけにモードレッドさんって、たしかセイバーさんの隠し子でしたよね?」
「カメロットの住人ってバカばっかりなのかしら?」
 イリヤの痛烈な一言。おいおい、それを言っちゃ―――
「はっはっは。これは手厳しい。しかしまあ、反論もできまいが。
 とはいえモードレッドは人前では決して仮面を取ろうとしなかったとか。それを円卓の騎士ならいざ知らず、他の者にも見抜けというのは酷なことであろうよ」
 窘めようとした俺の言葉を打ち消すように、輪の外から声がかかる。
 すっかり忘れていた、もう一人のストレンジャー。肩までの黒髪を揺らしながら、豪快に笑う美丈夫からのものだった。
「それなら円卓の騎士はバカ呼ばわりしてもいいのかしらって疑問は置いておいて。
 先に貴方のお名前を聞きたいわね、お兄さん? たぶん状況からして、やっぱり円卓の騎士なんでしょうけど」
「うむ。我が名はトリスタン。短い間ではあったが、円卓の騎士に名を連ねた一人だ」
「「「トリスタン!!?」」」
 またも三人の驚きが唱和する。
 トリスタンといえば、騎士ではあるが武勇伝よりも、アイルランドの王女イゾルデとの悲恋が有名な人物だ。話の内容からして、もっと儚げな性格のような気がしてたけど―――なんかイメージと違うな…………。
「ホントか? セイバー」
「!? え、ええ…………。私も驚きました、先ほどいきなり部屋にトリスタンが訪ねてきた時は」
 そりゃ驚くだろうなあ。部屋でくつろいでる時に、とつぜん死んだはずの部下が現れたら。
 などと考えていて、ようやく気がついた。セイバーのまとう雰囲気に。
 いつもは冷静沈着、静かに凛としているセイバーは、どこかピリピリと警戒している。まるで聖杯戦争中に戻ったみたいだ。
 けれどほんのわずか、彼女と長く接していなければ気づかないほどかすかに、セイバーは辛そうな顔をしている。そのため相手に対する敵意はいつもに比べずいぶん劣る。
 原因であろう、彼女の視線の先にいる人物を見て、言葉につまった。
(あ――――…………)
 セイバーはモードレッドをじっと見つめていた。モードレッドもその視線を受け止め、同じく敵意を含む視線をとばしている。もっともこちらは辛そうな顔などしていないようだが。
 桜も二人の雰囲気に気づいたらしく、おろおろとしながら俺の方を見た。しかし俺にもとても割り込める雰囲気じゃない。
 とはいえこのままじゃ二人の雰囲気は際限なく悪くなる。
 自爆覚悟で止めるしかないか、と思っていると。

 ポロロロロロン♪

 場違いな竪琴の音が聞こえ、緊迫感が一気に解けた。
「え!?」
 見ると、いつどこから取り出したのか、トリスタンが竪琴をかかえて爪弾いている。音の旋律はとても綺麗なんだが、空気というものを読んでいない。

 ポロロロロロン♪

 セイバーとモードレッドも虚を突かれた顔でトリスタンの方へ視線をやっている。
 一方トリスタンは、桜へと手を差し伸べながら、
「お嬢さん〜♪ 貴女の白い肌は、まるで我が妻たるイゾルデのように美しい〜♪」
「えええぇぇ〜!!?」
 桜の絶叫。どことなく嫌そうな響きが混じっている。
 そんな桜から、トリスタンが今度は俺の方へ向き直った。
「そして少年〜♪ お主の瞳は、まるで我が恋人たるイゾルデのように美しい〜♪」
「って俺かよ!?」
 こちらも思わず絶叫。二人の叫びをトリスタンは当然のごとく受け止めて、
「うむ。我が恋人たるイゾルデの瞳も、お主のようにぐるぐる眼だったのだ。その瞳を見ていると、かつての美しい愛を思い出す」
「だからって、女にたとえられてもなあ……」
 まったく嬉しくない。
「いいじゃないですか、先輩のぐるぐる眼は神に愛された伝説の洗脳メイドと同じ瞳ですよ? わたしなんか……白い手のイゾルデ…………ふふふふふ…………」
 桜の笑いが小さく暗くなってゆく。……正直逃げたい。
 トリスタンの人生には、イゾルデという女性が2人登場する。一人は黄金の髪のイゾルデ、もしくは単にイゾルデと呼ばれる女性だ。彼女はアイルランドの王女で、政略結婚によりトリスタンの伯父の妻となるが、その前からトリスタンと恋に落ちていた。二人は結ばれぬ純愛を貫き、しかしそれゆえに悲劇的な結末をむかえる。
 もう一人は白い手のイゾルデと呼ばれる女性。いろいろあってトリスタンと結婚するのだが、夫の心が初めから別の女性にあることに嫉妬し、ちょっとした意趣返しを行う。それが元でトリスタンは命を落としてしまうのだ。
 いろいろな見方はあるものの、一般的にトリスタンとイゾルデは美しい悲恋の主人公たちとして、白い手のイゾルデは悪女として見られることが多い。

 ポロロロロロン♪

「はて。白い肌が美しいと褒めたのに、なぜあのお嬢さんは不機嫌となったのだろう?」
 不思議そうに呟くトリスタン。
 ……あー、悪いが俺にはフォローできない。
 できないので。
「……………………。
 とりあえず、食事にしようか」
 日和ひよって逃げることにした。
 条件反射か、たった今までクスクスと薄ら寒く笑っていた桜も、ぱっと元に戻って立ち上がる。
「あ、先輩、手伝います。
 そうだ、セイバーさんも一緒にやりませんか?」
「わ、私もですか? それは問題ありませんが……」
 いつになく積極的な桜に手を引っ張られ、セイバーも驚きながら立ち上がる。
 俺も、珍しい桜の様子に首をひねった。
 彼女は、さあさあとセイバーの背中を押して台所に入り、居間の面々の姿が直接見えなくなると、
「――――せっかく息子さんがいるんですから。
 パパッと手料理でもふるまってあげてみるのもいいんじゃないでしょうか?」
「――――――――!」
 小声で囁かれた桜の言葉に、セイバーの頬がうっすら赤くなる。
 そうか。これをやらせたかったのか、桜。
 遠坂と親しく交流することで姉の影響が出てくるようになり、あまり好ましくない傾向かなあと思っていたが、こういうおせっかいなところも遠坂の影響だろう。……これならいい影響かもしれない。
 しかもにまにまと笑いながらの姉と違い、にっこり善意を前面に押し出してくるので、言われた方も断りづらい。
 セイバーも何やら逡巡しているようだったが。
「…………そうですね。頑張ってみます」
 腕まくりし、包丁を力いっぱい握りしめた。
 最初はどうなることかと思ったけど、これをきっかけに二人がなごんでくれたらいい。その未来図を予想すると心が浮き足だった。
 とりあえず俺はその成功率をあげるためにも。
 セイバーが力みすぎて料理を失敗しないようフォローに注意しようと決めるのだった。



 今日の昼食は桜の希望で洋風となった。
 なんでもパスタづくしで攻めたい、という野望があったらしく、ホワイトソースのグラタンにミートソースのペンネ、ペペロンチーノにボンゴレにラザニアと気分はイタリアン。我が家の食卓にしては珍しい……と言いたいとこだが、ここらへんのパスタは「洋食」というくくりで日本の食卓にもよく並ぶ。衛宮邸でも例外ではない。
 もちろんこれだけではボリュームに欠けるので、自家製のミートボールと人数分のサラダを用意する。おかずが少ない気もしたが、主役であるパスタが5種類もあるから充分だろう。
 ちなみにこのミートボールを作ったのが。
「こ、こうですか、桜?」
「はい、いいですよセイバーさん。それくらいの大きさに丸めてください」
 ホワイトソースをいためながら桜がセイバーの手元を覗き込んで、OKサインを出す。
 セイバーも最近は少しずつ料理を習い始めたので、この間一緒に作ったばかりのミートボールを作ってもらった。
 ミートボールを丸める手つきはまだ危なっかしいが、真剣に料理をする顔は剣の稽古や戦いの時とはまた違った緊迫感を感じさせる。まあ単に力が入りすぎてるだけなんだけど。
 …………ちなみに俺や桜が隣で見ている一番の必要性というのは、そんな彼女が暴走しないための見張り役だったりする。
 こちらでちゃっちゃかパスタを茹でている間に、セイバーはミートボールを丸め終わり、満足げに息を吐いた。
 ――――いつもは張っていた気を緩めるだけの仕草なのに、今日はいつもと違う。
 いつも以上に緊張していた糸をゆるめるための吐息。その中に、いつもはない達成感。
 思わずちらりと居間の方をうかがう。
 やはり初めての相手が気になっているのだろう。それも普通の客じゃない。なにせ相手は。
 おそらく彼女の中では緊張と期待がないまぜになっているのだと思う。
「次はたしか焼くのでしたね。シロウ、桜、ぜひ指導をお願いします」
 それでも、これだけ張り切っている彼女を見ていると、よい結果が出て欲しいと心から願わずにいられなかった。



 三人がかりで用意した昼食はいつもより短時間で準備が終わった。
 食卓は色とりどりのパスタやミートボール、サラダで埋め尽くされる。
 各人に取り皿を渡して自由に取れるようにしてもらい、食事開始のあいさつをする。
「「「いただきます」」」
 食事は、幸いにも和やかに始まった。
 内心ほっと安堵の息をもらす。セイバーもモードレッドも、一見さっきの緊迫感を引きずってはいないようだった。
 最近の食事に慣れているか不安だったトリスタンとモードレッドは問題なくフォークを操りながらパスタを口に運んでいる。メニューの選択は正解だったらしい。
 やがて。
「「「――――――!」」」
 モードレッドのフォークが、ミートボールへと伸びた。
 思わず手を止め、息を殺し、目を見開いて見守る俺達。
 その雰囲気がよほど異様だったのか。モードレッドは様子の変わった三人に気づき、たじろぐように身を引いた。
「な…………なんだ?」
「ああ。そのミートボール、セイバーが作ったんだ」
 横からずっと見ていたけど、工程はきちんとしていたし、うまく仕上がっていると思う。
 肉が嫌いという人でもないかぎりきっと満足するだろう。
 そうして桜の狙い通り、これをきっかけに少しは二人の間がほぐれてくれればいい。
 ――――そう、思っていたのに。
「………………。そうか」
 モードレッドはなぜか、伸ばしかけていたフォークを引き戻してしまう。
「どうしたんだ、食べないのか?」
 俺の当然の質問に。
 ヤツは、当然のような顔をして答えた。

「馬鹿なことを。食べられるわけがないだろう。
 ……毒でも入っていたらどうするのだ」

「なっ――――!」
 衝撃で続く言葉が思い付かない。他の面々も驚きの顔で息をのんでいる。
 こいつ、言うにこと欠いて、なんてことをっ――――!
 ハッとしてセイバーを見る。彼女は俯き、なにかに耐えるように唇を噛みしめていた。
 ――――この顔を知っている。聖杯戦争の時、赤い夕陽の中、赤い橋の上で見た。
 期待を裏切られ、失望し。それでも、泣いてはいけないのだと必死に自分へ言い聞かせる顔――――
「テメエ――――!!」
 拳を固めて立ち上がろうとした、瞬間。

 ポロロロロロン♪

 竪琴の音が、居間の凍り付いた空気をぶち壊す。

 ―――ラララ ツンデレツンデレ モードレッド〜♪
 ―――パパの手料理嬉しいくせに〜♪
 ―――素直になれないひねくれ者〜♪
 ―――だって、恥ずかしいんだもん!(セリフ)
 ―――ア〜 でもわかってね〜 嫌いなわけじゃないんだってば〜♪
 ―――だけどパパはちょっぴり寂しい〜♪
 ―――ツンデレ息子は反抗期〜♪

「「「「なんだその歌は!!!??」」」」
 とつぜんトリスタンの歌い出した歌に、全員が絶叫する。
「今の状況を歌にしてみた。なかなか名曲だろう?」
「どこがだっ!? っていうか誰がツンデレだ!!」
 モードレッドが今にも抜刀しかねないくらい怒っている。当然だろう。父親に対してツンデレな息子、なんて言われたら普通は怒る。
 というか。
「…………なあトリスタン、ツンデレってなんだよ」
「む? 少年、ツンデレを知らんのか?
 ツンデレとは、普段はツンツンとそっけない態度をとるくせに、二人っきりになったり仲良くなったりするとデレデレと甘えてくるという、ギャップがステキな―――」
「だから、なんでお前がそんな事知ってるんだよ!? ツンデレなんて言葉、まだできて10年も経ってないぞ!」
 トリスタンは、はて、と首を傾げてから両手をうって納得のポーズをしめす。
「おお、そうか。ここはブリテンからはるか離れた、極東の島国だったな。
 なるほど、この国に入ってきたのはおそらく最近だったのだろう。しかし我がブリテンでは、我々の生きていた頃のさらに百年近く前から使われている言葉で…………」
 嘘つけ。絶対信じられん。
「―――ラララ ツンデレツンデレ モードレッド〜♪」
「ええい! まだツンデレと言うかあ!!」
 トリスタンとモードレッドは言い合い―――いや、じゃれあっている。その様子を見てると、モードレッドもツンデレという言葉を理解して怒っているようだ。
 いたたまれなくなり、なんとなく隣のセイバーへと話しかける。
「……なあセイバー。ほんとに1500年前のブリテンに、ツンデレなんて言葉が存在したのか?」
「さ、さあ。私は田舎で育ちましたので、基本的な言葉しか話せませんでした。都会特有の言葉は、なんとも」
 セイバーは目をそらしていたので、その言葉が本当かどうか、確認することはできなかった。





「と、ともかく。
 十分に食事をいただいた。私はこの場を失礼させていただく」
 トリスタンとの追いかけっこで鬼より先にバテたモードレッドは、気を取り直すように居ずまいを正し、さっさと居間から出ていってしまった。
 その際も頑ななまでにセイバーを視界に映さないようにして。
 トリスタンのおかげでうやむやになってしまったが、さっきの一言はどうしても許せなかった。
「まったく、なんなんだ。たしかにセイバーと相討ちになった恨みがあるかもしれないけど、あんな言い方しなくたって――――」
 ムカムカと怒りが胸に蘇ってくる。そんな俺の熱に冷水をかけるかのごとく、冷静な声が聞こえた。
「怒ったってしょうがないわシロウ。あんな子供相手にムキになるなんて大人げないわよ」
 イリヤはお気に入りのティーカップで紅茶を飲みながら言う。その声には感情というものがなかった。
「子供ったってイリヤ。あいつはセイバーと同じぐらいの年には――――
 ………………って、あれ……?」
 セイバーと同じぐらいの年。
 そういえばセイバーは、岩の聖剣を抜いた時から成長が止まっている。たしか実年齢は概算で、20代半ばから後半になっているはずだ。
 けど逆を言えばやっと20代。あんな大きな子供がいるにしては若すぎるような――――
「やっと気づいたわね。
 そうよ。モードレッドは見た目どおりの年齢じゃないわ。成長の度合いはわたしと正反対だけど、彼の正体はわたしと同じ――――人造人間ホムンクルスよ」
 見たところ、生まれてから十年も経っていない、とイリヤは言う。
「ホムンクルス…………」
 セラやイリヤから何度か聞いたことがある。人の手によって作られた、人のようで人とは違う生命体。
 殺されるまで死なない不老不死だったり、その逆に短命だったり。色々と特徴は違うようだが――――
「そうなのか? セイバー」
 思わず聞くと、セイバーは苦虫を噛み潰したような表情で返答する。
「ええ…………私が直接関与したわけではありませんが、一因を担っているのは確かなようです。
 彼は私の息子であると同時に、モルガンによって造られたホムンクルス。
 …………私を、殺すために生まれてきた命なのです」
「なっ――――」
 殺すため、って…………。
 聖杯戦争中に夢で見たモルガンの執念は、そうとう深そうだったけど。セイバーを殺すために、わざわざ息子をつくるなんてことをしたのか。
 ――――それではこの二人の間に確執ができるのも当然だ。かたや、相手を殺すために造られた命。かたや、その相手に狙われる身。
 仲良くしようっていったって――――
「………………………………」
 セイバーは少し顔をうつむかせ、誰とも視線を合わせないようにしている。彼と会ってしまったことで、昔の苦悩が蘇ってきたみたいな。
 ……ダメだ。
 自分でもよくわからないが、これはダメだ。
 たとえどういう動機で生まれてきたにせよ、二人は親子のはずなのに。
 再会を喜び合えないなんて、俺は認めない。
 とにかく、考えるのは後だった。踵を返して居間を出る。
「――――行くの? シロウ」
「止めないでくれ、イリヤ」
「止めたりしないわ。シロウなら絶対そうするだろうって思ってたから」
 イリヤは呆れたように、けどどこか嬉しそうに笑いながら、全てを見通した上で見送ってくれた。





 セイバーとよく似た姿を探し、屋敷の中をあちこち歩き回る。
 衛宮邸の住人ならどこにいることが多いか知っているが、今日初めてこの家に来た人間がどこにいそうかなんて当たりをつけることはできない。部屋をしらみ潰しに探してゆく。
 だが本邸の和室、離れの客間と家中を見回っても、モードレッドを見つけることはできなかった。
「となると、あとは……」
 庭の隅にある土蔵と道場。まさか家から出ていったってことはないだろう。
 とりあえず庭に出て、窓から道場を覗いた。すると。
「――――――――…………」
 探し人ははたしてそこにいた。
 モードレッドは道場の真ん中に立ち尽くしている。なにを思っているのか、手ぶらで直立不動のまま。
 じっと、そこにある俺には見えない何かの残滓ざんしを見つめるように。
「――――――」
 やがて。
 相手は俺に気が付いた。彼女によく似た、けれど改めて見るとわずかに色の違う緑色の瞳が俺を射抜く。
「何か用か」
「ちょっと話ができないかと思ってさ」
 ぐるりと回って道場の中に入ると、モードレッドは特に警戒もなく見つめてきた。
 あれ、と違和感を感じる。
 さっきまでモードレッドから出されていた、ピリピリした雰囲気がない。気安く、とまではいかないが未知の人間に対する警戒心はとうにないようだった。
 ―――もしかして、ここにはセイバーがいないからなのだろうか。
 頭を振って、前途多難な想像を振り払う。モードレッドは俺のおかしな様子になど構わず、
「丁度いい。私も聞きたいことがあった。ここは何をする場所なのだ?」
「ここか? ここは道場―――鍛錬をする場所だよ」
「ほう……。ということは、貴公も鍛錬をするのか。剣か?」
「ん? ああ、まあな」
「ならば、ひとつお手合わせ願いたいな」
 モードレッドはニッと笑って、自分の腰にさした剣を軽く叩く。
 セイバーが不敵な笑い方をした時とそっくりなのに、彼女と違い、その顔は子供が友達に遊びを誘いかけるような印象を受けた。
 彼の顔があまりにも毒気を感じさせない顔だったからか、つい反射的に頷く。
「いいよ、やってやろう。あ、でも真剣はダメだぞ。そこに竹刀があるからそれにしよう」
「竹刀? ――――ああ、この模擬刀か。構わない」
 壁に立てかけてある竹刀を取り、片方をモードレッドへ。お互いに構えて――
「――――――」
 少し驚く。彼の構えはセイバーとはまるで違っていた。
 しかし考えてみたら、別にモードレッドはセイバーから剣の手ほどきを受けていたわけではない。二人の間に違いがあって当然なんだ。
 セイバー相手のつもりでいては痛い目に合う。それを認識して、改めて気合を入れ直す。
「――――ふっ!」
 モードレッドが先手を打った。……早い!
「くっ……!」
 危機を察知する直感で左に避ける。だが一度躱されたくらいではモードレッドの猛攻は怯まない。
 返す刀で今度は左から襲ってくるのを右に避けつつ、
「………そぉぉーー!」
 渾身の力で竹刀を合わせた。
 そのまま鍔迫り合いになるかと思いきや、
「はぁっ!」
 気合一閃。
 モードレッドは力づくで俺の竹刀をはじき、強引に剣先の向きを変えた。
「な――――!?」
 驚きは一瞬。
 なんとか体勢を立て直すべく、竹刀を構え直――――
「――――――!」
 せなかった。
 俺の鼻先には、すでにモードレッドの竹刀の切っ先がぴたりと押し当てられている。
「………………。
 負けた。完敗だ」
 軽く両手を上げて降参のポーズをすると、モードレッドの竹刀が引かれた。彼の顔には得意げな笑みが浮かんでいる。
 外見年齢よりかなり幼く見える表情。時に大人びた顔を見せるイリヤとは正反対だ。
 セイバーとよく似た造作というのもあるけど、こんな子供っぽい顔を見せられては憎めない。
 内心で苦笑しながらモードレッドを見ていると、彼はふいに表情を曇らせた。
「貴公の剣。……なぜか知らないが、やけに見覚えのあるものだった。誰から習った?」
 それが誰であるか薄々は気づいていながらも聞いてくるモードレッドに。
 嘘をつく理由は思い当たらなかった。
「セイバー…………アーサー王だよ」
「そうか――――王は貴公に剣を教えたのだな」
 王、と。
 自らの父を、少年はそう呼んだ。
 モードレッドの眉根が苦しげによせられる。
 男女の違いはあれど何度も見たことがあった。
 何かの感情に、必死に耐えている瞳。
「………………。貴公の父君はどんな人だった?」
「――――――――」
 見ず知らずの俺の父親の話を聞きたがるモードレッドの真意はわからない。
 けどこれは話のいいきっかけになると思った。
「……俺の父親は……」
 かいつまんで切嗣のことを話す。
 俺を助けてくれた正義の味方だったこと。
 養子の俺を我が子のように可愛がってくれたこと。
 俺が跡を継ぐと言ったら安心して眠るように逝ったこと。
 モードレッドはそれらの話を、相づちもうたず黙って聞いていた。
「――――俺と切嗣は5年しか一緒にいられなかったけど、親子っていうのはいつでも関係が作れるものだと思う。
 だから、お前だってきっと――――」
 セイバーと仲良くできるはずだ。
 そう続けたかったが、できなかった。
 悲しそうに歪むモードレッドの顔が、あの日のセイバーにふいに重なる。
 ―――涙など浮かべていないくせに、今にも泣きだしそうな寂しげな顔に。
「…………奇遇だな。私にも父がいて、その人が父親だと教わったのはずいぶん後になってからのことだった。
 私と父は最初から親子だったわけではない。後にそのことを母に教わってからだ」
 遠いどこかを見つめる瞳には、今なにが映っているのだろうか。
 はるか昔のブリテンの想い出を見つめながら、モードレッドは語る。
「私は父に認められ、父の跡を継ぎたいと頑張った。
 しかし父は自分と血が繋がっていると認めてはくれたが、一度も息子と呼んでくれたことはない。優しい言葉ひとつかけられたことはない。
 最期に父が私に言った言葉は何だと思う? 私には父の跡を継げぬ、だったのだ」

『貴公には、王としての器がないからだ』

 それが俺も見た、セイバーがモードレッドに王位を譲らなかった理由。
 ―――しかし。
「待った、それは違――――」
「貴公は父親に拾われた子供のようだが、私は違う。
 私は、父親に捨てられた子供なのだよ」



 最後の瞬間だけ、いやに厭世的で影を感じさせる顔に何も言えないまま。
 俺は言葉もなくモードレッドを見送った。
「…………くそ」
 思わず漏れた悪態は彼に対してのものか、それとも自分に対してのものか。
 わからないが、ぐちゃぐちゃな気持ちそのままに真後ろへ倒れ込んだ。板張りの道場の床がいろいろと火照った体に心地いい。
『貴公には、王としての器がないからだ』
 セイバーが昔日に発した言葉が、もう一度脳裏に蘇る。
 一見すると、後継者として実力不足の人間は認められぬという、厳しい答え。
 でも、それは本当に言葉通りの意味だったのか?
「――――あの時のセイバーに認められる人間は、もしかして」
 選定の剣を、抜ける人物。
 間違って王になってしまった自分。やり直しを求めてサーヴァントになったセイバー。
 彼女はおそらくあの頃には、すでに自らの王としての資質に疑問を持っていたはずだ。
「だったら、モードレッドに王座を譲れるわけがない」
 クローンとすら言える、自分の息子なればこそ・・・・・・・・・・
 自分と同じ轍を踏むかもしれない。そんな相手に王座を譲れば、国は同じ結末を迎える。
 やり直しを求めていたあの時の彼女にとって、それは容認できない事だっただろう。
「…………あー、くそっ」
 床から起きあがり、頭をがりがりと引っ掻く。でもそれくらいで気分は晴れてくれなかった。
 いくらセイバーが王座を譲らなかった理由が思い付いたって、今のは全部俺の推論に過ぎない。仮にそれが正しかったとしても、モードレッドにとって父親に拒絶されたという事実は変わらないのだ。
 一体どうすればセイバーとモードレッドは仲良くできるのだろう。
 いや―――本当はわかってる。俺にできることはないのだと。
 モードレッドの言ったとおりだ。俺は拾われた子供で、あいつは捨てられた子供。気持ちがわかる、と言うことすら許されない。それならもっと適任者がいるだろう。
 セイバーに対してもそうだ。俺には子供を捨てねばならない親の気持ちはわからない。
 この件に関して、俺は完全に部外者なのだ。
 でも、適任者であるとはいえ『彼女』に任せきりにすることもできなかった。なによりセイバーが大切なら、任せきりにすることなんかできっこない。
 それがわかってるのに、俺にできることが何も思いうかばないなんて――――
「これじゃ堂々巡りじゃないか……!」
 苛立って、強く拳を床に叩き付けた。
 腹が立つ。王様なんてものを完璧にこなそうとしてたせいで子供を拒絶せざるをえなかったセイバーにも。それをわかってやれないモードレッドにも。それ以上に、二人の事情がわかっていながら、どうすることもできない自分自身にも。
「……………………」
 それでも、諦めるわけにはいかないんだ。
 セイバーを守ると誓った。あいつの笑顔を守りたいと思った。
 でも俺はまだ未熟者で、実際はその誓いを果たしきれてるわけじゃない。セイバーに守られてることだってたくさんある。
 だから、俺は俺にできる精一杯で、あいつを守らないと。
 絶対に諦めない。たとえ何もできなくても、それだけが俺にできる唯一の事なのだから。





 〜interlude〜


 空の色は今にも泣きだしそうな鉛色。
 ……だったらいっそ良かったかもしれないのに、今日の空は彼女の心とは裏腹に、いやになるほど澄み渡っていた。
 こんな気分の時になんという皮肉だろう。
 セイバーの吐いた重いため息は、青い空へと吸い込まれていった。
「あら、こんなところにいたのねセイバー」
 ふいに後ろから声がしてセイバーは振り向く。
 イリヤスフィールはいつもと違った幼さを感じさせない目つきで、縁側に座る彼女を見下ろしていた。
「サクラが呼んでたわよ。そろそろお茶の時間にしましょうって」
「あ…………はい。すぐに行きます」
「別に後で来てもいいわよ。サクラは『みんなに』声をかけてたみたいだから」
 みんな。ということは。
 イリヤスフィールの言葉に魔術でもかかっていたかのように、一瞬セイバーの体が重くなった。
「――――――――」
 けれどそれとは別に、さっきから気になることがある。
 彼女の視線は、普段と比べものにならないほど酷薄だ。魔術師の目、と言ってもまだ足りない。彼女の実年齢よりなお齢を重ねた人間のする、相手を突き放した瞳。
「……………………イリヤスフィール。
 気のせいかもしれませんが、さっきから怒っていませんか?」
「気のせいよ。だって怒ってるんじゃなくて不機嫌なだけだもの」
 その両者の間にどのくらいの差異があるのだろうか。
「はあ…………。しかしなぜ?」
「なぜもなにもないわ。貴方たちを見てるとイライラするのよ」
「私たち…………」
「そ。貴女とモードレッドをね」
「――――――――」
 もちろん、見てていい気分の雰囲気でないことは察していた。けれどこう面と向かって言われると、やはりどれだけギスギスしていたのか思い知らされる。
 黙り込むセイバーを、イリヤスフィールは冷たい目で見て、
「言っとくけど。今回は絶対にセイバーの味方はできないわ。
 わたしは全面的にモードレッドの味方だから」
「…………手厳しいのですね」
「当然よ。それに、貴女は父親なんでしょう?
 セイバーは女だけど、それでもたしかに父親だった。
 なら、『子供を捨てた父親』は責任をとらなければいけないわ」
 その言葉で、遅まきながらようやく気づいた。
 イリヤスフィールにとって、『子供を捨てた父親』がどういう意味を持つのかを。
「…………イリヤスフィール…………
 貴女ならば、父親に何を望みますか? 子を捨てた父親に、どのような償いを求めますか…………?」
 彼女にこういう質問をするのは、ひどいことかもしれない。
 けれどどうしても、聞かずにはいられなかった。
 イリヤスフィールは少し黙ってセイバーを見つめる。やがて一息これみよがしにためいきをついて、腰に大きく手をやった。
「そうね――――――――
 この街に来たばかりの頃なら、「死んで」って言って殺してただろうけど。
 今ならわかるわ。わたしが本当は、なにをしてほしかったのか。シロウに教えてもらったもの」
 くるん、と柱の裏に回り、一周してまた出てくる。すでに彼女の顔は妹を見守る姉のように優しげなものとなっていた。
「セイバーだってわかってるんじゃない? どうするのが一番いいのか。自分が何をしたいのか。シロウにいっぱい教えてもらったんだから。
 わたしは、セイバーがしたいことをしてあげれば、それでいいと思うわ」
 一瞬だけ見せたその顔を出し惜しむように。
 彼女は柱を回った勢いのまま、背を向けて廊下をタッタカ駆けていってしまった。
 後には、望み通りひとつの意見をもらったのに、それでも浮かない顔をしているセイバーが残される。
「――――――――イリヤスフィール。
 私には…………それがなにより難しい…………」


 〜interlude out〜





 気分転換に買い物へ行ったり二号のチューンナップをしていたりする間に、日はずいぶん西へ傾いてしまっていた。
「しまった……もうこんな時間か」
 セイバーとモードレッドのことをなんとかしたいと思うなら、これ以上のんびりしてられない。前回と似たパターンだとしたら、今夜にでも彼らは帰ってしまうだろう。
 夕飯の準備にとりかかる前に、もう一度道場へ行ってみることにした。
 あわよくばまたモードレッドと2人だけで話せるかもしれない。
 話す内容は全く決まってないけど、なにか話さなくてはいけないと思っていた。
 茜色に染まった板張りの床へ、足を踏み入れる。
 しかしそこにいたのはモードレッドではなく。
「セイバー…………」
 赤みを増してきた陽光を浴び、道場の隅で正座する金髪の少女。
 いつもの道場の風景がそこにはあった。
 セイバーは俺が来たことに気が付くと、瞑想を終わりにして瞳を開けた。
「――――シロウ」
 こちらを見る顔にはどことなく覇気がない。
 いつもどおりなんかじゃなかった。彼女は精神をより高めるために瞑想をしているのではなく、沈んだ心を落ち着けるために瞑想をしていたのだ。
 それもおそらく失敗に終わったのだろう。セイバーの顔はわずかに憔悴がにじんで見える。
「ちょっといいか、セイバー」
 彼女と話すべき事も、べつに決まっているわけじゃない。けれど落ち込んだセイバーをそのまま放っておけるはずもなかった。
 セイバーはわずかに体を動かし、自分のいた場所をあけることで同意を示す。
 勧められた場所へ座り込んだが、やはりカンタンに言葉は出てこなかった。
「……………………」
「……………………」
 無言の時間が流れる。
 セイバーは少しうつむかせた顔に、苦悩の色を滲ませていた。……そういえば今日はずいぶん長いこと、彼女の笑顔を見ていない、とぼんやり思った。
 考えてみれば、俺はモードレッドとの再会をこんなに苦しんでる彼女に何を話すつもりだったのか。あいつと仲良くしろ、とでも言うつもりだったのか。
 バカなことを。そんなことで過去の怨恨が消えるくらいなら、とっくに言っている。
 裏切った者と、裏切られた者。その代償として命を奪われた者と、奪った者。
 二人は親子であると同時に、そういう関係なんだ。
 ――――だからといって、二度と会わないほうが良かったなんて言わない。親子が憎しみあうなんて間違ってる。
 そのことを、不器用な言葉でもいいから伝えようと。
 迷いながら口を開きかけ――――
「……………………シロウ。
 私は、後悔はしていません」
 ぽつり、と。
 とつぜんセイバーは話し出した。
「――――――――」
「ブリテンの王の座を、モードレッドに委ねるわけにはいかなかった。叛乱を起こし、国を混乱に陥れた人物を許すわけにはいかなかった。だから私はモードレッドを討った。
 ――――後悔は、していません」
 途切れ途切れに話す言葉は、俺よりも己へと言い聞かせるように耳朶へ響く。
 それで気が付いた。
 セイバーが抱えているもの、苦しんでいるものは、怨恨ではなく―――

「王として、あの判断は間違っていなかった。あの時モードレッドを討たなければ、国の威信も地に落ちました。彼の行う政治で、国がどれほど乱れるかもわからなかった」

 ――――だから。

「モードレッドの命を絶った以上、私にあの判断を後悔することは許されないのでしょう。でなければ彼の死も報われません」

 だから、どうしておまえは、そうやって、また、

「私は王であることを選びました。王として家臣に接することはできても、親として子に接することはできない。
 あの子の死を、悲しむ権利は私にはない」

 ”親”という人間であっては、”王”は務まらない、と。
 当然の感情にも封をして、決して表に出してはならない。
 そう自分に戒めをかけるセイバーの姿を見ていられなくて――――
「馬鹿野郎――――――――…………っっ!」
 腹がたった。腹がたって、頭の中がぐちゃぐちゃになり、目の前が真っ赤に染まる。
 相手の頬を殴る代わりに思いっきり力を込めて抱きしめた。
「シ、シロウ……………………?」
「ああ、たしかにセイバーは、あの時の判断を後悔しちゃいけない」
 失われたもの、なくなったものは戻らない。そのことを認めた上で、失ったものの上に新しいものを築いてゆく。
 それが俺とセイバーのあの日共有した答え。
「でもな。だからって悲しんじゃいけないことがあるか――――!
 人が死んだら悲しいのは当然だ。どんな言葉で言い繕ったってごまかしきれることじゃない」
 そんな、当然の感情を、どうして奪われねばならなかったのか。
 誰よりも皆の幸せを願っていた、頑張り屋のこの少女は。
「悲しむ権利なんていらない。そんなもんが必要だって誰が決めたんだ。
 親が子供を失って悲しくないなんて、そっちのがよっぽど不自然だ」
 腕には激情そのままに、手加減なしで力をこめている。抱かれてるほうのセイバーはかなり痛いだろう。
 けれど彼女は痛みに身をよじることも、俺の腕から逃げ出すこともしない。
 しばらくじっとしていたセイバーは、やがて小さく、聞き逃すんじゃないかってくらい小さくつぶやいた。
「…………シロウ」
「なんだ」
「今だけこの胸を、お借りしてもよろしいでしょうか」
 震える声。震える瞳。もう耐えられないのかもしれない。
「ああ。好きなだけお借りしてくれ」
 そしてセイバーは、顔をうずめた。
 何ひとつ声はもらさないし、顔も見えないから、どうしてるのかはっきりとはわからない。
 けれど時折小さく震える彼女の肩と、俺の胸に広がる濡れたような熱さが、全ての答えだった。





 〜interlude〜


 道場で抱き合う二人を見て。
 少年は気取られぬよう、静かに踵を返した。
「なんだ。さすがに馬に蹴られたくはないのか?」
 数歩もゆかぬうち、横手から同僚の声がかかり、金髪の少年は足を止める。呆れたため息で彼は返答とした。
「トリスタン。貴公は優秀な騎士だと聞いていたが、その物言いはどうにかならぬのか」
「はっはっは、いやすまんな。モードレッド、お主も若輩ながら相当な真面目人間だと聞いていたが、かなりの物だ。
 そこらへんはお父上の影響かな」
 ぴくり、とモードレッドの体が震える。
 父親。かつては自分と、母と、父本人しか知らなかったアーサー王との関係。
 それを知った時、どんなに喜んだろう。敬愛する王が父親だったのだ。普通の人間ではないというコンプレックスを吹き飛ばして余りあった。
 けれどそれは、王自身の言葉であっさりと砕かれた。
 ポロン♪ とトリスタンは一音だけ竪琴を鳴らす。
「いやしかし、見たか。我らを久しぶりに見た王の顔を。あの驚きようにはこっちが驚いた。
 王があれほど感情豊かにお話されるとは。まったく珍しいものを見た気分だな」
「ということは、貴公もあんなに表情の変わる王は初めて見たということか」
「勿論。アーサー王といえば無心無表情無感動とも謳われた王ゆえな。戦ではその動じぬ姿勢が頼もしかったが、政治の場ではいささか空恐ろしくもあったものだ。
 まさかこんな日が来るとは思ってもみなかった」
 騎士はまた楽しそうに竪琴を鳴らし、今度はいずこかへ竪琴をしまい込む。
「だが、おそらくあれがアーサー王の、個人としての姿なのだろう。先刻、一人で間食する王をこっそり見たが、あの威厳はいずこへというそれは可愛らしい風情であった」
「……………………」
「王族というのは”個”ではない。王は、”王”という別の生き物なのだ。
 ――――それを、お主は理解していたのかなモードレッド」
「どういう意味だ?」
 眉をひそめてモードレッドはトリスタンを睨みつける。トリスタンは、幼いとすら言える若輩の後輩をまっすぐに見つめていた。
「私とあの方のつきあいは決して長くない。だが王は誰よりも公平無私であられた。
 当然だ。あの方は”個”ではないのだから。でなければあそこまで公平であり、あそこまで己を殺すことなどできん。
 『アーサー王』は”王”であり”個”ではない。それに父親という”個”の役割を求めても、果たされることはないということだ」
「……………………」
「王族というのはそういうものだよモードレッド」
 一瞬、トリスタンは目の前の少年ではなく、彼を透かして遠くの何かを見る目をした。
 それを見て、モードレッドは思い出す。
「……たしかイゾルデという女性は、北の方の国の……」
「王女であったな」
 それも政略結婚に使われるほどの姫だ。和睦の証として、王の妻にと差し出された異国の王女。
「私はそれを知っていた。だから、イゾルデと結ばれることがないのも知っていた。
 しかし私は満足だったよ。
 ”王女”であるイゾルデと結ばれることはなくとも、”個”であるイゾルデは私を深く愛していてくれた確信があったからな。
 たとえ”王女”と”個”が決して切り離せないものであったとしてもだ」
「……………………」
「モードレッドよ。お主が憧れたのが王であったのか、父であったのか。
 それによっておのずと求めるものが変わらねばならぬ。”王”に”父”としての役割を求めても無駄なことだ。
 ―――ただ、私は思うのだよ。
 あの方が”王”として過ごしていたのなら、おそらくは非の打ち所のない”王”として生きたのだろうと」
 主より先に逝ってしまった騎士は、そうして。
 いまだ誰も出てこない、木造の道場を見やった。
「――――――――」
 モードレッドは思い出す。かつて自分が憧れていた、”アーサー王”の姿を。
 母に野望を教えこまれてきた。いずれあの人を倒し、王座を手に入れるのだと。
 けれど憧れていた。倒すべき相手と言われてもなお、かの王は眩しかった。
 やがて、自分の父はあの人だと教えられて。
 嬉しかった。誇らしかった。人間ではないという劣等感が、全てあの人の息子であるという喜びへと繋がった。
 ……自分にとって、あの人はまぎれもなく”父”である。しかし最初に感じた憧れと好意は、”王”へのものだった。
「――――――――」
「……少しおしゃべりが過ぎたやもしれぬな」
 苦笑するように、年上の騎士は嘆息し。
 またどこからか、竪琴を取り出すと、軽く爪弾いた。
「いやそれにしても驚いた。王が女性であらせられたとはな。他の円卓の騎士ども、このことを聞いたらきっと仰天するであろう。
 ベディヴィエールあたりのあごが外れそうな顔が目に浮かぶ」
 はっはっは、と楽しそうに笑っている顔を見ていると、なんだか力が抜けてしまった。
 しかつめらしい顔を作り、それでも正しき騎士の姿として注意をうながす。
「トリスタン。同僚の呆けた顔を想像して笑い物にするのはどうかと思う」
「おや? 誰もベディヴィエールがマヌケ面をさらすなどと言ってはおらんぞ? なんだ、お主にはベディヴィエールのマヌケ面が見えたのか?」
「っっ! だ、誰がそんなことを―――!」
「ははは、まあ父親がいきなり女だったというのも抵抗があるであろうが、このさい細かいことは気にしない方がいいぞ。あんなに若くて可愛い父親は、なんていったか、『萌え〜』?」
「…………どこから仕入れてくるのだ、そういう言葉を…………」
 トリスタンはまたも豪快に笑いながら、話はおしまいとばかりに背を向けて歩き去ってゆく。
 ――――そうして、モードレッドは一人残されて。
 先程の、先達の言葉を反芻した。
 自分が”アーサー王”に求めていたもの。
 公平無私な若く眩い王。騎士として、人としての憧れ。
 あの人が自分に接したのは、”王”としてか”父”としてか。
 ―――耳に残る言葉を思い返す。
『私は貴公を息子とは認めぬし、王位を与えるつもりもない』
『貴公を憎んだ事は一度もない』
『理由は、ただ一つ。――――貴公には、王としての器がないからだ』
 あれは。
 いったいどちらとしての言葉だったのだろう――――?


 〜interlude out〜





「うーん…………」
 難しい顔でイリヤがうなる。固唾をのんで見守る時間は、通常より流れが遅く感じた。
 数回もごもごと口を動かし、ごくんと飲み込む。そしてパチリと目を開き、
「グーラッシュは味が薄すぎるわ。シロウの料理だから美味しくはあるけど、本場の味とは言えないわね」
「くっ……! やっぱり和食の味つけは通用しないのか……!」
 口惜しくてつい奥歯を噛みしめた。そんな俺に得意げな顔を向けるイリヤの前には、俺の作ったドイツ料理が並んでいる。
 桜が遠坂から中華を習いはじめ、師匠として置いていかれるわけにいかなくなった俺は、少し前からセラにドイツ料理を習っていた。
 ………『お嬢様のお口に入るものですから』と、間違うたんびにお仕置きをくらうトンデモないスパルタぶりを抜かせば、彼女の教え方はうまい。さすがイリヤの教育係も兼ねるメイドといえる。
 そして今日の夕飯は、新たに入手したスキルの初お披露目となったわけだが―――
「俺の舌にはちょっと濃すぎる味つけに思えたんだよなあ。気を利かせたつもりだったんだけど」
「食文化の違いは大きいわね。美味しいけど、懐かしくはなかったわ。シロウの創作料理って感じ。
 あ、でもソーセージはうまく作れてたわよ。合格!」
 ドイツで生まれ育ったイリヤの採点は容赦なかった。
 夕飯に出す予定の五品目全てを味見してもらったが、合格が出たのはソーセージただ1つ。俺がつい衛宮家の味で作ってしまったのが大きな敗因らしい。
 衛宮邸の食事としては文句がないが、本場の味という基準からはズレてしまい、点数として評価されないんだとか。
 桜が横から慰めてくれる。
「お疲れさまでした、先輩。あの……気を落とさないでください」
「……うう、俺は何を作ってるのかわからなくなってきた……」
 本格派を追及すべきか。あくまで衛宮家の味にこだわるべきか。
 そこらへんは、他の皆にも意見を聞かねばなるまい。
「いえ、シロウが作るものです。どちらにせよ雑であるはずがない。
 本日の料理も期待していますよ、シロウ」
 にこやかに笑うセイバー。この笑顔があるから俺は頑張れる。
「ありがとうセイバー。お前の期待に答えられるように、一生懸命作るからな」
「はい。シロウならきっとできます」
 見つめ合う俺とセイバー。いつの間にか止まる時間。
 いい雰囲気が俺たちを包み込んでいき―――
「もーー! 二人だけで世界作ってないで! ごはんにするんでしょ!?」
「そうです! 台所はわたしと先輩の聖域なんですよ!!」
 ―――俺たちの時間が止まっていても、周囲の時間は変わらず動いていた。
 慌ててトリスタンとモードレッドの待つ居間へ夕飯を運び込む。
 各々の前に置かれた皿の数は―――七品目。
 あいさつをして、食事を始める。
「あ、サクラ。わたし、ごはんじゃなくてパンがいい」
「はい、どうぞ。ドイツパンじゃなくてバターロールですけど」
 桜はいつもよりもたつきながら、イリヤにパンを渡した。その手つきの悪さにイリヤが首をかしげる。
 普通に食事を続けながらも、どこか緊張感の漂う俺たち。
 その理由は、皆の前に置かれた、どこか不器用な玉子焼き。
『……………………』
 俺たちは息をひそめて、ある一瞬を待っている。そしてそれは、思いがけずすぐにやってきた。
 モードレッドのフォークが、自分の玉子焼きへと伸びる。
「――――――――――――!」
 ハッと息を飲む桜。
 ついまばたきを忘れる俺。
 視線はそのままなのに顔をそむけるセイバー。
「………………?」
 モードレッドの手が止まる。……やばい、気づかれたか?

『私にも何か作らせてください』

 夕飯の支度をしていた俺と桜のところへやってきて、セイバーが決意を込めそう言い放った時は驚いた。でも驚くと同時にどこかで納得する自分もいた。
 俺たちの返事など待たず、セイバーはズカズカと台所へ入り込み、

『もう一度、彼らに何か料理を出したいのです』

 ―――やはり彼女は、いついかなる時においても英雄だった。
 一度拒絶されたくらいで恐れをなしてしまうような人間ではない。
 そんな彼女の勇姿に惚れ直し、玉子焼きを作るようすすめてみたのは俺である。
 ドイツ料理とは合わないかもしれないが、まだレパートリーのほとんどないセイバーが一人で作れるのはこれぐらいしかない。俺や桜が手伝えば他にもいろいろ作れるが、それではセイバーが良しとしないだろう。
 セイバーも俺の意を汲んだのか、

『ではそれで。……ありがとう、シロウ』

 小さく、感謝の言葉を伝えてくれた。
 そんなわけでできあがった玉子焼き。しかしセイバーが作ったと言えば、モードレッドはまた食べないかもしれない。だから内緒で食べさせよう、と相談した。
 ここでモードレッドに気付かれてしまったら、全ては水の泡となる。
 なかば祈るように、気付かないでくれ、一口でいいから食べてくれと念じていると。
「………………………………」
 ぱくっ。
 モードレッドは少しの間じっと見つめていた玉子焼きを、一気に口の中へ放り込んだ。
 ほう、と桜から思わず安堵のため息が漏れる。俺も気付かれないように、そっと息をついた。
 セイバーもバレないようあまり表情には出していないが、満足と喜びの気持ちが溢れ出している。
 そんな俺たちをぐるりと見回して、
「ふぅ〜〜〜〜ん…………」
 イリヤはニヤッと笑みを浮かべた。……こっちには気づかれてしまったんだろうか。
 まさかここでモードレッドにバラすなんてことはしないと思うけど、そのこあくまの笑いが俺を不安にさせる。お兄ちゃんは妹の将来が大変心配です。
 モードレッドもイリヤの笑みを見咎めて無愛想に問いただす。
「どうした。なにか言いたいことでもあるのか」
「ううん、気にしないで。ただ素直じゃないなあって思っただけだから。玉子焼き、おいしかったでしょ?」
 意味不明なイリヤの言葉から何を感じ取ったのか、ぐっ、と言葉に詰まるモードレッド。イリヤはたたみかけるように笑みを深くする。
「いいんじゃない。父親がこんな近くにいるんだもん、ちゃんと甘えてあげれば。わたしは羨ましいわよ? たった一度だけでももう一度会えるなんて」
 どう見ても年下の少女にやりこめられて悔しいんだろう。彼はムスッとふてくされた顔をして、そっぽを向いてしまう。その頬がわずかに赤い。

「――――フン。貴公の事情は知らぬが、一緒にしないでもらいたい。
 貴公に父親が女だった気持ちなどわかるまい」

「「「「――――――――――――――――」」」」

 みんな、なんとも言えない顔になった。
 逆にモードレッドは、皆の沈黙が理解できないらしく、いきなり変わった空気に焦った様子で周囲を見渡す。
「そ、それはたしかに……」
「事実だけど……言っちゃダメよね」
 桜とイリヤの遠慮がちな非難の目を受け、慌てるモードレッド。
「な、私は何かいけないことを言ったというのか?」
「そりゃそうよ。たしかにセイバーが女だったのは事実だけど」
「それを言われたら、セイバーさんはもうどうにもできません」
「……………………」
 二人の言葉どおり、セイバーはまた悲しげな顔でうつむいてしまっている。
 彼女がいくら親として何かをしようとしても、モードレッドに歩み寄ろうとしても、『男でないものを父として認められない』と言われてしまえばそれで終わりだ。もちろん母として認めるのも無理だろう。モードレッドの母は他にいる。
 つまり彼の言ったことは、怨恨や過去のしがらみ以前の問題で、親子関係にはなれないと言ってしまったようなものなのだ。
 やがてセイバーはポツリと口を開いた。
「…………そうですね。モードレッドには二重の意味で男であると欺いてきたのです。
 本当の性別を明かした上で、皆がベディヴィエールたちのように欺かれていたことを全く怒らない、などという期待は持っていません」
「あ、いや、それはっ……!」
 しんみりと胸中を述べるセイバーに、モードレッドはなお慌ててフォローしようとする。
 あれ、おかしいな。昼間と状況的には一緒なのに、あの時はこれほどモードレッドのやつ慌てなかったぞ。
 あの時はもっと、セイバーが傷つこうと関係ない、といった感じだったのに。
 モードレッドは何か言おうとし、しかし何も言うべき言葉が出てこないまま、最後には口を噤んでしまった。
 なんとも言えぬ気まずくて微妙な雰囲気がのしかかっていたその時。

 ポロロロロロン♪

 ――――またも響き渡る、緊迫した空気をイヤな予感で打ち破る悪魔の竪琴。
 トリスタンは再び竪琴を爪弾きながら、物語を語るように歌い出す。

「かつて美しい王がいた〜♪
 聖剣に選ばれた王の話〜♪
 王は歳をとることもなく、負ける戦を知ることもない〜♪
 永遠に少年のまま、汚れを知らぬ王〜♪」

 今度は伝承歌サーガ風か。と呆れていたが。
 歌詞の内容を聞いてるうちに、聞き流してもいられなくなった。
 …………トリスタンが歌う不老の少年王の話。
 それはとりもなおさず。

「美しい王は騎士のほまれ〜♪
 幼さの残る顔立ちはまるで少女のよう〜♪
 そしてある戦場の野営で〜♪
 事件は起〜き〜た〜〜♪」

 ごくり、と生唾を飲む音は、俺からだったのか、それとも他の誰かからだったのか。
 アーサー王の野営で起こる事件に、桜もイリヤも興味を隠しきれない。
 ちらと横目で見れば、セイバーとモードレッドもトリスタンの方を見て、黙って歌を聞いている。ということは、この2人にも心当たりのない内容なのだろう。
 ポロロン♪と竪琴が爪弾かれ、

「皆の野営の様子を見ていた王が〜♪
 ついうっかりうたた寝をし〜♪
 その寝顔は皆の目を楽しませた〜〜♪♪」

「っっっっ!!?」
 セイバーの顔が一瞬で真っ赤になる。

「美しい幼子のような寝顔は愛らしく〜♪
 桜色の唇や長いまつげは蠱惑的ですらあった〜♪
 まるで王が少女であるかのようにも見え〜♪
 その想像をした騎士や兵士は〜♪
 一人残らず股間をおさえて草むらへ〜〜♪♪」

「おいっっっ!!!??」
 全力でツッコむ。しかしトリスタンは止まらない。

「やがて王は目覚めて〜♪
 野営の見張りが少ないことを注意なされた〜♪
 その時の騎士の一人が、後にこう漏らす〜♪
 『アーサー王は、人の気持ちがわからない』〜〜〜♪♪」



「わかりたくもありません!! そんなもの!!!」



 セイバーが渾身の力で絶叫する。顔どころか首筋、いや、全身が真っ赤になっているのは羞恥か怒りか力みすぎか。その全てであるようにも思えた。
 …………そりゃそうだろうなあ。自分の寝顔がさらしものになったってだけでも女の子には恥ずかしいのに、配下の騎士や兵士がそれを夜のオカズにしてたなんて。想像もしたくない。
 顔から湯気を吹き出しかねないぐらい怒り心頭のセイバーから、トリスタンはモードレッドへと視線を移す。流れ落ちるひとすじの冷や汗が見えたのは、どうやら俺だけのようだった。
「いやしかしモードレッド。お主は賢明であった。最後まで人前では仮面を外さなかったのだからな」
「――? どういう意味だ」
 訝しげな顔をするモードレッド。今の話と、彼の仮面の話がまったく繋がらないようだ。もちろん俺も繋がらない。
 皆の頭の上の疑問符が最大限に大きくなったころを見計らい、トリスタンは口を開く。
「それだけ王とそっくりな外見をしていれば、間違いなく騎士の誰かに夜伽に誘われたということだ。さすがに主君を誘うような命知らずはおらなんだが、円卓の騎士の末席であるお主なら、あるいは力ずくという輩がいても…………」



「「なんだそれはっっ!!?」」



 セイバーとモードレッドの声が仲良くハモる。いやもうホント、わけわかんないって。
 セイバーだけでなくモードレッドまで怒らせて、どうするつもりなんだか。
 一方、それを聞いてなぜか桜とイリヤは部屋の隅へ移動する。
「……それってつまり、セイバーさんとは違って男同士で……?」
「そうなるわね。ランスロットは女好きだから別に困らないだろうけど、ほら、戦場では女が不足するじゃない?」
「あっ、聞いたことあります。それで男同士の身体の結びつきが……」
「ガウェインとか無骨な騎士だったっていうし、もしかしたら……」
「それを言うなら、あの一見無愛想に見えたケイさんだって………」
 きゃーーーっ、とはしゃぐ女の子たち。
 義妹と妹分の新たな一面を垣間見てしまった。できれば見たくなかったが。
「ヘンタイかよ、お前ら…………」
 疲れたようにぽつりと漏らした声を、トリスタンが聞きとがめる。
「はっはっは、少年。お主も考えてみるといい。男しかいないムサ苦しい集団の中で、王のごとき可憐な少女――少年と思いつつ、今は少女にしか見えない美人が一人。しかも天幕の中と外とはいえ、寝食を共にするのだ。それがいかに男の獣性を刺激するか」
「うっっ…………!?」
 思わず呻く。
 ―――右を向いても左を向いても男ばっかりの集団。今の衛宮邸からは想像もできないが、以前柳洞寺で修行の体験をさせてもらった時が、ちょうどそんな感じだった。
 戦というからには3日や1週間で終わるようなものではない。何ヶ月もかかるような物だって多かったはずだ。
 その間ずっと近くにいる、セイバーみたいなすごい美少女。直接は見えないけど、自分と同じ物を食べ、すぐ傍で眠る。
「………………………………」
 ……隣の部屋でセイバーが眠ることすら耐えられず、土蔵に逃げ出した過去を持つ俺には、それ以上彼らを貶める言葉は出てこなかった。
 だが。
「…………シロウ…………? なぜそこで黙りこむのです…………?」

 ぞくぞくぞくぅっっ!

 背筋を猛烈な勢いで悪寒が走り抜ける。まるで背中に抜き身の剣を押し当てられているようだっつーか、ホントに押し当てられてるって! なんかチクチクするし!
「や、その、あのなセイバー? 男には、男の事情ってもんがあってだな……」
「ええ、そうでしょうね。私とて男の社会に生きましたから、それくらいは知っています。
 ですが。よりによって私がそのような劣情の対象として見られるのは、全くもって我慢なりません」
 ……………………そりゃ、そうだろう、な。
 死を覚悟して、固く目をつぶった、その時。
「ふ、ふ、ふ、ふ…………
 ふざけるなああぁぁあああ!!!」

 絶叫が轟き渡る。俺もセイバーも思わず音源の方へ目をやると、モードレッドがまさに怒髪天を衝く形相で仁王立ちしていた。
「だ、誰が……! 誰が夜伽に誘われる!? 誰が力ずくで!? 何をされると言うのだ!!」
「モードレッド。お主、それを私に言わせる気か?」
「それがふざけていると言うのだああああああ!!!」
 トリスタンの無神経な一言で、モードレッドは大絶叫。
 なんといきなり抜剣して、トリスタンに斬りかかる!
「おっと、危ない。こんなところで剣を振り回してはいかんぞ」
「やかましい!!!」
 昼間と同じく、トリスタンとモードレッドの鬼ごっこが始まった。
 だが今度はモードレッドの攻撃が加わっている。すなわち剣を振り回しながら追いかけ回しているということだ。
 障子が枠ごと断ち斬られ、襖に穴が空き、畳に一文字が走る。
「止めぬか、トリスタン、モードレッド!!」
 セイバーが王様口調で叫ぶが、二人に止まる気配はない。まあトリスタンはモードレッドが止まらなきゃ止まれないんだろうが。しかしこのままでは我が家の居間が戦場跡になってしまう。
「おいっ、お前ら!! 暴れるんなら外でやれ!!」
「うむ、それは名案だ」
 トリスタンは一言呟くと、ひゃっほーいと言いそうな勢いで庭へ駆けてゆく。モードレッドも当然その後を追った。
 そして舞台は庭に移る。
 慌てて様子を見に行くと、庭木の枝が折られ、芝は抉られ、塀に一文字が走っていた。
「……………………」
「…………シロウ」
 一緒に縁側まで出てきたセイバーが、何か言いたげに俺を呼ぶ。
「…………まあ、家の中で暴れられるよりはマシだと思いたい」
 はっきり言って希望形。
 ここ最近の虐げられる家主という特殊な生活の中で、俺には諦めるという心が身についてしまったのかもしれない。
 正義の味方としてあるまじき事だとは思うのだが。



 ――――で、どうなったかというと。
「まったく貴方たちは……。仲が良いのは結構ですが、周囲への被害というものを考えていただきたい。この破損を修復するのはシロウだったり、シロウへ貸しを確約した凛だったりするのです。誰かが破壊したものは、本人が修復するのでなければ、必ず誰かへ迷惑をかける。それを理解しているのですか」
 3人並べて正座させられ、セイバーのお説教を受けていたりする。
 今のトリスタンとモードレッドを見て、仲が良いという言葉が出てくる理由がわからないが、以前遠坂がガンドで衛宮邸の居間を壊滅状態に追い込んだ時のお説教がこれに近かったことを思い出した。なんとなくセイバーの『仲良し』の定義を、一度修正しなきゃいけないような気もする。
 それとだな。
「なあ、なんで俺まで……?」
「文句があるのですか、シロウ」
 じろり、と不機嫌そうな顔で睨んでくるセイバー。……やっぱりさっきの劣情うんぬんの件で、俺が最後は男の肩を持ったことに怒ってるのか。
 直接的に彼女の説教は俺のことには触れてない。だが、正座してお説教を受ける、ということがお仕置きなんだろう。解放してくれそうな気配はなかった。
「いいですか。他者のことを思いやるというのは集団生活において大切なことです。貴方がたも円卓に連なる一員として、団結力の大切さは身にしみているでしょう。にもかかわらず―――」
 お説教は延々続く。自分にはあまり関係のないそれをそのまま聞いているのも次第に疲れてきて、なんとなく隣を見た。
 ちょうど俺の隣にいたのはモードレッド。
 すると彼は。
「――――――――」
 なんとも言えぬ、複雑な表情をしていた。
 てっきりうっとうしい、とか、悔しいとかの表情をしているだろうと思っていた。仇であり、王であり、身近に接していない父親から受ける説教なんて有り難迷惑だろうと。
 しかしモードレッドの顔には、どこか居心地悪そうな色が浮かぶだけ。居たたまれないというか、気恥ずかしいというか。なんとなく落ち着かず、けれど逃げ出すほどでもない。
 こんな状況を、どこかで俺も知っているような…………
「シロウ!! 聞いているのですか!?」
「はっ、はいいぃぃ!」
 よそ見をしていたら、先生に見とがめられてカミナリを食らってしまった。
 うう、なんで俺までセイバーに――――
 ――――――あ、そうか。
「………………………………」
 もう一度、今度はセイバーに見つからないようにモードレッドを見る。
 俺はこの顔を知っている。もうずいぶん昔、まだ子供だった頃。
 初めて藤ねえに怒られた時、同じような気持ちだったことを思い出した。
 それまでの切嗣を取り合うようなケンカではなく。初めて年上として、何より姉として藤ねえに叱られたお説教。
 それまで叱られたことのなかった人からのお説教に内心反発し、でもやっぱりこの人は姉なんだと納得し、本当の家族になれたようでどこか嬉しくもあり、だけど何より初めての経験はくすぐったくて気恥ずかしくもあり。
 …………モードレッドも、あの時の俺と同じような心境であるのかもしれない。
 そんなセイバーのお説教は、いつのまにか視点が個人へと移っていった。
「―――トリスタンもトリスタンです。モードレッドが怒ると知っていて、わざとやったのでしょう。
 私と彼の雰囲気をなごませてくれるという心遣いは有り難いが、あれではやりすぎです」
 ――――へ?
「おや。気付いておられましたか」
 ポロロン♪と悪びれもせず竪琴を弾いたトリスタンに、セイバーは苦笑を返す。
「もちろんです。あれほど何度も同じ場面であからさまに茶化されては、さすがに気付きます」
 すまん、俺は全然気付けなかった。
 トリスタンは怒られていた今までの雰囲気を払拭するかのように、豪快に笑ってまた竪琴をかき鳴らした。
「はっはっは。いやこれは失礼しました。
 気付かれないよう多少は配慮したつもりだったのですが」
「いえ、構いません。おかげでこの家の団欒もある程度は守られたのですから。
 ――――手法には多少……かなり問題がありましたが、貴方の無礼は許します」
 まだ少しだけ眉をしかめて苦笑しているが、セイバーはひとまずさっきの野営話を水に流したようだった。
 一方のトリスタンは正座から片膝をつき直し、
「では、無礼ついでにもうひとつ。
 ある男の恋物語をいたしましょう」
 ポロロン♪とトリスタンは竪琴をかき鳴らす。
 歌ではなく、小さな竪琴の演奏をBGMに、騎士は語り始めた。

「昔ある国に、ひとりの男がいました。
 男は一人の美しい女性と恋に落ちます。
 しかし女性は、男の近しい人の妻となりました」
「――――――――」
 なんの説明がなくてもわかる。これが誰の話であるのか。
 自らの過去の話を、彼は続けていく。
「男は恋人への想いを胸に秘めたまま、別の女を妻に娶ります。
 けれど恋人への想いは、ついぞ死に絶えることはなく。
 それを知った妻は、夫の死に際に嘘をつきました。
 『あの女はあなたを見捨てたのだ』」
 …………トリスタンが瀕死となった時。イゾルデが彼に会いに行くため、船でトリスタンのところへ向かっていた。
 しかし嫉妬にかられた白い手のイゾルデは、彼に、船には彼女の乗っていない合図がある―――黒い帆がかかっていると嘘をつく。
 そのショックで、トリスタンは死んでしまうのだ。
「ここでひとつ、謎かけを。
 少年。お主は誰の恋が間違っていたと思う?
 人妻を愛した男か。
 夫のある身でありながら男を愛した女性か。
 他の女を愛している男を愛した妻か」
「え?」
 いきなり話を振られ、間の抜けた声をあげる。トリスタンはこちらの答えなど待とうとせず、竪琴を小さく鳴らす。
「答えは至極簡単なこと。
 誰の恋も悪くなどなかったのです」
「そ、それでいいのか?」
 捉え方によっては偽善者とも言われかねない答え。
 けれどトリスタンは―――笑っていなかった。
 これまでのように笑いながら歌うのではなく、ただ真摯に言葉を紡ぐ。
「悪いことがあるのだとすれば、それは行動した罪としなかった罪。
 嫉妬から夫へ嘘をついた妻の罪。
 愛しい女性を他の男から奪い取れなかった男の罪。
 夫を捨てて愛する男の元へ行けなかった女性の罪。
 しかし、人を愛する気持ちそのものに、罪などありえないのです」
 ――――口で言うほど簡単なことではない。イゾルデとトリスタンの伯父の結婚は政略結婚であり、その破棄は国同士の同盟の破棄でもあった。
 二人の愛を貫くということは、再び両国を戦乱の中にたたきおとすということだ。
 それでもなお、愛の成就のためには行動しなかったことが罪であると言い。
 それでもなお、二人が愛し合った気持ちに罪はないと言った。
 そして、そんな夫を愛し、結果的に夫の死期を早めてしまった妻の愛も。

 ――――ポロン♪

 トリスタンは軽く一度だけ、竪琴を爪弾く。
 瞬間、俺とセイバーは驚きに小さく目をむいた。
 ……トリスタンとモードレッドの体が淡く発光している。
 前回と同じだ。一日だけの異邦人たちが元の場所へと還る合図。
 本人たちがそれに気づいていないはずはない。
 けれどトリスタンは、何事もなかったように―――いや。
 時間がないと、知っているからか。
 真っ直ぐ射抜くようにセイバーを見据え、
「愛は素晴らしい。愛は美しい。
 ただ愛するという感情に、何の罪がありましょう。
 ですから。王は、王の御心のままに――――」
 愛してもいいのだ、と。
 セイバーの思うとおりに、愛せばいいのだ、と。
 生涯一人の女性をずっと想い続けた騎士は、言外にそう言った。
「――――――――――――」
 俯き、己の中の感情を落ち着けようとするセイバー。やがて折り合いがついたらしく、顔を上げモードレッドに歩み寄る。
 セイバーの緊張が伝わったのか、モードレッドも立ち上がり、固い面持ちでセイバーを迎えた。
「…………モードレッド…………」
「………………………………」
 時間はない。じきにモードレッドの体は消える。
 しかし誰も、セイバーを急かすようなことはしなかった。
 彼女は呼吸三つぶんほど間をあけて、意を決し口を開く。
「……………………また来てください」
「は――――――――?」
「もしも、次があるのなら――――
 ぜひ、また会いに来てください」
 そう言って、騎士にとっては信頼の証、利き手である左手を差し出した。
 唖然、という言葉をそのまま形にしたようなモードレッドの顔。だがセイバーの言葉が徐々に頭の中に浸透していったんだろう。
 わずかにその形が崩れたかと思うと、直後日輪のような、満面の笑みが彼の顔に広がる。
「はい、父上――――!」
 嬉しそうにセイバーの左手をがっしりと握る。その瞳が潤んでいるように見えたのは俺の気のせいだろうか。
「ぁ――――」
 声をもらしたのは俺か、それともセイバーか。
 モードレッドの姿は泣き笑いの顔のまま、蜃気楼のように消えてゆく。

 ポロロロロロン♪

 軽やかな竪琴の音。
 これが別れの合図だったかのように。
 二人分の燐光は宙へ舞い上がり、星空へと溶けていった。
 空を見上げ、彼らを見送り、別れを惜しむようにセイバーは万感の想いをこめて呟く。

「…………トリスタン…………モードレッド…………
 ――――――ありがとう――――――」

 俺にはもう消えていった燐光の残滓は見えない。
 けれどセイバーの目にはそれが見えているのだろう。
 彼女はいつまでも、燐光のように光る星を見つめていた。






 モードレッドはアニメ及びキャラマテより。あのキャラマテのエピソードは非常に創作意欲をそそりました(笑)
 この話、ホントはもっとシリアスで、トリスタンも「たまにイゾルデの名前を叫びながら暴走するけど、普段は零観さんみたいな人物」というキャラ付けをしていたのですが。ネットで調べるうち、こんな一文を見つけてしまいまして。
『竪琴の名手。喜びや悲しみを竪琴で表現した』とかしないとか。
 ぐっばいシリアス。こんにちはギャグ特性。
 しかしおかげでいい具合にガス抜きができて、主題の重さのわりに普段のうちの作品に近いものになったと思うのですがどうか。ありがとうトリスタン。説教くさくしてごめんトリスタン。
 セイバーが王様時代に背負ったものは大きく、傷は決して消えませんが、平和な世界ではその傷より大きなばんそうこうが手に入ることを願って。




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