9.ヒューマニスティックな機械

単純な事実ではあるが,<機械を作るのは人間であり,使うのも人間である>
 

そしてまた,<コトバは終にコトバに過ぎない>.情報をもってモノの代用とすることは一種のペテン(絵に描いたモチ)に等しい.僻地(離島)医療のネットワークシステムは離島を結ぶ航空路と(実質的な)医療体制の代用にはならない*1し,防災ネットワークや,あいまいでかつ危険に満ちた地震予知システム*2は,真に<ハード的な>防災都市,安全な生活環境を造る具体的な都市造りをサボタージュする言い訳にはならない.

*1 しかし同時に,高速・大容量のネットワークサービスを全域的に提供することは道路交通網の整備と同様,社会のインフラストラクチャとして不可欠なものになりつつある.アメリカの主要交通機関は車であり,自動車専用のハイウェイがくまなく張り巡らされているが,基本的に無料である.

*2 「東海地方地震予知システム」は相当な長期にわたり国家予算からの過分な中間的支払いを得てきたが,ついに1999年,王様から特注された目には見えない衣服を仕掛かりのままその場に残して退場した.裸の王様の実例は無数にあるが,これは仕立て屋が最後に彼らの糸が「空」であったことを白状するという極めて珍しい結末になった.参照→Kへの手紙:許される虚偽の*1
 

児童をTV画像の前に座らせて眼を悪くさせる*2ことにしか役立たないような教育にかける金があるのなら,全ての小学校に(本物の)電子顕微鏡と自由に使用できる楽器と広々した緑に囲まれた校庭(それにもちろん,熱意のある優秀な教育者――十分な経済的収入を保証された――先生!)をプレゼントする方がずっといい.*3

*2 モニターの前に座りつづけて,目の痛みを訴える人は多い.(筆者は目だけは丈夫なので,かなり度を過ごさないとそのような状態にはならないが.)ブラウン管から漏出する電子線が原因であると考えられているので,それらをシールドするフィルターのようなものも市販されている.「注視」すること自体が問題なのだとすれば,もっと「鮮明に」見える画像,つまりより解像度の高い〔液晶〕画面(を開発すること)によって解決できる可能性はある.

*3 優先度の問題である.筆者は小学生にコンピュータ教育を行うこと自体に異議を唱えている訳ではない.(ホームページを作成するためのHTMLを含めて)プログラミング言語を義務教育段階で(第2外国語として)学習することが必要になるのではないか.(コンピュータが自然言語を解するようになるのがまだ遠い話だとして)
 

情報量という重大なウソについて

情報,知識の量という概念と単なる通信量(物理的信号の信号量)とを故意に混同することによって,情報についての極めて歪んだイメージが形成されつつある.

たとえば,郵政省が年次的に出している「情報流通センサス」に見るようなテレビを1分1320ワード,書籍を1ページ360ワード,雑誌1ページ640ワードとするなどの情報概念の極端な歪曲.(物理的な信号量(通信量)は情報量とは等価ではない.ある通信が完了するためには送り手と受け手および信号が必要であり,その物理信号を解読するシンボリックなシステムを前提とする.このシンボリックなシステムには,すでに(一般に)多量の情報が組み込まれており,その情報量を無視して,信号量だけを取り上げその多寡を比較するというのは,ナンセンスである.)

むしろ,より大きな情報量をより少ない信号量(いわゆる情報量と称するもの)によって伝達できるシステムの方が,より高度な情報システムと言える.(何も言わなくてもわかるというのは,最高度の通信である.)

1983 Age Baba