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猫さまの言うとおり


 くっつきそうな目を開けて、和人は一人でテレビを見ている。
 いや、正確には一人ではなく、和人のひざの上には村西さんが丸くなっている。譲留さんは食べ終わった食器を洗っていた。
「村西さんが私以外になつくなんて、めずらしいね」
 と笑っていた。
 テレビを見てはいたが、もう何をやっているかわからない。久しぶりに作りおきでないおいしい料理をおなかいっぱい食べた和人はもう眠たくて眠たくてしょうがなかった。
 だんだんまぶたに力がはいらなくなって、ゆっくりと閉じていく。
 完全にまぶたが閉じた瞬間、なにかにぽふっと顔を叩かれた。
 はっとして目を開けると、はじめてあった時と同じように村西さんがじっとにらんでいた。叩いたのは村西さんの前足だったのだ。
「お前にちょっと話しがある」
 村西さんがすごみをきかせて口を開いた。
「う、うん」
 びくびくしながらうなずいて、そこで初めて和人はびっくりした。だって猫がしゃべっているのだ。あわてて譲留さんを呼ぼうとして、もう一度びっくりする。
 『ここ』には和人と村西さん以外に何もなかったのだ。
「夢?」
「ちょっと違うが似たようなもんだ。それよりお前」
 村西さんがぐっと顔を近づける。
「お前、譲留さまのなんだ?」
「な、何って、ただのお隣さんだけど」
「本当だな? 交尾しようとか思ってないな?」
「こうびって?」
「知らないならいいよ別に。じゃあ、お前は譲留さまとはなんでもないんだな? 餌もらってただけか」
「うん」
「じゃあいいや」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 また丸くなる村西さんをあわてて起こす和人。
「なんだよ? もういいって言っただろ」
「なんで村西さん、しゃべってるの?」
 村西さんの前足が和人の顔をぽふっと叩く。
「ンなの俺が天才だからに決まってんだろうが! それと、俺を呼び捨てにしていいのは譲留さまだけだ。ちゃんと『村西さんさま』と呼べ!」
「え……、さんって付けてるし……」
 気まずい沈黙。天才のわりには変なところでモノを知らない村西さん。
「けっ! だからガキは嫌いだ!」
 逆ギレする村西さん。
「細かいこと気にしやがって。お前、他の奴からいじめられてんだろ?」
「……うん」
 自分が譲留さんの部屋に行った理由を思い出して、和人は少し涙ぐんだ。
「どうして春日部くんは僕をいじめるのかな?」
「は? 楽しいからに決まってるだろ」
「そんなことないよ。 だってぶたれると痛いし」
「馬鹿かお前は。殴る方は痛く無ぇんだよ。それに、他の奴より強かったらそいつがシめるのが当然だろうが」
 村西さんが本当に馬鹿にしたように言った。
「でも……」
「うざってぇ奴だな。だからいじめられるんだよ。痛いのが嫌なら強くなって自分でシめろ。それが雄の生きる道ってもんだろ」
 村西さんがとんっとジャンプして和人の肩に乗る。
「明日そいつに会うか?」
「うん」
「じゃあ明日やれ。決定」
「そ、そんな」
「出会い頭に一発かませ。ひるんだ所にとどめの一撃だ。わかったな?」
 無言の和人に前足の一撃をかます村西さんは怒っていた。
「痛い思いしたくないんだろうが!」
「それは、そうだけど」
「だったら決まりだ。必ずやれよ」
「和人くん」
 はっとして目を開けると、譲留さんの顔があった。
「もう朝だよ。今日も学校だろ」
 すっかり眠っていたらしい。譲留さんの言ったとおり、朝日がまぶしい。
 いつの間にか毛布がかけられていた。村西さんはもういない。
 両親には和人が眠っている間に譲留さんが電話をしておいてくれたらしい。二人とも朝が早いからもう出かけてしまっているだろう。
 結局、昨日は一度も会わなかった。
「……ねぇ、譲留さん」
「ん? なんだい?」
「村西さんてしゃべる?」
「ははは、時々そうだといいなって思うけどね」
 笑いながら、譲留さんは二人分の朝食の用意をはじめた。
 玄関を出るとき、譲留さんは和人の肩をぽんと叩き、
「がんばれよ」
 と言った。

 今日の分の教科書とノートをランドセルの中に入れて玄関を出ると、村西さんが待っていた。
 驚く和人の肩に飛び乗ると、「なー」と鳴く。
 どいやら「行け」と言っているらしい。どうやら本当に和人がやるのかどうか見届けるつもりのようだ。
「夢じゃなかったんだ」
 和人の顔を前足で叩いて、村西さんはもう一度「なー」と鳴いた。
 正直、気が重い。和人は今まで一度も人を殴ったことはなかった。
(本当に楽しいのかな?)
 そんなことを考えながらいつもの道を歩いていく。
 学校が見えてきたあたりから、なんだか気持ち悪くなってきた。
 そして、校門の前で足が止まる。
 校門の前で、春日部くんが待ち伏せしていたのだ。
「よう、和人」
 にやにや笑いながら近づいてくる春日部くん。和人は何も言えなかった。
「昨日は暑かったからなぁ、水浴びできてよかっただろ?」
 春日部くんは和人の目の前までやってくる。そして、和人の首の後ろあたりに隠れていた村西さんに気づいた。
「なんだよこれ? きったねぇ猫」
 そう言ったとたんだった。
「シャーッ!!」
 村西さんは春日部くんの顔に飛び移ると、思いっきりひっかいたのだ。春日部くんの顔にいくつもの赤い筋が走った。
 着地した村西さんは和人の方を見て
「なーっ!」
 と鳴く。
『やれ』
 と言っていた。
 顔をおさえてうめいている春日部くんを見て、和人の右手がぐっと握り締められた。
「うわぁぁぁっ!」
 意味のないことを叫びながら、その右手を春日部くんの顔にぶつけた。
「げぇっ!?」
 蛙みたいな声をだして倒れる春日部くんの姿が、まるでスローモーションのように和人の目に映る。
(なんだ)
 村西さんの鳴き声が聞こえた。『とどめの一撃』だ。それで終わる。
 泣き出してしまった春日部くんに馬乗りになる和人。ゆっくりと右手をあげて、振り下ろす。
(ぶつ方も痛いじゃないか)
 鈍い音とともに、和人の右手は春日部くんの顔のすぐ横のアスファルトを叩いていた。
「ぶたれたら痛いだろ!? もうこんなことやめてよ!」
 そう叫んで、和人は春日部くんの上から降りた。
 春日部くんはまだ泣いている。
 肩に飛び乗ってきた村西さんがぽふっと和人の顔を叩いて、
「なーご」
 と鳴いた。
 あんまり怒っているようには感じなかった。

おわり


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