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天使の来る町・No more again


  そう言えば僕は、この神社の名前を知らなかった。
 長すぎて何段あるか数える気にもならない階段をのぼったところにある、御山の頂上の古ぼけた神社だ。夏祭りの時以外は、元気のいい子供たちか、よほどの暇人のほかには誰も訪れる者はない。
 その夏祭りも、ここ数年は執り行われていない。

 ――大東亜戦争

 この国が戦争をはじめてから、4回目の夏が巡ってきた。
 戦況は悪化する一方。長崎と広島に米国の新型爆弾が落とされたとも聞く。すさまじい威力で、まるで地獄の釜の底のような惨状になったそうだ。

 この国は負ける。
 この状況になって尚勝利を信じて戦うほど、僕は大日本帝國というものを愛していなかった。
 ……いなかったのだが。

 神社の境内に備え付けてある長椅子に深々と腰掛けながら、僕はこんなご時世でも元気に遊ぶ子供たちをぼんやりと眺めていた。夏の強い日差しも、大木の枝葉がさえぎってくれて、この場所までは届かない。

 蝉達が、自分の命を燃やし尽くすかのように鳴いている。それを聞きながら子供たちを眺めているのが、ここ数日の僕の日課だった。
 
 

 その人が来たのは、そろそろ正午になろうかという頃だった。
 真っ黒い日傘をさして、ゆっくりと階段をのぼってきたその女の人は、境内に座っている僕に気づくと、軽い会釈をした。僕も頭を下げる。

 一言で表現するなら、真っ黒な人だった。

 墨を零したような黒髪に、婦人会のおばさんが文句を言いそうな、仕立てのいい黒い着物。ひょっとしたら喪服なのかもしれない。人が死ぬなんてことは、そう珍しい事でもない。
「こんにちは。今日も暑いですね」
「ええ」
 他愛も無い会話。安西恵子さんと名乗ったその人は風にそよぐ髪を片手でおさえながら、影を落とす巨木を見上げる。
「でも、ここは涼しい」
 僕もつられてそ上を見上げた。青々とした葉を茂らせた木からは、みんみんだのしょわしょわだのといった鳴き声が絶え間無く響いてくる。いったい何匹の蝉が張り付いているのか、まるで木そのものが鳴いているような錯覚を受けた。

 安西さんが僕の隣に腰掛ける。日傘をたたんで傍らに置くと、特に話すこともなく二人で子供たちを眺めていた。さすがに真夏の太陽の下で遊び疲れたらしく、今はみんなで集まって何事か話し合っている。
 そうして連れ立って社の裏に回った少年たちを、僕は懐かしい思いで見ていた。
 やがて帰ってきた子供たちの手には、小ぶりながらもちゃんと熟した西瓜がかかえられていた。年長らしい少年が取り出した小刀で、その西瓜をほかの子供たちに切り分けていく。
「あら、おいしそう」
「社の裏側に自生してるんですよ。食べられるのは子供だけの特権なんです」
 それは、この辺りに住む人間の暗黙の了解というやつだった。僕も少し前まであのあまり甘くはないけれどもれっきとした西瓜の世話になっていた。
「ええ、知っていますよ。ずっと見ていたから」
「安西さんもこの辺のご出身ですか」
「この辺というか」
 安西さんが、ふっと微笑む。
「ここの出身です。あ、そろそろですね」
 話をはぐらかすように、安西さんが懐からラジオを取り出した。そのラジオも黒かったので、僕は少しおかしくなった。
 電源を入れて、周波数を合わせていく。雑音ばかりだった音声が、不意に明瞭になる。

 その声の主は、僕のよく知っている方のものだった。そう何回も聴いた事があるわけではないが、この国に住んでいる人間なら、知らない者はいないだろう。
 一言一言かみしめるように、その声は言葉を綴っていく。
 
 

 朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て、時局を収拾せむと欲し茲に忠良なる爾臣民に告く。
 朕は帝國政府をして、米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。抑々帝國臣民の康寧を図り万邦共榮の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かさる所曩に米英二國に宣戰せる所以も、亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て他國の主權を排し領土を侵すか如きは固より朕か志にあらず……
 
 

 難しい言葉を使ってはいたが、言っている事は至極単純だった。

「日本は、負けました」
 さしたる感慨もなく、安西さんがつぶやく。
「そうですね」
 僕の声も、驚きとか悲しみとかいったものは含まれていなかった。いつか来ると思っていた日が、たまたま今日だったというだけの事だ。
 そのかわり、と言ってはなんだが、僕の心を満たしていたのは安堵感だった。
「よかった」
「この国が負けたのが、ですか?」
 僕の言葉を聞きとがめたと言うには、やさしい声だった。
「戦争が終わったのが、ですよ。これで人が人を殺さずにすむ」
「戦争でなくても、人は人を殺します」
「それでも、命令されて殺したくも無い相手を殺すなんて事はそうそう無い。いや、あっちゃいけない」

 青い、どこまでも青い空を僕は見る。安西さんも同じように空を見ているのが気配でわかった。
 そう言えば、僕たちは一度も目をあわせていない。まるで、それが全てを終わらせる合図だというように。
 いつから気づいていたのだろう。ひょっとしたら、出会ったその瞬間かもしれない。

「ジェット機って、知っていますか」
「ロケットで飛ぶ飛行機ですよね」

 僕は右手を空にかざした。親指と小指を翼に見たてた飛行機が、ゆっくりと視界を横切っていく。
 小さい頃から飛行機にあこがれていた。ライト兄弟の伝記を読んで興奮したものだ。
 徴兵された時も、あの美しい戦闘機に乗れるかもしれないと思ったら、不安や恐怖もうすらいでいった。
 そして、僕の夢はかなった。最新型のジェット機に乗ることができたのだ。

 桜花。

 それが、僕が乗ったジェット機の名前だ。
 人を殺すためだけに作られた機体。乗組員共々敵艦に特攻するためだけに作られた機体である。

「違うんだ。そうじゃない。飛行機はそんなものじゃない。僕は、なんて事を……」

 僕の右手の飛行機が涙でにじむ。
 はっきりと覚えている。あの兵士の恐怖に歪んだ顔を。僕が殺した人間の顔を。

 飛行機は、僕の膝の上に墜落した。握り拳に、そっと安西さんの手が添えられる。
 
「父さんに、母さんに申し訳ない。二人を残して僕は……、僕はただ……」
「でもね、あなたが守りたかった人はほら、笑っていますよ」

 腹ごしらえが済んでまた遊び始めた子供たち。
 鬼ごっこの鬼が、僕の前を走り抜けていく。

「僕は何もしていない。僕は人の命と、自分の命を奪っただけだ」
「それでも、あなたが守りたいと思った事は無意味じゃないです。犯した罪は消えませんが、許されるんです」
「……誰に?」
「あなた自身に。そして私に。そして、全てに。あなたの想いは輝きを失っていません。だから、私はここに来たんです」
 安西さんが、僕の顔をじっと見る。その細い腕が、僕を抱きしめた。

 肩越しに純白の翼が羽ばたくのが見えた。

「今度は、人を殺さない飛行機に乗れるといいですね」

 僕たちの体が、地面から離れていく。

 空へ、天へ向かって、ゆっくりと昇っていった。
 
 
 
 

 不思議そうに空を見ていた少年は、鬼につかまって我にかえった。
 文句を言いながら、それでも楽しげに他の子供たちを追いかけ始める。


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