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The Secret of Boogiepop

1〜展覧会の少女〜

 静寂が支配する空間に、人々の足音だけが響く。
 人々は足を止め、そしてまた歩き出す。
 そこに何かを見いだした者。ただ何となく眺めているだけの者。絵を見る、という行為の意味は人それぞれだが、彼、竹田啓司はある意味変質的な所まで行っていた。会場に入ってからかれこれ1時間近く経過するが、まだ半分も見ていない。
 一つ一つの絵を鑑賞し、吟味し、意味を考え、学ぶべき点を捜し出す。
 彼にとって、まったく幸せな時間だった。蝉ヶ沢卓は啓司の目標とするデザイナーの一人である。
 大胆にして繊細、などというのは使い古された言葉であるが、配色の奇抜さとそれを不快と思わせない構図は、さすがとしか言い様がない。啓司にとって、学ぶべきことはたくさんあった。

「竹田先輩」
 不意に声がかけられた。
 彼は気付いていないが、声の主はもう三回ほど彼のことを呼んでいた。
「はいっ!?」
素っ頓狂な声をあげて、慌てて口を抑える。
 周りの人々がじろじろとこちらを見ていて、恥ずかしい。
 声の主は彼のすぐ隣にいた。アーモンドのような大きな目な印象的な、なかなか可愛らしい少女だ。自分のことを「先輩」と呼んだのだから、おそらく深陽学園の後輩なのだろう。
 だが、見覚えはない。
「えーと、……誰だっけ?」
 言ったとたんに啓司は後悔した。少女の顔がみるみる悲しみに歪んでいく。
 しまった、ここは嘘でも知っているように挨拶しとくべきだったか?
「しかたないですよね。お話するの、はじめてですから」
 だが、次の瞬間にはけろりとした表情で彼女はそう言った。こういうのを『表情豊か』と形容するのだろうか?

 どちらかと言うと『ヒステリー』と言う方がしっくりくる。

 そして、次の瞬間には彼女は顔を耳まで赤くして、もじもじとしている。
「あ、あのっ、私、宮下藤花っていいますっ」
 TPOをわきまえない大声で少女は自己紹介した。
 周りの人々は足を止め、こちらを見ながらひそひそとなにやら話している。
 警備員も睨んでいる。啓司は自分も真っ赤になりながら藤花をやんわりとたしなめようとしたが、彼女の次の言葉に固まってしまった。
「先輩っ、わ、私とおつきあいしてくださいっ」
 だが、その告白は周囲の注目を集めることはなかった。藤花が告白したその瞬間、壁が爆音をたてて崩れたのである。 

2〜逃亡者〜

 すさまじい爆音とともに会場の一部が崩れ落ちた。
 人々は驚き逃げ惑い、パニック状態に陥いる。
 崩れた部分に最も近いところにいた啓司と藤花の二人は逃げることもできず、ただ呆然とそこに立ち尽くすだけだ。
「げほっ、げほっ」
 不意に、もうもうと立ちこめる煙の中から咳き込む声が聞こえた。どうやら男のようだ。
「げほっ……、羽原さん、火薬使いすぎ」
「しょうがないだろ。凪が派手な方がいいって言ったんだから」
「人の所為にすんな」
 別の青年の声。それに続いて女性の声が重なった。
 さらにぼくっ、と何かを殴ったような音がする。
「ぐふっ、な、凪。今のマジで決まったぞ……」
「狙い通りだ」
 苦しむ青年の声を平然と受け流す。そして、彼女は煙の中から現れた。
 黒のライダースーツを纏った、かなりの美人だ。
 長く伸ばした髪をうるさげにかきあげる。
 その後から二人の青年も姿を現す。もう一人に支えられて鳩尾のあたりを抑えているのが、「羽原さん」と呼ばれた方だろう。
「あんたたち一体……って、あーっ!」
 我に返った啓司が悲鳴に近い声をあげた。
 彼らの周りに散らばっているのは何も壁の残骸だけではなかったのだ。その中にはもちろん、展示されていた蝉ヶ沢卓の絵も含まれている。啓司は恐怖も忘れて謎の三人組に詰めよった。
「あんたたち、これが一枚いくらすると思ってるんだ!? いや、値段の問題じゃない……」
「知るか」
「し、知るかって……」
 そっけなく返されて、啓司は返答につまる。
 羽原がため息交じりにつぶやいた。
「これだから心に潤いの無い奴は」
 言った瞬間に女の裏拳が顔面に決まり、血の海に沈む。
「わーっ、羽原さんっ」
「正樹……、俺もう駄目かも……」
「そんなことはどうでもいい」
 後ろで危険なことになっている羽原をまるっきり無視して女は藤花の方をきっ、と睨む。
「あんた、宮下藤花だな?」
「は、はいっ。そうですけど……」
 いきなり話の中心に持ってこられて、藤花はうろたえた。
「『ブギーポップ』を渡してもらおう」
「……は?」
 なんの事だか、さっぱりわからない。
「知らないとは言わせないぜ。『汝、全ての知を司る物なり』と伝説に記された『ブギーポップ』だ。あんたが持っていることは調べがついてる」
「全然知らないんですけど。というか、情報の出所ってどこですか?」
 藤花の返答を聞くと、女は深くため息をついた。
「……過ぎた力ってのは、人を不幸にするぜ。しかたない。正樹、健太郎、やれ」
「えーっ、女の子に手をあげるなんてできないよ」
「第一凪、お前が一番強いじゃねぇかよ」
 次の瞬間凪と呼ばれた女の回し蹴りで遥か遠くに吹き飛ばされた羽原健太郎を見て、正樹と呼ばれた方は青くなって藤花に向かっていく。
「せ、先輩っ」
 たとえ今日知り合ったにしても、女の子を見捨てる訳にはいかず、啓司は藤花を後ろに庇う。
 だが、正樹は男に容赦しなかった。啓司の腕をとると、あっという間に一本背負いで啓司を床に叩きつけた。
「ごめんね。俺も命が惜しいんだ」
 そう言うと、今度は藤花の腕をとる。
 だが、次の瞬間床に叩きつけられたのは正樹の方だった。
「なっ!?」
 正樹を投げた藤花は啓司を立たせると、凪を見据える。
「凪、と言ったかな。君は大きな間違いを犯している」
「なに?」
 藤花は、笑っているようなからかっているような、曰く言いがたい表情をして言った。
「『ブギーポップ』は物じゃなくて者、さ」
 そして身を翻すと、啓司の手を引いて駆け出した。とても少女とは思えないスピードだ。
「あっ、くそっ 正樹、健太郎、追うぞっ」
 だが、返事は無かった。二人とも気絶していたのである。もっとも、一人は凪が蹴り倒したのだが。

3〜謎の大海戦〜

 啓司は今、なぜ自分がここにいるのかいまいち把握できていなかった。
 突然人が変わった藤花に引っ張られて近くの深陽港まで来たと思ったら、そこからフェリーに乗り今は海の上。
 しかも費用は啓司持ちだ。
 どこに行くのか訪ねた時の、彼女の「『敵』の所さ」という言葉が非常に気になる。
 しかもそれ以上詳しくは聞くことができなかった。暗然とした気持ちで自分と腕を組んでいる少女を見る。
 少し前に改めて聞いてみたら、彼女は個展の爆発騒ぎからフェリーに乗るまでのことを一切覚えていないと言うのだ。
 藤花の方では謎の三人組に教われたショックで気絶した彼女を啓司がここまで連れてきた、ということになっているらしい。
「無断外泊になっちゃうのかしら。末真にアリバイ作ってもらわないと」などとはしゃいでいる。
 その顔があまりに嬉しそうだったので、起こる気力も失せてしまった。
 ……そして、そんな二人を乗せたフェリーを追いかける小型クルーザーが一隻。
「凪、こんな船どうしたのさ?」
 という正樹の質問に彼女はそっけなく「俺のだ」と答えた。
「これだから金持ちってのは……」
 とぼやく健太郎の脳天にかかと落としを決めつつ、フェリーとの距離を目測する。
「あと三分ってとこか。健太郎、そんなとこで寝てないで乗り移る準備しとけ。船酔いなんて情けねぇぞ」
「凪……、覚えてろよ……」
 言いつつ健太郎が立ち上がろうとした瞬間、クルーザーが横転した。
「正樹!? お前もかっ」
「何にもしてないよっ」
 寸前で転覆することを免れた船の上で凪は見た。
 船の下を巨大な影が通り過ぎるのを。
 凪はそれを潜水艦だと判断したが、
「速いっ!」
 あくまで予測だがその速度は100ノット(時速にして約180km)を軽く超えている。水の中を進む乗り物の出せるスピードではない。
 その影はあっという間にフェリーと接触し、破壊した。しかも影自体にはなんら影響が出ていないようだ。
「凪っ、もう一つ来た!」
 正樹が緊迫した声をあげる。
 彼の見ている方向に派手な水飛沫があがった。
 その水飛沫の中から爆音とともに四本の閃光が放たれる。
「ミサイルだとっ!?」
 放たれたミサイルは先行する影を捉える寸前、爆発した。
 影の方から何等かの反撃があったようだが、あの距離でミサイルを迎撃できる兵器を凪は知らない。
「どうする凪!?」
「……。一時撤退だ。今の装備じゃどうにもならない。宮下藤花は死んだかも知れないが、それは仕方無い。だが、仇はとってやる」
 そして、正樹に最寄りの島に進路をとらせると、一度だけ壁に強く拳を叩きつけた。
 ……だが、藤花は(ついでに啓司も)生きていた。
 どうやって助かったのか、啓司にも、今の藤花にもわからない。
 そして、海に浮かぶ二人の目の前にある『これ』がなんなのかも。
 それは、船と言うよりも飛行機に近い形をしていた。淡いメタリックブルーに塗られた美しい流線型のボディーが陽光を受けてきらめく。
 二人は呆然とそれを見上げるだけだった。

4〜万能戦艦パンドラ〜

「船長」
 その呼びかけに男は目だけで応えた。
 視線の先にいるのはジージャンにジーパンというラフな格好をしている十七歳くらいの少女だ。
 対する男の方は三十歳ほどだろうか。ダークグレーのコートを着ている。
「――遭難者二人、救出完了。でもいいのかねぇ、乗せちゃって」
「しょうがないだろ」
 報告、というにはなれなれしい口調だった。
 しかし船長もそれを咎めようとしない。
 手元のスイッチで救助した二人のいる後部格納庫をモニターに表示する。なにやらはしゃいでいる少女と困惑している青年。
「あれ? 竹田じゃねぇか」
 そのモニターを今まで海図とにらめっこしていた青年、海影香純が覗きこむ。
「知り合いですか?」
 舵を握っていた天色優(女の子のような名前だが、立派な男だ)が振り返って訪ねる。
「中学の時、ちょっとな。……しかし、彼女連れとは、いいご身分だな」
「お前も七音と素直にくっつけばそんな身分になれるだろ?」
「……三都雄、殺す」
「ま、まぁまぁ……」
 香海に余計な茶々を入れたのは、機関をチェックしていた数宮三都雄。止めようとした優もまじえて、たちまちじゃれあいが始まる。
「まったく、ガキなんだから」
 少女がため息をついた。彼女を含め、この船はいつもこんな調子だった。とても先ほどまで戦闘をしていたとは思えない。
「船長、右舷二時の方向に微弱な磁気反応があります」
 そんな中で彼、神元功志はいたって真面目だった。
「奴か?」
「おそらく」
 船長は一瞬考え込むと、すぐに決断を下した。
「機関始動。通常航行、進路変更027」
「りょーかい、機関、始動」
「進路、027に変更します」
 じゃれていた三都雄と優は持ち場に戻り、船長の指示を復唱した。香純も持ち場に戻る。
「遭難者はどうすんの?」
「今は奴を追うのが先だ。すまないが、面倒をみてくれ、ピジョン」
「はいはい」
 ピジョンと呼ばれた少女は、船長が振り返った時にはすでにブリッジから消えていた。
 

「あ、先輩、動き出しましたよ」
 ここまで来て、まだ藤花は元気だった。ぐったりしている啓司とは対象的である。
「どこに行くんでしょうね?」
「さぁね……」
「本艦は今、敵戦艦と思われる機影を追跡中よ」
「!!」
 突如会話に入ってきたピジョンに二人とも硬直した。今の今までこの格納庫には二人しかいなかったのだ。
「き、君は?」
「あたしのことはピジョンって呼んで。船長に頼まれてあんた達の面倒みることになったんだけど……」
 そこまで言って、彼女は言葉を切った。その理由に啓司と藤花もすぐに気付く。今まで聞こえていた海流の音や、艦体にあたる浮遊物のおとが不意に途切れたのである。
「あれ? 閉鎖空間航行に切り替わった。やっぱり敵だったんだ」
「て、敵ってなんですか?」
「あんた達が気にすることじゃないよ。安心して、すぐ帰してあげるから」
 二人は顔を見合わせ、さらにピジョンに質問しようとして、果たせなかった。
 現れたのと同じ唐突さで彼女の姿が室内から消えていたからだ。  

5〜追跡〜

「目標、戦闘射程に補足! 統和機構の戦艦と確定しました。距離、9200」
 功志の声がブリッジに響く。
「総員戦闘配置。歪曲場を収束、主砲を閉鎖空間外へ」
「歪曲場収束。主砲、空間外へ露出」
 いつのまにか戻っていたピジョンがてきぱきと実行する。
 毎度のことなので驚くものはいない。
 船体に僅かな振動があった。船体を覆っていた閉鎖空間から海中へ主砲部分が飛び出したのだ。
「敵、魚雷発射っ、雷数4!」
「対雷撃弾セレクト、発射」
 香純が船長の指示を待たず主砲を発射する。
 発射された二発の弾は船体前面に無数の機雷をばらまく。敵の魚雷はその機雷に捕まり、次々と誘爆していった。
「機雷、消失」
「続いて、通常弾セレクト……なに?」
 香純の声が途中で途切れた。照準のモニターがノイズの海になっている。
「光学、音波……あちゃ、熱感知もおかしくなってる」
「チャフをばらまかれたか……。敵は?」
「わかりません。しかし、攻撃してくる様子がないことから、逃げたものと思われます」
 功志の報告を聞いて、船長はシートに深く座り込んだ。
「また最初からやりなおしか……」
 それから数時間後。
「あんたたち、飛行機の操縦経験は?」
 啓司は黙って首を横に振った。
「あの、ゲームセンターでちょっとだけ……」
 藤花の声は、ピジョンに睨まれて尻すぼみになった。
「じゃあ、船の方は?」
 今度は二人とも素直に首を横に振る。
「……まぁ、いいや。とりあえず、このボートはオートパイロットで近くの島にたどり着けるようになってるから。途中で事故んないように気をつけてね」
 二人を小型のボートに乗せながら、ピジョンは不吉なことを言う。
「あの……、どうもありがとうございました」
「あ? いいって。べつに」
 礼を言う二人にひらひらと手を振ると、彼女はボートのエンジンをスタートさせた。
「じゃぁねー」
 ――もう会うこともないけどね。と、小さくなっていくボートを見ながらピジョンは小さくつぶやいた。
 しかし、その言葉はすぐに覆されることになる。 

6〜カミールの島〜

「あ、先輩、見えてきましたよ」
 藤花の言葉に啓司が顔をあげると、彼女の言葉通り目の前に島が見えてきた。
「やれやれ、やっと帰れるよ」
 ほっとひと息の啓司とは対照的に、藤花は少し不満顔だった。
「あーあ、もう少し先輩と旅行したかったなぁ。あ、そうだ。先輩、私、告白の返事まだ聞いてません」
「えっ」
 これは不意打ちだった。しどろもどろになる啓司を藤花がじっと見つめる。
「先輩……」

 あぁ、そんな潤んだ目で見られても。

 え、なんで目を閉じるの?

 混乱する啓司。だが意外なところから助けが来た。
 一瞬の閃光の後、船が爆発したのだ。放り出される二人
「な、なんだ!?」
「……どうやら、島から砲撃されたらしいな」
 その言葉にはっとして、啓司は隣で浮いている藤花を見る。
「宮下さん?」
「今は違う」
「え?」
「それより、ここから島まで泳げるかい?竹田君」
「……大丈夫だと思うけど」
 釈然としないまま、泳ぎ出した藤花の後に続く啓司。大丈夫だ、と言ったわりには、海岸についたときにはもうへとへとだった。肩で息をしてへたたりこんでいる啓司の横で、何もなかったかのように藤花が立ち上がった。
「どうやら、先客がいるようだな」
 彼女の言う通り、海岸にはすでに人影があった。
 あちらも二人。違うのは、倒れたまま動かないこと。
「大変だ……」
 よろよろと起き上がる啓司を見て、藤花は、笑っているような、からかっているような、不思議な表情をして言った。
「君はいい人だな」
「よ、よしてくれよ」
 照れながら二人のもとに歩いていく。
 近くで見ると、それは二人の少女だった。
 幼い方を抱き起こそうとして、啓司は凍り付く。彼の手にべっとりとついたもの……。
「血!?」
 少女はすでにこと切れていた。思わず少女を落とし、その場で尻餅をつく。
「し、死んでる……」
「背中から銃で撃たれたな」
 遅れてやってきた藤花が冷静に分析し、もう一人の少女を見た。
「こっちはまだ生きている」
 そう言うと、藤花は少女を助け起こし、軽く頬をたたいた。
「う……ん」
 うっすらと瞼を開ける少女。そして、目の前の啓司と藤花を見てびくり、と体を強ばらせる。
「心配しなくても、今のところ僕は君の敵じゃない。……何があった?」
「私……、私は……」
 震える体を自ら抱き締め、少女は顔を伏せる。
「みんなが女の子を撃とうとして……、やめてって言ったのに……っ、女の子は!?」
 首をそっと横に振る啓司と、その横で動かない少女を見て、彼女の瞳から涙があふれる。
「君、名前は?」
「……綺。織機綺。私は……」
 そこまで言って、綺は自分でも信じられないと言う様に、目を見開いた。
「その他は……、何も……、思い出せない……」
それが、綺と名乗る少女と二人の出会いだった。


end