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ブギーポップ ミレニアム



 ……何が終わって、そして何が始まったのか、君にはわかるかい?
 君は何も終わっていないし、何も始まっていないと思っているかもしれない。
 だが、『それ』は確実に成長し、増殖し、そして僕の『敵』になろうとしている。
 僕かい?僕の名はブギーポップ。世界の敵を遮断しに浮かび上がってくる『不気味な泡』さ。
 もっとも、これから始まる話はそんなこととはまったく関係ないんだけどね。








 窓の外は静かだった。正月からせわしなく行きかう物好きな車もないではなかったが、正月ぐらいは家でのんびりしようという常識人がまだまだ世間の過半数を占めているようだ。
 竹田啓司もそのクチで、進路の決まっている気楽さからか、さながら猫のごとくこたつで丸くなり、くだらない正月の特別番組を観ながらだらだらと年末年始を過ごしていた。
 だが、それも昨日までの話である。正確にいえばつい30分前までの、彼の家に客が来るまでの話だった。
 その客は彼の両親に丁寧な挨拶をした後、彼と一緒にこたつに入ってつけっぱなしのテレビを何の感想もなく見つめている。
 以来30分間、二人の間には何の会話もなかった。
「なぁ……」
 ついに啓司は沈黙に耐えきれなくなって、おずおずと彼に話しかけた。
「おまえ、何しにきたの?」
 トレードマークの黒帽子も黒マントも脱いでいるので、今はただの顔色の悪い宮下藤花にしか見えなかったが、それはまぎれもなくブギーポップだった。
「僕が浮かび上がってくる理由は1つしかない」
 そう言ってブギーポップは例の左右非対照の表情をする。
「世界の敵、か?」
 真剣な表情になった啓司にブギーポップはうなずいて、こたつの上に置いてあったみかんを1つ手にとる。
「これが世界の敵だ」
「は?」
 皮をむいた後に丁寧に筋を取っって、そのうえ房から果肉を取り出して食べるブギーポップを、啓司はただ見ていることしかできなかった。
 見ている間にブギーポップは2つめの『世界の敵』を手に取る。
「竹田君」
「……なんだ?」
「今度はお茶が1杯世界の敵」
「小噺やってんじゃないんだから……」
 ぼやきつつ啓司が用意したお茶をずずず、とすすりながら、ブギーポップはまた無言でテレビを見はじめた。
 あきらめて啓司もそれにならう。

 それからどれほどの時間が過ぎたのだろう。もしかしたらほんの数分だったのかもしれないし、ひょっとしたらもう何時間もたってしまったのかもしれない。
 ゆるやかな時間の流れは人から感覚を奪う。
 今度はブギーポップが啓司に向けて話しかけた。
「竹田君。今日僕がここにきたのは君にみかんやお茶をご馳走になりたかったからじゃないんだ」
「そりゃそうだろうなぁ。その可能性も否定できないけど」
 そのまま聞き流そうとした啓司だったが、ブギーポップのいつにない真剣な表情を見て背筋を正した。
「君に、お願いしたいことがあってきたんだ」
 こんなことを言えた義理じゃないが、と少し目を逸らしたブギーポップを見て、啓司はそれが重大なことなのであると感じた。ボギーポップが躊躇するほどの……。
「なんだよあらたまって。俺にできることなら何でもするよ」
 つとめて明るく言う啓司を見て、ブギーポップはゆっくりと右手をさしだした。
「やっぱり君はいい人だな」
「よせよ。俺たちは友達だろ?」
 その手を握ろうとして、啓司は手のひらが上に向いていることに気づく。
「?」
「竹田君」
 意を決したようにブギーポップが口を開いた。
「お年玉ちょうだい」
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
「何?」
「お年玉ちょうだい」
「何で?」
「世界の危機、とだけ言っておこう」
 そう言ってブギーポップは遠い目をする。
「納得してくれたかな?」
「するかっ!!」
「できることならなんでもするって言ったのに」
「あのなぁ……」
 しかたがない、とでも言うようにため息をつくと、ブギーポップは懐から一枚の茶封筒を取り出した。
「無料(タダ)とは言わない。君にこれをげよう」
「何それ?」
「人には言えない宮下藤花の秘密だ」
 重い沈黙が流れた。
「……なんでそんなの持ってんの?」
「いらないのなら仕方ない。これは最近宮下藤花に告白してもののみごとに玉砕した彼に売り払ってしまおう。……いくらになるかな?」
 立ち上がったブギーポップの手を掴む啓司。
「……千円でいいかな?」
 ブギーポップの手が開く。
 指は5本。
「おまえって意外にえげつないのな……」
「恋人の秘密を守るのには安い買い物だと思わないかい?」 完全に悪人の台詞を吐くブギーポップにしぶしぶ五千円札を渡して、茶封筒を受け取った啓司は、それをごみ箱に捨てた。
「それをどうしようと君の勝手だが……。じゃぁ、そろそろ僕はお暇するよ。これから霧間凪と新刻敬と田中志郎のところにもお年玉を貰いに行かなければいけないんだ。……道元咲子の住所はどこだったかな?」
 ブギーポップはハンガーにかけられていたふかふかの黒帽子ともこもこした黒マント、そして黒い手袋に黒いマフラーを身につけた。
「ひょっとしてさぁ」
 啓司は唐突に浮かんだ恐るべき疑問をブギーポップにぶつけた。
「お年玉って、もしかしてその『冬季限定ヴァージョン』の服にあてるのか?」
「竹田君」
 ブギーポップは笑っているようなからかっているような、曰く言いがたい左右非対照の表情をした。
「寒いと、外に出るのが億劫になると思わないかい?」








 ブギーポップが帰った後、啓司はどきどきしながらごみ箱から茶封筒を取り出して、その封を切った。
 中には紙切れが一枚。

『実はブギーポップ』






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