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The Secret of Boogiepop
一人→三人

 竹田啓司という人間は、どうも決定的な部分で不器用であるらしかった。
 彼は追われていた。
 藤花が飛び出した後、彼女を助けるために自分も洞窟を出たのだが、彼女と彼女を追って行った一団はとっくに姿を消していた。途方にくれてとぼとぼと歩いていたところ、別の一団に遭遇してしまったのだ。
「待てっ!」
 そう言われて待つほど馬鹿ではなかったが、体の方が悲鳴をあげてきた。息があがる。もともと、鍛えている訳ではないのだ。
 つまずいた。
「くぁつ!?」
 無様に転がる。痛みと衝撃で息がつまる。
 囲まれたのが気配でわかった。突然、砂浜で死んだ少女の顔が浮かんだ。
 殺される。
 それは絶対的な恐怖となって啓司を襲った。震えが止まらない。本当は叫び出したいのだが、肺が言うことを聞いてくれない。眼球は緊張のあまり涙を流すこともできない。生きるということをやめる最後の瞬間に、彼の体は本人の要求をすべて拒否した。
「あっ、あぁ……」
 口から洩れ出るのは震えたあえぎだけ。停止しそうになる思考を振り絞ってなんとか助かる方法を考えた。
 なにも思い浮かばない。
 がちり、という不吉な金属音を耳が捕らえた。銃の撃鉄をおこした音だと、思考は断定する。そんなこと理解しなくてもいいのに。もはや、自分の思考すら彼を裏切っていた。
 恐ろしく長い沈黙。実際はほんの数秒の時間だったが、啓司には永遠ともとれる時間が過ぎた。
「なにやってんだ?」
 不意に、本当に不意に、声がかけられた。周囲に緊張が走る。
 銃声。だが啓司はまだ生きていた。
 おそるおそる顔をあげた啓司の目の前に、先程まで彼を追っていた男の一人が降ってきた。
「うわっ」
 降ってきた方向を見ると、見覚えのある人物と目があう。全身黒ずくめのライダースーツに、黒いロングヘア。
「姉さん、後ろっ」
「姉さんと呼ぶなぁっ!」
 振り向きざま彼女を背後から襲おうとした男に回し蹴りをおみまいすると、爪先をひっかけて男の体を後ろにいた青年の方に飛ばす。
「うわぁっ!?」
 たまらず吹き飛ぶ男と青年。それが最後だった。周りには気絶した男たちの山。
「またあったな」
 男と一緒に気絶している青年のことなどお構いなしに、彼女は啓司にほほえみかけてきた。
「あ、あんたは……」
「自己紹介はまだだったな。俺は霧間凪。……宮下藤花はどうした?」
「さらわれた。……多分」
 啓司は、今までのことをかいつまんで凪に話した。なにしろ、しばらくぶりに知っている人間と出会えたのである。それが過去に自分たちを襲った人間でさえ。彼女たちは少なくとも二人を殺そうとはしなかった。
「それで、助けに行こうとしてこのざまか」
「……ああ」
 うなだれる啓司の肩を、ぽんっ、と叩く凪の顔は笑っていた。
「逃げ出すよりよっぽどましだよ。で、こんな目にあって、まだ助けにいくつもりか?」
 啓司を見つめる凪の顔はすでに真剣なものになっていた。
 ゆっくりと、うなずく。
「よし。手伝ってやる」
「え?」
 呆気にとられた啓司の顔を見て、凪はいたずらっぽく笑った。
「言ってなかったけど、俺たち正義の味方やってんだ。さぁ、行こうぜ。善は急げ、だ。もう一人が秘密兵器の用意してるからさ、案内するよ」
 そう言って歩き出した凪の後ろをあわててついていく啓司。
「ね、姉さんひどいよ……」
「姉さんと呼ぶな」
 やっと意識を取り戻した青年の頭を蹴飛ばした凪の足が彼のこめかみにクリーンヒットしたように見えたのは、啓司の気のせいだったのだろうか。

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