第十一幕 Winterdays’ Panic!


 テラ川の戦いから、五日後。

 意識を取り戻した彼が最初の目にしたのは、そこそこ上等な指揮官用の天幕の内張りではなく、最近ようやく見慣れてきた借家の天井でもなかった。目に優しい、柔らかい白で彩られた石の壁。

「病院……? 生き残った、か……」

 言葉に出したことで、記憶がよみがえってくる。コーキルネィファもろとも川に落ちたこと、ジーンと名乗る女御者に拾われ、ここまで運ばれたらしいこと。

――彼女には、いずれ礼を言わなければな……。

 口の中でつぶやきながら、身を起こそうとする。しかし、全身が鉛で出来ているかのように重く、言うことを聞かない。

「ぐっ……」

 それでも無理に動かそうとしたとたん、新たに痛みと倦怠感が襲い掛かってきた。くいしばった口から、思わずうめき声が漏れ、起こしかけた上半身が再びベッドに沈み込む。起き上がろうとしては力尽き、何度目かのうめき声をもらしたところで、さすがのソウシも本格的にベッドに身を沈めた。

 ほんの少し身じろぎしただけだというのに、もう息が荒い。傷と疲労の深さは相当なもののようだ――奇妙な冷静さで、ソウシは自分の体の様子をそう判断する。これも、いつの間にやら身についていた傭兵としての習性である。自分が戦えるかどうかの判断、すなわち状況判断は、時として剣の腕よりも重要になる。

「どうやら生きている、と言ったところか……」

「……あら、目が覚めましたか?」

 包帯だらけの体を見下ろしてつぶやいていると、小さな音を立てて病室の扉が開いた。隙間から顔を覗かせているのは、柔らかい桜色の制服を身につけた、看護婦らしい女性だった。

 その彼女は、身じろぎしているうちに多少乱れたベッドを目にすると、整った顔立ちをわずかに歪めた。

「駄目ですよ、酷い傷だったんですから、無理をしては……。何とか一命は取りとめましたけど、危険な状態だったのは確かなんです。まだしばらくは、大人しくしていてください」

 柔らかな、しかし有無を言わさない口調で、幼い子供にそうするようにぴしりとソウシを叱り付ける。

「……申し訳ない」

「はい、よろしい」

 実際に彼女の言うとおりなのだから、ソウシに反論の余地はない。素直に頭を下げると、彼女はどんな病人でも安心するような微笑みを浮かべた。軽やかな動きでベッドに歩み寄ると、手慣れた様子でソウシに毛布をかけ直す。

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね? 私、担当のテディー・アデレードといいます。あなたがここにいる間、お世話をさせていただきますので、よろしくお願いします」

「こちらこそ。自分は、ソウシ・サガラです。しばらくの間、ご面倒をおかけします」

「そんなに改まらないで、リラックスしてください。そんなことじゃ、治りが遅くなりますよ?」

 テディーは、また微笑みを浮かべた。ソウシの態度は初対面ゆえの堅苦しいものだったが、それが彼女には礼儀正しいもの、と好ましく映ったらしい。

 顔を上げたソウシは、改めてテディーを眺めた。長く伸ばされた癖のある栗色の髪は、今は首のあたりで括られている。少し童顔気味だが、年は自分とほとんど同じだろう。彼のよく知る少女たちとは、雰囲気が明らかに違う。強いて言えば、クレアに近い。

「そうそう、目が覚めたことを、妹さんに教えてあげないと」

「サキが、来ているのですか?」

「ええ、今は席を外していますけど。妹さんのほうが疲労で倒れてしまいかねないから、帰って休みなさいと注意したのに、ほとんど泊まり込みだったんですよ? よっぽど、心配だったんですね」

 にっこりと笑って、次にまた、テディーは幼子を叱るような表情を浮かべた。世話の対象という点では、テディーにとってソウシも子供も同じ、ということだろう。

「駄目ですよ? あんまり、ご家族に心配をかけたら」

「面目ない……」

「でも……。いい妹さんを、お持ちですね?」

「……はい。自分には、出来すぎた妹です」

 ソウシは、いつもながら無愛想な顔に、かすかな微笑みを浮かべた。テディーは微笑ましいものを見るような、そしてどこか羨ましそうな表情でソウシを見ていた。

「それじゃ、そろそろ呼んできましょうか。まだサガラさんも起きたばかりですから、あまり長い間面会していることは出来ませんけど……。その間、大人しく待っててくださいね?」

「承知しました」

 念を押すようにそれだけ言い残すと、テディーは静かに部屋を出ていく。去り際に、ベッドに大人しく横たわったソウシを見て、また小さく微笑む。

 ソウシの個室を出たテディーは、そのままサキがいるはずの待合室に足を向ける。確か、サキはそこでソウシの見舞いに来ている友人達に会っているはずだった。彼の目覚めを、我がことのように喜ばしく感じながら、テディーは清潔に保たれた廊下を歩いていく。彼女にとって、ここにやってきた人が元気になっていくのを見るのは、何より楽しいことなのだ。

 ところが、軽やかだったその足取りがふと鈍くなった。朗らかそのものだった表情も、眉のあたりが険しくなっている。

「……そういえば、サガラさんのお見舞いの人って、女の子ばっかりだったわよね……? 真面目そうなのに……。意外と、軟派な人なのかしら……」

 本人を運び込んで来たのも、キリッとした美人だった気がする。おまけに、見舞いにはサキと同年代か少し上に見える少女達、それからソウシより明らかに年上の、しかし落ち着いた大人の雰囲気を漂わせた女性も来ていた。

 そんな考えが浮かんだテディーだったが、今は関係ないこと、と気持ちを切り替えて再び待合室へと向かう。そこには、思った通りにサキと、見舞いの少女達がいた。サキより幼く見える大きなリボンの似合う少女、それから、今度は逆に年上に見える少女が四人。

「サガラさん?」

「はい、テディーさん。何か、御用でしょうか?」

 テディーの呼びかけに、この年齢では珍しいほど丁寧な返事が返ってくる。しかしその物腰が、この東洋人の少女には不思議と似合っているのだった。

「お兄さん、目を覚まされましたよ」

「ほ……」

「ほんと、お姉ちゃん!」

 微笑みを浮かべながらも、どこか沈んでいたサキの表情がほころびかける。しかしそれより早く、彼女の隣にいた幼げに見える少女が、満面に笑みを浮かべて身を乗り出してきた。外見通りの、少々子供っぽい反応にテディーも思わず笑みを浮かべる。

「ええ。まだあまり長い時間面会は出来ませんけど、一時間くらいならお話ししても良いですよ?」

「やったぁ! サキちゃん、お姉ちゃん達! 早く行こうよ!」

「こら、ロリィ、走っちゃダメだろ!」

 居並ぶ少女達の一人の手を取って、ロリィが小走りにソウシの病室へと向かう。その後に、残る三人も足早に続く。同じように走り出したいところを、抑えているように見えるところがテディーには微笑ましかった。

 そして最後にサキが続く。彼女は、もう一度テディーに頭を下げてから歩き出した。

 その背に向かって、テディーはふと声をかけたくなった。

「もてるお兄さんがいると大変ね、サガラさん?」

「……ええ、でも、兄さまはそういうことに疎いですから……」

 突然のこの話題に、サキとしては苦笑を浮かべるしかなかった。しかしテディーの本題はそんなことではない。

「お兄さんが目を覚ました時ね、貴女が心配してたってことを教えて上げたの。そしたらね……」

 もったい付けるように一息おく。

「お兄さん、とっても嬉しそうな顔してたわよ。……良いお兄さんね」

「……はい。不器用で、無愛想で、なんでも一人で決めてしまう勝手な人ですけど……。とっても優しい、大好きな兄さまです」

 話題を振ったテディーが赤面してしまうようなことを、サキはさらりと言ってのける。サキの表情には、誇らしい様子こそあれ、照れた様子は全くなかった。

「ほんと、羨ましいわ……。私にはあんな素敵なお兄さんはいなかったからね。さぁ、貴女も、早く行って上げて。病人には家族の笑顔が一番の薬だから」

「……はい! ありがとうございました!」

 輝くような笑顔を浮かべてもう一度頭を下げると、サキは後ろ髪をなびかせて病室へと向かった。その足取りは、走り出すのと歩くのと、ちょうど中間の様に見えた。

 サキを見送ったテディーは、その背中を眺めながらソウシに関する評価を少し修正していた。女の子にあんな笑顔を浮かべさせられるのだから、ただの軟派な男性ではない、と。しかしそんなことを考えていたのも一瞬のこと、彼女は再び仕事に戻っていった。患者はソウシ一人ではない。彼女の仕事には、無駄に出来る時間は少ないのだ。

 

 ベッドに大人しく横たわってサキを待つソウシの元に、一足先にやって来る人影があった。わずか二十センチそこそこのそれを、『人』でくくって良いのならば、だが。

『やぁっとお目覚めだね? もう、サキちゃんに心配ばっかりかけて!』

「……随分と久しぶりに声を聞いた気がするな、ピコ」

 ソウシが胸元に目をやると、そこには透き通る羽根を持った妖精が仁王立ちになっていた。ただ、表情に迫力が無いために、随分と可愛らしい眺めだったが。

『キミが無茶するから、サキちゃんずっと看病してて大変だったんだよ? 私が休めって言っても全然聞いてくれないし……。もう、こんなことしちゃダメだからね!』

「自分から望んでこうなったのではないのだが……」

『ほら、口答えしない!』

 ピコの言いぐさに、思わず苦笑が漏れる。だが、ソウシはきつい口調の裏にある言葉もしっかりと聞き取っていた。伊達に十年近く付き合っているわけではない。

『全くもう……!』

「サキのことはわかった。無理をしないよう、言っておこう。……だが、お前は心配してくれなかったのか?」

『え……、そ、それは、私だって……。って、何言わせるのよぉ!』

 顔を真っ赤に染めたピコが、ソウシの胸の上でじたばたと両手を振って暴れ回る。払いのけようにも――そんな気は毛頭なかったが――手を動かすのもおっくうなソウシは、それを微かに笑みを浮かべて眺めていた。

 と、そのピコが荒い息を付きながらぴたりと動きを止める。

『いっぺん死にかけたら、言うようになったじゃない……。そ、それじゃ! みんなも来たみたいだし、私はもう帰るから! 大人しくしてなさいよ!』

 素早く舞い上がり、ピコは窓から身を乗り出す。その背中に向かって、ソウシは声をかけた。

「ああ。しばらく大人しくするとしよう。……それから、ピコ」

『何?』

「感謝している。いつも、済まない」

 ソウシの言葉に意表を突かれた様子のピコだったが、彼女はすぐに、優しげな、見守るような笑顔を浮かべた。

『はい、よろしい! それじゃ、ね!』

 ピコが窓から見える空へと舞い上がっていく。元から小さいその姿は更に小さくなり、すぐに見えなくなった。そして入れ替わるように、廊下から数人の気配が近づいてくる。

「(……さて)」

 視線を窓から外すと、廊下からぱたぱたと軽い足音が聞こえてくる。足音の主はすぐに扉の前にたどり着くと、勢いよく扉を開いた。

「おにーちゃん!」

「よ、元気そうじゃないか」

 真っ先に飛び込んできたのは、彼の予想とは少々違って、おなじみの大きなリボンをなびかせたロリィと、彼女に手を引かれたレズリーだった。一歩遅れてハンナ、ソフィア、ライズ、そしてようやくサキが入ってくる。

 少女達は、みなそれぞれに違った表情を浮かべていた。しかし、その中には共通してソウシの無事を喜ぶ色が含まれていた。――ライズのように、一見非常にわかりにくい表情もあったが。

 そしてサキ。ソウシの実の妹である彼女の表情は、一言では言い表しにくいものだった。安堵、恐怖、喜び、怒り――色々な要素が複雑に織り混ざっていて、言いたいことがあるのにそれも言えない、という風情だった。だから、彼は自分から苦労して上半身を持ち上げ、ゆっくりと頭を下げた。

「ロリィ、レズリー、ハンナ、ソフィア、ライズ、サキ。心配をかけて済まなかった。それから、俺などのことを心配してくれて、ありがとう……」

 結局サキは、何も言えずに、ソウシに取りすがって泣き出してしまった。
 

 

 改めてソフィア達から聞かされた彼の状態は、相当ひどいものだったらしい。コーキルネイファと戦った折の創傷、裂傷、火傷、それらによる多量の出血。更に、川に落ちたことによる全身の打撲、体力の消耗。──五体が満足に繋がっていること、ひびは入っているが、骨折にまで至った箇所が一カ所もないのはまさに奇跡だ、とは医者の弁だそうだ。

 冗談抜きに衰弱死、失血死一歩手前だったそうだが、知らせを受けて見舞いに駆けつけたライズとソフィアの輸血が間に合ったこともあり、一命を取り留めた、らしい。

「本当は、この子が輸血できれば一番よかったそうだけど……」

 ライズは、泣き疲れて眠ってしまったサキを見下ろしながら誰ともなしに言った。

「まだ成長しきっていない子供では、輸血は危険があるそうだから、血液型の合う私達が、ね」

 サキは、ロリィと並んでソウシのベッドに取りすがって眠っている。看病の疲れもあったのだろう。ちなみに、ロリィは別に眠っているのではなく、ソウシに頭を撫でられながら気持ちよさそうに目を細めている。その様子は、ほとんど子猫である。

「……二人とも、感謝する。助けられた命の恩は、必ず返す。何か力になれることがあったら、遠慮なく言って欲しい」

「……気にするほどのことじゃないわ」

「そんな、顔を上げてください、ソウシさん。私は、もう何度も助けてもらってますし……」

 真剣な、神妙な顔つきで頭を下げようとするソウシを、ライズは少しはにかんだような表情で、ソフィアは慌てた表情で遮った。実際の所、彼も全身の痛みで動くこともままならなかったため、それを大人しく受け入れた。

 待ち望んでいたソウシの目覚めに、話の弾む彼らだったが、時間は無情に過ぎ去り、面会時間はあっという間に終わりを告げた。眠っているサキを除いた少女達はまだまだ話し足りない様子だったが、戻ってきたテディーにやんわりとたしなめられて、名残惜しげに帰っていく。

「じゃ、おにいちゃん! また来るからね!」

 もちろん、すぐにまた見舞いに来るという約束は当然残していったが。

 そして少女達が帰った後で、テディーはどうにも困っていた。

「……妹さん、起きそうにないわねぇ……」

「疲れていたのでしょう……。これには、心配をかけさせてしまいました」

 いくら決まりとはいっても、今のサキを叩き起こして帰らせるのは少し気が引ける。聞き分けの良いサキでも、これには抵抗するだろうということくらい、まだ付き合いの浅い彼女にも簡単に推測できた。

「仕方ないわね……。妹さんには、付き添いの方のための設備を使ってもらいましょう。簡易ベッドがありますから、持ってきますね」

「重ね重ね、ご迷惑をおかけします」

 ソウシも学習したのか、体を動かそうとはせずに、その分真剣な様子で礼を言う。テディーは、誇らしげな笑顔で応えた。

「大丈夫、これも私達の役目ですから!」

 

 

 ソウシが目を覚まして一週間後。

 彼は焦っていた。とは言っても、別に命の危機にあるわけではないし、入院生活は、まだ回復途上の体が少し言うことを聞かない不便こそあれ、おおむね快適である。『それ』は彼が長年付き合ってきた危険とは別種の、しかし確実に彼に緊張感を強いる『こと』だった。

 今目の前にある、ソウシの焦燥感を募らせて止まない事態――、その主は、彼のベッドの傍らで楽しそうに(一方的な)お喋りを続けて帰ろうとしないプリシラだった。今も、『見舞い』と称して持ってきたケーキを、自分一人で幸せそうにぱくついている。

「(……一人で食べ尽くすには、随分と多かったような気がするのだが……)」

「ん? サガラ、なんか言った?」

「……別に」

 プリシラは、満腹の猫のような表情で顔を上げた。『見舞い』のケーキは、三分の二ばかりが彼女の腹の中である。

 食べることから意識を放すと、彼女は再び世間話に興じはじめた。相変わらずほとんど彼女が一方的に話し、ソウシがそれに応えるだけなのだが、彼女がそれに飽きる様子はない。

 受け答えしながら、ソウシは焦っていた。実は、今日はもうすぐサキとソフィア達、それにアルベルトとカールがやってくることになっていたのだ。

 サキはいい。元々なんの気兼ねもない相手であるし、かつては人付き合いの悪いソウシをさんざん心配していた所がある。プリシラを紹介すれば、知り合いが増えていることを喜んでくれる――はずだ。しかし、その他の顔ぶれが非常にまずい、と彼の心のどこかが警告する。

 朴念仁ぶりは相変わらずだが、二十年以上の人生経験とドルファンで積まされた経験が、彼女たちが顔を合わせた時に非常に良くない事態が起こることをありありと想像させる。

 ロリィは正面からプリシラとの関係を問い詰めてくるだろうし、レズリーとハンナは間違いなくその味方をするだろう。ソフィアは悲しそうな目で見つめてくるような気がするし――。ライズは、一見無関心な表情だが、その実凍るように冷たい目で見るだろう、と思う。

 さらにもしも、アルベルトに知られたらと思うと背筋が寒くなる。からかわれるくらいならまだ良い、ソフィア達とのことでもう慣れている。だが、もしもプリシラの正体を知られたら、一体何を言われることか。

 プリシラの話は途切れることを知らないかのように続く。話が早く終わらないかと期待しつつも、不思議と彼女を追い出そう、とは思わないソウシだった。彼自身、その理由はよくわからなかった。それは、『雇い主』や『友人』に対する遠慮や気遣いとは別の、彼がまだよくわかっていない何かだったから。

 やがて遂に、恐れていた事態がやってきた。廊下から、憶えのある気配が近づいてきたのである。気配は五つ。どうやら、予想していたよりも一つ少ないようだ。

「(……ライズがいないようだが……)」

 いつの間にか、気配だけでそこまで読めるようになっているソウシであった。もしかしたら、戦場にいるときよりも鋭くなっているのかもしれない。緊張が一時的に彼の能力を高めている、のだろう。少々情けない理由のようではあるが。

 そして。

「ん? なんか、騒がしいわね? 誰かのお見舞い客の団体さんかしら?」

「おっにいちゃーん! お見舞いに来たよー!」

 プリシラが扉の外の声に気付いたその時、いつもの通り元気よくロリィが部屋に飛び込んできたのだった。
 

「……お姉ちゃん、誰?」

「……」

「誰っ、て、あなた……」

「兄さま、お客様ですか?」

 部屋の中に、奇妙な緊張感が漂った。原因は主に、プリシラ、ロリィ、それからソフィアである。レズリーは少し驚いた表情、ハンナは同じように驚いて、それから三人に何かを期待するような表情。サキは一番後ろでやっぱり穏やかに微笑んでいた。

 最初に動き始めたのは、誰であろうプリシラだった。一瞬、自分を見上げるロリィから視線を逸らし、ソウシにしか見えないところでチェシャ猫の笑みを浮かべる。

 その笑みを見てまた強烈に何かを感じたソウシだったが、彼が何か行動を起こす間もなく、彼女はロリィ達に応えていた。ただし、それは今まで彼に見せていた姿ではなく、彼女が王宮で見せる『王女』としての姿だった。その物腰と雰囲気、周囲を柔らかく圧する威厳は、王族としての服装など身に纏っていなくても、場を支配してしまう。

 天真爛漫、天衣無縫、一歩間違えば傍若無人を絵に描いたようなロリィも、そのプリシラの前では萎縮してしまっている。その中ではただ一人、ソウシだけがいつものままだった。一瞬の緊張は、プリシラの変貌の為にかえって解けてしまったらしい。なんといっても、彼はその場で唯一『この』彼女に間近で接したこともあるのだ。

「あら、皆さんに会うのは初めてですね?  私……」

「彼女はプリムという。城勤めをしている娘で、城に出入りしているうちに知り合いになって……」

 だから、ソウシはプリシラの言葉に割り込むこともできた。そうしなければならないと、強烈に喚く勘に突き動かされたのだ。

 彼にしてはすらすらと出てくる言葉に、ソウシは我ながら驚いていた。しかし、そこで黙っているプリシラではない。逆に彼の言葉を遮るように、巧みに話に割り込んでくる。

「そうなんです。お仕事仲間、というところでしょうか。皆さんもソウシのお見舞いに来ていただいて、どうもありがとうございます」

 プリシラの物言いに、誰かがぴくりと反応する。不幸にも、あるいは幸いにも、プリシラに警戒心をまわしていたソウシは、それが誰だか見逃してしまっていた。

「呼び捨てなんて、随分仲が良いみたいじゃないか?」

 ようやく自分を取り戻したのか、レズリーが茶化すように言う。本人としては、場を繋ぐための一言に過ぎなかったのだろうが、それは意図せずに、場を刺激することになってしまった。

 また、『誰か』がぴくりと反応するのが分かる。反射的にその主を探すソウシだったが、その前に、プリシラが振りかえった。その王族として立ち居振舞いには、やはり一分の隙もない。

「それでは、お友達もいらっしゃったようですから、私は帰りますね?」

 情けなくも何を言い出すのかと身構えてしまっていたソウシが、全身の緊張を解いた。

「ああ」

 返事にも、安堵の気配が含まれている。これ以上事態がややこしくならずにすむ、という安心感からだったのだろう。

 しかし、それは彼の思い込みでしかなく、プリシラはきっちりと火種を残していった。

「ソウシ、元気になったら、また、どこかへつれてってくださいね?」

「……」

 彼の滅多に見ない柔らかな、そして水準を超えてはるかに魅力的な笑顔に思わず肯いてしまいそうになる。しかし、三度強烈な何かを感じたとたん、ソウシは我に返って動きを止めた。

「ではソウシ、お大事に。皆さんも、ごきげんよう……」

 プリシラが去った後の沈黙と、ロリィの指すような視線が痛かった。レズリーとハンナは、一歩下がって静観の構えである。

「……あー、今日はライズがいないようだが……」

「ライズさん、今日は用事があるので来られないそうです」

 話題を逸らそうという儚い努力も空しく、ソフィアに正面から撃砕される。

 その日の『お見舞い』は、ソウシにとっては『針のむしろ』だった。 

 

 

 一時は瀕死の状態まで行ったソウシだったが、一度快方に向かえば鍛えられた回復力は並ではなく、医者の予想に反して年の瀬を病院で迎えることなく、退院の運びとなった。

 そして、数日後にクリスマスを控えたある日、彼はすっかり鈍った体を引きずりながら、一人町へと出ていた。回復したと言っても、積み重なったダメージと入院生活は、彼の体から鋭さをすっかり奪っていた。鍛え直す時間と手間を考えると、流石の彼も溜息を付かずに入られない。

 だからこそ、彼はリハビリ代わりにサキの助けを借りずにこうして出歩いているのである。しばらく顔を出していなかった馴染みのパン屋に寄り(店員の娘の視線が妙に熱かった)、中心街に出てはクリスマスに備えて買い物をする。

 最初は彼の足取りも、少し引きずるような様子こそあれ不安はなかった。しかし、一時間、二時間と歩き回っているとそれも急速に怪しくなってくる。ちょっとした紙袋を小脇に抱えただけだというのに、五歩歩いては息を付き、十歩歩いては一休みする、そんなことの繰り返しだった。いつもならば全く荷物になど感じない腰の刀(さすがに町中なので、バルムンクではなく、一緒に作った打刀である)も、今日ばかりはとてつもない重荷に感じられた。

 そんな折、

「――病み上がりで、何してるの?」

「……久しぶり、かな。ライズ」

 いつも通りの固い表情で、しかし、目の奥に気遣うような微かな光を湛えながら、ライズが背後に立っていた。

 

 結局ソウシは、ライズに付き添ってもらう形で帰路に就いていた。荷物を彼女に預けているこの状態は、彼としては不本意のようだが、背に腹は代えられない。

 ライズが前を歩き、ソウシは半歩遅れて付いていく。感情を読みにくい固い表情からは、彼女が仕方なしにつき会っているように見える。ところが、彼女は後ろのソウシだけではなく、常に辺りに目を配っていた。人混みがあればそれを避け、歩きやすい道筋を選ぶ。

「……そんな体で、よくも出歩く気になるわね。大人しくして、回復に務めるべきではないの?」

 きつい様に聞こえる一言だが、それもソウシを気遣ってのことである。真っ直ぐに彼を見て言わないのは、照れくさかったからだろうか。

「気遣い、感謝する……」

 少し荒い息をつきながら、ソウシは応えた。彼としては、もっときちんと応えたかったのだが、さすがに今の状態ではそれが精一杯であり、歩くことに注意を向ける。彼の足取りが、まだそれなりにしっかりしていることを横目で確認すると、ライズはそれきり口を閉じて、ゆっくりと歩き出す。

 傍目には親密とは到底見えない、しかし当人同士はそれなりに息が合っている、そんな奇妙な二人組は黙々とソウシの自宅へを向かっていた。そして、今度こそソウシの足取りが怪しくなり始めた頃、二人はようやく目的地まで後数分、というところまでやってきた。

 疲れ切ったソウシが、珍しく安堵の表情を浮かべる。いつものような引き締まった表情を浮かべる余裕は、さすがにもう無いようだ。

 そして最後の角を曲がる寸前、向こうから見るからにチンピラといった風情の男が歩いてきた。ひょろりとした長身に、頭を剃り上げたその男は、まだ昼間だというのに酒の入った顔をしており、据わった目でふらふらと歩いている。腰には、手入れなどしたことがなさそうな汚れた剣まで携えていた。善良な市民なら、決して近づきたくない輩だ。

「(……避けた方が良いようね)」

 いつもの彼ら、特にソウシなら、チンピラ風情など迫力負けして向こうから避けていくのだが、今の彼はものの役には立たない。

「……?」

 いつの間にか隣りを寄り添うように歩いていたライズが、彼の手を取って脇に寄らせる。ソウシも、荒い息の下から状況を見て取り、大人しくそれに従う。

 しかし、彼らの配慮は向こうから破られることになる。すれ違うその時、男とソウシの目が合った。

「……ケッ! 東洋人か!」

 吐き捨てるように言い放つと、男は大股にソウシに近寄り、胸ぐらを掴みあげた。頭二つ大きい相手では、抵抗する体力など無いソウシは声も出せずに吊り上げられてしまう。

「てめぇらみてぇな外国人が、偉そうに女連れで町を歩くんじゃねぇ! 俺はな、貴様らの見てると黄色い面見てると吐き気がするんだよ! さっさと東洋の田舎に帰りやがれ!」

 男のセリフは完全な言いがかりである。こういう人種のやることは、相手が誰であろうと変わりはない。要するに、不満をぶつける相手、自分より弱い相手が欲しいだけなのだ。傍目にも明らかに弱り切っているソウシなど、男の目には格好の獲物に見えたのだろう。

「……ぐぅ……」

 振りほどく力のないソウシのただでさえ青い顔色が、一層蒼白になっていく。もしこの場が彼一人だったら、そのまま締め落とされてしまったかもしれない。

「どうした、何とか言ってみろ、おらッ!」

 振り回されたあげく、ソウシの体は街路に叩き付けられた。どうにか受け身はとったようだが、しばらく動けそうにない。男は、嗜虐的な歪んだ笑いを浮かべると、倒れ込むソウシへと向かう。

 と、その前に、ライズが割り込んだ。いつも通りの固い表情。しかし、その目には静かな怒りが宿っていた。

「なんだ? 嬢ちゃん」

「……その位にしておきなさい。怪我人相手に、みっともないと思わないの?」

 男を止めるつもりだったのなら、ライズの物言いは完全な逆効果だった。元から自分の行動を客観視するような能力の乏しいチンピラであり、しかも今は酒まで入っている。彼女のやり方は、挑発にしかならなかった。

「ンだとっ、ガキ!」

 ソウシと同じように締め上げようというのか、男の手がライズの襟首に伸びる。

 乾いた音が、街路に響いた。

「……汚らしい手で触らないで」

 男の今度の相手は、黙って待つようなライズではなかったのだ。するりと動いて男の手をかわすと、彼女は男のその腕を叩いて振り払ったのだ。

 その言葉は、忍耐心に縁のない男を完全に逆上させた。

「ガキだと思ってりゃぁ、つけあがりやがって……!」

 目を血走らせ、男は腰の剣を抜いた。隙だらけだが、それなりの形にはなっている。一応の訓練はしたことがあるようだ。

「今更謝ったっておせぇぞ!」

「……何を謝るというのかしら?」

「ひん剥いてやるぞ、ガキッ!」

 男の恫喝にも、ライズは怯む様子が全くない。そして、それが男を更に激昂させる。脅しがきかない相手、特にそれが今のように女子供であるとき、この種の連中は途端に感情的になる。格下と思っている相手に、暴力が通用しない、それは、暴力に寄って立つ彼らのアイデンティティを否定されることだから。

 そんな男を、ライズはいつも以上に冷めた目で見ていた。目の奥に怒りがあるのは先程も同じ。しかし、今はそれにくわえてもう一つ、冷徹な戦士としての色が見える。背後にいるソウシには、そこまではわからない。しかし、彼女の雰囲気が変わったことには気付いていた。戦場で感じる、『本物』の戦士に出会ったときに感じる感覚と同じものが、彼女の内にあることに。

 奇声を上げ、男はライズに斬りかかる。隙だらけとはいえ、ライズは徒手空拳、避けなければ命に関わる。

「避けろっ……!」

 ソウシはどうにか声を絞り出す。

 それを聞いたのか、ライズが動く。ただし、彼の言葉に従って左右に避けたのではなく、前へ。

「うがぁっ!」

 一瞬の後、地面に転がっていたのは斬りかかった男の方だった。右膝を押さえて、無様に地面を転げ回っている。

 ソウシは見た。一歩踏み込んだライズは、男が踏み込んだ右脚の膝を、正確無比の一撃で蹴り抜いたのである。その技もそうだが、自分に向かってくる白刃を前に踏み込んでいく精神は、並のものではあり得ない。

 初めて会ったときから、一年以上顔を合わせていた時に見た行動の端々から、ただの少女ではないと思っていたが、まさかこれほどとは――。

 驚愕するソウシを見ることなく、ライズは男を見下ろしていた。彼女の目は、とてつもなく冷たい、酷薄なものだった。それを見た者がいなかったのは、はたしてどちらにとって好運だったのだろうか。彼女は、無言のまま地面に転がった剣を拾い上げた。そして、まだ呻いている男の鼻先に突きつける。

「死ぬのは、怖い……?」

「ひっ……!」

「剣を抜くということは、殺し合いをするということ。それは、自分も死ぬ可能性があるということ……」

 痛みに呻いていた男の顔に、冷や汗が吹き出す。男も感じ取ったのだろう。ライズの、殺気を。

「……剣を抜いた瞬間から、生より死が身近になるものなのよ……。死を覚悟できない人間に、剣を抜く資格はないわ」

 剣は微動だにしない。彼女の言葉に脅すような所は全くない。ただ、淡々と事実を述べる様に、言葉を口にしている。

「足は折れていないはずよ。今すぐ、ここから消えなさい……。二度と、剣など握らないことね。次は、無いから」

「ヒ、ヒィーッ!」

 ライズが剣を下ろした瞬間、這うように男は逃げ出した。彼女を覆っていた気配が消える。そして振り向いたときには、それは、いつものライズだった。固い表情の奥に、時折感情を覗かせる少女。

「……大丈夫?」

「ああ」

 問いかけられたソウシは、小さく頷いて立ち上がる。どうやら、まだなんとか自力で動けるようだ。

「大した腕だ……。おかげで、助かった。ありがとう」

 手を貸そうとするライズを制して、まずソウシは頭を下げた。結局、そこでふらついて彼女の手を借りたのだが。

「小さい頃、父に、剣の手ほどきをしてもらったから……。昔のことでも、以外と覚えているものなのね……」

 彼の家へ向かう僅かな距離の間に、ライズはそれだけぽつりと口にした。それ以上は言いたくないというのか、それきり口を閉じてしまう。

 ソウシも、ライズを追求しようとはしなかった。

 

「……今年はもう、シルベスターまで大人しくしていることにする」

「そうすることね。いつも都合良く助けてあげられるわけじゃないから」

 帰り着いた自宅には、誰もいなかった。それも当然だろう、ソウシは、口を開けば大人しく寝ていろと言うピコとサキの留守を狙って家を出たのだ。

 送ってもらった礼に茶菓子でも、というソウシの申し出を断って、ライズは立ち去ろうとしていた。『暇ではないから』というのが断りの文句だったが、それなら何故ソウシに付き合ったのか、とはさすがに彼も口にしなかった。年月は、人を変えるのである。

「少し、待ってくれ」

「……何?」

 見送ろうとしたところで、ソウシはふと思い立ち、小脇に抱えていた袋から小さな包みを取り出した。

「少し早いが、これを受け取ってくれないか」

 怪訝そうな表情で、ライズはそれを受け取った。

「……開けてみてくれ」

「リボン……?」

 促されて開けた包みの中には、それなりに趣味の良いリボンが入っていた。ソウシが髪をまとめるのに使っている日常用とは違う、装飾用の少し大きなリボンである。ライズの黒髪に、良く映えそうな色合いをしていた。

「日ごろの感謝を込めて。……本当は、クリスマスに渡そうと思ったのだが、もう家から出られそうにないからな」

 ソウシは、微かに照れくさそうな表情を浮かべた。

「もしかして、今日わざわざ出歩いていたのは……」

「流石に、こんな事までサキに頼むわけにはいかなかった」

 理解の色が広がると同時に、ライズも照れたような、はにかんだ小さな笑みを浮かべた。

「……ありがとう」

 リボンを包みに戻すと、ライズはそれをそっと胸元に抱えた。

 僅かな沈黙が過ぎ、暖かい空気が流れる。

「それじゃ、私は帰るわ」

 ライズは顔を上げた。しかし、そこにあるのは、いつも通りの彼女の表情ではなかった。そこには、控えめなものだったが、明らかにそれとわかる『微笑み』が浮かんでいたのである。そして彼女は、軽やかな足取りで身を翻した。

「気をつけてな。……年が明けたら、また」

「……挨拶が、違うわよ」

 肩越しに振り返りながら、ライズは応えた。小さく微笑みながら。

「シルベスターに、また会いましょう……」
 

 

次回幕間其の五 微笑みは軽やかに

目次


後書き

 読者の皆様方、お待たせしましたぁ〜!

 二年目、第二部これにて終了ですッ!

 お待たせしただけのもになっていたら良いんですけどね。しかし、今回は今までの血なまぐさい展開の反動のように書いていて背中が痒くなりました(笑)

 この痒みに耐えた一本、楽しんで貰えれば幸いです。
 

それではこの辺で。

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