第十幕 激突、迅雷vs血風(前編)


 薄暗い天幕の中、三人の男達が卓上に広げた地図を囲んでいる。正面に腰を下ろしているのは、圧倒的な存在感を持つ初老の男である。しかし、彼はその外見に反して、老いによる衰えを全く感じさせない。顔の半分に醜く焼けただれた跡が残っているが、その全身には、完全無欠の戦士としての気迫が溢れ出さんばかりみなぎっている。

 男の背後には、その両目を硬く閉じた老人が控えている。既に静かに隠棲するのが相応しい年になっているはずのその老人は、年齢に不釣り合いな真紅の鎧を身に纏っている。しかし、老人はその重量を苦にしている様子はない。彼もまた、痩身ながら鍛え抜かれた戦士なのだろう。

 そして彼らの正面には、まだ少年とも言える年齢の小柄な男が、不敵な表情を浮かべて立っている。自分より遙かに年上の、一流の戦士達の放つ圧迫感にも全く動じた様子がない。彼もまた、二人と同様、真紅の鎧を身に纏うことを許された一流の戦士なのである。

「……ハーベンを制圧した勢いで一気に反転、ドルファンの奴らに対応の暇を与えず首都に肉迫、か。いいねぇ、俺好みの作戦じゃねえか!」

「この作戦は速さが全て……。ハーベンの制圧にも、反転後の移動にも時間の猶予はない。やれるな、コーキルネィファ?」

「ヘッ! 参謀、俺を誰だと思ってるんだ! 『迅雷』のコーキルネィファの名は伊達じゃねぇぞ!」

 コーキルネィファは、不安を全く感じていない、自信満々の様子で頷いた。

「でもよ、肉迫するのはいいが、補給線はどうするんだよ? いくら俺でも、補給無しじゃ戦えねぇぜ? 略奪したって、必要なだけ物資が手に入るとは限らねぇ……。ちゃんと考えはあるんだろうな?」

 その発言は、彼がただの戦闘屋ではないことを示している。武器もなく、食料もない軍隊が勝てたためしなど無いのだ。もっとも、この場に参加する資格を持つ『ヴァルファバラハリアン八騎将』の名は、ただの戦闘屋には決して与えられるはずがないのだが。

「心配するでない。ダナンのペルシス卿は、今でこそドルファン王家に従ってはいるが、潜在的にはこちらの味方だ。我等が健在であること示せば協力を惜しまない、との言質もとってある」

「ま、それならいいんだけどよ」

 納得したように頷くと、コーキルネイファは沈黙したままの男、ヴァルファバラハリアン傭兵騎士団団長、『破滅』のヴォルフガリオに視線を向けた。

 一年半前、同じようにこの地図を囲んでいた時と比較して、彼らの人数は半分に減っていた。しかし、生き残った者達は、寂寥感を感じつつもそれに捕らわれることはなく、団長たるヴォルフガリオの命ずるまま、ただひたすら勝利を求めて闘っている。ネクセラリア、ボランキオ、ライナノールといった同志達を失いながらも、その結束は全く衰えることはなかった。

「……よし、行くがいい、コーキルネィファ。ヴァルファ健在の証を、プロキアの、そしてドルファンの愚か者達に見せつけるのだ」

 初めて口を開いたヴォルフガリオの声は、圧倒的な支配力を持っていた。参謀たるミーヒルビスに対しても、終始不敵な表情を崩さなかったコーキルネィファが、神妙な表情を浮かべて一礼する。

「……必ずや、朗報をお届けします!」

 宣言するように一言だけ言い残すと、コーキルネイファは身を翻して天幕を走り出た。走り去る足音に、出陣準備を告げる彼の声が重なって聞こえてくる。

 閉じた天幕の入り口を見つめながら、ヴォルフガリオは小さくため息を付いた。それは、先程まで圧倒的な存在感を放っていた戦士のものではなく、背負ったものの重みに疲れた、ただの男のものだった。

「……キリングよ、自分の信じていないことを部下に信じさせるということは、心苦しいものだな……」

「デュノス様……。まだ、終わったわけではありませぬ」

「……そうだな」

 短いやりとりの後には、ヴォルフガリオは既に自分を取り戻していた。かつてその顔面を焼かれたとき、自ら身に纏ったデュノス・ヴォルフガリオとしての、復讐者としての仮面と鎧を。

 

 

 ドルファン歴二十七年十二月一日、短い平穏を楽しんでいたドルファンは、半年ぶりに騎士団を出撃させることとなった。同年五月に撃退され、プロキア領内へ後退していたヴァルファヴァラハリアンが、突如としてドルファンとの国境線へと転進したのである。

 同年十一月、ヴァルファは半年前に発生し、継続中であったプロキア領南部で発生した反乱鎮圧に参加した。彼らはその勇名通りの働きを示し、瞬く間に反乱軍の拠点であったイエルグ伯領ハーベンを制圧、ヴァルファバラハリアン健在を列国に見せつけた。プロキアの現統治者であるヘルシオ公もヴァルファの活躍を評価し、称讃を惜しまなかった。

 しかし、ハーベンを制圧したヴァルファは、なんの前触れも見せずにドルファン国境線へと移動を開始、瞬く間にこれを越えるという暴挙に出た。ドルファン側は激しくプロキアを糾弾した。休戦条約を結んだ相手に対し、宣戦布告も無しに一方的に条約を踏みにじった不義を声高に非難した。

 ところが、このヴァルファの行動はプロキア側にとっても寝耳に水の事態だった。それも当然だろう、内戦によって生じた混乱を収拾するだけで精一杯のプロキアには、今更ドルファン侵攻を企てる余裕など無かったのだから。

 ヘルシオ公は、事態はヴァルファの独断であるとドルファンに釈明し、その行動はプロキアの意志とは一切関係ないことを断言し、プロキアはドルファン領内に一切干渉しない旨を宣言した。これは、プロキアがヴァルファと完全に手を切ったことを意味する。

 以上のやりとりを経て、ドルファン政府は急遽騎士団の派遣を決定した。プロキア、及び解放後半年経っても王室に対する動向の怪しいダナンのペルシス卿を警戒しつつ、第二、第三、第五、及び傭兵中隊を派遣したのである。

 ヴァルファが国境を突破したのが十一月二十日、騎士団が首都城塞を発したのが十二月一日。軍事上の常識からいって、この派遣は遅すぎるものだった。国境を突破したヴァルファは、国境に近いカラードをわき目もふらずに通過し、ドルファン側に準備が整う前に首都を突く構えを見せていたからである。その行軍速度は、ドルファン側の予測を遙かに上回る速度であった。

 しかし、ここで天はドルファンに味方した。十一月末にプロキア南部で発生した集中豪雨によってテラ河が氾濫、ヴァルファはドルファンを東西に流れるテラ河の流れによって足止めされたのである。テラ北河中流域でヴァルファが足止めされた僅かな時間を最大限に活かし、ドルファンは騎士団を緊急招集、即座にテラ北河中流域へと進発させたのである。

 目論見をくじかれたヴァルファであったが、その戦意は旺盛であり、改めてその場に布陣してドルファン騎士団を迎え撃つ構えを見せた。到着したドルファン騎士団も、対岸に陣を構えてヴァルファと対峙した。互いの狙いは明白だった。どちらも相手側が渡河する、身動きのとれない瞬間を狙うつもりなのである。

 ヴァルファとドルファンの戦いは、こうして持久戦の様相を見せ始めた。
 

 ソウシ率いる傭兵中隊は、ヴァルファとドルファン騎士団の睨み合いを、横から眺めるよう内地に配置されていた。渡河に最適な、中州を挟んだ浅瀬を間にして、二つの軍は正面から睨み合いをしている。

 今までならば、傭兵中隊は損害が大きくなる可能性の高い、騎士団が陣取っている場所に盾がわりに配置されることが多かった。しかし、ここ一年半あまりの間に傭兵隊が見せたその強さに、自分たちの手柄を奪われることを恐れたのだろう。手柄を立てる可能性の高い正面の戦場を自分たちが、それ以外の場所を傭兵隊に、という意図があからさまに見えている。

 これは、ドルファン騎士団の損害を押さえるため、ヴァルファに比較して弱勢である自軍を補うために傭兵隊を雇う、という当初の目的からみれば本末転倒だが、命令とあればソウシに否やはない。それに、仲間の損害を押さえられるということもあるので、ソウシにしてみれば願ったりであった。

 そんなわけで、ソウシは配下の二個中隊――ゴステロが処刑された時点で、第二中隊もソウシの指揮下に入っている――を待機させて、戦況を静観していた。轟々と流れる河を眺めてじっと待つことは、辛抱強い彼にとってはなんの苦痛でもなかった。いつも通り一房だけ伸ばした後ろ髪を空色のリボンでまとめ、背中には『バルムンク』、腰には打刀。軽装鎧を身に纏い、硬く結ばれたへの字口に鋭い目つきで、飽きもせずに対岸を睨んでいた。しかし。

「サガラ隊長、こんな後方では、いざというときに何もできないのではないかね? もっと陣を前進させようではないか」

「監督官殿……。司令部よりの命令は、この場を確保することです」

「しかしそれでは、手柄の立てようがないではないか!」

「……監督官殿、我々が闘う目的は、ドルファンが勝つことです。個人の手柄を立てることではありません」

「……欲のないことだな。英雄と呼ばれるほど手柄を立てれば、もう充分という事かな?」

 傭兵隊の監督官であるエンリケは、事ある毎にソウシを焚き付けようと口説いていた。つい先日まで、ゴステロ寄りの立場をとって、ソウシには用がない限り近づこうとしなかった彼とは別人のようである。律儀なソウシはいちいち受け答えをしているのだが、エンリケの説得は今のところ全く成果を上げていない。

 そんな二人を、アルベルトとカールは離れたところから見つめていた。金髪碧眼の美青年であるアルベルトは如何にも退屈そうに手頃な岩に腰を下ろして、栗色の髪に鳶色の真っ直ぐな目をしたカールは、鉄の棒でも飲んでいるような真っ直ぐな姿勢で直立不動である。

「やっこさんもご苦労なこった……」

 だれきった口調でアルベルトが呟く。カールはその態度を咎めるような視線を向けるが、全く堪えた様子がない。

「でも、どうして急に態度を変えたんでしょう? エンリケ少佐は、僕達を嫌っているから近づいてこなかったんじゃあ……」

「簡単さ。今までは、ゴステロにくっついていれば奴らの上前はねられると思ってたんだ。ところがそのゴステロがいなくなった。甘い汁を吸うためには、ソウシにくっついて手柄をかすめ取るしかない。そんなところだろ」

 実に端的な指摘と共に、アルベルトは人の悪い笑みを浮かべた。視線の先では、エンリケがしつこくソウシに迫っている。言い方は変わっているが内容は先程と同じく、『陣を前に出せ』であった。

「隊長が、そんなことさせるはず無いのに……」

「まあ、そうやって少佐までのぼったやつだからな。今度も上手く行くと思ってるんだろ。もっとも、あいつはそんな間抜けじゃないし、万が一の時も俺がそうはさせねぇさ」

 事実、アルベルトはエンリケが怪しい動きをした場合に備えて、子飼いの部下達に常に監視させていた。この処置は、ゴステロが排除されたときから先を見越して行われていたものであり、かなりの成果を上げている。エンリケが、元ゴステロ指揮下の傭兵と頻繁に接触を持っているという情報を、彼は既に押さえていた。

 かつてのゴステロの腹心であり、今ではアルベルトの子飼いになってしまっているマンジェロによれば、エンリケは傭兵隊をかつてのように二分割する事を考えているらしい。彼にはその意図が簡単に想像できた。

 堅物で思うように動いてくれないソウシに変わって、自分の思い通りに動く者をもう一つの隊の隊長に据え、その上前をはねようというのだろう。マンジェロにもその打診があったという報告があり、アルベルトにもそれとなく探りを入れてきている。

 今の所、その企みは全て空振りに終わっているようだが、これからどう転ぶかわからない。それに、最後の手段として、思いあまったエンリケがソウシの排除を考える可能性もあった。まともな軍人ならばそのような行動に出ることなどあり得ないが、エンリケは私腹を肥やすために軍人をやっているような男である。自ら戦働きをすることなく、賄賂と追従、部下の手柄を横取りすることでのし上がってきた男だ。より高い地位を得るためならば、どんな手でも使うだろう。

 アルベルトは考える。もしその時は……。

「なあ、カール」

 柄にもなく深刻な思考に陥っていたアルベルトは、気分転換代わりにカールに声をかけた。

「なんですか?」

「俺達が何故大人しくソウシに従っているか、わかるか?」

「え……?」

 カールは、虚を突かれた表情を見せる。彼にとって、その事は当たり前すぎたのだろう。そうすることが自然なことであり、疑問を抱くことすらなかったのだ。

「え、それは、隊長ですから……」

「……大抵の傭兵ってのはな、食うために傭兵になったやつばっかりだ。たまーに、お前みたいに武者修行のために傭兵やってるやつもいるが……」

 とたんにカールの顔色が変わる。それは、ひた隠しにしてきたものを暴かれたものの、狼狽えた表情だった。そんな彼を気にした風もなく、アルベルトは続ける。

「自分が生きるため、食うためっていう理由で、俺達はありとあらゆる事をやる。汚れ仕事だって珍しい事じゃない。金をもらえばやるのが傭兵だ。……だけどな、戦場では、傭兵はそれ以上に非道なこともやる」

 語っているというよりは、独り言のような口調で、アルベルトは言葉を紡ぎ続けた。

「略奪なんて当たり前だ。暴行に走るやつもいる。俺だって綺麗な手をしているわけじゃない。『生きるため』っていう理由で大抵のことはやった。ま、戦場の外ではやりゃしないが。……それは裏を返せば、『生きるため』っていうことを免罪符にしてたって事だ。これしか生きる道がないから、他に道がないから非道を働く……」

 アルベルトの独白は続く。

「……ソウシは、そんな俺達に他の道を教えてくれた。『ドルファンを守る騎士』って道を。あいつはそんな意識はないだろうし、本人はヤング大尉の遺言を守っているだけだろう。それでも、あいつが俺達に叩き込んだ生き方は、俺達が知らなかったやりがいのある生き方なんだ。戦場の死体漁りと呼ばれて蔑まれるよりも、ずうっとな」

 カールは、言葉もなくアルベルトの言葉に聞き入っている。

「多少堅苦しいけど、今じゃドルファンの国民も、俺達を認めて、受け入れてくれてる。……なんて言うか、『生き甲斐』ってのをたまに感じるんだよな……」

「……だから、みんな隊長に従ってる、っていう訳ですか?」

 ようやく口を挟む隙を見付けたカールが、確認するように言った。しかし、アルベルトはそこでようやくカールに気付いたような、驚いたような表情を見せて口を閉じた。

「……柄にもないこと語っちまった……。あー、リヒター軍曹。今のことは忘れるように。上官命令だ」

「え? ちょっと、アルベルトさん?」

 アルベルトは照れたような表情になると、そそくさと立ち上がって後方へと去って行った。後に残されたのは、一方的に語られたあげく、話の内容も消化できないまま質問をはぐらかされて呆然とするカールが立ち尽くす姿だった。

 

 

「……けったくそ悪ぃ河だぜ! 足止め喰らってもう何日だ! 作戦通りなら今頃ドルファンの首都を落としてる頃だってのによ!」

 準備万端の様子で待ちかまえるドルファン側に対して、ヴァルファ側の陣地では、指揮官であるコーキルネィファが周囲に当たり散らしていた。

 最年少で八騎将にまでなった彼は、『迅雷』のふたつ名の通り、誰よりも速い動きをその武器としている。今は亡き八騎将達を含めても、彼より速い者は誰一人として存在しなかった。戦場で相対した者は、その刃を交わすどころか目で追うことも出来ず、一方的に切り刻まれた。

 そして、その「速さ」は、指揮官としての彼の特徴でもあった。巧遅よりも拙速を尊び、速戦即決を誰よりも得意とする。相手の頑強な抵抗にあった場合、守勢に回った場合には脆さを見せることもあったが、そんな事態はごくごく希なことだった。たいていの場合は、敵は彼の速度に付いてくることも出来ずに蹂躙されたのである。

 故に、現在の状況は、彼にとって不本意極まりないものだった。彼には手の出しようもない理由で、戦いの邪魔をされたのである、面白はずがなかった。その憂さを周囲に当たり散らすことで晴らしているのだが……、これは彼の若さの発露だろう。もっと経験を積み、思慮を伴うようになれば、いずれヴァルファ一の勇将と歌われたネクセラリアをも越える、というのが内部での評価である。

「チッ……。でも、そろそろ川の流れも弱くなってきた……。一気に突破してみるか?」

「大隊長、無茶は止めてください。それに、参謀殿から『命令あるまで待機』と……」

 しかし、今の彼はまだ自分を押さえきれない若者だった。今までの戦歴においても、暴走気味に突出して大きな損害を受けることがあった。もっとも、その当時にはネクセラリア、ライナノールといった経験豊かな同僚達が共にあり、彼らの援護によって致命的な損害を受けることは避けられていたのだが。

「お気持ちはわかりますが、自重してください、大隊長。無理に渡河するにしても、河の中にいるところを狙われたらこちらは反撃も出来ずに全滅しかねません」

「んーなことはわかってらい! だけどよ、夜の闇に紛れれば……」

「いくら腑抜けのドルファンでも、そのくらいは思いつきます。それに、夜はただでさえ夜襲に備えて警戒心が高まりますし、夜間の渡河はこちらも危険すぎます」

「……」

 一方、後ろに控えた副官役の壮年の騎士は、かんしゃくを起こした子供のようにふてくされているコーキルネィファを、言葉を尽くして思いとどまらせようと努力していた。親子ほども年齢の離れた上官だが、彼はコーキルネィファの戦士としての実力、指揮官としての資質を高く評価していた。故に、自分の役目は経験の足りない上官の成長を助けること、そう心に誓って、彼はコーキルネイファを見守ってきた。

「仕方ねぇか……。テントに戻る! おい! 奴らの、どんな小さな動きも見逃すんじゃねぇぞ! 見張りの連中に伝えとけ!」

「はっ!」

 コーキルネィファは、肩を怒らせ忌々しそうに口元を歪めながら足早にその場を去って行った。それでも最低限の仕事を忘れないところは、さすがに八騎将の一人だけのことはあった。壮年の騎士は、手早く指示を伝えると、大急ぎで彼の後を追っていった。
 

 

 川を挟んで睨み合ったまま、ヴァルファとドルファンの睨み合いは数日に渡って続いた。どちらも忍耐を重ね、互いの隙を虎視眈々とうかがっていた。それは、例えるならば、二人の騎士が剣を構えたまま微動だにせず、撃ち込む隙を狙っている様な精神戦だった。

 先に動いた方が不利になる、という共通の認識は既に双方に出来上がっていた。繰り返すが、戦うためには増水した川を渡らねばならず、渡河の最中の軍隊ほど脆いものはそうないのである。

 両軍は膠着状態に陥ったまま互いに決め手もなく、どちらも攻めあぐんでいる様に見える。しかし、ドルファンにははっきりとした勝算があった。

 それは、ヴァルファの補給線である。最初に見せたヴァルファの常識はずれの行軍速度は、行軍の荷物になる補給部隊を僅かな数しか連れていなかったことにある。当然、その分食料などの必要物資は少なくなり、作戦行動の可能な日数は少なくなる。

 腐ってもかつては陸の雄と謳われたドルファン騎士団、その程度の見切りは出来ていた。ドルファン側は、このままヴァルファをこの場に釘付けにすることで、兵糧攻めを目論んでいたのである。

 当然、ヴァルファ側からもドルファン側の意図は簡単に読むことが出来た。遅れて到着したミーヒルビス率いる大隊が補給部隊を連れてきたが、二個大隊が消費する物資の領は半端ではない。見る見るうちに余裕は少なくなっていった。

 そして、最初にこの状況に耐えられなくなったのは、当然と言おうか、足止めを喰らって鬱屈していたコーキルネィファだった。

「チッ……! やっぱり、川を挟んでにらめっこなんて俺の性に合わねぇ!」

 忌々しげに川向こうを睨んで舌打ちすると、愛馬に鞭を入れる。彼は、白昼堂々河を突破しようとしていた。それはなんの考えもない無茶な行動に見えるが、一応彼なりに考えてはいる。

 このまま睨み合いを続けたら、ヴァルファは間違いなく負ける。如何に質と練度で勝っていても、腹を空かせて背中を見せたところを後ろから攻撃されれば、ヴァルファといえども敗北は免れないだろう。如何に知謀を誇るミーヒルビスといえども、ここまで不利な状況を動かすことが出来る策があるとは思えない。

 ならばいっそ、自分の部隊の速さを活かして、長弓隊の援護の下で強行突破をかけ、敵陣に食い込んで足場を確保すべきではないか、と考えたのである。

 無茶は承知の上。しかし、まだ若く気性の激しいコーキルネイファには、緩慢に、確実に迫ってくる敗北よりも、死中に活を求めることに魅力を覚えたのである。

「第二部隊の内、一、三、五は現状を維持! 二、四は俺に続けぇ!」

『はっ!』

 引き留めようとしていた副官も、彼の意志を翻すことが不可能だと悟ると、意識を切り替えて部隊の編成を行った。コーキルネィファの元、速さではかつてのネクセラリア指揮下の部隊以上と噂される騎馬隊が、彼に従って浅瀬へと向かう。

 その途中、ミーヒルビスの陣取る天幕の側を通ったその時、中から慌ただしくもう一人の八騎将が飛び出してきた。彼の目は光を映していないはずだが、どうやって察知しているのか、その顔は真っ直ぐにコーキルネィファに向いている。

「馬鹿な……! 今動いては、敵の思うつぼだぞ! 戻れ、コーキルネィファ!」

「へっへっへ……。俺は参謀みたいに、気の長い老人じゃないんでね! まあ見てな! すぐに奴らの陣を食い破ってやるからよ!」

「戻れっ、戻るのだ!」

 ミーヒルビスは必死の形相で制止するが、コーキルネィファはそれを笑い飛ばして駆け去って行く。気配でそれを察知したのか、やがてミーヒルビスは引き留めることを諦めると、指揮下の部隊に出撃準備を命じた。事態はコーキルネィファの暴走だが、それを放置して突出させるわけには行かない。急げば、連れ戻すことも可能かもしれない。

 希望的な観測も交えたミーヒルビスのその思考は、本人も承知していたことだが、間に合うはずがなかった。軍というものは、一声かければすぐに整列できるものではないのだ。ミーヒルビスに知らせず、いつの間にか準備を整え終えていたコーキルネィファの部隊に、今から準備をして追いすがろうとしても間に合うはずがないのである。

 浅瀬の方向からは、既に兵達の上げる鬨の声と、それを貫くコーキルネィファの声が聞こえてきていた。

「……やい! ドルファンのクズども!」

 

 

『やい! ドルファンのクズども! 俺はコーキルネィファ! ヴァルファバラハリアン八騎将の一人、「迅雷」のコーキルネィファだ! 俺と水遊びしようなんていう、豪気なヤツはいねぇのか!?』

 その挑戦の声は、河から吹き付ける風に乗って、浅瀬から少し離れたところに陣取っているソウシ達にも聞こえてきた。声は若いが、そこから感じられる迫力は年相応のものを大きく上回っている。ソウシ、アルベルト、カールの三人はそのプレッシャーから声の主が八騎将の名に恥じない相手だと感じ取っていた。

 しかし、丁度その時、しつこくソウシに文句を言いに来ていたエンリケは、身震いする様にそそくさと後方に下がっていった。一応軍人らしく、コーキルネィファの声から何かを感じ取ったようだが、ソウシ達とは違ってあっさりと怖じ気づいてしまったらしい。

「おい、ソウシ」

「……なんだ?」

「いつもみてーに、あのガキと一騎打ちしにいかないのか?」

「……ここで俺が出しゃばっては、騎士達の面子を潰してしまうだろう」

 弓が得意なだけあって、視力も人並み外れたものがあるアルベルトが、対岸を眺めやりつつ煽るような事を言う。ソウシは、遠慮するかのような歯切れの悪い口調でそれに答えた。今までのように否応なしに一騎打ちをしなければならない状況ならともかく、この状況で出ていくのは騎士達に悪いと思ったのだろうか。

「でも、その騎士達が動こうとしないんですけど……」

 しかし、ソウシの気遣いは無用のものだったようだ。前面の騎士達は、誰一人として名乗り出ようとはしない。

 それは、考えてみれば当然かもしれない。ドルファン最強の騎士と呼ばれたヤング・マジョラムは、昨年八騎将の一人、ネクセラリアに討たれ、いまだにその後釜になれるほどの騎士は存在しない。そして、一騎打ちを求めているのは同じ八騎将の一人、コーキルネィファなのである。

 一騎打ちを求める相手に対して、大人数で襲いかかることは、欧州においては最大の恥とされる。形式上のこととはいえ、名誉を重んじるドルファンの騎士達がそのような行動に出ることはない。一対一の戦いをするしかないのだ。

 相次ぐ戦いで、ドルファン騎士団はほんの少しずつ、かつての精強さを取り戻しつつある。だが、大半はまだ若く、経験の足りない騎士達ばかりであり、司令部も無理な突撃をさせていたずらに損害を出したくはないらしい。

 よって、彼らにとっては皮肉な事ながら、コーキルネィファを排除するため、手柄を立てさせないために後方に配置した傭兵部隊を正面に出すことが決定された。今までにも八騎将三人と戦い、その全てに勝利したソウシをぶつけようという腹である。

「隊長、司令部から伝令! 『渡河を試みつつある敵部隊を、実力を持って阻止せよ』以上です!」

「……了解した。傭兵隊、前進。騎士団の前に出る。アル、監督官殿と共に、後陣の指揮を頼む」

「おい、ソウシ。俺にあれを押しつける気か……?」

「頼んだぞ」

 命令が下れば、ソウシに否やはない。準備をさせていた部下達を引き連れ、海を割った聖人のごとく、ドルファン騎士団が空けた陣列の間を通って、気勢を上げるコーキルネィファの対岸に出る。

 ソウシが前線に出たとたん、コーキルネィファに対して沈黙を守っていたドルファン側から歓声が上がる。貴族達や上級騎士達にはとことん受けが悪いソウシだが、兵民出身の下級騎士や、一般兵からは、英雄として絶大な人気がある。

 対抗するように、ヴァルファ側からも罵声混じりの歓声が上がる。ヴァルファにとって、ソウシは八騎将を三人も討ち取った憎んでも憎み足りない相手だが、彼らは強い者に対する尊敬を知っている。迅雷のコーキルネイファの挑戦に応えた、「血風」のサガラの勇気をたたえているのだ。無論、コーキルネィファの勝利を疑う者は、ヴァルファには一人としていないが。

「迅雷のコーキルネィファ! その挑戦、ドルファン傭兵隊隊長、サガラが受けた!」

 対岸にも十分届く程の声で、ソウシは名乗りを上げた。

「ネクセラリア達をやったヤツか、相手にとって不足はねぇ! ……血風のサガラ! 覚悟しやがれ!」

 コーキルネィファは、喜色満面でソウシに応えた。待ちきれないとばかりに、流れに馬ごと乗り入れ、丁度河の中央に頭を出している中州へと向かう。そして、それを見たソウシも遅れて中州へと向かう。馬術の腕は相手に分があるようで、危なげなく中州にたどり着いたコーキルネィファに比べ、ソウシは幾度も流されかけながらようやく中州にたどり着く。

 コーキルネィファは、ソウシが中州に上がってくると、待ちかねたように馬から飛び降りた。そして、腰に差した大振りのピックのような短剣を引き抜く。右手に短剣、左腕にバックラー(小ぶりの円形盾)という構えだった。コーキルネイファの肘から指先程の剣身が、何かの光を反射したのか、一瞬きらめいたように見えた。

「さあ、やろうぜ、ドルファンの!」

 コーキルネィファが心の底から楽しそうに吼えた。ソウシも川を渡って疲れ果てた馬から飛び降りると、背中のバルムンクを抜き払う。竜鱗を浮かべた刀身が、自ら光を発しているかのように、複雑な色合いを見せる。

 二人は無言で武器を胸の前に掲げ、騎士の礼を取る。一騎打ちの作法の通りだった。

 そして、思い出したように爆発した両岸の歓声を合図に、二人は動き出した。

「せぃっ!」

 先手を取ったのはコーキルネィファだった。板金鎧を着ているとは到底思えない速度でソウシの胸元へ飛び込み、右手の短剣を突き込んでくる。形状通りの、刺突用の剣なのだろう。

 一瞬で間合いを詰められ、あまりの速さにソウシは得意の「後の先」を取ることすら出来なかった。完全に刀の間合いの内側であり、刃を当てることが出来ない。鍔元でどうにか切っ先を逸らし、蹴りでコーキルネィファを刀の間合いに弾き出そうとする。

「……!」

 その時、ソウシにはコーキルネィファが笑ったように見えた。直感の命じるままに蹴りを止め、突進してくるコーキルネィファとすれ違うように、斜め前方に身を投げ出した。地上で一回転して起きあがり、追撃を想定して振り向きざまにバルムンクを横薙にする。

 しかし、コーキルネィファはそこにはいなかった。彼は、追撃をかけずにソウシと交錯したその位置に仁王立ちしていた。そして、その両手には、短剣が一本ずつ握られている。

「へぇ、いい勘してるじゃねぇか……。蹴りに来たら、その足ブッ刺してやろうと思ってたのによ」

「二刀術に会うのは、これが初めてではない」

「へっ。そういや、ライナノールが二刀だったよな? だけどな、俺の剣は、あいつのとはひと味違うぜ!」

 不意打ちをかわされたことによる動揺など全く見せずに、右手の短剣、そしてバックラーの内側から取り出した左手の短剣の二本を構えて、コーキルネィファは再び突進をかけた。しかし、その速さは尋常のものではない。正面からの突撃にも関わらず、ソウシはそれを迎え撃つことも出来なかった。

 背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、どうにか、右手の一本を逸らす。そして次いで襲ってきた左手の短剣を、態勢を変えてどうにか鎧の表面で滑らせる。

 足下の泥を跳ね上げながら、コーキルネィファはソウシの横をすり抜けて、距離をとって構え直す。通り過ぎた背中を狙うのは常識以前のことなのだが、ソウシは刀を振り下ろすことが出来なかった。――速すぎて、その余裕がなかったのだ。刀を構えたときには、相手は既に間合いの外に出てしまっている。

「(……こいつは……、速い!)」

 ソウシは戦慄した。欧州に来て以来、どんな敵を相手にしても保ち続けた彼のアドバンテージ、「速さ」でコーキルネイファはソウシを上回って見せたのだ。その速度はまさに神速。ソウシの速さを持ってしても、追うことが精一杯だった。当然、重く小回りの利きにくいバルムンクはかすりもしない。

 数度の交錯を経て、ソウシの体には幾筋かの細かい痕が刻まれた。ひとつひとつは到底致命傷とは呼べない代物だが、出血の増大は疲労の増大に直結する。一方的に傷付けられることによる精神的な焦りといったものは、ソウシにとって無縁のものだが、疲労で剣が鈍ればいつ致命傷を負うかわからない。

 今のところ、コーキルネィファの攻撃は、鎧に覆われていない部分の小さな創傷、鎧の薄い部分の刺し傷に止まっている。しかし、ソウシは今だ一太刀たりとも浴びせることが出来ずにいた。欧州の戦場で一般的な、板金鎧を切り裂くために野太刀に仕上げたバルムンクが、この相手に対しては逆に弱点となっていたのだった。

「(……こいつの鎧は薄い……。一太刀浴びせれば終わりだ、だが……)」

 ソウシが見切った通り、コーキルネィファの鎧は、彼の身のこなしを活かすために板金鎧としては例外的に薄い。場所によっては、板金ではなく加工された革で出来ている。疲労すれば動きも鈍るかもしれないが、八騎将の一人たるものがスタミナ不足ということはあり得ない。全てに秀でた上で、他にはない力を持つものだけが「八騎将」と呼ばれるのだ。

 コーキルネィファは、全身至る所から細く血を流しつつあるソウシを見て、一旦足を止めた。当然、間合いは慎重に計っている。

「……ここまで俺の攻撃に耐えたヤツは、団長と八騎将の連中以外じゃお前が初めてだ。もっとも、身内でやったときは試合だったけどな。『血風』の名は伊達じゃねぇな……」

 短剣に付いた血脂を、剣を一振りして払い落とす。血の汚れというものは簡単には落ちないもののはずだが、コーキルネィファの剣には、何か特殊な加工でもしてあるらしい。

「だけどな、俺は迅雷のコーキルネィファだ! お前に負けるわけにゃいかねぇんだよ!」

「……それは、俺が倒した者達の敵討ちということか?」

 戦いの中にあってはほとんど口を開くことのないソウシが口を開いた。彼としては、もう少し時間を稼ぎたかったのだ。コーキルネィファの話の最中にも、彼は飛び込む隙をうかがっていた。しかし、それを見付けられなかったため、苦手な時間稼ぎに出たのだ。

 稚拙な手だったが、コーキルネィファは乗ってきた。余裕の表情を浮かべているところを見ると、わざと乗っているのかもしれない。

「……俺は、そんな殊勝なタイプじゃねーよ。ただ、強いヤツと戦って、勝ちたいだけだ!」

 叫ぶと同時に神速の踏み込み。またひとつ、ソウシの体に小さな刺し傷が増えた。コーキルネィファは、距離をとって振り返る。

「さて、時間を稼いで、何かいい手が浮かんだか?」

 ソウシは無言でバルムンクを下段に構えた。今までとは違う構えに、コーキルネィファは期待するような笑みを浮かべる。バルムンクを構えるソウシの目には、自暴自棄な色は全くない。それは、何かを試みようとしている者の目だった。

「どうやら、本当に楽しませてくれそうじゃねぇか……」

「……」

 コーキルネィファの軽口に、ソウシは応えない。今まで通り、受け身の構えである。しかし、今までとは違う何かを企んでいる――、そういう目をしていた。

「ヘッ……。行くぜ、血風!」

 コーキルネィファは薄く笑う。そして、再び泥を蹴って雷と化した。
 

 

次回第十幕 激突、迅雷vs血風(後編)

目次


後書き

 またやってしまいました……。申し訳ない!

 これも、文章量が爆発する悪い癖のせいです。後編は、出来るだけ早くお送り……できると良いなぁ(苦笑)
 

それでは今回のキャラ紹介

スパン・コーキルネィファ 男 以下資料がありません(笑)

 二回に渡って活躍する初めての八騎将になってしまいました(苦笑)

 後編での決着をお楽しみに。
 

*なお、今回の話はゲーム内の情報を多少いじくってあります。テラ河の戦いにおいて、ヴァルファがそれ以前に「国境を突破」したとありますが、正確には「テラ河北」が国境線であり、ヴァルファとドルファンは「国境線を挟んで」対峙していました。

「ドルファンとプロキア国境線「付近」をテラ河が流れており、そこで両軍が激突した」

 という状況だったと理解してください。

 以後、この件に関するつっこみは無用です(笑)
 

それではこの辺で。

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