幕間其の三 面影はの彼方


美人で働き者と評判のパン屋の看板娘、スー・グラフトンは悩んでいた。

「(…結構彼、良い線いってるのよねぇ〜)」

だが悩みながらも客には笑顔の応対を忘れない、まさに看板娘の鑑である。

そうこうしている内にまた新しい客が来る。

グラフトンパン店は味がいいと評判の人気の店なのだ。

「いらっしゃいませぇ〜!(……!)」

「…食パンとクロワッサンを頼む」

「はい!ありがとうございます!(ああ、今日も来てくれたわ!やっぱりうちのパンが気に入ったのね!…それとも、やっぱり私の顔を見に来てくれてるのかしら?もしそうだったらどうしましょ!もう!)」

「…どうしたのだ?顔が紅いようだが?」

「あ、いえ、お待たせしました!…はい、丁度頂きます(でも、この人一体いくつなのかしら?東洋の人って若く見えるから年齢がわかりずらいのよねぇ〜?)」

内心何を考えているのやら、スーの表情はコロコロと変わる。

「(…いつもながら妙な娘だな?)」

対して普段からあまり表情を変えることのないソウシは、疑問をおくびにも出さずにパンを受け取ると宿舎へと戻っていく。

ソウシの態度から察するに、彼が来る度にスーはこの百面相をやらかしているらしい。

「ありがとうございましたぁ〜。またお越し下さい!(年下かなぁ、でもそれだとちょっと問題があるのよねぇ…。でもきっと年上よね?こんなに落ち着いてるんだし。それなら…)」

夢見るような瞳で去っていくソウシの後ろ姿を見送るスー。

そしてそれを見ていた近所のおばさんは、こう呟いたという。

「…スーちゃん、今度は上手く行くと良いねぇ」

スー・グラフトン23歳、気だてが良くて美人と評判だが、結婚運は悪いと評判の彼女であった。
 

D.二十七年四月、既にソウシがドルファンにやってきてから一年が過ぎていた。

東洋を離れてやってきたこの国で、彼は様々な出会いを体験し今に至る。

無愛想な表情と常にへの字に引き締められた口元はそうした体験を経ても変わっていないが、いつの間にかそうするのが当たり前になってしまった後ろ髪をくくるリボンと、まれに口元に浮かぶようになった素直な微笑みが彼の変化を端的に表していた。

そしてパンの袋を抱えて歩くソウシの視界に、偶然その彼の変化の原因となった少女達の一人が現れた。

「ソウシさん、お買い物ですか?」

「ああ、最近見付けたパン屋でな。味がいいからちょくちょく買いに来ているのだ」

彼女、ソフィア・ロベリンゲは花のつぼみがほころぶような笑顔でソウシに話しかけた。

以前から彼女を知る友人はその笑顔が以前より綺麗になったと語るが、ソウシはそれに気づいていない。

「…そうだ、この間のオーディション、残念だったな。俺はなかなかのものだと思ったのだが」

ソウシの言っているのは、四月の半ばにソフィアが受験したとある劇団の公開オーディションのことである。

実際ソフィアはなかなかのレベルだったのだが、ソウシから見てもそれ以上のレベルの受験者が今回は多すぎた。

もっとも、ソウシもそこまでは口に出さない程度の分別は身につけていたが。

これもソフィア達と付き合うようになったことと、ピコの教育の賜物だろう。

だが、ソフィアは微笑みながら言った。

「いえ、私の実力が足りなかったんですから…。それに、今回は思うとおりやれたから後悔はしてません」

「それに…」と、彼女はまさに花が開くような、喜びに彩られた笑顔で続けた。

「劇団の方から、『今回は無理だけど、それとは別に訓練生としてやってみないか?』って誘われたんです!」

「ほう、それは…。これで夢に一歩近づいた訳か。おめでとう」

「ええ、ありがとうございます!私、そのうち絶対に舞台に立ちますから、その時はきっと見に来て下さいね!」

「約束する」

それは素っ気ないセリフだが、ソウシはしっかりと頷いた。

ソフィアも一年のつきあいで、これがこの無愛想な青年の精一杯の表現だと知っている。

ソウシの答えに、彼女はまた嬉しそうに微笑んだ。

無愛想な青年と可愛らしい少女というこの組み合わせが道ばたで談笑しているこの光景は、多少風変わりなカップルとして十分通用しただろう。

二人、特にソウシに恋愛感情というほど強い感情があるかは疑問だが、二人が互いを友人として認識しているのは紛れもない事実であり、その関係を好ましいものと感じているのもまた事実である。

だが、そうした彼らの関係を疎ましいと思う者が居た。

そしてその当人が、その場に居合わせたのが、それなりに楽しい一時を過ごしていた彼らにとって不幸な出来事だったのだろう。

まだ壮年のはずのその男は、かつては鍛え上げられていた体をここ数年の荒れた生活と酒によってすっかり衰えさせていた。

目は濁り、まだ日も高いというのに安酒の匂いを振りまき、片足を引きずるようにして談笑している二人に近づき、怒鳴り声を上げた。

「おい、そこの若いの!」

「……?」

突然横合いから投げかけられた自分を呼んでいるとおぼしき声に、ソウシは怪訝な顔で振り向いた。

そこにいた男は、昔は兵士だったらしい、かつては鍛え上げられていたと思われる体つきをしていたが、染みついている酒のせいか、微かに残ったその面影は見る影もなくたるんでいた。

そしてその男は、あからさまな悪意を彼に向けて放っていたが、その男に見覚えのないソウシは戸惑うばかりだった。

戦場で刃を交えた相手に恨みを買う憶えは山ほどあったが、このような酔っぱらいに恨みを買う憶えはなかったからだ。

これが普通の傭兵ならば酒場でもめた相手、という可能性もあるが、ソウシは滅多に酒場には行かないし、このような手合いは根本的に相手をしない。

そして彼の戸惑いは、次のソフィアの一言で更に大きくなった。

「お父さん!?」

「貴様かぁ?最近ソフィアに近づいてるってぇヤツは?」

「お父さん、どうしてこんな所に…」

ソウシにはにわかに信じられなかったが、どうやらこの男は本当にソフィアの父親らしい。

しかしこの男は、あれだけ真っ直ぐな心根をしたソフィアの父親とは信じられないほど目の光が歪み、濁っている。

「けっ、薄汚ねぇ東洋人の傭兵の分際でソフィアに近づくたぁ、身の程知らずにも程があるってもんだ!」

「お父さん!そんな言い方、ソウシさんに失礼よ!」

相手がソフィアの父親だという遠慮もあったのだろう、男が次々とソウシに罵声を浴びせてきたが、彼はそれを馬耳東風と聞き流していた。

この程度で腹を立てているようでは、雇い主にさえ軽んじられ、戦争がなければ、いや、戦争があってもならず者と同一視されることの多い傭兵など初めからやっていられない。

それに、ソウシは気づいていた。

男の目は悪意に満ちていたが、それはソウシのみに対する悪意ではない。

男の目にあったのは、何があったのかソウシには定かではないが、世の中の全てに対してひがみ、八つ当たりしている、ひねくれた光だった。

だから、ソウシはまともに取り合おうとはしなかった。

理由のはっきりしない八つ当たりなどまともに相手をしても面倒なだけのことであるし、ソウシには相手を説得するような器用なことが出来るとは自分でも思えなかった。

それに、彼が相手をするということは手段はただ一つ、相手を無理矢理黙らせることだけである。

しかしいくらこのような男でもソフィアの父親には違いない、それはさすがに彼女に悪かろうと、ソウシは黙っていたのだった。

「けっ、何とか言ったらどうだ、若造が!怖じけづいたのかぁ?」

父、ロバートのあまりな振る舞いにソウシが腹を立てた様子がないことに、ソフィアは安堵していた。

一方的に罵声を浴びせられている彼には申し訳なかったが、いざ彼が父に手を上げることになれば、昔ならともかく、今の父では一方的にぼろぼろにされてしまうと思ったからだ。

心のどこかで一度痛い目にあった方がいい薬だとも思ったが、ソフィアは慌てて自分のそんな心を打ち消すと、父を止めようとその腕にすがりついた。

昔は逞しく、何者よりも力強いと思ったその腕は、いつの頃からか力無いものに変わっていた。

ソフィアはそれが無性に悲しく、腹立たしかった。

「お父さん!もういい加減にして!」

すがりつくソフィアに引かれたように、彼は振り向いた。

そして、彼はソフィアに酒臭い息を吹きかけながら、どろりとした目つきでとがめるように言い立てた。

「大体お前もお前だ。ジョアン君という立派なフィアンセがいながら、よりによってこんな男なんぞにたぶらかされて…!ジョアン君に申し訳ないとは思わないのか?」

「……!」

「誰のせいでそうなったと思っているのよ!」そう言いかけた声をソフィアは慌てて飲み込んだ。

言っても良いはずの、言うべき資格のあるセリフだったが、ソフィアの優しすぎる部分がそのセリフを言わせなかった。

「もうやめて!やめてよ、お父さん!」

それはよりにもよってソウシの前で、それも父にはいわれたくないセリフだった。

彼に対する自分の感情が恋愛感情と言える程のものなのかは、ソフィア自身もまだわかっていなかった。

だが、だからこそ彼の前では言われたくなかった。

せっかく築き上げることが出来た良い関係を断ち切るような、自分の立場を確認するのが嫌だったのだ。

「…もう帰ってよ、お父さん。お母さんが心配するでしょう」

ソフィアの激しい口調に黙り込んだ父に対して、ソフィアは表情を消して、静かに告げた。
 

ソウシは初めて見るソフィアの様子に驚いていた。

年に似合わないほど落ち着いた、聞き分けの良い娘だと思っていた彼女の激しい様子に意表をつかれていたのである。

「(…これほど激しいものを持っていたのだな)」

だが以前彼女は、役者になりたいという夢をソウシに語ったことがあった。

その時にちらりと見せた情熱的な部分から察するに、これも紛れもない彼女の一面なのだろう。

しかし、それにしても意外だったのが彼女の父親である。

トンビが鷹を産む、という表現がここまで似合う親子というのもソウシにとっては初めてだった。

「…フン、まあ良い。お前もさっさと家に帰るんだぞ」

「…はい」

ロバートは、彼女の勢いに押し切られたのが気にくわないのか吐き捨てるようにそう言うと、最後にソウシに捨てゼリフをぶつけた。

「いいか!これに懲りたら金輪際ソフィアに近づくんじゃあないぞ!今後二度とソフィアに近づいたら、骨の二、三本は覚悟しておけよ!」

「お父さん!」

あまりにも安っぽい捨てゼリフだったが、それに対してソウシが見せた反応は、今までの罵声を無視するような態度からは想像もつかないものだった。

この程度のことは鼻で笑うことすらしないソウシが、である。

彼は滑るように相手に近づくと、その胸ぐらを右腕一本で掴み上げた。

「ぐえっ!?」

「ソウシさん!?」

「……これだけは言っておく」

その力にロバートは反射的に抵抗するが、ソウシの右腕は小揺るぎもしない。

そしてソフィアは、父が本格的にソウシを怒らせたのかと青ざめたが、すぐに立ち直って父を解放してもらおうと彼に近づいた。

だが、ソウシの目を見た途端にその気は霧消してしまった。

彼は、今までに見たこともない冷たい目つきをしていたのである。

自分たちを見ていたような、硬質だがどこか暖かみのある視線ではなく、硬質で冷たい、まさに刃のような視線だった。

それは「傭兵」のソウシの顔だった。

そしてその目で、ソウシは告げた。

「誰を友人とするかは自分が選ぶものだ、他人に指図されるものではない。

 …もう一つ、貴様も昔は兵士だったのだろう? なら、脅しをかける時はその相手の力くらいは見極めてからセリフを吐くがいい。今の貴様では骨どころか、自分の皮一枚すら傷付けることはできん」

何故こんな事をしたのか、ソウシは自分がよくわかっていないままに告げた。

ただ、先のロバートのセリフが、強烈にソウシの中の何かを刺激し、彼を突発的な行動に駆り立てたのだった。

だが締め上げられてろくに声も上げられないロバートと、怯えたような目でおろおろしているソフィアの姿に、熱くなっていたものが急激に冷えていき、ソウシは手を緩めた。

そしてソウシはロバートから手を離すと、解放され、憎々しげに自分を睨む彼に向かって告げた。

「最後に一つ、父親らしいセリフを吐くのならば、父親らしい責任を果たしてからすることだ。良く出来た娘の優しさに甘えて寄りかかっている貴様に、彼女に意見する資格はない」

冷たい目で告げるソウシに対して、ロバートは刺すような視線を向けた。

だが彼は、何も言わずにくるりと背を向けると、引きずるような足取りで去っていった。
 

後に残った二人は無言でその後ろ姿を見つめていたが、やがてソウシが一つ息を吐くと、ソフィアに語りかけた。

「…済まなかった。君の父上だというのに、つい手を上げてしまった」

その目を見たソフィアは少し安堵した。

彼の目が、またいつもの暖かみのある目に戻っていたからだ。

「いえ、気にしないで下さい。父にはいい薬です。本当は、私が言わなければならないことだったのに…」

ソフィアは小さく笑った。

父とソウシがこんな出会いをしたのは悲しかったが、彼が自分のことで怒ってくれたと思えたのが、少し嬉しかったからだった。

「それよりも、父が失礼なことを言ってしまって、済みませんでした」

「いや、気にすることはない。所詮、人が傭兵を見る目とは、そういうものだ」

「そんなことはありません!私は…私達はソウシさんのこと、そんな風に思ったりはしません!

 父だって、昔は立派な騎士だったんです。昔の父だったら、あんな風には…」

そのまま無言で見つめ合っていた二人だったが、やがてソフィアがついと目を逸らすと、呟くように言った。

「それじゃあ、今日は失礼します。父が心配しますので。また、土曜日に…・」

「いや、ちょっと待ってくれ」

会釈して立ち去ろうとしたソフィアだったが、それを珍しくソウシが呼び止めた。

普段は『ああ』と素っ気ない一言を残して別れるのが当たり前だというのに。

「何ですか?」

「…皆に今週は行けないと伝えてくれ。…用がある」

その真剣な表情に、ソフィアは何かを感じ取ったようだった。

眉を寄せて、心配そうな表情を浮かべる。

「もしかして…、また、戦争ですか?」

「…守秘義務だ」

ソウシは具体的な答えは返さなかったが、そのセリフは事実を喋っているのと同じ事だった。

そしてソフィアはそんなソウシにさらなる問いかけをしようとはせず、ただこう言った。

「わかりました、伝えておきます…。気を付けて…下さいね」

「ああ」

彼女の言葉に素っ気ない答えを返し、今度こそソウシは彼女と別れて宿舎へと戻っていった。

ソフィアはただ、その背中を見送っていた。
 

 

次回:第六幕 戦士の掟は刃で刻め

目次


コメント

まずはすぺしゃるさんくす。

情報提供の「ないと50」さん、どうもありがとうございました。

最初はこの話、ここまで書く気はなかったんですが…。

これから先のソウシとソフィアの二人には必要なエピソードになりそうだったんで書きました。

…だからといってヒロインが固定した訳じゃありませんよー(笑)

 

それでは今回のキャラ紹介

スー・グラフトン 24歳 女 A型

…ゲスト扱いです、今のところ。

このさき出番は予定してますが、オリキャラとの絡みになるかな?

だからといっていきなり彼氏が出来たりしませんのであしからず(?)

ロバート・ロベリンゲ 42歳 男 B型

言わずと知れたソフィアのダメな父親。

いや、最初はこのキャラの名前がわからなくて困りました。

ないと50さん、情報提供、重ね重ねありがとうございます。
 

それではこの辺で。

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