第7話


「古今東西、戦争の理由には必ず経済が絡んでいる。

 何故なら、経済、すなわち金儲けこそが、人類社会に例外なく共通する普遍の価値観だからだ」

 ――ユリック・N・オーエン著「経済学大全・U 国家と経済」

 

 

……かくして成立した「白銀の月」は、その後の二年間でスィーズランドの各地を転戦。

おりしも激化していたスィーズランドとガリア帝国との戦争――世にいう「シュヴァルツヴァルト戦役」において、多大な武勲をおさめる。

特に、戦役終盤に行われたヴェルデンブルグ会戦――双方合わせて七十万の兵員を動員した事実上の最終決戦――において、「白銀の月」はガリア帝国の誇る最強騎士団「ノスフェラトゥ(不死)」を撃滅するという偉業を成し遂げ、その名を一躍大陸全土に轟かせた。

同会戦におけるスィーズランド軍の戦死者二万七千名、対するガリア帝国軍戦死者は十七万四千名――

この会戦において、国軍全体の二割以上を一度に失ったガリア帝国は、以後スィーズランドとの和平へと政策を転換し、トルキア北部に長く安寧がもたらされることになる。

 

 

さて、北が落ち着いたその頃、南では奇妙な膠着状態が続いていた。

周知の通り、ヴァン=トルキア、プロキア、ゲルタニア、ハンガリアの四ヶ国から成るヴィーン条約機構、すなわち四ヶ国連合は、ドルファン一国をよってたかって食い物にするために生まれた軍事同盟である。

しかし、あいにくと戦争というものは相応の大義名分を必要とする。

ドルファンの施行した外国人排斥法は、周辺諸国にとっては迷惑この上ない法律であり、当のドルファンの外交・経済にも深刻な打撃を与えた希代の悪法であったが、ドルファンを併呑する理由とするにはいささか役者不足であった。

かくして、条約機構の評議会は意地の悪い姑さながら、開戦の名分たりうる失点をドルファンに捜し求めたが、ドルファン行政府を掌握する「ピクシス家の怪老」アナベルはさすがの老練な政治的手腕を見せ付け、付け入る隙を与えなかった。

これがただの引き伸ばし工作であれば、アナベル・ピクシスは問題を先送りするだけの場当たり的な政治家であるが、かの怪老は条約機構に口実を与えない一方で、その要人や高官に密かに接触し、条約機構を内部から崩壊させる策略を展開していた。

むろんそのあたりの事情は、他の「真面目な」評議会幹部の知るところとなり、条約機構の一部には深刻な疑心暗鬼が蔓延することになる。

アナベルとしては、現状の膠着状態をずるずると続け、その間に条約機構を構成する四ヶ国間に不和と不審感をばら撒いて、最終的に条約それ自体を有名無実化することこそが、望み得る最良のシナリオであったろう。

そしてそれは、ヴィーン条約機構評議会にとっては考え得る最悪のシナリオであった。

ドルファンではアナベルがほくそ笑み、ヴィーンでは条約機構評議会が苦虫を噛み潰していたその膠着状態に終止符が打たれたのは、ドルファン歴にしてD34年初頭のことであった。

先のダナン太守、ゼノン・ベルシスの子、マルキ・ベルシスのプロキア亡命である。

 

 

ベルシス家はそもそも、ドルファン王国屈指の名門であった。

国境の要衝ダナンを代々領有し、王室会議ではピクシス、エリータスの「旧家の両翼」に次ぐ第三位の席次を与えられ、往時にはこの両家をすら凌駕する権勢をほしいままにしていたほどである。

ドルファン宮廷の誰もがひれ伏し、畏れた名家も、しかしいつしか衰えた。

そのきっかけとなったのは、ドルファン先王の崩御――そして、それに続く第二王子デュランの即位である。

先王の信任を得ていたゼノン・ベルシスは、その在世時から第一王子デュノスの教育と後援を任されていた。

そして、デュノスは文武に優れた才能を見せ、即位すればドルファンの歴史に名を残す名君となるであろうことを期待されていた。

もしそうなれば、ゼノン・ベルシスは「デュノス王」の無二の腹心として、それまでに勝る絶大な権勢を持ち得たに違いない。

薔薇色の未来図は、しかし、デュノスが不慮の事故で顔面に大火傷を負ったことで暗転する。

公の場に顔を出せない王では内政も外交もままならぬ――という意見が、第二王子デュランの後援についていたピクシス家を中心に広がり、ついにデュノスは王位継承権を剥奪されて、あまつさえ「動乱の火種にならぬため」と国外に追放されてしまったのだ。

この瞬間、ゼノン・ベルシスの権勢は霧散した。

新王デュラン・ドルファンの後ろ盾として宮廷に復権したアナベル・ピクシスは、先日までの政敵にいささかも容赦せず、ベルシス家の所有していた権益を次々と奪っていった。

機を見るに敏な貴族たちのほとんども、ゼノンに見切りをつけてアナベルの側に走った。

かくして宮廷内に居場所を失ったゼノンは首都を去り、領地のダナンに引き込んで、以後は唯一残された伝統と地位だけにすがって存続するありふれた一貴族に成り下がったのである。

……しかし、蓄積された無念と怨念は、年を経るごとに薄れるどころか水位を増し、暴発する機会を待っていたのだ。

それが一気に顕在化したのが、他ならぬダナン紛争――D26年、プロキアに雇われたヴァルファバラハリアン傭兵騎士団がドルファンに侵攻した、かの紛争である。

この紛争の初期において、ヴァルファは易々とダナンに進駐を遂げ、以後は同都市を根拠地としてドルファン軍に数々の煮え湯を呑ませた。

客観的に見ても、ダナン太守であるゼノン・ベルシスの失点は明らかである。

ダナンはドルファンの積年の仇敵・プロキアとの国境を守る要衝であり、その太守には街の統治だけでなく国境を超えて来た外敵を排除する義務がある。

にも関わらず、ゼノンはほとんど抵抗することなくダナンの城門を開き、己が都市が侵略者の根拠地となるのを傍観していたのだ。

これだけでも、紛争が深刻化した責任者の一人として罰されても致し方のないところである。

ところがゼノンは、実際には傍観するどころか、ヴァルファのために糧食その他の支援までしていたのだ。

ここまで来ると、失点どころの騒ぎではない――立派な反逆である。

ダナン紛争がヴァルファの壊滅によって終結した後、ドルファン行政府は当然の帰結としてゼノン・ベルシスを首都に召喚し、国家反逆罪の疑いで取り調べる方針であったが、当のゼノンはヴァルファ壊滅の直後に毒を仰いで自殺した。

その後の調査で、ゼノン・ベルシスがヴァルファ軍団長デュノス・ヴォルフガリオと密約を交わしていたことが明らかになり、ベルシス家は資産と地位のすべてを没収されて、ドルファンの歴史から消滅した。

ゼノンがヴァルファに協力した動機は、三十年前の権力闘争に敗れた逆恨みとして説明され、事件は幕を閉じた――かに思われたのである。

 

そのゼノン・ベルシスの子、マルキが、D34年初頭に突如としてプロキアに亡命し、一つの証言を行ったのだ。

その内容は驚くべきものだった。

いわく、「プリシラ・ドルファンはドルファン王家の血を引いていない、偽りの王女である」――そう彼は証言したのである。

 

 

急遽召集されたプロキアの立法議会で、マルキ・ベルシスは得々として説明した。

「そもそも、デュラン王は先天的に子供が出来ない体質だったのですよ。――これはピクシス家のご老人にもみ消されましたが、幼少時に受けた医師の診察記録がかろうじて残っております」

――では、現にデュラン王の娘として存在しているプリシラ・ドルファン王女とは何者なのか?

議員の一人のもっともな問いに、マルキはわざとらしく首を傾げて答えた。

「さてさて、皆目見当もつきませんねー。私の知るところでは、ピクシス家のご老人がどこぞから拾ってきた孤児だという話です。
 後腐れがないよう、身寄りが一切ない捨て子を捜してきたそうですから、その血縁がどうであるかなど今となっては調べようがありません」

――アナベル・ピクシスがそのようなことをした動機は一体何か?

「そりゃー決まっているじゃありませんか。子供が出来なければ、デュラン王の後を継ぐ方がいない。

 いるにしても、ピクシス家とはさして接点のない、王家の遠縁ということになるでしょうねー。

 そもそも、デュラン王の正妃はあのご老人の愛娘であるとか。

 ご老人としては、何としてでも『デュラン王と妃の子』に次代の王となっていただかねば、自己の権勢を永続できないのです」

 

……マルキ・ベルシスは、実父との折り合いが悪く、幼少時から教会に預けられて育った。

それ故にこそ、紛争後に行われたベルシス家への処罰でも連座されずにすみ、以後は教会で本格的な聖職者としての道を歩んできたはずなのだが、この時期の彼は亡父を思わせる優れた弁舌と謀略の手管を発揮した。

一国の王女の正統性を否定するという、正気の者ならばどれだけ確信があっても二の足を踏まざるを得ない行為を、彼は公の場で堂々とやり遂げたのである。

むろん、彼の真の目的は、そのようなゴシップを流して悦に浸るなどという低次元のものではなかった。

マルキ・ベルシスのその目は、プロキアを越えてヴィーンにまで伸びていたのだ。

そしてその思惑は、ヴィーン条約機構が求めていたものと、まさに合致した。

 

 

ドルファン歴D34年二月、ヴィーン条約機構はマルキを評議会の席に呼び、その証言について詳しい検証を行う。

そして二週間後、評議会はマルキの証言がすべて嘘偽りのない真実であると断定し、「自己の権勢のために偽の王女を立てた重罪人」としてアナベル・ピクシスを弾劾したのである。

それだけでなく条約機構評議会は、半世紀前に当時のヴァン=トルキア皇帝のもとへドルファン王家から嫁いできた故リズエラ王妃の孫、すなわちヴァン=トルキアの皇族にしてドルファン王家の血も受け継ぐクリストファー・マクラウド侯爵の王位継承権を主張。

彼をドルファンの次期王――つまり王太子として承認するよう、ドルファンに強く求めた。

対するドルファンは、マルキの証言については「反逆者の残党の流言」として取り合わず、マクラウド侯爵の王位継承権については「いかにドルファン王家の血が流れているとはいえ、他国の貴族を王太子とするなど言語道断」と、条約機構の要求を断固として拒否する。

それがまさしく相手の求めている反応だとわかりつつも、ドルファンには他に打つ手がなかった。

役者は揃い、大義名分は整った。

要求を拒絶されたヴィーン条約機構は、「ドルファンに正統の王権と秩序を回復する」ため、ドルファン王国への出兵を決定する。

 

 

ヴィーン条約機構にして見れば、待ちに待ったドルファン出兵である。

準備も計画も、はるか以前から練りに練られていた。

評議会の決議からわずかに一ヵ月後、ヴィーン条約機構軍の第一陣十万は、全軍の総司令官に任じられたクリストファー・マクラウド侯爵の直接指揮の下、プロキア方面からドルファンに侵攻を開始する。

そしてこの陣列の中に、ユウキ・キリュー率いる「白銀の月」二万五千の軍勢もあった。

因縁の国境都市ダナンに駐留していたドルファン側の守備隊二千は、夜陰に紛れて急襲した「白銀の月」の前に一夜にして壊滅する。

ゼノン・ベルシスの自害とベルシス家の消滅後、反逆者の統治していた街として中央政府から冷遇されていたダナンの市民は、むしろ歓声を挙げて続々と入城するヴィーン条約機構軍を迎え入れたのである。

しかし、ヴィーン条約機構にとって、この侵攻が前々から立てられていた予定であったとするなら、ドルファンにとっても侵攻されることは予想の内に入っていた。

ドルファン軍はすぐさま国内の兵力をかき集め、十五万の大兵力を組織してヴィーン条約機構軍を迎え撃つ。

同国の歴史上始まって以来というその大軍の主将に任じられたのは、このとき近衛第一兵団軍団長にまで出世していたミラカリオ・メッセニ中将――

 

 

後の世に「第二次パーシル会戦」と称される激戦の火蓋が、切って落とされようとしていた。


<後書き>

 

 すいませんっ!(平伏)

 一年も放置していて今更という意見はごもっともですが、何とぞご容赦下さい……

 感想をいただけることがこんなに励みになるとは思いもよりませなんだ……

 このような愚作、このような無責任な作者にメッセージを下さった方々には感謝の言葉もありません。

 本当にすいません、そしてありがとうございました(深々と礼)。

 今回でようやく、本当にようやく序章が終わりました。

 次回から第二次パーシル会戦へとお話は移ります。

 

 あ、それと、今回名前だけ出てきたクリストファー・マクラウド君についてちと補足しておきます。

 作中にもある通り、彼はヴァン=トルキア皇帝(ちなみに先代)を祖父に持つ、同国の大貴族という設定です。

 この先代の皇帝は、在位していたおよそ半世紀前、ドルファン王家のリズエラ王女という人を妃に娶りました(日本の皇室じゃ前例はありませんが、ヨーロッパではオーストリアの王女がフランス王に嫁いだなんて史実がゴロゴロしてます)。

 この先帝とリズエラ王妃が、つまりマクラウドの祖父母です。

 ちなみに、先帝とリズエラ王妃の間には娘が一人(マクラウドの母親)しか出来なかったため、帝位は側室の生んだ皇子が継ぎました。故に、現在のヴァン=トルキア皇帝にはドルファン王家の血は流れていません。


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