5.プリシラ・ドルファンの憤慨


 私って、バカ。どうしようもないバカ。もう死んじゃいたいくらい大バカ。

 いまさら行って、どうしようっていうの? あいつの見送り? 冗談じゃないわ。

 だいたいあいつ、叙勲式もすっぽかしたっていうじゃない。ナメてるわね。私だけじゃない、このドルファン王国という国の、すべてをね。

 ドルファン。

 私の国。私の大切な、愛する祖国。

 あいつもこの国が好きだと言ったわ。銀月の塔から見下ろしたこの町を、美しいと言ったわ。

 そう聞いたとき、あいつが私のことを好きだって言ってくれたような気がして、無性にうれしかった。

 だけどあいつの目はこの町を見下ろしてはいなかった。どこかもっと遠い、はるか海のかなたを見ていた。

 あいつはこの国を救ったわ。たった一人の人間の私怨が生んだ醜い戦いを、たった一本の腕と剣で終わらせたわ。

 あいつはこの私も救ったわ。テロリストたちの魔の手から。

 それだけでなく、宮廷の虚偽と孤独に押しつぶされそうだった私の心を、さりげない優しさと暖かな愛情で導いてくれた。

 だから私、調子に乗ってあいつに恋したわ。

 叙勲式に来なかったあいつは知らないでしょうね。あいつってば、大出世しそこなったのよ。

 お父様はあいつを聖騎士にして、私とくっつけたかったみたい。

 勘違いしないでね、私の気持ちを汲んでのことじゃないの。

 勝手ばかり言ってくる王室会議の連中に対抗できる、強い味方がほしかっただけなのよ。あいつはドルファンを救った英雄だもの。味方につければ、これほど力強いこともないわ。

 うふふ、だけどお父様には、私からちゃーんと言ってやったわ。「あいつには、相思相愛の立派な恋人がいる」って。

 あら、気づいてたわよ。人がせっかく招待してやったクリスマスパーティーで、私のことなんか見向きもしないで、知らない女とあんなに楽しそうに踊ってるんだもの。一瞬、死刑台を活躍させてやろうかと思ったわ。

 あの夜、雪が降ったのよ。生まれて初めて見た、真っ白な粉雪。

 そういえばあいつと幸せそうに踊っていた彼女も、まるであの雪のような人だった。

 穢れなく真っ白で、透き通るほど純粋で、そしてはかない……。

 どういうわけか、私、泣きたくなっちゃった。

 あいつに振られたからじゃないの。彼女を見ているうちに、どうしてか哀しくなっちゃったのよ。

 まったく、腹の立つ男だったわ。

 あーんな思わせぶりな態度をとっておいて、それであっさり人のこと振るんだから。

 私って、バカ。超バカ。だけど王女の立場を利用してまで、あいつを手に入れたいとは思わないわ。

 そう言ったらお父様、何も言わずに私をぎゅーっと、抱きしめてくれた。

 そのとき気づいたの。あいつがいつも注いでくれていた暖かい愛情と、お父様がはじめて見せてくれた愛情が、とてもよく似ているということに。

 そう思ったら、私、走り出していた。

 待ってね、まだ行かないでね。私、あなたにひとこと言いたいの。

 私って、バカかしら。バカよね。バカだわ。

 あんなに走ったっていうのに、もう船は影もかたちもない。

 ああ、また腹が立ってきた。

 あいつはこの国を出ることに、なんのためらいもなかったの?聖騎士の称号を受けていれば、ゴロツキ傭兵たちと一緒に追い出されることもなかったのよ。

 この国にあいつを引き止めるものは、何一つなかったというの?だとしたら、やっぱりナメてるわ。この国も。この私も。

 彼女はあの雪の日と同じように、あいつの隣にいるのでしょうね。

 あいつはそれで、幸せなのね。

 だったらヤキモチ焼いて、もうここにいないあいつに当り散らしてる私なんて、それこそホントのバカだわ。

 だから、もう届かないけれど、ここで言うわ。

 ドルファン王国の第一王女として。

 あいつに恋した一人の女として。

「ありがとう」って。

 あなたが戦ってくれたおかげで、大勢の人が救われたわ。そして、あなたがこの国に来てくれたおかげで、やっぱり大勢の人が救われたわ。私がそうだったように。

 あなたに出会った幾人もの人々が、きっとあなたから受け取っていたはずよ。あなたのさりげない優しさと、暖かな愛情を。

「ありがとう」

 この国に来てくれて。私たちと、出会ってくれて。

 あなたにとってこの国は、風のように通りすぎた多くの国の、たったひとつに過ぎないかもしれないけれど、ドルファンという国が、あなたの記憶の片隅に、小さな一角を占めるだけの存在に過ぎないとしても、私は……私たちは、あなたを忘れない。

 さよなら。

 もう会えないかもしれないけれど。

 さよなら。

 どうか天の慈悲と地の恵みが、あなたとともにありますように。

 どうか、お幸せに。

 愛をこめて、この祈りをささげるわ……。


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