妖刀寒黒斗


曇り空。

その上に大いなる神の世界を運ぶ空の下で、兵士達が集まっていた。遥か先まで見渡せる荒野にて。

兵士達は散らばった武器を集めながら、同じ様に散らばったかつて共に国で戦った同志達の体であったものを袋に詰めていく。

その中にフードを被った女性がいた。不釣合いに大きな台車を運びながら不安定な足場をしっかりした足取りで歩いて来る。

その彼女が、一人の倒れた男の前で立ち止まった。勿論、既に絶命している。

黒髪に黄色の肌:モンゴロイド。明らかに東洋人であるが、彼の他に同じ出身であるらしき者はいない。死体回収係も西洋人ばかり。1人で戦ったきたのだろうか。

フードの女が、男の顔を見つめた。激しい戦いで体中に穴を穿ちながら、その顔は安らかだった。

「……こんなときでも笑ってるよ、この男は」

緑の髪を揺らしながらしゃがみ込み、口の端の血を拭ってやった。初めて会ったときから、こんな感じの笑みを絶やさない男だった。楽しげでも皮肉なようでもない。締まりがないわけでもない。見るものを落ち着かせる、そんな顔だった。だが、その持ち主だった男は、鬼とも悪魔とも恐れられる戦士であったことを、女は知っていた。

「ま、死んじまったけどね」

そう言って、男の冷たい体を台車の上に乗せた。力なき女には少々大変な作業である。袋を縛っていた男が気付いて、手を貸そうとしたが、女はそれを断った。

台車を引きながら、歩いてきた方向に戻る。と、振り返った。

「いけないいけない、忘れるとこだった」

そのままに台車を置いておくと、体がもとあった場所から1本の剣を持ち上げた。女には重い。反身で片刃の東洋の剣。安全のために、その黒い刀身に帯を巻き始めた。鞘は近くには落ちてはいなかった。

その剣を彼の体の上に乗せると、再び運び始めた。行きよりずっとのろのろと、危なっかしい転がし方だったが、女は誰の手も借りようとしない。

女は肩から袋を下げていた。中からカチャカチャ音がする。薬瓶だ。白く細かい粉末が入っている。

ふと、女が目下の男へ視線を下げた。なんてかお。こんな安らかなかおをしながら死んでいくなんて。人を憎しみながら死んでいくのは、どんな死に方より醜いだろう。……ならば、こうして、全てを許して死んでいくのは?本人はともかく、周りにとってはあまりにも悲しい……。

女は首を振った。余計なことを考えてはならない。

「お仕事」

そう呟くと、視線を上げてまた歩き始めた。

 

「どうしてですか!」

まだ若い金髪の騎士が、その彼よりさらに若い――おそらくまだ20過ぎだろう――黒髪の男に何事かまくしたてている。

「戦力の差は理解しているのでしょう!?何故そんな無謀とも云える賭けに出るんですか!」

言われた男は何も答えない。騎士より、ずっと大人びて見える男だ。顔立ちはそうでもないのだが、落ち着いた雰囲気がそうさせている。

「それでは死にに行くようなものではないですか!」
初めて男が顔つきを変えた。闘う者の眼になる。獅子か、虎か……。そういった眼。騎士が思わず息を飲んだが、すぐに反論し出す。

「今民衆は徐々に立ち上がりつつあります!貴方のおかげですよ!貴方の存在が、皆の勇気を振り絞らせてくれているんです!絶対的な力を覆そうと!なのに、なのに……。貴方がいなくなっては、すべてが失われてしまうじゃないですか……!!」

圧制された国であっても、そこで生を受けた誇りを忘れたことはなかった。非力な民の役に立てることが生きがいだった。目の前の、大国に圧されているドルファンを救った戦士は、ずっと騎士の憧れだった。自分の国に来て、同志として共に闘ってくれると知ったときには、この上なく血が騒いだ。

他の者も同じだった。長い間忘れていた希望を男は思い出させた。男は兵士達を鼓舞し、今まで権力者達に怯えるだけだった民達を結集させた。

これなら……我々の手で未来は紡げるかもしれない。彼が生まれる前から人々が秘めてきた想いを、男は叶えてくれる。騎士はそう信じた。だが、男は……。

男は、刀の帯を解き始めた。月明かりの中、周囲の闇より深い黒。そんな刀身を持った剣、寒黒斗。解きながら、彼は語り始めた。

「みんなが立ち上がってくれたのは、俺の存在があったからじゃないよ。遅かれ早かれ、多分決起してた。たまたま、俺がここへきた時期と一緒になっただけだ」

「違います!皆、力も意思もなき非力な民でした!歴戦の勇者、ドルファンを救った貴方は我々の標なんです!光なんです!貴方が導かなくてはならないのです!」

困ったような顔をした。騎士は彼と出会う前、もっと雄々しい姿を想像していた。荒れ狂う獣のような男だと。だが、実際の彼は、まるで石の様な人間だった。冷たく静かな石。それでいながら、会ったものを穏やかな気分にさせてしまう。そんな不思議な男だった。

「……ドルファンを変えたのは、俺じゃないよ。もっと小さな力。剣でなく、槍でもなければ銃でもない力。それが国を導いた……」

詠むような口調だった。

「ここもそうなんだ。未来を紡ぐのは、そんな力。俺は、確かに闘う力はあるかもしれない。でもそんな、希望をもたらすような力じゃ、ないんだ。標?光?それは君達みんなだよ。君達が未来を紡ぐ」

「それであの大群の中に……?死に……行くのですか」

「死ぬ?」

刀の手入れしながら、男は繰り返した。

「死にに行くんじゃないよ。生きる為さ。俺も、君も、民達みんなが生きる為。光は、確かに周りを照らし暖める。でも、箱に閉じ込めたてたんじゃ意味はない。開放させなくては。その為に戦うんだ。……俺一人じゃ、闇を追い払うことはできない。でも、みんなが閉じ込めていた箱を開けようとしているところを照らして手伝うことは出来ると思うんだ。だから、俺は行くよ」

男はす…と刀に紙を這わせた。

ピ…………ッ!

信じられないといった目線を送る騎士をもはや存在しないと言ったが如く、はらはらと舞う2枚の紙を男はただ眺めている……。

 

外は既に夜が更けているらしい。窓の無い船室では時間などなんの意味も無い。

扉が叩かれる音がした。女がすっと身構える。

「……メネシスさんですね。協力者のミューです」

その言葉に、警戒を解かないまま静かに返事した。

「……なんだい」

「失礼します」

目立たないように細く扉を開け、するりと内側に入ると、音を立てないように静かに扉を閉めた。出入国管理局の制服を纏った赤髪の女。手にはカップとパン、チーズなどを乗せたトレイを持っている。

「お食事を用意しました。どうぞ……」

「ああ、悪いねえ」

言ってカップの中のスープに口を付ける。さすがに熱々とまでは云えないが、贅沢は出来ない。

パンを口に押し込み、入ってきた女を見ると、じっと彼女の傍らを見つめている。大きな細長い箱。

「気になるのかい?」

「え、ええ、まあ……」

スープをすすり、今度はチーズに手を伸ばす。

「見てみるかい?死んでるよ」

「そんな、その……」

黙ってしまった。まあ、年頃の女には刺激が強い。信じられないだろう。死体と一緒に同じ部屋で2人きり、密航しようとしているなど。いや、一応自分は正式な切符を持っているのだが……。

そのまま、狭い部屋には沈黙が下りた。その重さに耐えられなかったのか、女はおずおず口を開いた。

「あの、メネシスさんは、彼と生前から、その、お知り合いだったんですか?」

「……まァね。胸を患ってたって話は聞いてるだろ?定期的に薬を渡してたんだ」

「国に来てからすぐに……?」

「いや、アンタ達がコイツの症状に気付いてからだよ。発見した看護婦、あれがアタシの教え子みたいなもんでね。頼ってきたんだよ。なんとかならないかって」

「……」

「残念だったけど、症状が進みすぎてたね。もう国に来た時点で手遅れだった。薬でちびちび寿命を延ばすしかなかった」

「そう、なんですか……」

再び沈黙。黙々と女はもう食事を平らげた。トレイを女に突き出し、

「いや、美味かったよ。正直ペコペコでね。助かったかな」

「いえそんな。……船は、あと2時間ほどでドルファンに着きます。その後は……」

「大丈夫。手引きの者がいるハズさ」

「そうですか。それでは……」

そのまま赤毛の女はトレイを持って立ち上がった。そして、入ってきたときと逆の動作で扉から出て行った。

メネシスは、ふう、と溜め息をついた。あと2時間。結構長い。到着まで、一眠りするかね。

 

彼の心臓の病気に最初に気付いたのは彼の担当看護婦となったテディー・アデレード。ドルファン暦27年、12月に起こったテラ河の戦いで傷を負った彼は国立病院に数日入院することになった。傷の殆どは軽い打撲傷であったのだが、負傷した兵士が多かったため、比較的軽傷の彼は後回しとなったのである。

見回り中、テディー看護婦はベッドで喀血している彼を発見。調べたところ、悪性の心臓病を患っていることが判明した。これは入国管理に厳しいドルファンのとって大変な事である。傭兵として戦うためなのか、病を治すためなのか。その違いだけでも問題があるのだ。
メッセニ中佐はこの問題に目をつむると判断。彼が英雄として国民に慕われていること、このことを知ってたのが看護婦テディー、彼の入国を担当したミュー、その上司のメッセニ中佐だけであったこと、――彼の治療法は存在しないことを理由に。何より、ドルファンと敵対する強靭な騎士団、ヴァルファバラハリアンの八騎将とまともに戦えるのは、文字通り捨て身になれる彼しかいなかったからである。

彼はドルファンに留まることとなった。そして中佐の期待通り、残りの八騎将も彼が倒し、戦争は終結に導かれた。

……だが、その終結は、彼を含む傭兵に国外追放という非情な結果をもたらした。

王にも止められない条例を、当然中佐が止められるわけがない。英雄は国を追い出されることになった。

退去の令を申し渡されたとき、彼は何も言わなかったという。静かに押し黙っていたそうだ。

しばらく沈黙を続けていた……が、やがて口を開いた。そして、それを伝えに来た出入国管理局員ミューに、ひとつの願いを持ちかけたのである。

 

船がドルファン港に着いてから、すぐに外へ出るわけにいかなかった。フードを被り眼鏡をかけた女がどうみても柩である箱を昼間から引きずっている。即職務質問されかねない。夜を待って出ることになった。

夜の帳が下り、潮風の中メネシスは陸に降り立った。家の灯りが遠くで瞬いている。

さて、こっから運び屋と合流するはずなのだが……。と見回すと、倉庫と倉庫の間の細い路地から、誰かが彼女に手招きしている。メネシスは、肩に掛けた紐を掛け直すと、ずるずると柩をそちらまで引きずっていった。

路地まで入り、メネシスは深呼吸した。

「はあ、疲れたね。やっぱりこういう力仕事はアタシ向きじゃないな」

「安心しな。こっから先の力仕事はオレの出番だ」

バサバサの髪を1本で束ねた女が言った。

「お前さんのことは嫌いだが……まあ、仕事だ。今は私的な感情は忘れるさ」

「そう言ってくれると助かるね。……念の為、割符の確認といこうか」

メネシスが刀に巻かれた帯を解き始める。もう1人の女、ジーンが陰から細長いものを取り出した。鞘だ。反身の剣用の、秘色色の石を嵌め込んだ豪奢な鞘。

「霜剣チリィ・クロートー……。数百年前に失われた運命の三女神の剣のうちの1本。まさかこいつが持ってたとはな……」

ジーンが鞘を差し出し、メネシスがその中へ剣を差し込む。チィン、と涼やかな音をさせて、剣は鞘にぴたりと嵌まった。

「次女聖槍ラケシスは遠国の美術館に、末娘魔剣アトロポスは宝石王が我が物に。そして長女霜剣は、いや、妖刀と呼ぶべきかな?これは円月剣とは言えないね。明らかに東洋剣だ。その妖刀が東洋にあるとはねえ。一体どんなルートを辿ったのか……」

「収集家達が血眼になって探してるらしいな。売ったら人生4代くらい遊んで暮らせる。お前さんもそんくらい手に入ったら、もう実験体集めに苦労しなくなるんじゃないか?」

嫌味。だがメネシスは受け流す。

「そうしようと悩んだんだけどね。ま、仕事だから」

「割り切れるのはいい事だと思うがな。だからと言ってあんたを好きになることは出来そうも無いが」

「そいつはヒジョーにありがたいね」

柩をメネシスから受け取ると、ジーンは奥へと引きずっていった。彼女についていくと、倉庫の裏手に出た。そこに馬車が止まっていた。

「そっちを持ってくれ」

2人で互いに柩の端を持つと、持ち上げ中に詰め込んだ。そのままメネシスは荷台に乗り、ジーンは馬の手綱を握る。

「ハッ!」

暗闇の中、彼女の勇ましい声が響いた。

 

この件に関した協力者は、皆同じことを尋ねた。何故こんなことをするのかと。その問いに彼は笑って答えた。さすがに今すぐ死んで土に埋まる気はないよと。

次にこう尋ねられる。何故、母国でなくドルファンなのか?それにはこう答えた。ドルファンは、俺の第2の故郷だから。これには少し語弊がある。彼に第1の故郷は存在しない。

深い闇のような眼のモンゴロイド。一目見て東洋出身だと判られるのだが、彼にそんな意識はない。彼と知り合った女の子達の数人は“生まれたところはどんなところだったの?”と尋ねたが、これにも彼は決まった答えを返した。自分はすっごく小さい頃に国を出てしまったから、あまりよく憶えてないんだ。これこそ完全に嘘であった。

当時、いや今もなのだが、彼の生まれた東洋の小さな島国は、常に戦乱の災禍にあった。ドルファンが他国と戦っているのに対し、そこでは国の内での争いが日々起こっていた。

権力ある者は自らの地位を守るため、更に大きな財産を得るため、隣接した他の権力者と戦わせる。そのための戦闘集団を作り、生まれたときから戦うための道具として育てる。親の顔も知らず、場合によっては昨日まで仲間として技を高めあった者の命も奪い、敵地に送り込まれては使い捨てにされ骨すら回収されない。味方を守るため、自害という方法を強いられることも当然あった。
そんな場所で彼は誕生した。そして戦闘技術を体に刻まれ、体温を持つ兵器として成長していったのである。……さらに彼は、他の軍に比べてももっと酷い扱いを受けていた。

毎夜毎夜、薬を飲まされる。中毒性のある、他国では育てると極刑となる毒草をすり潰した粉。肉体を極限まで育てる為に精神の成長を妨げる。連日抵抗出来ない村人達を殺しては、夜にそれを忘れさせる。そうして生きてきた。

彼の記憶にある故郷の姿は、子供の泣き叫ぶ声をバックに、人外の物でも見るような視線を送られながら闊歩するところだった。ちらと見やっては女が恐怖に体をおののかせていた。何処から来たのか、何処へ行くのかも判らない。飼い馴らされた伝書鳩のように、遣わされては居場所に戻ってくるだけ。血の匂い消しの香の匂いとともに、そんな光景しか思い出せない。

彼が島を出たのは10歳の頃。物心ついた頃などとは当然言えない。もっともそれまでの記憶がないのだから同じ様なものか。外海を通って逃げ出した。そのルートを通ったのは1番監視の目が緩い為。数人が共に同じ舟に乗った。

監視が緩いのは航海技術が国全体において発達していなかったからである。一兵士の彼らもそんなもの持ち合わせていない。殆ど丸太を組み合わされただけの簡素な小舟。途中で大半が命を落とした。

嵐の中生き延びて、彼はどこかの海岸に流れ着いた。服や肌は荒れ果て、記憶も無く金は持たず食料もつき、持ち物は自分の身と心の相棒、そして妖刀寒黒斗。

相棒、ピコとはこの頃から一緒だったような気がする。はっきりと断定出来ないが。寒黒斗に関しては憶えていない。上から支給されたのか、誰かから譲り受けたのか、買ったのか、拾ったのか、何処かから奪ってきたのか。入手した記憶は無いのに、何故か、この剣は外国から持ち込まれたことと“未来を紡ぐ”という云われがあることは知っていた。幼い頃、この剣が元あったという外の世界に興味を持っていたようなことをぼんやり覚えている。

流れ着いた場所で1番最初にしたのは、食料の奪取、金品の強奪。雇ってもらうためには服装も整えなくてはならなかった。ある程度落ち着いてきて、やっと雇ってもらうことになった。(この時、言語の壁を越えるため憶えの悪い彼の為にピコが活躍してくれたことを書き留めておく)

しかし、この時彼は悩んでいた。

病んだ自分を生かすために、他者の命を奪う。何の為に?自分にそんな価値はあるのか……?

生きる意味を持たない者は死んだも同然。それでも彼は、夜が来ると寝、朝が来ると働いた。働き場所を次々と変え、より医学の進歩した土地に向かって歩き続けていた。

そして辿り着いたスィーズランドの地で、ドルファンでの傭兵募集の話を聞きつけた。一縷の望みと共にその地へ向かうことを決意する。……結局、彼の命の助けにはならなかったが。そこで、彼は想像外のものを手に入れることとなる。

愛情である。

剣を携えている者は、どこの地でも嫌悪された。彼もそんな反応には慣れていたし、気にしたことは無い。

が、その地ドルファンでは初めての対応をされることとなる。蔑視どころか、人によっては歓迎までしてくれた。優しく接してくれた。
いい言葉ではないが、表現するなら平和ボケした場所。外で戦争が起こっていることなど感じさせなかった。戦士を戦う者として認識していない風であった。

彼はそんな付き合いをしたことは一度もなく、戸惑い、混乱した。……だがやがて、そんな付き合いにもまれる中で、その中に心の平穏を見つけ出していた。剣の腕を磨くより、女の子と遊びに行ったり、バイトをしたりして民に感謝されることを喜びとした。

今まで手に入れられなかった感情らしい感情が、ここで呼び覚まされた。幸せだった。そんな言葉で表現できないくらい、彼の生活は明るい光で満ち満ちていた。

……だが、そんな彼の生活はあっさりと切り捨てられた。国外退出。

受け入れたくはなかった。信じたくなかった。この心地よいぬるま湯から寒い外に引き出されたくはなかった。表に出さなかったのは感情表現が上手くないからであって、内面では子供のように駄々を捏ねていた。

それでも、これまでの傭兵の経験からそんなわがままが通らないことは判っていた。それでも、この、この場所から離れたくない。もう後長くない命だ。尽きるまでここで暮らしていたかった。

そして彼は願った。

 

馬車が徐々に速度を落とし、やがて止まった。そこはドルファンにいくつかある共同墓地のうちのひとつである。深夜で人気の無いそこはいつも以上に寒々しく人を寄せ付けない。だが2人の女性はそんなこと気にしないかのようにひらりと荷台から降り、馬に待ての命令を出した。そして中から柩を取り出し、ジーンが奥へと引きずっていく。

奥の方にぼんやりと明かりが見えた。そこへ向かってごりごりと土を削る音をさせながら2人は近付いていく。間近まで来て、そこに誰か立っているのが判った。

「驚いた……あんたも協力者の1人かよ?」

「ええ……」

そこにいたのはクレア・マジョラム。ジーン行きつけの酒場のディーラー、そして、柩の中で眠る男のかつての上司――その男もすでに土に還っているが――の妻であった女でもある。

「こちらに……」

ランプの頼りない光を持ち、さらに奥へと進んでいく。

「ここはいかがでしょう。ここなら、高台でドルファンが一望できますから……。彼の意向に最も適った場所だと思います」

「死んでんだから文句も何も言えないと思うけど」

「いいんだよ、気分の問題なんだから。じゃあ、掘るぜ」

クレアからシャベルを受け取るとジーンは作業に取り掛かる。メネシスも面倒そうに、クレアは黙々と掘りはじめる。

 

なんとなく光が射したような気がして、男は目を開けた。灰色の雲の隙間から、僅かに朝日の光が見え隠れしている。

立ち上がることは出来なかった。首を捻って辺りを見渡すことも出来ない。近くにあるはずの愛剣を掴むことも、声を出すことも、汚れた顔を拭うことも出来なかった。

澱んだ雲は重くなく、薄く広がっている。どうして、立っているときよりも、こうして寝転がっているときのほうが空が近いような気がするんだろう?

すすり泣く声が聞こえた。周りには屈強の戦士しかいなかったはずなのに、その声は鈴を転がしたような高い少女のものであった。
「ピコ……?」

力を振り絞って、首を捻った。胸の上で、緑の服の羽の生えた手のひらに乗るほどの小ささの少女が、顔を抑えて泣いているのが見えた。まだ泣き続けている。声が小さすぎて届かなかったらしい。胸と腹に力を込め、もう1度彼女の名前を呼んだ。

「ピ、コ……」

はっと彼女が顔を上げた。涙で濡れた顔をその小さい腕で拭いもせず、背中の羽を振るわせ彼の顔もとへと飛んできた。

「キミ!生きてたの、生きて……あたしが判る!?ね、見えてる!?」

悲痛な声を上げる相棒の顔はぼんやりとしか見えない。開けたくても瞼はそれ以上こじ開けられない。

「……見えてるよ、ピコ。大丈夫さ」

「そっか、……よかった」

今彼女の顔が見えても、もうすぐ彼は……。そんなこと彼女にも判っていた。それでも彼女は歓喜に顔を緩ませた。流れていた涙が男の顔にかかった。

「……なに泣いてんだよ、馬鹿……」

「誰が馬鹿よ!……っ、バカあ……」

ずっと一緒に生きてきた。何もかもお互いのことは知っていた。寂しさを埋めてくれた。だって2人なんだもの。寂しくなんかない。

「ふっ、うぐ、ううう……」

「泣くなよ……。ほら、かわいい顔が台無しだぞ」

「ばか!ばかばか!もう、そんな言葉ばっか覚えるんだから……」

そうだね、と優しい表情で応えた。それを見て彼女がまた悲しげな顔をした。

「どうして、キミが……。キミは、こんなに精一杯生きてきたのに。どうして……死ぬことなんかないじゃない!」

「……死ぬ?」

相棒の言葉を繰り返した。

「……死ぬ、か」

再び唱える。

「ね、ピコ。俺、ずっと恨んでた。顔も見たことない親にかな?生まれた場所にかな?それとも神にかな?とにかく恨んでた。夜、血を吐くたびに、なんで俺だけって思ってた。苦しくて、周りの人たちがみんな敵に見えた。自分以外の人は無条件に幸せな生き方をしてたって……。でも、違った」

まったく風がない。荒野に2人以外の気配はしない。その内の1人の気配はもう1人にしか感じさせず、またその男も消えかけのような気配であったが。

「みんな、苦しかったんだ。みんな、自分を不幸だと思って、他人は幸せだと思い込んでいて、妬んでいた。俺の周りにいた人、たぶんみんなそうだった。だから俺も自分の間違いに気付かなかった。でも、ドルファンの人たちは違ってたよね」

少女は静かに彼の声に耳を傾けている。

「みんな、頑張って生きてた。精一杯。彼女達を見てると、なんだか目が覚める想いがしたよ。彼女達が自分のことを幸せと思ってたか判らないけど、確かに彼女達は幸せだった。ううん、幸せになれるよう、努力していたのかな。そんな彼女達を見てると、俺も幸せだった」

かすかに見開いた目には絶望はみじんも浮かんでいなかった。“人たち”が“彼女達”になったのを、ピコは気付いていた。それでも黙って聞いている。

「彼女達に比べると、俺は何もしてなかった。生きようという気力も無かった。……それは、死んでたのと同じ意味だったよ。ピコ。胸の病気を治そうって、いいお医者さんのいるところに行こうって。君がそれを言うたび、俺、いつも面倒くさいなって思ってた。どうせ治らないんだから、って。でも、あのときピコの言うこと聞いてなかったら、今の俺はなかったよね。……感謝してる」

小さな鼻をすすってピコは耐えている。そんなピコを男はみつめながら話を続けていた。

「ドルファンに来るまで、俺は生きてなかった。でも、生きている彼女達に会って……。未来を紡ごうとしている彼女達に会って。俺、自分は生きてるんだなあって感じたんだ。病んでて壊れかけの体にも、ちゃんと血は巡ってるって。楽しかった。幸せだった。俺は、確かに、生きてたんだ……」

天を見上げた。雲が少し離れ、切れ目から太陽の光が顔をのぞかせた。

「今も、生きてるって感じるよ。ああ、俺、生きているんだ。生きて、いたんだ。あの3年間、俺は生きてた。生きて、生きて……。未来は、紡げていたんだ」

胸に乗っていた重みが、だんだん無くなっていくのを感じた。飛び去ったのではない。自分の中に溶けこもうとしている。枯れて腐った大木に、雨粒が染み渡っていくかのように……。彼は、下を見なかった。喪失ではない。再び一緒に還るだけだ。彼の中に、別の鼓動があるのを感じていた。

そろそろ、俺も還らなくてはいけない。彼女のように、溶けるように地面に還れたらよかったかな。ううん、ここじゃいやだ。あの地に、あの場所に帰るんだ。願い……。

ふらふらと、両腕を天に向けた。まるで掴めそうなくらい近くに感じる。

このうえなく胸が高鳴っているのを感じた。世界が、初めて彼を受け入れてくれるような気がした。

幸せな思い出が体中を響かす。彼女達の笑顔。明るい声。輝かしい瞳。

「生きて……」

そこから先はなかった。生きて、いたかったのか、生きていてほしいのか。

「生きて……」

腕がはらはら、地面に落ちた。つむられた黒い目は、もう何もみつめはしまい。だが、その顔はこの上なく安らかだった。

 

すでに日が昇りきっている。朝日が3人の姿を映しだした。

「彼は……幸せだったんでしょうか?」

その問いにメネシスはしゃがんだまま答える。

「幸せだっただろうよ。このうえなく。最期まで……幸せだった」

平らにし終わった土からジーンが離れる。その上に、クレアが花束を置いた。

ジーンが剣を持ち上げる。鞘はすでに埋められていた。高々と持ち上げると、そのまま地面へ突き立てた。

3人は押し黙っていた。ずっと一点をみつめていた。

墓標の刀が、朝日を受けて艶めいている。まるで、主の死に泣いているかのように。

 

 

The fatal sisters、運命の三女神

女神は糸を紡ぎ続けるひたすらに ひたすらに

姉が紡いだその糸を 妹が正確に測り取り その妹がちょきんと切り落とす

からから まわる まわる 糸紡ぎ 女神の手で

定規を当てて 一寸の狂いも許されない きちんと測るのさ

ちょき ちょき ちょき 切ってしまえ ちょき ちょき

糸の素材はなんだろう?何を基準に長さを決める、切った残りはどこに行くの?

それは力でもなければ標でもなく勿論光でもない

riddle me this,what is your answer?

 

……そうひたすらに……。

 

 

「ソフィア姉ちゃん、どうしたの?」

子供達が修道服を引っ張る。その声に、子供達の面倒を見ていたシスターがは、と我に返った。

「あ、はい。どうしたの?」

「急に歌やめちゃうから。どうしたの?ボーっとして」

シスターは首を振った。

「なんでもないの。ちょっと考え事してて……」

「へんなソフィア姉ちゃん」

それに他の子供達も笑い出す。シスターも笑顔で返した。

「さ、そろそろ朝ごはんの時間よ。みんな、お掃除は終わりにして中に入りましょ?」

「はーい」

子供達は手にした箒やちり取りを片付けに奥へと走っていく。シスターはそれを見送ると、風上の方へ向き直った。

さっき、ふと、誰かの声が聞こえたような気がした。とても懐かしい、胸に響く声。

柔らかな風が彼女を包む。あらゆる命、すべてを祝福する風だった。


<あとがき>

 

ひいいい!すいません!

最初はいろんな女の子と仲良くしてたのに本命にふられたというギャグラストに行くはずだったのに(予定ではソフィア。ジョアンと見送りにくるエンドでした)なのに何故かこんな暗い話に……東洋人死んでるし……。

補足しておきますと、彼の病は生まれたときからのもので薬や周囲の状況は関係ないんです。

あと、周りからの印象はいろいろですが、実際の性格は非常に幼いんです。

でもピコがそのままだと人から変に思われるため、彼に意識させて性格変えさせています。

でも人との付き合い方とか判らないんで、つい寡黙になってしまう。

そういうわけで他人は大人びたヤツだと思ってしまう、といったところです。

えー、設定とかいろいろごちゃごちゃ変えちゃったし、“こんなラストは許せん!”といった方。すみません。許してやってください。

 

最後に。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。


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