審査員特別賞 騎士と剣


場所も照明もいいんだけどなあ。あとはこの額縁と、中身の問題だな。

と、レズリー・ロピカーナは心の中で愚痴た。

「お姉ちゃん、凄いね」

かつての後輩の賛辞に、適当な相槌を打つ。

「こういうところに飾られてると、なんだか不思議な感じがするよね」

ああ、と目を向けずに答える。上から下へ、左から右へ、また一点を見つめて。

やっぱり陰はもっと明るい色で塗るべきだったな。重ねないで、最初から暖色だけパレットに出していれば、もうちょっと騎士が前面に出たかもしれない。

ロリィは退屈なのか、自分の爪で遊んでいる。落ち着いた場所は苦手なのだ。こういうところはまだまだ幼い。

チラチラこちらを見上げて、“先に行こう”と促しているのは判ったが、動く気は無い。

いい出来だと描き終わったあとは思ったんだけどな。バケが多いし、塗り込んだ割には浅い。だいたい、タイトルに捻りがない。あまり凝った題は嫌いだが、全く単純なのも、審査員から減点されたかもしれない。

いやだな。昔はこんなこと考えたりしなかった。人からの評価なんて無意味に等しかった。誰がなんといおうと、自分の描きたいものが描ければそれで充分だった。

世知辛い人間になったなあ。おばさんみたいに嘆いて、またそれ自身に心の内で溜め息をついた。

ロリィは諦めたのか、絵の方に向き直った。

「綺麗な絵だよね」

「ああ……」

他人事のように言われてもなあ。

「ロリィ、絵のことは良くわからないけど、凄い賞なんだよね?」

「ああ……」

凄いのは、賞じゃなくてコンクール自身なんだが。

「この鎧とか、本物みたいだよ」

「ああ……」

鎧より剣を見て欲しいんだが。皆そっちの方に目が行くもんなのかなあ。

「……お兄ちゃん、どうしてるかなあ」

「さあな。いくぞ、ロリィ」

「え?あ、あああ、うん……」

づかづか歩く自分に、ロリィが遅れないように必死に歩調を合わせる。気分がかなり悪かった。

 

「ただいま……」

扉を開け、荷物を放り込んだ。返事が無いのはいつものこと。ジャケットの前を開けると、そのままベッドに倒れこんだ。

美術館を歩き回ったせいで疲れきった体は今にも眠りの淵に落ちそうだった。だが、目を瞑るとすぐさっきの絵のことが浮かんでくる。

構図はかなり満足出来る。何しろ、彼を何度もポーズをかえ角度を変え協力してもらったから。

高校課程が終わって、レズリーは絵画の道に進んだ。

絵はあくまで趣味で、描く事を強制されたくは無い、と最後まで悩んでいた。だが、入ってからこの選択をしたことは正しかった、と思った。描きたいモチーフを学校が提供してくれるし、必須のものを除いて束縛されるほど授業も無い。想像と違って簡単なテーマを与えられるくらいで、題材を勝手に決められることも無かった。

それになにより、気に入った建物なんかを描きたいとき、大抵美大生だというと喜んで許可を下ろしてくれた。前は訝しげな顔をされて、渋々といった様子で提供してくれていたから。屋外でスケッチしていてもあまり不思議がられない。

目を開けた。

(やっぱり、あたしって変わったのかなあ……)

他人の目を気にするなんて、前の自分では考えられないことだった。いや、違うな。むしろ冷たい視線を浴びることで、自分の存在を確認していたのだ。

あの頃は、いろいろな意味で、子供だったのかもしれない。どうにもならない周囲の流れに逆らうことも従うことも出来ず、突っぱねることしか出来なかった。

今は?今は、どうなのだろうか。大人として、一人の人間としてやれているだろうか?

起き上がって、壁の本棚から、1冊のスケッチブックを取り出した。

叔父からもらった、輸入物のスケッチブック。手触りのいい紙をまとめた厚い物である。

やや埃の積もったそれの、1枚目を開けてみた。心なし、わずかに黄ばんだ様な気がする。

鉛筆の荒いタッチで描かれていたのは、鎧を身に着けた一人の東洋人だ。片手に反身の刀を構えて、正面に向かって構えている。

2枚目。そのまま横薙ぎに構えている姿。3枚目。少し遠くから、彼の刀舞を描いた時。このときは本当に大変だった。炎天下、数時間付き合ってもらった。日陰にいたとはいえ、2人とも汗でビショビショ。終わったあと、アイスクリームを舐めながら、大笑いしていた。2人とも、何故か空調の聞いた建物に入るより、アイスを買う事を先に提案した。互いに、自分達の横でアイスを食べながら通り過ぎる子供たちを意識していたのだろう。

鞘から剣を抜く絵。このとき、彼が話してくれた。

「この剣は、妖刀寒黒斗……未来を紡ぐ女神のものだよ」

か黒い刀身の東洋の剣。鞘に、瑠璃とおぼしき石が嵌め込まれている。旅の途中で手に入れたものだと語っていた。それ以外にも他の国での体験記を話してくれた。ロリィはそれは楽しそうに耳を傾けていたものだ。

半分くらいが“彼”の絵で埋め尽くされている。後半は……白。吸い込まれそうな無地の紙。

 

外国人退去命令について知ったのは、それが公布されてから数週間も経ってからだった。外人が減ったな、戦争が終わったからだろうか。その程度しか考えなかった。一介の高校生にとって、戦争も傭兵も別世界の話である。

卒業から暫くして、同級生が国外へ駆け落ちしたというニュースを聞いた。情報は、何度か同じクラスになったことがあるハンナ・ショースキー。たまたま町の中で会って、少し世間話していた途中話題になった。

聞いた途端、レズリーは呆れ返ったもんだ。なんだそりゃ。だが、次の元同級生の言葉は彼女をさらに驚かせた。

「そりゃ、前までは国の出入りが自由だったからさ。この間、傭兵たちが全員国からの発令で外国へ追い出されたでしょ?そうなると、気楽に会えないし。追い詰められて、結果そうなっちゃったみたいだよ」

慌てて彼の宿舎へと駆け込んだ。当然、もぬけの殻だった。

どうしてくれるんだ。描きかけの絵が、何枚もあったのに。

数ヶ月間、絵を描く事が出来なかった。親を説き伏せて入った美大で、絵を描けない事はくだらなくて情けなかった。

結局、課題で何か描かなければならない事態で、ずっとほったらかしにしていた“彼”の絵を描き上げて提出したところ、講師の目に留まり、コンクールに出品させられた。
元の絵は彼に正式に頼む前に描いたものだ。それを適当に塗ってみた。それだけの物。

講師の誘いに、どっちでもいいと曖昧に返事した。本当にどっちでも良かった。

この結果で、前半サボっていた分は取り返せただろう。そういう意味で役に立った。そんなみみっちい生き方は性にあわないが、やりたい様に出来るほどこの世界は甘くない。

自分は醜い大人になった。他人の視線を気にしてこまごま動くネズミのように。

人は変わる。でも、本質は変わらないと信じたい。

名誉ある賞をもらって、嬉しいという実感は湧かない。自分が満足できればよかった。それはまだ自分をレズリーと呼んでいいという証のような気がする。

ロリィも少し大人っぽくなった。でも、自分に甘えて離れられないのは変わらない。

本当は、あの時、ロリィがどんな気持ちで“彼”について口にしたか、判っていたのだ。余程の覚悟があったのだろう。判っていながら、受け流すしか出来なかった自分。

(今のあたしを見たら、あいつは、まだ子ども扱いするかなあ、それとも……?)

それこそどっちでもいい。そんな評価は屁でもない。

もう1度、パラパラと全部の絵を眺めていた。年月は僅かに紙を変色させたが、描かれた彼は、ずっと変わらない柔らかな笑いを顔に浮かべている。

スケッチブックの紐を結びなおし、他のそれと同じ様に棚に投げ込んだ。

次は何の絵を描くかな。今度は風景画がいい。海を描くのもいいか。なら、青系の絵の具を買いにいかなきゃ。

着替えをしながら、本棚のほうを向いた。

いつか彼の絵を、何のしがらみもなく、素直に描ける日が来るだろうか。早くそんな日が来て欲しい。折角懸命にとったデッサンが山ほどあるんだから。ほったらかしておくのは勿体ないじゃないか。
来てくれなくちゃ。その為にも、あたしは変わらなきゃいけない。

望まなくても、人は変わる。でも、それじゃあいけない。自分から、変わっていかなくてはいけない。

取り敢えず今は、……寝よう。ゆっくり休まなくては。来たるべき明日のために。


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