第4話


一章 傭兵隊長ドナルド・カーマイン中佐

 

二次徴募に群れ集った、ここでは新顔の傭兵たちが顔をしかめた。

本来、指揮官クラスの兵士がいるべき場所に立っている人間が、まだ少年の面影を残していたからだ。

あからさまな敵意と反発の視線にまったくおびえることもなく、彼は弓を引き絞った。自分たちに向けて矢が飛んでくるというのに、傭兵達は怯えていない。

何をする気だ、ガキが。

 

一様に、顔にそう書いてある傭兵たちの隙間を縫い、

放たれた銀光ははるかかなたに吊られた合図用の銅鑼を直撃し、一度聞いたら忘れられないあの音を弾き出した。

『……』

誰も、何も言わなかった。

そして、彼がそこにいることを不満に思う人間もいなくなった。

人間、何かがずば抜けていればあとは何とかごまかせるものだ。

矢を放った本人は、少し情けないような顔をして、弓を下ろしたのだった。

 

 

「さて、貴様ら。俺の同業者じゃないやつは出て行け。いないだろうが…」

一応、部外者を締め出すために言ってみた。

最後列から、誰か知らないが野次馬だかなんだかわからない男が三人ばかり逃げていった。

 

……何なんだこの国は…

 

先ほどの少々異様な光景をすぐに忘れて、ドルファン王国軍傭兵隊騎兵隊隊長、キリト・カズサ特務曹長は話を切り出した。

といっても、たいしたことを話すわけではない。

彼ら新顔に、今までの経緯など話しても無駄である。

だから、ここの施設はどういう決まりがある、とか、軍律はこうこうだからけして破らぬよう、破った場合、理由如何を問わず処罰する、とか、そういう事務的な話にとどまった。

いま、傭兵隊には総指揮官がいない。

というわけで、満場一致をもって、騎兵隊隊長となり、昇進もしたキリトに貧乏くじが回ってきたのだ。

原因はいうまでもない。

すでに、傭兵隊設立当初からのメンバー内では禁忌となった言葉。『イリハ』。

 

先の戦、書物には、『イリハ会戦』と書かれるその戦で、傭兵隊は総指揮官ヤング・マジョラム大尉と、騎兵隊隊長であったリヒャルト・ハイゼン曹長、さらに三千人の兵を失った。

出陣のときは、四千人いた傭兵隊が、帰還時には千人に減ったのだ。

それゆえの二次徴募、それゆえの再編成。

それもこれも、すべて騎士団の臆病な指揮官どものせいだ。

ほとんどの傭兵隊員が、その意思で一つだった。

 

 

「ああ、くそ。もう夏がきたか?暑い。まったく暑いぞ、けしからん。暑い、暑い」

机を前に、氷水など飲みつつ、ドルファン王国騎士団のドナルド・カーマイン大佐はうめきつづける。

気色悪いことこの上ないが、なにせ本当に暑いのだ。

どれくらいかというと、すでに大佐の体から湯気が吹くほど。

「まったく、暑い。何だってこんな日に…!」

そして、思い切り不機嫌である。

先ほどまで、同じく汗だくの将軍閣下より先の戦のお叱りを受けていたのだ。

「ああ。我が騎士団も落ちたものだ」

嘆息し、氷水をあおる。

誰もが経験したことのあるであろうあの頭痛が走り抜け、次いで、天井を見上げる。

「他人に責任を押し付けることしか頭にない。自分の臆病加減に気付きもしない、この上で私に懲罰だと?」

いいかげんにしてくれ、本気でカーマインは怒鳴ったものだった。

おかげで、明日付けで中佐への降格が決定している。

彼は、赤騎士の称号をもつ、れっきとした騎士だった。

昨今の軟弱ものたちのように、馬にもろくに乗れない、などということは決してなく、馬上での槍の鋭さには定評がある。

ただ、彼は赤騎士の称号の返還を本気で考えていた。

この国の、あの豚のように醜い『騎士』だとほざく生き物に、ほとほと嫌気が差していた。

自分がいなくなれば、少数の、いまだ騎士たることを捨てていない部下や同僚が困ることはわかっていたが、彼はとことん、骨の髄まで虚しくなっていた。

 

とんとん

 

ノックが響いた。

まくっていた袖を直し、襟を正し、「どうぞ」と迎える。

完璧な軍人根性だが、彼の美点でもある。

「失礼します、大佐殿」

入ってきたのは、あの魔法使いだ。

たしか、ヴァレス、とかいった。

「何か用かね?曹長?」

「ええ」

用がなければ、風通しの悪いこの建物に入ってきたりはしないだろう。

大佐は、ふと気づいて、言ってみた。

「君は汗をかいてないな」

「へ?」

少々間の抜けた返事を返し、ヴァレスはしばらく黙考するようなしぐさを取った。

「暑いですか?」

当然のことを聞く。

「暑いに決まってるだろう。涼しいか?この気温が」

水銀を利用した温度計を指差して言った。

すでに尋常の室温を超えている。

「…」

魔道士が、ぶつぶつと何事かつぶやき、

「うおぉおお!さむゥっ!!?」

思わずカーマイン大佐は叫んでしまった。

「冷気を生んで、まとわりつかせてるんですが…」

魔法とは便利である。

ただ、突然で急激な温度の変化に、大佐のほうは仰天したようであるが。

「おお、驚いた。で?何の用事だ?さっさと言ってくれ」

これでも俺は忙しいんだぞ、と、また氷水に手を伸ばし、やめた。

「そうそう、用事です、用事。これを」

ごそごそと懐から、ひんやりとする紙の束を差し出す。

傭兵隊四千人の編成表と、これは問題ない。

最後の一枚が曲者だった。

「…思い切ったことをするなぁ…」

「これは私の判断です。任せる、と言われたものですから」

一種の依頼だった。

 

――貴官に我が傭兵隊の指揮を執って頂きたく…

 

「古臭い文体だな」

「カズサ特務曹長ですから」

だからなんなんだ、という言葉を飲み下し、カーマインはその羊皮紙を見つめていた。

そして、不意に口元をほころばせ、こう言った。

「了解した。許可をとることにしよう」

 

赤騎士の称号返還は、これが終わってからでも遅くはなかろう。

それに、なによりも面白そうではないか。あの怪物どもを指揮できるのか!

 

踊りだしでもしそうな足取りで、彼は自室から将軍閣下の部屋までの廊下を歩んだ。

今まで、こんなにうきうきした気分でここをとおったことなど初めてだったかもしれない。

将軍閣下は、厄介払いができるとばかりに通常の三倍の速さで手続きを終えてくれた。

カーマインは、初めてこの脂ぎった男に感謝したものだった。

なんとまあ、明日から指揮を執れ、というのだ。帰途、彼はまさしく小躍りしていた。

 

 

「よしよしよしよしよしよし」

日が沈み、そして昇り、カーマイン“中佐”は早速新しい自室を点検していた。

傭兵隊に関するありとあらゆる文書、記録が保存されている。

たいした量ではなかったが、密度はものすごいものだった。

「ふむふむふむ…騎馬が二千、歩兵が千、弓が千、か…。少々イビツだが、まあいいだろう」

ドルファンには駿馬が多い。首都城砦だけでも、総数六万頭の軍馬がいなないている。

歩兵が少ないが、どうせ敵は『傭兵騎士団』なのだ。

いたところで、大して役にはたたないだろうが、いざというときにいないと困る。

それを考えれば、まあこんなものだろうと思えた。

傭兵隊にあてがわれた軍馬は四千。

ありえないことだが、たとえいきなり半分の馬が倒れようと、稼働率は下がらない。

それに、交代で馬を使えば、常に最高の状態の馬を駆れることになる。

「長弓を発注?なるほどなるほど」

ドルファンには銃がない。

ならば、少しでも強力な射程武器を扱いたいところだ。

噂では、キリト・カズサが軍隊とでもやりあえるほどの火器をもっているそうだが…

いやはや、それにしても第一次、第二次と、やたら多くの傭兵が集まったものだ。

ヤングの予想では、千人集まればいいほうだ、と言っていたが…

今日も今日とて、新顔たちがちらほらと入国している。

「これはお早い」

突然、開けっ放した扉からの声。

ひょいと視線を上げると、当の黒髪の東洋人がそこに立っていた。

朝っぱらからキセルなどくわえている。

「流石は流石は、かつてヤング大尉『の』教官殿たるカーマイン中佐。仕事熱心ですな」

「そういう貴様は不真面目君か?」

「はは…」

何の意味もなく笑いを発してから、キリト・カズサはいつになくにこにこしながらこう言った。

「俺ほど仕事熱心な隊長はドルファンには居ませんよ」

 

事実、キリト・カズサ特務曹長は凄まじい仕事量を黙々と迅速にこなしていった。

彼は学問課程の成績は優秀とは言いがたいが、それとは別に、『手際がよかった』。

文字は多少乱れているし、判は少々ゆがんでいたりするが、見苦しいほどでもない。

何よりも、無駄なものが何一つない。彼にしてみれば必死でひねり出した言葉の羅列は、理想的、ともいえるほどの軍隊式文書に完成されていたのだ。キリトとしては怪我の功名とでもいったところか。

 

それを午前中に終わらせると、彼はとっとと兵舎に帰ってしまった。

中佐としてはキリトの訓練風景というやつを見たかったのだが、いかんせん今日は休日である。

休日に出てくる人間といえば、指揮官クラス、もしくはフィリオネルのような補修の必要な人間だけである。


二章 彼、演ずは武也

 

さて、むさ苦しい兵舎をぶらりと出てきたのは、おなじみの藍色の男である。

ひらひらと翻る藍の羽織から見ると、今日は腰にぶち込んだ一本の日本刀でしか武装していないらしい。

そんな彼は、初夏の、少々きつめの日差しの下を北向きに歩き始めた。

懐には、この男には似合わない紙が入っている。“演劇鑑賞券”。

 

男がそこに着いたとき、待ち合わせをしているはずの相手はまだきていなかった。

それもそのはず、早すぎたのだ。

開演まで、たっぷり三十分ほど時間がある。

キリトは待つことにした。

シアターの壁にもたれて、何気なく、ぼんやりと空を眺めていた。

どこから出したのか、手には小さなナイフのような金属が回っている。

それを玩びながら、故郷のことなどに思いをはせてみたりするが、どうにもいい思い出が多いとは言えない。

意地の悪い兄、気色の悪い姉、どう見ても石細工にしか見えない継母。

父と、一人の弟だけが彼の味方だった。

両方とも、すでに亡い。

 

「よおよお、東洋人。なにしてんだ?ンなとこでよ…?」

いきなり横合いから大して鋭くもない蹴りとともに、

いつだったか忘れたが、聞いた声が飛んだ。

見れば、やはり、入国早々港でのしたチンピラと、その他大勢である。

今日は前よりは豪勢な陣容だ。五人。

「何か用か。言っとくがここは無能者救済センターではないぞ」

「馬鹿にしてんのか…?」

「おお、安心しろ。それが分かるなら更正の余地はある。さあ、真人間になるためにあの太陽に向かって猛烈に突進し、そして帰ってくるな」

「何ワケのわかんねーこと言ってんだコラァ!!」

「いや、俺は」

少し息継ぎをして、

「居ても居なくてもどっちでも良いというかむしろ居るほうが酸素の無駄かつ景観破壊的な連中を少しでも人様の役に立」

そこまで言ったところでキリトは身をかがめた。

「ナめてんじゃねェーぞテメェ!!!」

頭髪を鶏冠のように逆立てて、顔色の悪いそのチンピラは怒鳴った。

後ろに控えた四人も、それぞれ怒りの形相を浮かべているが、悲しいことに殺気もくそもあったものではない。

キリトのように死と隣り合わせに生きるものにとっては、それは実に滑稽な光景だった。

ぎりぎりと手指を引き絞りながら、傭兵が問う。

柱の陰になっているため、気づくものは居ない。

その五人を除いて。

キリトが、“傭兵”になった瞬間を。

皮肉っぽい東洋人の青年から、一転。凄まじい、冷気すら伴う殺気を両肩から膨らませ、

「選択だ。逃げるか、それとも五人まとめてぶち抜かれるか、好きなほうを選べ」

『ぶち抜く』という表現の意味を考える暇もなかった。

その声音に、五人のチンピラは腰を抜かしたようにへたりこみ、恐怖のせいか、そのままくたりと意識を失ってしまった。

真の恐怖には、絶叫すら許されないのだ。彼らはそれを身をもって知ることになった。

 

――せっかくの約束だというのに。いい気分が台無しだ…。

 

がらにもなくつまらないことで怒気を発したことを後悔し、ぽりぽりと頭を掻きつつ、キリトは視線を転じた。

歩き出し、そしておもむろに片手をひょいとあげる。

「やあ」

「すいません、遅れてしまって…!」

少し息を切らせて、小走りに向かってくる少女に、いつになく穏やかな表情をむけるキリト。

「いや、俺も今きたところだ。気にするな」

すでにキリトはおもいきりタメ口だったりするのだが、少女はそれをまったく自然に受け止めている。

最初は敬語だったのだが、軍隊で鍛えたその口調にさすがに皆が参って、敬語を使わないように頼んだのである。語尾に「…であります」とつけられて微笑んだままでいられる女性など、そうそういるものではない。

「フゥ…」

「運動不足」

「あ。バレました?」

などと他愛もない会話を交わすのも、キリトにとっては楽しみである。 

「ところで」

懐から長方形のチケットを取り出し、

「いいのか?俺はことこういう事に関しては全くの素人だが」

 

 

数日前。

そのチケットは、なぜか傭兵隊にもまわってきた。

誰も行きたがらなかったので、結局、隊を統率しているキリトが貧乏くじを引いたのだ。

そして、彼も行きたくなかったので、知り合いの少女たちにすすめてみたところ。

「ボクは練習があるから…」

「私もその日は駄目だな。ロリィと一緒に買い物に行く約束があるんだ」

「だったらお兄ちゃんが行ったらいいんじゃない?チケットも二枚あるんでしょ?」

「いいねぇ、そうしなよ、キリト」

 

というわけなのである。

帰還直後と違って格別、忙しいわけでもなかったので、

「そうだな。まあ、いいだろう」

と、言ってしまったのだ。西洋風の演劇など見たことも無いと気づいたのは、その夜であった。

 

「ええ。一人で見てもつまらないですし、それに…」

「なんだ」

「いえ。何も。さあ、いきましょうか」

「開演まで時間があるが」

「いい席を取るためです。さあ、行きましょうっ」

なにやら奇妙な迫力のあるソフィア・ロベリンゲの視線に、八騎将すら討ち取った猛者はおとなしく従って行ったのだった。

 

 

さすがは役者だ――

 

シアターを出て、ふと思いついた言葉はそれだった。

なんとなく、しかしぐいぐいと引きずり込まれてしまった。

「面白かったですね」

ソフィアも満足げに、にこにこしている。

「公爵が剣を抜くシーンが緊迫しててよかった」

ぽつりと、初等学生の作文のような感想を漏らすキリト。

「あのシーン、音楽も最高ですよね。すごく雰囲気が出て」

「同感だ。いやはや、一日で演劇が好きになってしまったかも知れんな」

と、

「……」

「どうしました?キリトさん?」

キリトは嘆息した。

ソフィアを庇うように前に出る。

「いい心がけだな?え?東洋人」

またトサカ頭の登場である。

月一回出てくれば、それなりに面白いが、一日に二度も出てこられては気分が悪いな…。

「まったく。無粋だな、おまえら。芸術に酔う文明人の心の機微を理解できんと見える」

「なに?」

「貴様らが二、三十人で群れているその光景を出端一番に見た日には、先ほどまでのいい気分が一気に吹き飛ぶだろうが!」

「どういう意味だてめぇ!!」

「下衆は下衆らしく公衆便所にでも沈んでろと言ったんだこの溝鼠が!!」

こうなるとキリトは止まらない。

どうにもこうにも、気に入らないものはとことん言葉で沈め、拳でのさなければ気が済まない性格なのだ。

あまり良好な性格とは言い辛い…。

「ど…!てめぇ…!ゆるさねぇ!ぶっ殺したらァ!!」

鶏冠男がポケットからナイフを取り出す。危ないぞ、と思いつつ、キリトも、

「ふむ。演劇のあとに剣の舞、というのも一興だとは思わんかチンピラども」

そういいながら、腰の剣を抜く。

音もなく抜き放たれたその刀身は、夕暮れ時の空を映して真っ赤に染まり、

「うるせェよ!さっきみたいにはいかねぇぞ!!」

まだあの殺気を発散していないキリトを、各々の武器を持った二十四人が取り囲む。

一瞬で、円陣のような空間が出来上がった。

物見高いもので、群衆はこの『剣の舞』とやらに興味津々らしい。

ちなみにソフィアは依然、キリトの後ろに寄り添って固まっている。

普段こういう事態には、当然ながら慣れていないのだ。

「へへへ、嬢ちゃんよ、ンななまっちろい男より、こっちにこいよ…」

「いい目見さしてやるぜ?ケケケ…」

「やめろって。あの娘ッ子に手ぇ出したら…」

そこまで行って、トサカ男はソフィアをじっと見て、

「ま、バレなきゃいいかァ…」

「いいのか、とさか男。それに『バレる』とは?」」

「うるせえ!俺はビリーだ!覚えとけ!!」

そのビリーの声を合図に、二十三人がいっせいに飛び掛る。

眉をしかめたキリトはひょいとソフィアを抱きかかえ、右手だけで刀を振るい始めた。

先ず右に一閃。

そのまま、勢いを殺さずに正面を横薙ぎにし、そのまま左に抜ける。

体をかがめ、一度に襲ってきた三撃をかわし、それぞれの脛を払い、

そのままの勢いでぐるりと体を仰向けにして、のしかかろうとしてきたやつの首筋に一刀を叩き込み、背筋で起き上がって頭突き。

八名を三つ数えない間に峰打ちにすると、さすがに敵はたじろぐ。残ったチンピラたちの動きが止まったその一瞬に、

「さらば」

にやりとキリトが笑い、そのまま足のばねだけで包囲を飛び越え、人垣に消えた。

終始、彼の左腕には少女が抱えられていたはずだ。

「ばけもんか?」

呆然とした人ごみの中から、誰かがつぶやいた。

死者はゼロだが、どうにも何人か骨が折れたようだ。

特に脛を払われた三人など、例外なく足が異様にひん曲がっていたりする…。

今までそれを忘れていたかのように黙っていた負傷者たちが絶叫を上げたとき、キリトとソフィアは十メートルほど離れた角を曲がろうとしているところだった。


三章  夕暮は紅く

 

「どうも、ありがとうございました。助けていただいて」

「いや、こちらこそ。彼らは俺に用があった。巻き込んですまない」

チンピラのことである。

腹いせに、キリトと一緒にいたソフィアを狙わない保証もない。

というわけで、二人は連れ立ってフェンネル地区に向かっていた。

いうまでもなく、ソフィアの家に、である。

「あ、ここまでで良いです。そこを曲がったら、すぐだから」

「そうか。では、失礼する」

特に何事もなかった。

そう、そこまでは何事もなかったのだ。

 

がらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらがらが

 

「ぅどぉおをわっっ!!??」

突然、

己が身を引き裂かんとするかのごとく疾駆してきた大きな白い馬車に驚き、慌ててキリトは飛びのいた。

急停車したその馬車から、優雅な足取りで降りてきた男がいる。

「ジョアン・エリータス、鰈に見参!」

「惜しい」

思わずキリトは呟いた。

「あー、カレイの煮物が食いたくなってきた」

その言葉が、貴族の三男に届くことはなかった。日本語であったからだ。

彼はすすす、とソフィアの前に立ち、じっと彼女と見つめ合った。

 

「ジョアン…」

「ソフィア…」

 

「序案…」

「うわぁぁっ!!!??」

横合いからいきなり男に呼びかけられたのがよほどショックだったのか、ジョアンは思い切り飛びのいた。

先ほどキリトの見せた体技とは雲泥の差だが、鋭い身のこなしには違いなかった。

「な…貴様!いきなり横から何を…!!」

「いやぁ、急に無視されたんで、寂しくて」

儚い眼でそうポツリと言った。もちろんジョアンは怒鳴った。

「ふ、ふざけるな!!」

「だってお父さんが」

「知るか!とにかく僕はソフィアに用がある!貴様みたいな薄汚い東洋人はすっこんでいるがいい!!」

ぴくり、と、キリトが反応した。

「毎日風呂には入っているが」

「だまれ!!」

そろそろ野次馬が集まりだしたそこで、キリトが手をジョアンの口にあて、制止したのは、なにやら野次馬の中に物騒なものを感じたからである。

どうやら、曲者のほうもキリトに感づかれていることがわかったらしく、なかなか仕掛けてはこない。

なかなか腕の良い奴のようだ…

「後!!」

彼の耳にのみ届く声が、キリトを振り向かせた。

続けざま、右手で腰の刀を抜き打ちに煌かせる。腹を薙がれたそいつは一言も発せず、口から血のみを吹いて絶命した。

その手にはどうみても包丁には見えない刃物。波型のそれは、殺傷のみを目的として作られた形状だ。

「ピコか」

キリトの眼に、えへん、とでもいいたげに胸を反り返らせた相棒が映った。いままでどこに行っていたのやら。

もちろん姿も、彼以外の者には不可視である。

「私がいなかったら危なかったよねー、キリト」

「別に」

「あ、そういうことを言う。あーそー、そーなんだ、ふーん」

「わかった。ありがとう」

「素直じゃないよねぇー」

これほど臓物臭い中で、よくこう表情が変わるものだ、と半ば感心しつつ、二人の傍観者のほうを見た。

ソフィアのほうはなにやら呆然としている。無理もない。

ジョアンもなぜか呆然としまくっている。それでも騎士か。

「やるな」

別に隙を見せたつもりもなかったが、暑苦しいフードをかぶった、先ほど斬った男と同じ格好の人間が、姿勢を低くし、摺り足に近寄ってくる。

手にはおのおの、東方のものと見える刃物。

七人。そのうちの一人は攻撃態勢を取ってはいない。

彼が司令塔だろうか。キリトは軽い口調で問い掛けた。

「何の真似かな?」

「カタワにしようと首にしようと、大貴族の小倅、八騎将を討った傭兵、ドルファンに混乱は避けられぬだろうて」

こちらも軽い口調でかえす。

「ほう。ヴァルファか」

「さてな。そうとも限らぬぞ」

びゅん、と、キリトが血振りし、同時に、フードの男たちが一斉に動いた。

二人が一人を肩に乗せ、跳ね上げる。実に巧みな三次元的攻撃であった。

「馬鹿なっ!?」

声をあげたのはフード達である。

完璧なタイミングで、六人いっせいに斬りつけたそこには、誰もいなかったのだ。

「ちっ!」

後ろを振り返った最初の一人が顔面を割られた。

藍色、否、黒にすら見える衣が翻り、二人目の首がすっ飛ぶ。

「くっ!」

フード達は悟った。彼は、自分たちの誰よりも速く動けるのだ。

「ガーダック!」

「応」

四人のうち一人が突然うずくまり、なにやらもごもごとつぶやいた。

それが何なのか、キリトはほぼ本能的に察した。

「魔法!」

と、彼の体が重くなる。いや、違う。

足首をつかまれているのだ。“地中から生えた手”に。

「何?」

いかぶる暇もない。

残る三人が、一人は地を這い、一人が跳び、そしてもう一人は左に回って仕掛ける。

「「「ケアァァァアァッ!!!」」」

奇声とともに、動かぬ男に斬りかかる!

「なめるな!」

左の男に刀を投げつけ、まず一人。

上空のには、羽織っていた藍色の着物をばさりとかぶせ、墜落させる。

引き寄せて、首根っこと思しき場所をつかみ、前からの男の刺突への盾にする。

二人目は、心臓を仲間に貫かれた。そして、仲間を手にかけたそいつも、人中への一撃で頭骨を砕かれた。手甲をはめているのだ。

「…ッ」

残ったフード、魔法を使っていた男が、短い舌打ちとともに術を解く。

キリトは完全に拘束された状態から三人の、武装した、腕の立つ男たちを斬り殺したのだ。

「グルガーン…」

魔法使いが指示を請うように、じっと一部始終を静観していたフードに言う。

「ま、こんなものか。帰るぞガーダック」

「いいのか?」

「上々よ。しょせんは様子見、偵察に過ぎぬ。まあ、予想に反した強さではあるが」

「待て待て待てぇい!!」

「ん?」

早くも立ち直ったジョアンが喚きはじめた。

「貴様ら、王都においてこのような狼藉、許されるものではない!大人しく縄につくがいい!」

グルガーン、と呼ばれたフードの男は一つ鼻を鳴らして、

「よく吠えるが、若いの、お主はさきほど、何かをしたか?」

からかうような口調であった。

だが、それに込められた暗澹たる気配にはさすがにジョアンも気付いたらしく、一瞬で蒼ざめる。

「ふん、この程度で騎士と名乗るか。…そこな傭兵。同情するぞ」

「ありがとう。だが、帰すわけにもいかん」

「ほほう。吾がお主らに許しをもらうとでも?それは浅はかというものじゃ、若造。…そうそう」

忘れ物でも思い出したかのような口調で、フードが問うた。

「その剣、業物よな。銘はなんという」

グルガーンの指が、一人に突き立ったキリトの刀を指した。

「何?」

「めい、じゃ。東洋の刀にはよくそういうのがあるじゃろう」

「無銘だ。だが、わが一族には『紅髑髏』と呼ばれていた」

「『紅髑髏』、べにどくろか。そうか」

それだけ聞くと、フードの二人は突如として掻き消えた。

空気に溶けるというか、まるで造りかけの木像から木屑がはがれるように、消えた。

「そんな」

さすがにキリトも、戦慄せずにはいられなかった。

先ほど斬った六人の死体も、消えていたのだ。おびただしい血痕をそのままに。

「ヴァルファバラハリアンだけでもとんでもないというのに」

先ほどまで懐に入っていたピコに聞かせるつもりもないだろうが、彼は呟いていた。

「このうえ、まだあんな人妖が出てくるというのか…」

「まあ、話の都合ってことで」

「何を言ってるんだ、ピコ?」

 

 

余談。

まだぼんやりとしているソフィアを、ジョアンはお茶に誘いたがったがキリトが鯉口を切ると静かになったので、どうにかこうにか家まで送り届けた。帰り道になぜかごろつきに囲まれたが、疲れていたので二・三人殴り倒しただけで逃げてきたという。

数少ない、だがこれから増えるであろうキリトの減点評価の一つが、今日もまた増えたのだった。


あとがき

 

うむ。なかなか思ったとおりには書けないものだ。っつーか長ーよ俺。長すぎだよ。ウンザリだよ。

こんにちはくりくりぼうずです。ところでやはり野次馬の囲んでる中で人をぶった斬るのはいけないでしょうか?

あとソフィアが、キリトの大立ち回りを見てへーぜんとしているのも問題ありでしょうか…

傭兵隊四千人。多いかもしれないですが、かの鷹の団も五千人ほどの傭兵団でしたし、ヴァルファにいたっては万単位の軍編成ができるくらいですから…

いくら魔法使いがいても圧倒的ですね。騎士団は役に立たんし。もうすこし増やしてもいいかなぁとおもいましたが、やはり嵐の中の徳行じゃなかった特攻を考え、このくらいから削っていきます。

 

二つ三つのイベントを書いてちゃっちゃとおわって夏休み、と、一学期期末考査前の思考とあまり変わらないそれで始まった第四話、如何でしたでせうか。

え?長い?だらだらすんな?刻むぞ貴様?

はい、すべて我が無才ゆえ。すいません。もっとすっきりまとめたいです。

イベント的には『カーマイン傭兵隊長』と、『演劇鑑賞』と、『ジョアン登場』と、『暗殺者たち登場』。

けっこういい感じだと思うんですが、いかがでしょうか。

ところで暗殺者たちの、あの二人、名前が出たのが二人だけなんですが、分かる人にはネタが一瞬でわかってしまいますね。あ、蛇になったり某女神官と知り合いだったりはしません…

 

ちとキャラ紹介。

 

ドナルド・カーマイン  四十歳 A型 男 既婚

ドルファン陸軍中佐。赤騎士の称号も持つ偉丈夫。

文中にあるように、上官にも気にせず批判や怒りをぶつけてしまう性格のため、嫌われているが、下級の兵士たちにとっては悪辣な上司をやっつける英雄として結構人気がある。

歴戦の武人で、指揮に関しても、一剣士としても第一級の実力者。  

前傭兵隊隊長ヤング・マジョラム大尉は彼の直属の部下であり、教え子でもあった。

人格的にも優れた人物であるが、暑がりな上に猫舌なので、「あつい」ことを嫌う。

夏の戦場など、彼のそばに控えていればうんざり具合が増すこと請け合いである。

 

将軍閣下

えらい人。でも頭はよくない。強くもない。

地位に安寧し、自己の研鑚を忘れた人間の見本。騎士団の姿をもっともよくあらわしている人間。

 

グルガーン

名前がアレな暗殺者たちのリーダーの人。

極度の刃物狂いで、獲物の剣と首をつがいにして持ち帰ってくる。

剣は売るでもなく、彼の私室の壁に突き立っているという。

年齢は不明、とにかく実力は未知数。がんばれキリトっち!!

 

ガーダック

…御免なさい。

地中を進む、という魔法を操る魔道暗殺者。

今回は地味なお手伝いキャラだったが、次はどうなるやら。こうご期待である。

 

さて、この寒空の中夏の話でも書くか。そいでは。


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