七之一「王都の日々 〜晩秋〜」


 南欧圏において、季節の移り変わりはさほどでもない。

 今まさに、冬へとその身を投じようとしているドルファン王国王都においても、それは変わりなかった。

 さほど重ね着しなくとも、充分過ごせる程度の寒さにしかならない。

 結果として町を出歩く人の数も、それほど減ることもなかった。

 

 その日も彼は、酩酊の一歩手前の所にいた。

 数年前までその実直さを評価されていた彼の姿はそこにはなく、ただ昼日中から酒を飲み王都の町並みを徘徊している日常を送っている。

 いまも王城前広場の大通りを何をするでもなく、ややおぼつかない足取りで片足を引きずりながら歩いていた。

 王城前広場は、王城正門に面して広い面積を占めており、王都内各駅を行き交う辻馬車がその広さを利用して多数行き交いしていた。また、美しいドルファン城を見るにも適しており、なにかの理由で王都に用事に来ている地方の者や若い男女が城を見るために集まる場所でもある。

 しかし、彼が見ようとしていたのはそれら王城などの風景ではなかった。

 時間としてはそろそろ、いつもと変わらぬのであれば、正門が開く頃である。

 遠目に正門を見ながら、適当なところに腰をかけ、彼はそのときを待った。

 そうしてしばらくしていると、正門が重々しく開き始めた。

 そして、開ききると同時に2騎に騎兵が駆けだしてくる。彼らは先触れの騎兵で、早駆けに近い速さで馬を操りながら、大声を上げながら彼の目の前を通り過ぎていく。

「公爵閣下がお通りになられる。道をあけられよ!」

 その騎兵の声を聞いて、辻馬車や通行人が道の端に寄り始める。

 道が開くか開かないかになって、護衛の騎兵に囲まれた馬車が正門より出てきた。

 テロや暗殺を防ぐためだろう。王都内にしては、速い速度で馬車の一群が王城前通りをマリーゴールド地区方面へ駆けていく。馬車につけられている紋章は、国政の重鎮にして“旧家の両翼”と呼ばれる二大公爵家の一つ、ピクシス家の紋章であった。

 10騎以上の騎兵に守られて行くその馬車を見つつ、彼の顔は興奮に酒気だけでない赤さに染まっていた。いや、実際彼の見ているのは、馬車を守る騎兵達の姿だった。

 ピクシス家の抱える騎士達には、下手をすると近衛騎士よりも手練れの者がいるほどで、その練度は王国一と名が高い。

 実際、今彼の前で馬を操る彼らの技量は、見事なものだった。

 一番長く、よく騎士達を見ることができる位置に座ったまま、彼は馬車一行の姿が見えなくなるまで、その姿を追った。

 騎士達の姿が見えなくなっても、しばらくの間は興奮の余韻を楽しんでいた彼だったが、さすがに寒くなったのであろう、立ち上がって歩き始めた。

 だが、自宅のあるファンネル地区の方に歩いていく彼の顔には、先ほどまでの興奮はなく、心の中にとぐろを巻くどす黒いなにかが、表情にまで現れていた。

「くそっ!俺だって……」

 ついと彼の口より漏れたその言葉は、先ほどの颯爽たる姿を見せていた騎士達に対する怨念にも似た羨望がありありと出ていた。

 彼――ロバート=ロベリンゲは、かつての自分の姿を彼らに重ねてみて、今の自分の姿にどうしようもない憤りを感じていたのだった。

 実直さだけが売りであった彼。王国騎士団の団員として騎士随伴兵あった彼は、――実際には位階もなく、騎士になることは不可能であったろう事を無視して――ただ事故のために不自由となった足によって失われた未来を、嘆く毎日を送っていた。

「くそぉ…なんでおれだけが……」

 彼のうめきは、ますますその暗さを増す。

 訓練中の事故により、2度とまともには動かない足となった彼に、次の日には騎士団員から除名されることの旨が伝えられていた。
それから2年、彼は働きに出るでもなく、酒をあおり賭博に身を投じる。そんな毎日を送っていたのだった。

 そうした彼にとって、騎士達の姿は見るだけで興奮する格好の見物対象であった。

 もっとも彼らの姿を見た後は、今のようにより苦しむこととなるのだが、彼はこうして騎士達の姿を見に来るのをやめようとは露と思っていない。

 

 鬱々とした感じで、片足を引きずりながらもファンネル駅前まで彼は歩いてきていた。

 昼間の酒代と、賭博によって懐には一銭も残っておらず、今日の所は自宅に帰る以外する事がなかったのだ。

 家に帰っても、元々体の弱かったためもあって最近は病で床に伏せることが多くなった妻と、有力貴族のエリータス家の三男との婚約が決まった娘と顔をあわせるしか、する事がない。

 今の彼にとっては、妻子と顔をあわせることそのものが、苦痛に他ならなかった。

 惨めな自分を浮き彫りにする家族。

 人一倍自尊心の高かった彼にとって、それはとうてい耐えられるものではない。

 しかし、金がなければ、家に帰ることのほかにする事もなかった。

 もはや彼にとって帰る場所とは、妻子の待つ家の他にはないのだから。

 

「おぅ……?」

 ちょうど、シアターの前を通り過ぎようとしたときだった。彼の視界に見覚えのある姿が飛び込んできた。

 栗色の髪を背中まで伸ばした15、6の少女。

 今はまだ、その顔立ちから幼さが抜けきっていないが、もう数年もすれば周囲がハッとするような美女となるであろう事が容易に予想できた。

 そのことは、彼にとっても意味のあることだった。

 少女の未来が明るいことは、彼のこれからの人生に大きく作用するだろうからだ。

「ヒック…。へへっ」

 そのことを思うと、彼は先ほどまで自分の心を支配していたものが多少は晴れるような感じがした。

 だが次の瞬間目に入った光景は、彼の心に大きな衝撃を与えた。

「あ、あいつ……!?」

 明確に生じた怒りにまかせて、彼は少女の方へ向けて歩き始めた。

 

「どうも、すみませんでした。なんだか無理矢理つきあっていただいたような感じになっちゃって」

「いえ。ちょうど今日は特別な予定がなかったので、私にとってもよい気分転換になりましたから。むしろお礼を言わせていただきたいですね」

「そんな……。でも、本当に助かりました。急なことで、誰も予定がつかなくって困っていたんです。やっぱりお芝居は、誰かと一緒じゃないと……」

「そうですね。一人では、やはり見に来にくいところはあるでしょうね」

「そうなんです!それで、さっきのお芝居のシーンなんですけど――」

 いささか興奮気味にしゃべり続けるソフィアの相手をしながら、モリヤスはシアターの玄関を出た。

 

 傭兵隊の仕事で、ここ最近私的な時間がなかなか作れなかったモリヤスだったが、たまたま偶然この日はポッカリと予定が開いてしまった。

 中途半端にできてしまった空白のためにする事がなく、ひとまず散歩がてら町を歩くことにしたモリヤスは、シアター前でうろうろしていたソフィアの姿を見かけたのだった。

 その姿に多少怪訝なものを感じたモリヤスは、ひとまず挨拶を、とソフィアに語りかけた。

 最初突然のことに少し動転していたソフィアだったが、気持ちが落ち着くにつれて事情をモリヤスに話す余裕ができたようだった。

 話の内容としては、こういうことだった。

 彼女の好きな演目が、シアターにおいて行われていた。ちょうどその演目の実施期間が今日までで、本当は学校の友人と見に来る予定でいたらしい。

 だが、その友人が急な予定でこれなくなってしまい彼女の予定は狂った。この機会を逃すと、少なくとも半年は例の演目が実施されることはない。

 だが、シアターは本来彼女のような少女が一人で背理に来るような所ではなく、かといってあきらめるには惜しすぎた。

 結局、シアター前に来たのはいいが、入るに入れず。ただうろうろとして時間を消費していたとのことだった。
 
 

 話を聞き終えたモリヤスは、では自分が同伴しようと申し出た。

 話の最中のソフィアがあまりにも困っているように見えて、放っておけなくなったのだった。

 それと、突然の休日を埋めるのにもちょうどよいと思ったことが申し出の理由となった。

 始めソフィアは、自分に気を使ってのことと思い謝辞しかけていたのだったが、モリヤスが理由を話すと少し迷った後、彼女の方から同伴を願ったのだった。

 

「――で、あそこではよく用いられる歌なんです」

 芝居の内容について語るソフィアの声は熱く。どれほど彼女が芝居のことを好きかを知るのに不足はなかった。

 実際よくきいていると、むしろ芝居そのものよりその中で用いられていた歌のことに、よりいっそう声の熱さが増しているのがわかる。

「ソフィアさんは、本当に歌がお好きなんですね」

 モリヤスがそう言うと、ソフィアは目を輝かせて言った。

「はい、大好きです!私の歌なんてまだまだですけど、いつか大きな舞台で演じることが私の夢なんです」

 舞台に立つ自分を想像してみたのだろう、彼女の瞳はまさに夢あふれんばかりの色をなしていた。

 しかし、しばらくすると彼女は立ち止まって、少しうつむき加減になり呟いた。

「でも……」

 突然明るさを失ったソフィアにとまどい、モリヤスも立ち止まり尋ねた。

「なにか、問題が…?」

 尋ねてきたモリヤスを見て、少し寂しそうな顔をしたソフィアは、しかしワケを語るでもなく。首を軽く振り

「いえ。なんでもないんです」

 と語った。

 何でもないことはないのであろう事は、モリヤスにも容易に想像がついたが、あえて踏み込みはせず頷く。

 そして、二人がまた歩きだそうとしたとき、彼がモリヤスたちに追いついたのだった。

 

「おい、若造!」

 振り返ったモリヤス達の目の前には、ひどく酔っぱらった感じの中年の男が立っていた。

 おそらく40前後の年齢なのだろうが、彼から発散されている空気はひどくくたびれており、実際の年齢より老けて見えた。

「……なにか?」

 初めは自分のことだと判らなかったモリヤスだったが、その男が怒りに燃えた視線を自分に据えているのを認め、男に尋ねた。

 モリヤスの隣にいたソフィアは、一瞬思考が停止していたようだったが、モリヤスの声を聞いて我に返り声を上げた。

「お父さん!?」

 すると、その声におされるかの様に男はモリヤスを押しやり、モリヤスとソフィアの間に割って入った。

「うちの娘に近づくんじゃぁない!変な噂を立てられでもしたらこの子が傷つくんだぞ…ウィッ」

 酒臭い息を吹きかけられ、軽く顔をしかめたモリヤスだったが、それでも礼儀を守ろうと挨拶しようとした。

「ソフィアさんの父君ですか?私は――」

 しかし、男――ソフィアの父ロバートは、モリヤスの言うことに聞く耳を持たず横暴に言った。

「お前の名前なんざぁ、どうでもいい!娘に近づくな!!」

 あまりといえばあまりな父親の態度に、ソフィアが声をあらげる。

「やめて、お父さん!」

 だが、ロバートは今度はソフィアに向かってしゃべり始めた。

「お前も、お前だぁ。ジョアン君というフィアンセがいるにも関わらず…こんな東洋人ふぜいと…」

 それを聞いたソフィアの中でなにかのタガがはずれる音がした。

 抑えていた感情があふれだし、口を割って出た声は彼女が予想もしなかったほどの大きさだった。

「もうやめて!!」

 周りを歩いていた人も何事かと振り向く。

 喧噪に包まれていた街頭の一角に沈黙した空間が生まれた。

 娘の激昂した様子に毒気を抜かれたのだろう。ロバートはとまどったように言葉を漏らす。

「……ソフィア」

 その父の様子を見て、なにかに耐えるような表情をしたソフィアは、いくらか声の調子を落としてしゃべり始めた。

「…すぐ帰るから。お父さんも家に戻って。お母さんが心配するでしょう……」

「あ、ああ……」

 酔いも手伝ったのであろう、娘の雰囲気に飲まれたロバートは千鳥足で家路を歩き始めた。

 だが、いくらか行ったところで思い出したかのように振り返り、モリヤスに捨てぜりふをはいた。

「おい!東洋人!!…ヒック…今度娘に近づいたら、骨の2、3本は覚悟しとけよ!?」

 言いたいことを言って満足したのだろう。ロバートの姿は角の向こうに消えていった。

 その父親の姿を、つらそうな視線で追っていたソフィアは、モリヤスを振り返って頭を下げた。

「ごめんなさい…父が不愉快なことばかり言って……」

「いえ…貴女の父君の気持ちも解りますから」

 それまで、黙っていたモリヤスは言った。

 実際、腹立たしい思いを抱かないこともなかったが、それよりも遙かに哀れさの方が先に立っていた。

 そう、あれは……。

「あ、ありがとうございます…。そういってもらえると私……」

 モリヤスの言葉に安堵して、ソフィアは言葉を続ける。

「今は、あんな父ですけど、昔は立派な騎士団員だったんです。でも、事故にあって右足を悪くしてからお酒に…。かわいそうな人なんです……」

「そうですか……」

「ご、ごめんなさい。自分勝手な話ばかりして……」

 話し終えたソフィアは、街角の方を振り返り溜息をついた後、再びモリヤスに頭を下げて言った。

「すみません。お芝居につきあっていただいたのに、こんな事になってしまって…。父が心配しますので、これで失礼します……」

「お気になさらずに」

「本当にすみません…」

 消え入るように、そして寂しげに立ち去る彼女の後ろ姿を見つめながらモリヤスは思い出していた。

 そう、あれは人生の晩秋にあえぐ人間の姿だ……。

 

 自分自身の手で、自らの希望を失わせる人間に関わる者の悲劇。

 ロベリンゲ親子の姿にそれを見たモリヤスは、嘆息せざるをえなかった――。


<あとがき>

 

 風邪やらなにやらで、執筆が思うようにはかどらず間があいてしまいました。

 サキモリです。

 第7話の1を読んでいただきまして誠にありがとうございました。

 

 ゲーム中でもそれなりに印象深い一面だったのですが、いざ文章として取り組んでみると書くのに苦労しました。

 全体の流れに対する意義はあまりないのですが、薄幸美少女ソフィアの大きな足かせの一つが父親であることを示すイベントですから、抜かすにぬかせられなかったのです。

 第7話の2はすぐにお届けできると思いますが、それまでの間失礼いたします。


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