後編「メビウスの空を越えて」


「これはこれは、いらっしゃいませ」

白髪の紳士が、俺のことを出迎えてくれる。

なぜか、その姿はいつもと変わらない。

「そうでした。今日は貴方様の授業があったのですね?

 どうりでお嬢様のご機嫌がよろしいのですな」

機嫌が良い?そんなはずはない。

「あの…今日はコレを渡そうと思って」

「これは?」

「あ…スイマセン『辞表』って書いてあるんです、こっちの字で書かなきゃいけなかったんだ…」

「そうですか、やはり…」

「後日、改めて謝罪はします、セー…いや、お嬢様には…その…」

言葉が見つからない、見つかるわけがないな…

「とりあえず、中へどうぞ…」

「あ!いえっ、とんでもないです。今日は…もう」

「契約のこともありますので、こうゆうことは、キチンと話し合っておきませんと…」

─契約?

そうか…無断で休んじゃえばクビになったんだ。中途半端な責任感を持ち出すから…。

あの時だってそうだ。いい気になってデートになんて誘うからこんなコトに…。

 

「社会見学ですか?」

「そう…って言っても、チョット外に出てみるだけだよ、

「たまには外の新鮮な空気を吸うのも良いだろう?」

もっともらしい理屈を付けて外出をすすめる。

「庭に出るくらいなら…かまわないよね?」

「え、ええ…」

 

―─思えば…彼女は俺のことを信頼していたから…。だから、ついてきてくれたんだよな…

 

小さな貴金属店…隣にいるのはピコじゃない、今日はセーラと一緒だ。

彼女は、自分の部屋では見せたことのない笑顔でガラスケースをのぞき込む…。

チョット強引だったけど、つれてきて良かった、そう思える笑顔。

「(見たことのない表情…あれは戸惑いの混ざった笑顔だったんだ。)」

本屋は…失敗だった。彼女が嬉しそうに手に取った「初めて読む本」。

俺が気づいたときには、もう数ページほど読んだトコロだったらしい…。

本屋を出るまで、どんなに気まずかったことか…。

 

―ここで、やめておくべきだった。ピコがいたら止めてくれたんだろうか?―

 

次なんだけど、花屋はやっていなかった…

「なら、ちょうど良いか」

「どこへ行くんですか?先生…」

「フラワーハリ…いや、フラワーガーデンをやっているんだ、国立公園へ行ってみよう」

「あ、お花が沢山見られるトコロですね、ぜひ!」

…そこで彼女は倒れたんだ…

 

それから1〜2時間ほど後…看護婦のテディーに怒られる俺がいた…。

俺は、彼女の一言一句にツブされそうになっていた。

自分の浅はかな行為が引き起こしたことへの後ろめたさ…。

責任をとることができない歯がゆさ…。

セーラを思いやるテディーの気持ち…。

すべてが俺を締め付ける。

 

「どうしてあんなコトをしたんですか?」

「彼女が…かわいそう、だったから…」

「お気持ちはわかります…。ですが!彼女のことを思うのなら、なぜ…?」

なぜ…なんで俺は…あんなコトをしたんだ?

―かわいそうだから─

ほんとうにそうなのか?そう思いこんでいただけじゃないのか?。

自分が健康だから、そうでない彼女を不幸だと決めつけて…彼女を理解したつもりになって。

プレゼントだってそうだ…アクセサリーも、本も…彼女が喜びそうな物すらわからなかった。

彼女の病気のことも、体を気遣ってやることさえできない…。

何も知らないんだ…これで家庭教師だなんて。

 

「辞めさせて下ください」

今の俺にはこの言葉で精一杯だ…。一ヶ月悩んで出てきた答え…

「私は貴方様に、家庭教師を続けていただきたかった…」

「あの時も言ったはずです、俺は何も教えられないって」

「初めてお見えになった時ですな?…私も言いましたよね」

 

─────

 

「伊達に長生きしているわけではございませんから…。

 知識だけなら、私どもでも教えて差し上げることはできます。

 ですが、話し相手や友達にはなることができません。

 私では歳が離れすぎています、保護者として接することしかできませんから」

「なんで俺なんですか?外国人の…コノ国のことさえ良く知らない傭兵をなぜ?」

「伊達に長生きはしていない、そう言いましたよね?人を見る目にも自信があります。

 貴方様なら、お嬢様の良き理解者になっていただけると、そう思いまして…」

 

─────

 

あの時、執事の言葉を真に受けて、家庭教師をやってみることにしたんだ。

この国に一人でも多くの知り合いがいれば、

自分のやっていることに、意味が見出せるんじゃないか?

…そんなことを考えても、結局は…

「何を教えるか、教えられるのか、それだけでは無いのです。

 貴方様はあの方に似ておられる、それでいてどこか違うのです。

 いや、他人ですから、違って当たりまえですが…。

 代わりと言えば聞こえが悪いでしょうけど、貴方様がそばに居ていたただければ、お嬢様も気が紛れるかと…」

 

─そばにいても、俺は何もできなかった、それでも?─

 

あの時俺は、ベンチに横になり苦しそうな彼女をただ見ているだけだった…

けが人も死体も見慣れている、でも病気で苦しんでいる女性には、どう接して良いか…

「もうっ!なにボーっとしてるの?」

懐かしい声…ピコ?

「はいっコレ!」…と、一枚の布を渡される?これで何をしろと?

「すいませーん、そのハンカチ私のなんです。風に飛ばされちゃったみたいで」

胸の大きな女性が、息を切らせて走ってくる。

呼吸と同時に上下する胸につい視線が…何をやってるんだ?俺は…!

「あ、あなたはたしか…」

俺の名前を知っている?誰だ、この女性?

「早く説明して!この人は看護婦さんじゃない。一度会ってるでしょ?」

「え?…セーラ…さん?」

彼女…テディーはセーラを知っているのか、簡単な状況説明で、理解できたようだった。

応急処置だろうか?テディーが何かテキパキと…

「もうっ!早く馬車を呼んでこないとダメでしょ!…こっち!」

 ピコに引っ張られるままに、ついていくと…目の前に木陰で一息ついている馬車が。

 そして、テディーと二人でセーラを馬車に乗せ、あわただしく馬車を走らせる。

「そっちじゃないよ!右の道…抜け道があるはずだから!」

俺は、ピコの言葉をオウム返しで御者に伝える。

そう、あの時俺は、ピコが居なければ何もできなかったんだ…。

 

「とりあえず、お嬢様とお話をされてから、もう一度考えてみてはいかがです?」

そう言うと、執事はムリヤリ俺を連れていく…

 

「ささ…どうぞごゆっくり」

「あ…来てくださったのですね、もう会えないかと思って、心配していたところですのよ」

そこには変わらない笑顔があった、が、そんなモノを見せられるとかえって…。

「あ、そんな顔をなさらないで…倒れてしまったのは先生のせいじゃないんです。

 生まれつきですから…私にはそれが当たり前のことなんです、

 ですから…先生は、気になさらないでくださいね」

俺を気遣うセーラ…俺は彼女を気遣うこともできなかった…それなのに。

『元気づけてあげたい』この思いも、自分が楽になりたいだけじゃないのか?

『かわいそう』『がんばって』『大丈夫だよ』

ありきたりな言葉を口にすることで、彼女と向き合うコトを避けていた?

『やめさせてください』。これだって一番楽な謝罪のしかただから?

―俺は自分のことばかり考えて、他人を思いやることができていない―

「そうだ、見てください、似合い…ます?」

耳元にクラシスの花のピアス…いや、イヤリングに改造してもらったモノだ。

まさか、ピコと同じモノをえらぶとは思っていなかった。

「嬉しかったんですよ。私、男の方に“可愛い”なんて…

 その…女性として見られることは無いんじゃないかって思い込んでいて」

しばらくの沈黙の後、恥じらいながら、一言…

「言葉にしてもらうと、やっぱり嬉しいです」

そう言うと、二人で黙り込んでしまう。

 

長い沈黙…

 

「せーら…せーら…」

「どわぁ!」いきなり聞き慣れない声?

「クスクス…インコですよ、目を丸くしちゃって…先生カワイイ」

「え?え?…」もう何がなんだか…

「いいわねメビウス…あなたのような翼が私にもあったら…

 デートなんていくらでもできるのに、ネ!先生?」

「へ?…う、うん、そーだねー…」

緊張の糸が切れたんだろうか?気の抜けた返事…間の抜けた顔をしていたのは、間違いないな。

「私も飛んでみたい…自由に…なりたい!」

「!」

―彼女に何かしてあげたい―

「!?…先生なにを?」俺は彼女を抱き上げる。

…こんなコトをして良いんだろうか?…考えるよりも先に体が動く。

「飛んでるみたい…だろ?」

「うわぁ…いい眺め」

けが人を担いで、戦場を走り回ることができるんだ。

女の子を抱えて、ベランダから屋根の上へ登るくらい…

「空を飛ぶとこんな風に見えるんですね…本当に飛ぶことはできないけど」

「そんなこと無いよ…俺がいるから」

「え?」

「魚じゃない俺が、東洋から海を渡ってココに居られるのは船があるから…

 そのうち、空だって飛べる乗り物が作られても…おかしくはないだろ?そう…病気だってきっと!」

 

―傭兵の事は傭兵のキミが一番良く知ってる―

俺が何を言っても、健康な人間の勝手な言い分…タダの気休め。

それでも、彼女が見上げる空に希望があれば…今はそれで良いと思う、いつかきっと…。

「そうですね、いつかは…でも、どうせならもっと早く…

 もし、あの時に私が健康なら…引き留めることだって…」

“彼”がセーラの前から居なくなったのは数年前らしい…俺に詳しいことはわからないけど…

「違うよ…キミの病気は関係ないよ!その…たぶん」

 

「………」

「………」

 

「…私は…病気に甘えていたのかもしれませんね。

 先生のように元気な人達を『うらやましい』そう思うだけでなく…妬んでみたり…

 何もかも病気のせいにして、逃げていたのかも…『それが当たり前』だ、なんて…

 体が健康になる前に、心が病気のままじゃ…ダメですね」

「………」

「…でも、先生と知り合えたのも病気のおかげ、カナ?」

「そんな!セーラが元気なら、もっといい男が山のよーに…俺なんかっ!」

「せんせぇー都合のいいように解釈してませんか?先生は先生ですからね!」

「…え、と…そ、そーゆー意味じゃなくて…」

「じゃあ、どーゆー意味なんです?」

「…ほ、本当の兄…いや、その…弟だと思って良いから、好きなだけこき使ってよ…

 傭兵と家庭教師の二足のワラジは大変だけど…月に一度だから、なんとかするし。」

「ソフィアと二股の間違いじゃないの?…それともプリシラ姫かなぁ?」

「ピコ!お前、いつの間に?」

「?…どっ、どうしたんですか?先生?」

「あ…いや…とにかく俺、キミのそばにいるよ、知りたいことがあったら、代わりに調べてくるし」

「じゃあ、病気の治療法を調べて来てください!」

「いや…それはちょっと…」

「約束ですよ!」

「う〜…」

「約束ですから…家庭教師、続けてくださいね、毎月楽しみにしてますから」

「…治療法はともかく、家庭教師は続けるよ…約束する」

「ふところも寂しいことだし…はずせないよネ」

(ピコ…おまえなぁ…)

「キミも少しはセーラのために勉強して、私の苦労も理解してよね〜」

(はいはい…わかりましたよ)

「先生、病気が治らなくても…家庭教師は続けて…くださいますよね?」

「病気が“治っても”家庭教師は続けるよ。俺…ビンボーだから」

 

ピクシス家の屋根から見上げる空は、セーラとの初めてのデートを決めた日。

初めてのデートをしたあの日のように、どこまでも青い空が続いていた…

 

―THE・END―

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