D.26年7月


 1日:遺跡区で倒壊

 1日午後、遺跡区の北西パンディエロの遺跡が自然倒壊した。パンディエロの周囲は、先々週より立入禁止区域になっていたので事故には至らなかった。


 2日:騎士団 ダナン攻略に向けて準備

 7月中旬に行なわれるダナン派兵を目してドルファン騎士団では、本格的な準備にとりかかった模様。


 4日:プロキア シンラギに参戦要請

 プロキアは、スィーズランド連邦を通じて、東洋圏最強と言われる軍事集団シンラギククルフォンへ、部隊の派遣を求めていた事が、4日、判明した。

 これがヴァルファ対策なのか、ドルファンへの再侵攻なのか、疑念が持たれる。


 5日:プロキア ドルファンへ釈明

 4日明らかになったシンラギククルフォン雇用問題に関し、プロキア側からドルファン側へ、シンラギへの参戦要請は対ヴァルファの為で、再侵攻の準備ではないと、文書で通達された。

 王室会議は判断を保留する模様。


 7日:ヴァルファ 部隊配置変更

 7日、ダナンを占拠中の傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンが、各部隊の配置変更を行なっているのが判明した。

 国境付近に位置していた第三大隊はダナンへ移動、代わりに第四大隊が国境付近へ移動を開始した模様。


 7日:ダナン派兵 15日前後を予定

 王室会議は、ダナン派兵を遅くとも今月15日前後に実行する事を明らかにした。

 これで、ヴァルファバラハリアンとの武力衝突は確実となったが、果たして全欧最強の傭兵騎士団に対し、ドルファン騎士団が、どこまで戦えるか懸念される。


 8日:騎士団 斥候をダナンへ派遣

 今回の派兵の中心となるドルファン騎士団は、8日未明、斥候をダナン方面へ派遣した模様。


 9日:斥候 敵軍と小競り合い

 ダナン方面へ派遣されていた斥候隊が、9日午後、旧軍自治区イリハにて、ヴァルファバラハリアンのしょう戒部隊と衝突した模様。この事により、ヴァルファがイリハ付近まで展開していることが判明。主戦闘地はイリハが濃厚とされる。


10日:シンラギ ハンガリアに到着

 かねてより噂されていた東洋圏最強の戦闘部隊シンラギククルフォンの一個大隊が10日、ハンガリアのアデラマ港に到着した。ハンガリア政府は、シンラギの国内通過、プロキアへの入国を許諾した模様。


11日:ヴァルファ 大隊を南北に展開

 ダナンを占拠中のヴァルファバラハリアンは、第二、第三、第五大隊をダナン南方のイリハへ向けて出発させていたことが判明。同時に第一大隊の一部が北方のテラ河国境線へ移動、以前より展開中の第四大隊と合流した模様。


13日:シンラギ一個大隊 プロキア入国

 シンラギククルフォンの一個大隊が13日深夜、プロキアへ入国した。これによりプロキアが、今回のドルファンのダナン派兵に介入してくる可能性が濃厚になった。


14日:ダナン派兵第一陣 15日出発

 軍部は、ダナン派兵の第一陣である騎士団第二、第四大隊の出発を、15日正午と発表した。尚、予定される戦場は、ダナンの南方の旧軍自治区イリハになる模様。


15日:ダナン派兵第1陣出発

 15日正午、ダナン派兵第一陣となる騎士団第二、第四大隊が、首都城塞を出発した。

 後続である第三、第五大隊の出発は見合わせている模様。


16日:イリハにて大規模衝突始まる

 16日正午、旧軍自治区イリハにてドルファン騎士団とヴァルファバラハリアンによる大規模な武力衝突発生。

 戦況はドルファン側が優勢の模様。


17日:騎士団第二大隊壊滅

 17日深夜、ドルファン騎士団第二大隊が、ヴァルファバラハリアン第二大隊によって壊滅した事が明らかになった。

 大隊といえど中退規模でしかないヴァルファへの敗北は、皮肉にも世間の風評を肯定する事となった。


19日:第四大隊 敵第三大隊と衝突

 騎士団第四大隊は、イリハ南西部にて、ヴァルファバラハリアンの第三大隊と接触し、交戦状態に入った模様。戦況は不明。


20日:第四大隊ウエール地方北部まで後退

 イリハ南西部にて敵の第三大隊と交戦中であった騎士団第四大隊は、20日夕刻、ウエール北部まで撤退していた事が明らかになった。既に大隊の生存者数も半数強というところで、敗北による撤退と見なされる。


21日:プロキア混成軍 国境付近へ展開

 21日午後、シンラギククルフォンを先鋒としたプロキア混成軍が、テラ河国境線付近に展開した。これを受けてヴァルファバラハリアンは、ドルファンへ進軍中の第二、第三、第五大隊を急きょダナンへ撤収、騎士団第四大隊は追撃を免れた。


22日:騎士団撤収 責任問題へ

 

 21日より城塞内へ撤収しつつあったダナン派兵部隊(第二、第四大隊残存組)は22日正午までに撤収か終了した。

 王室会議は、今回の現場指揮官である、カイル・コーツ大佐を喚問。イリハにおける大敗の責任を追及する模様。


23日:ヴァルファ シンラギ 対陣続く

 テラ河国境において対陣が続く、傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンとプロキア軍の先鋒をつとめるシンラギククルフォンの二者は、小規模の戦闘を数度行ったのみで大規模な武力衝突には至らない模様。


24日:国王 戦死者へ哀惜の意

 ドルファン城第二広場で行われた合同葬儀において、デュラン国王は戦死者に対して哀惜の意を述べられた。


27日:テラ・ヴァネッサ 反戦を提唱

 左派組織で知られるヴァネッサの穏健派テラ・ヴァネッサは、今回の派兵に対し、無用の武威を振るうものとして、27日、各地で反戦演説を行った。このうち城門前へデモ行進を行おうとした若者のグループが近衛隊と乱闘、9人が逮捕された。


28日:ゲルタニア ハンガリア共同声明

 28日正午、ゲルタニアとハンガリアの両政府は、ドルファン領内を侵犯中の傭兵騎士団ヴァルファバラハリアンに対して、一切の援助並びにそれに類する行為は行わないとの共同声明を発した。これにより、ヴァルファの行動は制限される事になる。


30日:第二次傭兵徴募開始

 軍部はスィーズランド連邦を通じて、前回に引き続き海外における傭兵徴募を開始した。今回は西洋圏が中心となる模様。


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