SIMの日記(5月)


2002年5月1日(水)

『天気に左右される休日』
休日の快適度は天気に比例する。
朝起きて快晴だった場合、いきなりトップギアに入る。
しかし、曇りだった場合はエンストばっかし。
ダラダラ過ごして、いつのまにか夜になってる。
あーー こんなことではダメだ!
勿体ない。


2002年5月2日(木)

『初めての陸周り』
昔は頻繁に実家の方に帰っていたが、ここの所、ご無沙汰気味。
長期休みに帰っても、2日くらいしか滞在していない。
もっとも今回も滞在は1日の予定だが。
また普段はフェリーを使う所を今回は陸を回って帰ることにした。
とはいえ、道が未知なのがとっても不安。
カーナビなんてついてないし・・・
とりあえず、パソコンに地図がついてるので、それでルート検索を行う。
最近は便利な世の中になった。うむ。
それほど分岐も無く、ほぼまっすぐに進めばよいことが判明。
結果・・・ 楽勝!!(^_^v
不安なので一応ルートを印刷することにした。
「印刷」キーをポチッとな!!
『印刷って言っても、どういう地図がでてくるんだろ?』
ある程度大まかな縮尺で印刷されるのだろうと思い、終わるのを待つ。
・・・ ・・・ ・・・
数分後、でてきた紙を見て唖然。。。
なんと交差点の情報しか印刷されていない。
しかも、その交差点が全体のどこを示すのかも描いてない。
結論:こんなんでわかるかー!!!
このままでは、どこにたどり着くかわからんので、行きがけに本屋で地図を買うことに決定。

準備も終え19:30に出発した。
本当は昼間の方がよいのだが、関門海峡で夜景を見たかったので夜にした。
車もそれほど多くなく快調に飛ばしていた。
出発して約1時間。腹が減ったので関門海峡付近のPAでお食事。
海の向こうに広がる小倉の夜景がキレイでしばし観覧。
やっぱ夜にして正解やったねん!
それから2、30分も車を走らせたら、高速から一般道にスイッチした。
「高速を降りてから、少し混む」というのを前に誰かから聞いたが本当だった。
しばらく渋滞の中を走る。
いつまでたっても渋滞が解消されずにいらだつ。
ふとした時に渋滞の正体がわかった。
それは事故でもなんでもなく、大型特殊車両が先導していたのだった。
でかい上に最高速度がせいぜい50kmしか出ない車が先頭にいるではないか。
おまけに道幅もせまく、その車を交わすこともできない。
その後、30分くらいランデブーが続きました。
幸い路肩が開けてる部分があり、前方の大型車が避けてくれた。
バックミラーを見ると、かなりの車が大型車をパスして行った。
その後は快調に進み、23時前には家に着くことができた。
いやぁ。疲れた。疲れた。
初めて陸周りで帰ったが意外と時間がかからないことがわかった。
フェリーと比べても、せいぜい30分くらいの差。
車で帰るのであれば、陸で帰った方がお得ということが判明した。


2002年5月5日(日)

『あ〜 心さびしく過ぎにけり』
連休も残す所あとわずか。
毎度のことながら何もせずに終わってしまう。
連休って言っても、友達とも離れ離れになってるし、なかなか予定も入らない。
結局、ゴロゴロして終わってしまうのが通例。
ゴロゴロしながら、まだゲームをクリアしたとか、そういうのがあればマシ。
あくまで0よりはってことね。限りなく0に近いと思うが・・・
スパロボをクリアしようと思っていたが、あまりの鬱陶しさに途中でヤルキが失せた。
プラモを作ろうにも天気が悪いので、塗装待ち状態・・・
なーんかオレを祟ってない?
って、神様恨んじゃったわ。
明日は出張準備のために出勤。
事実上、連休が終わったのである・・・
連休に何かを期待してもムダなのかなぁ?
次の休みはブラリ一人旅でも計画するかなぁ。


2002年5月6日(月)

『結局』
明日から出張なのでその準備のため出勤。
連休前に送付するものは、粗方準備していたので、その最終チェック。
当然のことながらぬかりは無し!!!
というわけで、何もしないまま連休が終わってしまった。
それにしても心置きなく長期休暇を迎えることが無くなってしまった。


2002年5月7日(火)

『中止!』
夕方、「明日の出張中止になったから・・・」と突然言われた。
測定器具やらなんやらの準備もして、切符も手配して、ホテルも予約して準備OKだったのに・・・
前日の夕方に突然言うなよな! 流石に頭にきた。
と同時に何かが切れた感じがした。
ヤルキがなくなったのと、切符の払い戻しもあり、定時でとっとと帰った。
力が抜けた〜〜・・・


2002年5月13日(月)

『突発性難聴、再々発』
朝起きたら、耳鳴りがした。
『またかよ・・・』
午前中に病院に行き、聴力検査を行った結果、やはり低音域の聴力が落ちていた。
「また再発しましたねぇ。薬を出しておきますね!」
いつものように薬をもらって帰った。
最初が去年の9月。次が2月。今回が5月。
だんだんと周期が短くなってるのが気になるんだけど・・・
前の2回は仕事が忙しくて、土日もろくに無い状態だったんだけど、今回は何が原因なんだろう?
連休もあったしなぁ・・・
相変わらず原因が不明だけに予防策が講じられない。
一般的にストレスが原因って言われてるけど、はたして・・・


2002年5月15日(水)

『いつもと違う』
なんかいつもと違う。
何が違うかって、体の調子っす。
だいたい薬を飲んで2日もすれば、耳鳴りは治まってたのに、今回は治まる気配が無し。
おまけに、眩暈がして気持ち悪い・・・
これって、突発性難聴の症状じゃん!
って、何か気が動転してるぞ。
とにかくおかしい。


2002年5月16日(木)

『入院!?』
全然、症状が落ち着かないので今朝病院に行ったんですよ。
そこで、ついに入院を宣告されてしまいました。
そうはいっても、「はい、そうですか」というわけにもいかないのよね。
医者としては、一日でも早い入院を勧めるということであった。
とりあえず、今日の所は朝夕の点滴ということにして、ちょっと返答を待ってもらった。
会社に電話をして事情を説明し、上司にも納得してもらった。
5月末期限の仕事があったが『体調優先!』という有難い言葉を頂いた。
いつもは『仕事優先』のくせに・・・(ぼそっ)
事態が予想外の方向に行ってしまい、少々びびっています。


2002年5月17日(金)

『確認してから言ってよね』
やっぱり回復しなかったので、入院をすることにした。
そしたら「ベッドが無い」と言われた。
『ちょ、ちょっとまてー!!!』
入院を急かしといて、今更その仕打ちはなんやー!!
ようやく見つけてもらったのが、介助用の部屋。
「それなんですか?」
要は寝たきりの患者で、付き添いが必要な人がいる所ということだった。
『朝起きたら、隣の人がいなくなってるなんてこと無いだろうな・・・』
臆病者な僕は不謹慎なことを考えていました。
でも背に腹は変えられないので、そこに決めた。
とはいえ、入院の準備もあるので一日時間をもらい、明日入院することにした。
それにしても入院って何を持っていけばいいんだろう?
こういう時に一人者っていうのは不便ですねぇ・・・


2002年5月18日(土)

『そして入院』
というわけで入院一日目。
よくわからなかったので持参品は次のものを持っていった。
 ・着替え一週間分
 ・洗面器
 ・寝巻き
 ・ノートパソコン(おい!!)
 ・DVD(俺たちは天使だ)
 ・DVD(銀河烈風バクシンガー)
 ・ゲームボーイアドバンス(スパロボA)
以上。あれ〜?あんた耳が悪いんじゃないの?ってツッコミはなしよ。
片方の耳があれば聞こえるんだし。
それにこういう時でなければ見られないんだもの・・・

昼頃に恐怖と戦いながらも病室に入った。
『寝たきりの方ってどういう・・・』
部屋は4人部屋でカーテンで間仕切りされていた。
中はすごくキレイ!!
これって病院?って疑いたくなるくらいキレイだった。
中にいる人もみな自分で歩ける人ばかりで一安心。
とりあえず挨拶だけすます。
持ってきたものを備え付けの棚に一通りしまい終わったころ、看護婦が来た。
手には大量の点滴を2袋用意していた。
「これ、どれくらいかかるんですか?」
「そうね・・・ 2,3時間って所かなぁ?」
「ながいっすね。」
「うん。長いよ。トイレ行ってきた方がいいかも?」
「そうしますわ。」
それから点滴が終わる間、動きを封じられてしまった。
途中でトイレに行けるように、コロコロと押すヤツを用意してくれた。
『オレって病人じゃん!』
点滴が終わってからはすることがないので、持ってきたノートパソコンでDVDを見てました。
こういう生活が一週間続くんかい?

<病状>
眩暈や頭痛は無いが、耳鳴りがある。
体は元気!ジョギングでもしたい気分。


2002年5月19日(日)

『脱走!』
入院2日目にして早くも脱走(←おい!!)
ちょっと忘れ物をしたのに気づいて寮に取りに帰りました。
寮と病院は車で10分くらいなので、30分もあれば十分往復できる距離だから。
朝おきてから、ちょいとひとっ走り行って来ました。
なんか、オレって本当に入院してるの?って感じ。

食事前に点滴され、点滴中に食事をすることになった。
これが結構不便。片手が塞がってるので、食べづらい。
さらにその頃を見計らったかのように友達が見舞いに来てくれた。
買い物に行く途中に寄ったとかで、食事中ならということですぐに帰った。
タイミング悪し!
昼からは両親が見舞いにきてくれました。
談話室みたいな所があるので、久々に両親と話をしました。

<病状>
耳鳴りが治まったが、閉塞感が残り気持ち悪い。


2002年5月20日(月)

『退院していいよ』
今日は朝から点滴。ちょうど昼前には終わる予定。
点滴後、昼食をしてから先生の診察を受けた。
聴力検査の結果、聴力は元に戻っていた。
「回復してますね。いつ退院してもいいですよ。」
「へ?」
確かに閉塞感は残るものの、耳鳴りは全く無くなった。
今日の今日なので、今日は一泊して明日退院することにした。
夕方、同僚が見舞いに来てくれて、明日退院という話をしたら驚いていた。
そりゃ、誰だって驚くわなぁ。当の本人が驚いてるんだから。
と、いうわけで帰る準備をして寝た。

<病状>
閉塞感はいまだに残る。
でも、退院していいって言うんならよいってことか?


2002年5月21日(火)

『退院』
昼前にもう一度検診してもらい、聴力検査の結果、特に異常が無かったので退院した。
会社に連絡をして、あと一日休みをもらうことにした。
寮に帰って洗濯をして、とりあえずゆっくりと一日をすごした。
何かあっという間に終わった入院であった。
もっとも病院って所は長くいる所じゃ無いし、これでよかったんだよなぁ。


2002年5月22日(水)

『治って無いじゃん?』
朝起きたら、また耳鳴りがしてる。結構ひどい。
一日ゆっくりしようと思っていたが、おかしいということで病院へ直行!
先生も首をかしげる。
「極稀にすぐに再発する人もいますが、そのケースでしょうかねぇ・・・」
と何とも歯切れの悪い返答。
入院して大量にステロイドを投与するのは医者としてはやりたくないとのこと。
再入院は最終手段として、点滴と飲み薬で様子を見るということにした。
完全に復調したかと思ってた矢先なので、かなりショックです。


2002年5月23日(木)

『久々に出勤』
久々に出勤した。
耳鳴りが続いているので、結構苦痛。
耳栓が有効という話を聞いたので、実践したが気休め程度にしかならん。
まぁ、仕方ないね。


2002年5月27日(月)

『はよ治れ!』
今日は病院に行ってきた。
薬を飲んでる内はよいのだが、止めると耳鳴りがするという状態。
神経にかなり負担がかかっていて、薬によって見かけ上はよくなるが、根本的に治っていない。
ということだった。もっとも、これを立証することは難しく、概念的にということではあるが。
目先の結果で一喜一憂するのではなく、長期的に症状を見ることが必要と言われた。
短期でも長期でも、どっちでもいい。治ってくれさえすれば・・・
朝夕に点滴をした。


2002年5月28日(火)

『見た目健康!』
点滴の結果、耳鳴りが治まった。聴力検査の結果も良好であった。
突発性難聴といいながら、別の病気も考えられるとのこと。
腫瘍による難聴。メニエール病、膠原病などの可能性もあるので、精密検査をしようとのことであった。
今日は簡単にできる採血をした。これで膠原病かどうか判断できるらしい。
来週にでもMRIを取る予定。要は頭の輪切りね。
なんか、かなり深刻に病人みたい・・・
見た目は至って健康なので、そのギャップに自分自身悩んでます。


2002年5月31日(金)

『人生ワースト3』
今月ってば、もう最悪の月だった。
おそらく人生ワースト3に入る月だろうな。(って、別にランク付けをしたわけでは無いが)
ここまで病院の世話になったのって、いつ以来だろう?
中学の頃にひどい水疱瘡にかかって、3週間近く入院して以来か?
ともあれ、今は病気の治療に専念って所です。
ん〜〜 でも一体どうすればいいんだ?
精神的な安静がよいということだが、それってどうすりゃいいんだ?
こういう悩みでまた悪化したりして(笑)


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