このインタビューは2006年11月2日から11月24日まで
ARTMANORGよりメールマガジンとして発行されたものです。

なお、ARTMANORGは現在は公開を終了しております。

2006.11.10発行
アニメにゲームに部屋の中で遊ぶにはいい季節になってきましたね。今回のゲスト「shuzilow.HA」さんはゲームも作られていたということで、ゲームもアニメも出来る方。ということで、なにやら現在進行形でゲームも動いているみたいデスよ。おっと、これ以上はお話できませんが、最後までお楽しみいただければ、何か情報が飛び出しちゃうカモしれません。さてさて、今回は「ソルティレイ」の企画が出来るまでのお話をお伺いしました。
Shuzilow.HA(シュウジロウ・ハ) (全四回、第二回)
本名:濱川 修二郎(はまかわ しゅうじろう)1966年7月7日生。兵庫県神戸市出身。1982年、16歳の時に大阪のアニメスタジオ「アニメアール」で谷口守泰氏に教えを請う。同期は黄瀬和哉、沖浦啓之、逢坂浩司、後輩に木村貴宏など。1989年コナミに入社。「ツインビー」「パロディウス」シリーズの企画・キャラクターデザインを務める。当時、テロップに本名を出すことを禁じられていたため、Shuzilow.HAという名前を使用。以後、本人が特に申請しないため、その時々の制作会社、担当によって濱川修二郎だったり浜川修二郎だったりShuzilow.HAだったりで表記されている。2005年秋〜2006年春に放映された「SoltyRei」では企画・原案・キャラクターデザイン・総作画監督とテンコ盛りの仕事をこなした40歳。

3.アニメの仕事とゲームの仕事
村濱 濱川さんはコナミでは最終的に主席までされたそうですが、それはそういう功績があったからでしょうか?
濱川 いや。たぶんね、態度が悪かったからじゃないですか。

村濱 「態度が悪い」? 「こんなのできませーん」とか? どのように態度が悪かったんですか?
※「良い子はマネしちゃ、ダメだよ! バブルの頃だったから有効だったんだからね。きっと」(笑)

濱川 そうですねぇ。作っている開発者に向かって「このゲーム面白くないですよね」とか平気で言う奴だったんです。

CDドラマ「究極パアロディウス」
ジャケットより
「これレスポンス悪いですけど、こんなんでゲームとして成り立つんですか?」とか、かなりひどいことを言う奴だったと思います。ただ、そのくらい言って仕事をやっていかないと、物事って全然変わっていかないんです。そういう意味でいうとアニメ業界でいた時は「オレってなぁなぁやったよね」ってちょっと思います。その前(アニメ業界でいた時)はちっちゃな会社でアットホームに集団で作業をしていたんで「ちょっと変やな」って思ってもあえては言わなかったりしたんですけど、それを言うか言わないかで全然モノって動きが変わるんだって思いました。良いか悪いかはわからないですけど、物事の動きが変わるっていうのは、自分は嫌われるかもしれないけど必要よねって思ったところはありましたね。それから態度が悪くなりました。

村濱 でも、絵が描けたっていうのも結構大きかったんじゃないですか? 早いし。
濱川 そうですね。僕、17歳からアニメーターをしてたんで……

村濱 え? 学校行きながら?
濱川 はい。

村濱 じゃあ、どうやってアニメアールに入ったんですか?
濱川 電話をかけたんですよ。で「『アニメーター』になりたいんですけど」って言ったら「じゃあちょっと自分の絵、持って来て」って言われて「はい」って持って行って、そしたら「明日から来て」って言われて……。それだけでしたねぇ。

村濱 (笑)。動画はどれくらいやってたんですか?
濱川 2年はやってたと思うんですけど。

村濱 じゃあ20歳の時には原画をやってたんですか?
濱川 やってましたね。で、学校に行きながらではあるけれど、5年くらいアニメ業界で仕事してたんで、そこそこ達者じゃないですか。新入社員でちょっと絵を描いてましたっていう人よりは、ノウハウを持ってますよね。絵のセンスはおいといて。なので当時のアクションゲームでキャラクターがパンチを繰り出しますっていうのを他の人が3日くらいかけて描いているのを、オレは2時間くらいで描いてしまってたんです。あたりまえですよね。アニメーターだったんですから。なんで、そういう意味では評価があったんじゃないですか。アニメーターやってて得はしましたよね。それで態度が悪いじゃないですか。そりゃあ目ぇつけられますよね。

8/1スケールPVC「ソルティ・レヴァント」発売元:GDH
村濱 ちなみに「コナミ」を辞めた理由は?
濱川 「ダンスダンスレボリューション」が流行りだして、二次元のキャラクターデザインの仕事っていうのが減ったんです。それがちょうど僕が29歳ぐらいの時だった。それで、このまま「コナミ」でいてももう管理職をやるぐらいしか自分には仕事がないんじゃないかと思って、辞めたんです。ゲーム業界で30歳というともう「役職者」なんです。現役で仕事をすることは考えられないですよ。だからここでいるんだったら「コナミ」に骨を埋めるつもりで管理職をしないといけないと思いました。でもアニメーターに戻ったらまだ現役だよなぁって思って辞めたんです。

村濱 割と安易ですね。
濱川 安易ですね。だから周りのみんなは辞めると思ってなかったみたいですよ。30歳でゲーム業界から転職するなんて有り得ない!って言われましたから。

4.「ソルティレイ」の企画が出来るまで
村濱 管理職をするのがイヤで辞めたということなんですね?
濱川 そうですね。29歳のその時点で既に3年くらい管理職をやらされていたんですが、何をやらされるかというと、5本くらいの企画の進行なんです。自分が頑張って1本をしっかり作るんじゃなくて、下の人が作ってくる企画5本を均等にエエもんに仕上がるようにしろっていう仕事なんです。それが鬱陶しくって(苦笑)。

村濱 鬱陶しいんですか?
濱川 自分で描いたほうが早いと思っても、管理者が手出しをするわけにはいかないじゃないですか。スタッフのテンションも落ちるし。そうなると言葉で説明しなくちゃいけない。でもオレ「絵描き」だったんで、「言葉」で説明できないんですよね。それが出来るぐらいだったら「絵」描いてないし(笑)。

「ソルティレイビジュアルファンブック」
(発売元:新紀元社)表紙より

村濱 なるほど。
濱川 で、辞めてしまったわけですが、ちょうどその頃プロダクションI.G.で「やるドラ」っていうゲームを作っていて、そのチームに来ないかっていうことで、そのお手伝いをすることになりました。その時にI.G.にゲームの企画としてあげたのが「ソルティ」だったんです。

村濱 ほう。
濱川 その時に「やりたいこと」とその時のマシンハードのスペックというのが、どうしても折り合いがつかなくって。特に「プレイステーション1」のスペックじゃあ追いつかなかったんです。僕的には当時の「ドリームキャスト」のスペックのほうが使いやすかったので「ドリームキャストで作りたい」ということをお願いしたんですが、I.G.のほうではできないということだったんで、じゃあフリーでやらせてもらいます……ということで、「ソルティ」の企画書を持って放浪していた時にGONZOの村濱さんに企画書を見てもらえたんです。

村濱 で、アニメにしたらどうですか? という話になった。
濱川 そうです。最初はゲーム企画のつもりで持ち込んだんですけど、村濱さんに「アニメでどうかな」って言われて、そのままアニメの企画にシフトしていきました、よ(笑)。

村濱 それから、すぐにアニメになったわけではないですよね。
濱川 僕も日々の暮らしがありましたので(苦笑)、なかなか企画書を煮詰めることができなかったというのはありましたね。で、何回かプロデューサーであるところの村濱さんに見ていただいている中で、やっと放送時期が決まって本格的になっていきました。

村濱 最初の企画書では「ロイ」はいませんでしたよね。



どの作品にも「初期プロット」や「企画書」が存在するわけですが、それらは最終的に出来上がったものと比べると「おや?」と思う箇所がたくさんあるものですが、それにしても主人公と思われる「ロイ」が当初はいなかったとは!! どんな企画だったのでしょう。次号からは「ソルティレイ」が出来るまでのお話をお伺いしたいと思います。お楽しみに〜。


次回は11月17日(金)の配信予定です。