ハダカデバネズミの飼育
日橋 一昭


●初めての出会い



輸送箱はペット用のものに、アクリルの箱があり、そこに2本の筒があった。
1987年の10月にアメリカのシンシナティ動物園を訪れる機会がありました。すばらしいコレクションの中で,何よりも驚いたのがハダカデバネズミです。アメリカの動物園で初めて公開された不思議な動物は昆虫館に飼育されていました。地下の巣を断面にした展示の中に,ほとんど毛のはえていない小さな動物が,まさにうごめいていました。「昆虫のような社会をもつ動物」というキャプションがあったように記憶しています。いつかこの動物を飼育してみたい,そんな思いがわいてきました。

 ハダカデバネズミはソマリアからエチオピア,ケニア北部にかけて生息しています。地図を見ると東部に突き出た「アフリカの角」と呼ばれる一帯です。その乾燥した地中に非常に長大なトンネルを掘って,暮らしています。体も小さく種名からネズミの仲間と思われがちですが,同じげっ歯目でもヤマアラシやテンジクネズミ(モルモット)に近いグループに分類されています。デバネズミ科の約10種すべてがサハラ砂漠以南のアフリカの地中で暮らしています。それぞれ,ユニークな外見をしていますが,変わった姿ではハダカデバネズミが筆頭です。まさに「電子レンジから出し忘れ,しわしわになったホットドッグ」そのものです。多くのげっ歯類の新生児が無毛のため,1882年にドイツのラッペルがエチオピアでこの動物を発見したとき,他の学者から有毛のげっ歯類の新生児と思われ,初めは相手にされなかったこともうなずけます。

●注文の多い飼育動物
 埼玉県こども動物自然公園では,1998年の夏休みの企画展として「ハムスター展」を開くことになり,日本に紹介されたことのないハムスター類の収集にとりかかりました。しかし,それだけではインパクトが弱いと考え,変わったげっ歯類の代表格としてかねてから思い入れがあったハダカデバネズミも展示することにしました。
シンシナティ動物園が飼育・展示して以来,北米の動物園ではハダカデバネズミが各地で見られるようになってきました。サンディエゴ動物園では透明の管をトンネルのようにつなげた簡単な装置で飼育しています。これなら,特に多大な費用がかかるわけでもなく,実現はそうむずかしくないと考えました。ちょうどアメリカの動物園を訪れる機会があったので,サンディエゴ動物園に寄り,搬出の約束を取り付けました。同時に資料を集めて飼育方法を学び始めましたが,飼育は思っていたほど簡単でなく,一筋縄ではいかないことがわかってきました。
まず適正温度の幅が非常に限られていることがあげられます。ハダカデバネズミは温度がほぼ一定な地中のトンネルで暮らしています。生息地の地中の温度は一年を通して約29℃であるため,飼育下でも29℃±2℃の範囲に保たなければなりません。暖かな環境に暮らすハダカデバネズミは哺乳類であっても,みずから体温を維持することができません。まわりの温度が下がると体温も低下してしまうのです。しかも高温には特に弱いとされています。日本の夏,締め切った部屋は,昼間はもちろん夜間もかなり温度が高いままです。つまり一日中冷房できる場所が必要になります。
 次に音に対しても非常に敏感ということです。これも静かなトンネル生活のためです。外部から音が伝わらないように締め切った環境で飼育しなければなりません。さらに振動に対しても過敏に反応し,飼育者が手を洗う石鹸を変えただけでもわかるほどにおいにも敏感です。制約が次から次に出てくるので,「Do not Disturb」というホテルのドアにかける札が思い浮かびました。追い討ちは, サンディエゴ動物園からの連絡でした。搬出を予定していた予備の群れが, 理由は不明ですが事故で全滅したという知らせでした。とんでもない動物を飼おうとしていると実感せざるを得ませんでした。
 
●ハダカデバネズミ, ついに到着
 サンディエゴからの輸入が不可能になり落胆していたところ,運よくニューヨークの国際野生生物保全公園(ブロンクス動物園)から入手できることになりました。先方に飼育施設の概要を知らせて,了解を得たのち,いよいよ成田に受け取りに行く日がきました。7月10日のことです。飛行機が到着してから何時間で園に着けるかなど細かい情報も要求されていたので,通関の時間をなんとも長く感じました。受け取ったペット用輸送箱の中には透明アクリル製の箱が入れてあり,中に筒が2本入っています。その筒に10頭(オス5,メス5)の個体が潜り込んでいました。輸送箱がかなり冷えていたため,動きが鈍く,初めて触れたハダカデバネズミの印象は非常に弱々しいものでした。


筒に潜り込んでいたハダカデバネズミ



鼻から出ているように見える切歯


 収容したトンネルシステムは内径4.5pの透明なアクリル管を市販のプラケースでつないだものです。職員自作のトンネルシステムの総延長はアクリル管の部分だけで約8mになりました。ここに10頭を放してみると,体温もあがってきたのか,元気の出てきた個体から順に動き始め,初めて使うトンネルを確かめるように探索していました。しばらくすると,走るものも出てきましたが,思っていた以上の速さです。トンネルで鉢合わせをすると,どちらかが体を低くし,片方がその上を通ってすれ違います。あるいは相手の体の下に潜り込もうとすることもあり,この場合は上になった個体がじっとしています。
 トンネルの中で進む方向を変えるときは,体をよじって向きを変えます。小さな個体は楽に方向変換できますが,大きな個体は一苦労です。ところで,進む方向が前か後ろしかないトンネル暮らしのハダカデバネズミには,特殊な能力が備わっていました。後ろ向きに,しかも前進とほとんど変わらない速さで走れるのです。ゆっくり歩くことはあまりなく,前後ともにせわしく走ります。他の動物では見たことのない動きにも,デバネズミのユニークさを感じました。
 この装置でハダカデバネズミを飼育すると,最も頻繁に見られる行動は,名の由来となっている異常に大きな切歯(前歯)で,アクリル管の面やプラケースの角をガリガリと削ることです。透明なアクリル管は無数の細かい傷で数週間もかからずに曇ったアクリル管
になってしまいました。プラケースの角も月に1か所は穴をあけられる始末です。
 音の対策は次のようなものです。まず床からの振動を減らすため,トンネルシステムを乗せてある台の足にはゴムの板を敷きました。まわりの音の刺激に慣らすため,音楽を常に流すこととし,CDプレーヤーを繰り返すようにセットしました。2か月もたたずにCDプレーヤーは壊れ,その後はラジオを流しつづけています。計算外だったのは,動物園に隣接する大学が文化祭期間中のある夜,花火を打ち上げることでした。防音対策をとろうにも,このときばかりはどうにもなりませんでした。建物が振動するたびに,アクリル管の中で右往左往する群れを見るのはつらいものがありました。
 施設には必須条件が多いのですが,飼料は実に





簡単なものです。バナナやリンゴ,サツマイモ,ジャガイモ,ニンジン,小松菜,それに市販のげっ歯類用のペレット(固形飼料)です。食べる量は体に比較して非常に少なく,一日で10頭がわずかに35g ほど食べるだけです。体重が半分しかないハツカネズミでももっと食べます。これはハダカデバネズミが体温を維持するエネルギーを必要としないためでしょう。水は与えていないので,水気の多いものを選ぶかと思いましたが,いちばんの好物はバナナでした。ニンジンやジャガイモはあまり食べません。甘くて柔らかなものが好きなようです。

●アリやハチのような社会生活
 ハダカデバネズミは姿も特異ですが,もっとユニークな点はその種社会にあります。彼らの社会はアリやミツバチなどの昆虫のように,繁殖する個体と,働くだけで繁殖しない個体が分化しています。来園したときに体重を計ったところ,最小の個体が34.6g ,最大の個体が69.8g、平均では44.7g でした。ひときわ大きな個体は,この群れの中でたった1頭,子供を生めるメスで「女王」と呼ばれます。繁殖に関わるオスも限られており,大きな群れでも数頭といわれています。この群れではどの個体か確認できていません。女王の半分ほどしか体重のない4〜5頭は「ハウスキーパー」と呼ばれる,いわば働きアリにあたる階層です。そして,ハウスキーパーより大きな個体が「ソルジャー(兵士)」と呼ばれる階層にあたります。ハダカデバネズミは3つの階層に分かれ,それぞれが役割をこなして,社会を営んでいます。
 閉鎖的な穴の中で何代も近親繁殖を繰り返すので,群れの個体は遺伝的に非常に似通っています。ほとんどの個体は一卵性の双子ほどではないにせよ,人間の兄弟よりはずっと近い関係です。だからこそ,非繁殖個体にとって,女王の子供の成長を助けることが,自分の遺伝子を残すことにつながるのです。
 巣材用のトイレットペーパーを,長さ50〜60pにちぎり,巣にしているプラケースから離れたプラケースに入れるとハウスキーパーがやってきます。長い紙を引きずって巣に運ぶとき,ついでにアクリル管の中も掃除してくれるので便利です。もちろんその作業にソルジャーと女王は加わりません。ソルジャーは,外敵などが巣に侵入してきたときに戦う階層です。戦う相手のいないアクリル管の中では,特に何もすることがないようでした。
 
●ひたすら這い回る子供たち
 来園して50日がたった8月30日,女王にマウントしている(交尾姿勢をとる)個体がいるのに気づきました。10月初旬には女王の腹部が目立つようになり,妊娠への期待が高まります。腹部が大きくなった女王は,アクリル管の中で他の個体とすれ違うことができなくなり,妊娠末期には体をまっすぐに向けてからでないとアクリル管に入ることもむずかしくなりました。植物食のハダカデバネズミはウサギのように2種類の糞をします。普通の黒い糞と粘液のような糞で,おそらく目的もウサギと同じで,食物の繊維質を効率よく利用する方法と考えられます。各個体は自分の出すものだけでなく,他の個体から粘液状の糞をもらっているのもしばしば観察されます。妊娠末期の女王は体が曲がらず,自分の粘液糞をまったく利用できなくなり,他の個体頼みとなっていました。



 11月11日の朝,重なりあった群れの中に小さなうごめくものを見つけました。出産したのです。出産には数時間かかるようで,粘膜におおわれた小さな物体が産み落とされるのを,自分の目で観察できたのは幸運でした。最終的に11頭の子を確認しました。新生児は赤裸で(親にも毛がないのであたりまえです),目も開いていません。げっ歯類の中でも妊娠期間が約70日と比較的長いテンジクネズミやマーラなどは,生まれたときはすでに親のミニチュアといえる姿をしており,親がいなくても動き回れます。ハダカデバネズミは,さらに妊娠期間が長いのに,見た目には未熟な状態で生まれてきます。

 しかし子供たちには思わぬ能力がありました。這い回る能力にたけているのです。ときには長さ90cmのアクリル管の端から端まで這っていきます。巣から離れたプラケースに入り込んで戻れなくなると,ときおり回ってくるハウスキーパーにくわえられ,巣に戻されます。おとなの集団は子供がいてもおかまいなしに固まって寝てしまいます。子は踏みつけられたり,おとなたちの間に挟まれたりして身動きが取れなくなります。運悪く,寝ているおとなの下敷きになった子は,脱出しようと懸命にもがき,隙間ができると上に向かって這い上がってきます。もちろん乳を出すのは女王だけです。その女王は集団を布団代わりにして,一番上に「君臨」していることが多く,そこまで這い上がってきた子だけが乳にありつけるわけです。
 子が生まれてから,今までと違った行動が見られました。餌を取り替えるときに,大きめの個体がアクリル管の入口に集まり,重なり合ってまるで巣にふたをするような動きを見せるのです。彼らにとって飼育者による給餌や掃除は,群れの平穏を破る行為に過ぎません。おそらく外敵の侵入から子を守るために,ソルジャーの個体が初めて見せた仕事だったのでしょう。
誕生6日目,繁殖成功の手応えを感じ始めた頃になって,突然数頭の子が死亡しました。そして,その後約30時間のうちに,なすすべもなく全頭が死亡してしまいました。子にはすでに特徴となる切歯がはえており,その成長が見られなかったことは非常に残念でした。群れ全体が落ち着いた状態でないと授乳ができないことなどを考えると,繁殖のための飼育環境としては不備な点が多々ありました。展示場のガラスをたたかれるだけで,群れは落ち着きをなくしてしまいます。この経験を次の機会を生かし,ユニークなハダカデバネズミの繁殖成功をめざしたいと思っています。



東京動物園協会発行「どうぶつと動物園」1999年4月号より