大英博物館

2012年6月


ロゼッタ・ストーン

 ←言わずと知れた大英博物館のみならず人類の至宝ロゼッタ・ストーン。

 もちろん、大英博物館一の人気者です。ですから、その周囲はいつでも見学の人で満ち溢れていて、これでも少ない方です。

 この写真では、肝心の文字が見えないですけど、ロゼッタ・ストーンの大きさと厚みが最も良く判る1枚なので、これを採用しました。

 ロゼッタ・ストーンは紀元196年作。上から古代エジプトのヒエログリフ、古代エジプトの民用文字、古代ギリシャ文字で書かれています。同じ内容が書かれていて、古代ギリシャ文字は解読されていたので、ヒエログリフ解読の突破口となったものです。

 一回り、じ〜っと見つめて、よし!次!行きましょう!
 今回の大英博物館見学の手引きは、某公共放送の「2時間で回る大英博物館」。しっかり準備万端です。

 うずくまるアフロディテ像は紀元2世紀の作。古代ギリシャ時代の傑作をローマ時代に模倣して作られたものだそうです。もともとがコピーだったとしても作られて1800年経てば立派にオリジナル。

 この作品も周囲をぐるっと一回りできます。

うずくまるアフロディテ像


ネレイデス・モニュメント

 ネレイデス・モニュメントは紀元前4世紀の古代ギリシャの影響を受けたイオニア式のお墓で、トルコから出土したものだそうです。

 これは、大きいので目立ってすぐにわかりましたけれど、ネレイデス・モニュメントがある部屋の近くにあるはずのハリカルナッソスのマウロス廟の立像を見つけられませんでした。ハリカルナッソスのマウロス廟の立像があるとお手本にした番組で紹介されていた展示室はclosedだったので、そこにあったのか、“マウロス廟”とばかり頭にあったので、←のような物を誤ったイメージをしてしまって、見つけられなかったのか…。お手本にした番組で紹介していた作品で見つけられなかったのはハリカルナッソスのマウロス廟だけなので、残念です。
 ロゼッタ・ストーンと並んで、大英博物館の人気者のパルテノン神殿の破風。
 2002年3月にギリシャを訪れ、アテネでパルテノン神殿を見学して以来、ずっとこれを見たかったのです♪

パルテノン神殿の破風

 10年来の念願が叶って嬉しいな♪
 アテネのパルテノン神殿の破風の彫刻たちが、今はイギリスのロンドンで私たちを待っていてくれています。そして、その姿を間近で見せてもらえる幸せ☆

パルテノン神殿の破風の一部


パルテノン神殿の破風
 パルテノン神殿の破風は細かい彫刻が施され、衣服のひだの1つ1つまで、その筋肉や体型を見事に表現しています。

 そして、それは破風の裏側で本来は見えない背中部分まできっちり彫り込まれていました。職人さんたちの心意気ですか。

 パルテノン神殿に嵌め込まれていては見られない、背中の部分まで、大英博物館では周囲を見学できます。

 大英博物館さんのご配慮をありがたくいただいて、1周くるっと回ります。きゅわぁ♪

 パルテノン神殿の破風が展示されている展示室は、すっごい縦長。長い部分には、パルテノン神殿の中廊上部を飾っていたフリーズが展示されています。

 ←のフリーズは動く馬が急に立ち止まう躍動感を表し、→のフリーズは座る神々の静を表しているとのことです。右端の座っている男性はゼウス、その向かって左の座る女性は女神アテネだそうです。これも、大英博物館では、目線の高さで堪能できました。ありがたや〜。

 これらが、あのパルテノン神殿の、あの場所にあったのですね。遠い目…。

パルテノン神殿の破風

パルテノン神殿の破風

パルテノン神殿の破風

パルテノン神殿の展示室

パルテノン神殿の破風

パルテノン神殿のフリーズ


パルテノン神殿のフリーズ

 アッシリアの守護獣神像は紀元前710年頃に造られ、魔除けとして宮殿の入口に建てられていたそうです。
 見所は足元で、前から見ると2本。

アッシリアの守護獣神像

 横から見ると歩いているように見えるように、全部で足は5本彫ってあります。

 獣神像の後ろ足の下の台座に彫りこまれたいびつなマス目はゲームに使われたものと考えられるらしいです。門番の兵士が遊んだのかな(笑)。

アッシリアの守護獣神像の
足元に彫られたゲーム盤


アッシリアのライオン狩り

 アッシリアの守護獣神像の間を通っておくに進むと、アッシリアのライオン狩りのレリーフがありました。

 アッシリアのアッシュル・バニパル王が住む宮殿の部屋に飾られていたとされるレリーフ。狩りの様子を向かって右側から描いています。

 戦車に乗って弓を構えているのがアッシュル・バニパル王。当時は、ライオン狩りも王の大事なお仕事だったそうです。
 →は、レリーフの終盤。身体中に矢を射られ、力尽きた、または、今にも力尽きようとしているライオンたち。

 王さまや兵士よりもライオンが見所だそうです。王さまは様式が決まっているので、職人さんたちは、ライオンを彫るのに精魂傾けたらしいです。何だかそれも頷けるような、渾身のライオンがたくさんそこにいます。

アッシリアのライオン狩り


アッシリアのライオン像

 アッシリアのライオン狩りのレリーフを見学したら、大英博物館の地図上の向かって左側の展示室の見学は終了。

 アッシリアのライオン像やアメノフィス3世の巨像頭部を横目に見て、グレーコートに出ます。

アメノフィス3世の巨像頭部


ホア・ハカナナイアの
石像(モアイ)

 入口からグレーコートをグルッと回りこんだ反対側の展示室に入った途端に目に飛び込んで来るのが、←のモアイ像。大英博物館でモアイ像に出会うと、「えっ!」と少し驚いてしまいます。イースター島の巨大なモアイ像に比べると、ちんまりまとまっていて、身体も上半身までしっかりあるのですね。この手のモアイは初めて見たかも…。

 イギリス王室所属の船が測量航海に出たおりにイースター島から持ち帰り、ヴィクトリア女王に献上したものだそうです。

 モアイ像に会ったら、右手の展示室に方向変換して、1つ展示室を通り抜けると、次がアステカのトルコ石モザイクの展示室です。
 アステカのトルコ石モザイクは15、16世紀に作られたアステカ帝国の装飾品で、アステカの神秘的な面が凝縮されているらしいです。

 トルコ石はアステカの人にとって、火や太陽の光を表す特別な意味を持つため、王や神官の儀式用の装身具に使われたとのことです。

 現存するアステカのトルコ石モザイクは55点で、そのうち9点が大英博物館にあるそうです。

 双頭の蛇はともかく、仮面↓は…。

アステカのトルコ石モザイク
双頭の蛇


 右下のテスカトリポカ神の仮面は人間の頭蓋骨にトルコ石が嵌められていて歯は本物で、長い皮ひもが2本ついていて、装身具として使われたと考えられているそうです。

アステカのトルコ石モザイク



アステカのトルコ石モザイク



アステカのトルコ石モザイク
テスカトリポカ神の仮面


動物のミイラ

 アステカのトルコ石モザイクを見学したら、階段を上って2階へ行きます。階段を上ったら、一旦、右折。そこから先へ進むと、エジプト室です。エジプト室は先ほどガイドさんに率いられて来ているので、ざっと見学するだけにしました。

 古代エジプトでは、人間のミイラだけではなく、ネコや魚のミイラも作られていたようです。魚のミイラ…干物とは違う…のですよね、きっと。
 紀元前1350年頃に描かれたネブアメンの墓の壁画は、ネブアメンが来世でも何不自由なく暮らせるように描かれたものだそうです。
ネブアメンの墓の壁画

 エジプトの壁画は横向きがほとんどで、→のように、2人の女性が真っ直ぐ前を向いているのは、珍しいようです。
ネブアメンの墓の壁画


ポートランドの壺

 1世紀頃のコバルトブルーのガラスの上に白いガラスを重ね、表面の白いガラスだけを削り取って繊細な模様を描きだした最高級のカメオガラスの一品。作業は大変難しく、生産量はごく僅かだったらしいです。

 1845年、展示中に粉々に壊れてしまったものを、ばらばらの200ピースから元の形に修復したそうです。大英博物館の修復士さんの根性と努力と忍耐との結晶。
 ウルは現在のイラク南部、ペルシャ湾の近くにあったクメール人の都市国家で、長く伝説とされていたが、1927年に追うの墓と見られる遺跡が発見されたそうです。
ウルの牡山羊

 ウルの牡山羊の青く見える背中はラピスラズリで、遠くアフガニスタンから運ばれたもののようで、当時の交易の範囲の広さを物語っているようです。
 牡山羊さんの横顔と正面→を撮ってみました。正面の顔は何だかプリティ&ラブリー♪

 ウルのスタンダードという木の箱のようなものは、残念ながら貸出中で、このときは見られませんでした。

ウルの牡山羊


ウルのゲーム盤

 ウルのゲーム盤は、紀元前2600年頃の世界最古のボードゲームの1つで、発見当初は遊び方が謎だったそうです。それが紀元前177年に作られた楔形文字で遊び方が刻まれたバビロニアの粘土板(←の向かって左上の四角い物体)が発見されて、遊び方のカギを解くことになったのだそうです。

 ←のゲーム盤、アッシリアの守護獣神像の足元に彫られたゲーム盤に形が似ています。古代に世界的に流行したゲームだったのかな。
 オクサスの遺宝は、アフガニスタンのオクサス川の土手で発見されたアケメネス朝ペルシャの貴重なコレクション。紀元前5−4世紀の物のようです。

 →の腕輪の模様は、グリフォン。

 オクサスの遺宝のある展示室は、階段を2階へ上がったところを左折したところにあります。ここで、ほぼ、2階の半分をざっと見た(通った)ことになります。

オクサスの遺宝
黄金の腕輪



ルイスのチェス駒

 そのまま直進するとルイスのチェス駒がありました。

 ルイスのチェス駒は、日本人にはお馴染みがありませんが、イギリス人はみんな知っているものらしいです。

 ケルトの腕輪、重そう…。

ケルトの腕輪

 更に直進すると、サットンフーの舟塚からの出土品の展示室のはずなのですけれど、どうやら展示室の改修工事中で、展示品は別の場所で展示しているようです。

 サットンフーの舟塚の出土品の中でも最も有名な儀礼用のカブトが明記された案内板(?)に導かれて先に進みます。

 すると、1階へ降りたので、ちょっとエンライトメント・ギャラリーに寄り道。

 ここには、ロゼッタ・ストーンのレプリカがあり、直に触れるはずです。

エンライトメント・ギャラリー


ロゼッタ・ストーンのレプリカ

 ぐるっと見回して、ロゼッタ・ストーンのレプリカ発見。隣りに立って、同じく探しているえむちゃんに向かい「ロゼッタ・ストーンのレプリカ、あった」と、小声で言った途端、わらわらわらっと、何人もの日本人がどこからともなく現れて、あっという間にロゼッタ・ストーンのレプリカの回りを取り囲んでしまいました。どこにいたんだ!こんなに多くの日本人!どうやって気配を消していたんだ!もう、あまりにもびっくりし過ぎて、えむちゃんと私は呆然と立ちすくんでしまいました。それまで、この部屋に日本人のいる気配、感じなかったのですよ〜!
 ロゼッタ・ストーンのレプリカが人波から開放されるのを、エンライトメント・ギャラリーの中をぶらぶら見学しながら待って、再び静かになったレプリカの前に戻り、ようやくレプリカに念願のタッチ。やったね♪

 大満足して、案内板に従って、サットンフーの舟塚の出土品が展示されている部屋へ。
 イギリスにイングランドとかスコットランドとかの王国ができる前の王朝の王さまのお墓からの出土品です。お墓が船だったので舟塚というようです。

 中でも→の儀礼用の兜が特に有名で、“イギリスのツタンカーメンのマスク”と呼ばれているそうです。全然、知りませんでした。すみません。
 ブロンズと鉄で作られた装飾の多くは失われてしまったけれど、、銀で飾られた眉や鼻から頭にかけて残る金の装飾が見事なのだそうです。また、口ひげ、鼻、眉は合わせるとドラゴンが羽ばたいているようにも見える…らしいです。

儀礼用の兜


ガレオン船型自動時計

 まだ、少しだけ時間に余裕があったので、時計の展示室に行って見学。

 ←のガレオン船型自動時計は1585年にドイツの名工ハンス・シュロトハイムが作ったものだそうです。晩餐会の始まりを告げるための特製品で、予定の時刻になると甲板上の人形が腕を振って鐘を打ち鳴らし、内蔵されたフイゴがオルガンを奏で、最後には大砲から火花を散らしながらテーブルを走ったらしいです。う〜ん、もし、まだ実際にこれが動くならそれを見てみたいです。映像化して、ボタンを押すとそれが見られるとか、今ならできそうじゃないですか。

 さらに、もう1つ、エンライトメント・ギャラリーに戻って、参考にしたテレビ番組でも紹介されていた“Hands on”のコーナーへ行きました。これは、大英博物館の本物の所蔵品を手に取って確かめられるコーナー。係員さんから12世紀の聖遺物の箱の一部を受け取って持ってしまいました!!!うっわ〜!本物に触れてしまいました!
 このとき、私たちが持たせてもらえた聖遺物は、参考にしたテレビ番組で放送していたのと同じ物でした。

 某公共放送の「2時間で回る大英博物館」を参考にした自力での大英博物館見学は、13時10分から14時55分までの1時間45分。2時間より少し短いのは、ツアーでエジプト室を見てたので、そこは時間をかけなかったからでしょうか。大英博物館で、これだけいろいろな国の様々な展示品を見学できたのは初めてです。大満足な大英博物館見学ができました。

※ 上記は、2012年6月時点で私が大英博物館を見学したときの記録です。展示室、展示品は、変更になっている場合がありますので、最新情報は、オフィシャルサイト等でご確認ください。