『罠』観劇記・初日

1999.10.09 (土) 渋谷パルコ劇場 19:10〜21:30


 「セツァンの善人」以来、の大沢くんの舞台。最後の大どんでん返しが売りの「罠」の初日を観劇した。
 チラシで観る限り、ちょっと風体の怪しい男女6人の織り成す物語は大沢くん扮するコルバン氏の行方不明中の妻を名乗る自称コルバン夫人の真贋を賭けて進行する。
 商業演劇ではなく、演劇のための芝居の印象を強く受けた。そういえば、「セツァンの善人」を観たときにも同じ印象を受けたっけ。
 商業演劇を見慣れた目には新鮮にも不可思議にも写ったりもする。

 登場人物は、チラシに写っている女性2人・男性4人の計6人のみ。芝居の舞台もコルバン夫妻が滞在しているシャモニー(スイスアルプスのモンブランの登山口)の山荘のリビングルームのみの一場芝居。
 コルバン氏、自称・コルバン夫人、神父、警視、浮浪者、看護婦。腹の中に一物も二物もありそうな彼らたちが、とうとうと自説を曲げずに主張していく。
 幕が開くとコルバン氏が板付きSTART。チラシからの予想がいい意味で裏切られてこざっぱりとしたコルバン氏でほっとする。南野さん以外のキャストはおそらく衣装は全場同じだと思うけれども、どれもすっきりしていてよかった。!(^^)! (あ、浮浪者役はそれなり、です。)

 その中で、徐々にコルバン氏が立場的にも、精神的にも追いつめられていく。舞台の幕が上がってものの数分と経たないうちに、ドラマ等を観るときは主人公につい感情移入して観るクセのある私は、大沢くんのコルバン氏に感情移入して、息苦しさを感じ始める。
 更に、自称・コルバン夫人や神父が登場し、コルバン氏がヒステリックに自称・コルバン夫人は、「妻ではない!」と叫ぶたびに、どんどんと息苦しさが増していく。

 この芝居はミステリーであるので、その内容をこれ以上、述べることは、舞台観劇をこれからする人にとってはマイナス以外の何物でもないので、控えさせていただく。

 会話の積み重ねでストーリーが展開していく芝居で、警視役の小野さん、神父役の増沢さん、看護婦役の寿さん、浮浪者役の藤井さんは、長年舞台で鍛えられた腹式の発声で、何気なく普通にセリフをしゃべっていても、実に聞きやすく、よく通る声をしてらっしゃる。
 その点、南野さんと大沢くんは、やや弱いか。幕が上がってすぐに、警視役の小野さんが、コルバン氏に向かって、「そんなに叫ばないで……」というようなセリフがあったが、コルバン氏のセリフの内容的には、叫んでいてもおかしくない内容だったけれど、大沢くんの発声自体は決して叫んでいるようには聞こえなかった。むしろ、小野さんの声の方が普通に話しているのに大きくてよく通っていた。

 どんどん精神的に追いつめられていくコルバン氏は、セリフをしゃべるのも、心中を表すかのように落ち着きのない、切羽詰まったしゃべり方をする。そういう演出効果なのだろうが、このしゃべり方が、観客の心をもどんどん不安にし、息苦しさを呼び、増大させ、1幕目が終る頃にはすっかり息切れをしているかのような、胸の圧迫感と動悸を覚えていた。
 演出と大沢くんの演技で観客も”罠”にかかってしまったということか。(^^;)
 幕間で、ロビーであんなにもこっそりと深呼吸をしたのは初めてだ。しかし、ロビーが狭く、煙草を吸う方が多数いらっしゃるので、深呼吸するのも結構辛かった。

 2幕目で更に追い込まれるコルバン氏。息切れは更に激しくなる。(@_@)
 この2幕目の中盤で大沢くんが舞台向かって右手端のステージぎりぎりに立つシーンがある。X列の23〜26番の席のチケットを持ってる大沢くんファンは大ラッキー。目の前に大沢くんが来る。じっくり、焦るコルバン氏を観察してもらいたい。

 最後の最後の大ドンデン返し。茫然として我を失い膝を抱えるコルバン氏。ふと観ると、口元から流れるのは……よだれ?(^^;) そこまで役になりきり、のめり込めるのもスゴイ!
 苛立ち、追いつめられ、精神のたがが徐々に崩壊していくこの役は、まさに大沢くんにうってつけの適役。これ以上はないほどに大沢くんのためにあるような役だ。

 幕が降り、カーテンコールで挨拶(別に言葉を述べるわけではない)をして、幕が降りるとき、思わず力尽きたのか仰向けに倒れる大沢くん。
 それは、本当に全力を出し切って演じ終えた後だからこそだと納得できるものだった。
 カーテンコールのときの大沢くんは追いつめられて不安を隠せないコルバン氏の表情から一変して演じきった会心の笑顔。満面の笑みだった。とってもいい顔してるね。>大沢くん

 心理劇というか、サイコミステリーなのか、初めて観る観客がどうなるか判らない筋書きにはらはらして舞台を見入るのは、当然ながら、これから千秋楽まで、もしかしたら、おそらくいるであろう複数回観る観客の心をどこまでそらさずにもって行けるか、これからが正念場なのかもしれない。