GOD SPELL
2001.12.16 (日) ル テアトル銀座 15:00〜
この舞台の観劇記を書くために、大沢くんのファイルを見て改めてびっくり。生大沢くんに会うのは実に2年2ヶ月ぶりだったのだ。
『GOD SPELL』はミュージカル。ミュージカルで想像するのは歌と踊り。なので、始まる前は、私の記憶にある7年半前の大沢くんで少々……。
舞台はとある都市の片隅。出演者全員の板付きで始まる。それで1曲。そして、それぞれ衣装替えして再登場。その再登場するとき、大沢くん扮するユダは舞台上手側中央の扉から客席通路を通りつつ、歌いつつの登場だったのだが、その客席通路より前の席だった私は、最初、姿が見えず、声のみの登場人物に、「この声は、この微妙に不安定さを感じさせる歌は、もしや、やはり……」 こわごわ振り返ると案の定、大沢くんだった。
あくまで“微妙に”であり、気にしなければ気にならないものだったのであしからずご了承を。
キリストとユダ以外は、パンフレットにも役名はなかったけれど、キリスト以外の人数が12人(含むユダ)だったので、当然12使徒をイメージしてのことだろうが、不幸にもキリスト教の素養がないので良く解らない。
衣装も、キリストが身につけているものはアメリカの星条旗をモチーフに、他の数人も、スペイン、スイス、ドイツの民族衣装のアレンジかと思わせるものもあったりして、そういう世界観を示そうとしていたようにも受け取れる。
舞台途中まで見て、ふっと思ったことは、「キリスト教文化圏で生まれ育った舞台なんだな。」ということ。
キリスト教文化圏の方々なら、水が土に染み込むように、呼吸をするごとく、ごく自然にごく普通にこの舞台で描かれている世界が理解でき、この世界に入って行けるのだろう。
しかし、哀しいかな私は普通の当たり前の日本人であり、到底自然にその舞台上の世界を受入れられず、つい頭で理解しようと試みてしまうわけで……。難しい。
エピソードをキリスト教世界と絡めて理解しようとせず、あるがままに受入れられる感性だと、楽しめるのだろうなぁ。
それで、↑ のことを思いついた段階で、“芝居を楽しむ”ことに専念することにした。できたかどうかは?だけど、心の問題で、ね。
2幕目の初め、大沢くんの女装があった。似合ってた。美しい。そのまま新宿何丁目だかに立っても全然OKだと思わせる肢体。
ポーズも決まった。本人も「決まった。」と言った。決まってた。その決めポーズでストッキングの穴さえ見えなければ。(^^;) いや〜ん、変なとこに気が付かなければよかったわ。((@_@)/笑)
でも、よくよく考えてみると、この舞台におけるその女装の意義を私は見出せない。何故あのシーンであの扮装が必要だったのだろう?
大沢くんは、相変わらず妖しい雰囲気を醸し出すユダを熱演。前の舞台のときも思ったことだけど、大沢くんは舞台の上で、舞台の役柄にのめり込むタイプの役者なのかもしれない。
ユダがキリストを裏切ったときの表情。裏切ってしてやったりざまあみろと、そこに少々の後ろめたさと、でも、裏切ってやったことの快感とを、満面に著わした、えもいわれぬ、何と表現したらいいのだろう、凶悪?猥雑?どの言葉もあてはまらないような気がする、その表情。
生の一瞬のキラメキ?
千秋楽ということもあり、アンコール、ダブルアンコールありの、最後にはスタンディングオベーションが起こる出来で、判ってはいないけど、よかったなって思える舞台で、心からの拍手を贈れた。
舞台前方中央に、演出上必要な、池が舞台上に設けられていて、アンコールのとき、大沢くんがうっかり脚を滑らせて、マジでその池にはまったときは舞台上も客席も一瞬の驚きの後の笑いに包まれた。出演者さんの「マジで転んだよ。(笑)」の声も客席に聞こえたし。(笑)なんだか、その辺のそれぞれの人間くささと親しみとが温かさを感じさせてくれた。
クセのある役を舞台やテレビで熱演する大沢くん。クセのある役を好んで演っているのかもしれないし、それもいいと思う。ただ、それだけにはしないでほしい。素直な好青年はつまらないのかもしれない、でも、素直な好青年を演じていればこそ、素直さの反対の屈折した役柄になったときに、驚きと新鮮さが……例えば、こんな例えはNGかもしれないけど、いつも爽やか好青年役が多い赤坂くんが、TBSの十津川警部シリーズ『終着駅殺人事件』で途中までいままで通りの好青年と思わせて、実は真犯人だった、みたいな……あるのではないだろうか。