丸木夫妻年譜

丸木夫妻

原爆の図丸木美術館は、画家の丸木位里・丸木俊夫妻が、共同制作《原爆の図》を、 誰でもいつでもここにさえ来れば見ることができるようにという思いを込めて建てた美術館です。

丸木夫妻は、広島に投下された原子爆弾の様子をいち早く目撃し、代表作となる《原爆の図》をはじめ、 戦争や公害など、人間が人間を傷つけ破壊することの愚かさを生涯かけて描き続けました。

この美術館では、そうした丸木夫妻の生命への思いを受け継ぎながら、芸術家としての二人の活動を紹介しています。

丸木位里(まるきいり・右) 丸木俊(まるきとし・左) 共通史・館史
1901 6月20日、広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区安佐町)に農家の長男として生まれる。
1912 2月11日、北海道雨竜郡秩父別村(現・秩父別町)の善性寺に長女赤松俊として生まれる。
1919 大阪に出て、松村景春の精華美術学院で一年間、図案を学ぶ。
1923 東京に出て、田中頼璋の天然画塾に学ぶ。
関東大震災のため広島に帰郷
関東大震災
1928 「第十三回広島県美術展」に《黒淵》が初入選
1929 旭川高等女学校(現・旭川西高校)を卒業。 上京し、女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部に入学
1933 女子美術専門学校を卒業。千葉県市川小学校の代用教員となる 日本が国際連盟を脱退
1934 再び上京。落合朗風の明朗美術研究所に通う。
1935 「第十四回日本南画院展」に《鐘》入選
「昭和十年度日本画会展」に《月と子供》入選。明朗美術研究所を辞め、広島に帰郷
中国新聞社で初個展を開催
1936 三度目の上京。この頃、船田玉樹に連れられて靉光を訪ね、以後親しく行き来する。
川端龍子主宰の「第八回青龍社展」に《池》入選
靉光、中川為延、野村守夫、船田玉樹とともに広島県産業奨励館で「第一回芸州美術協会展」を開催
二・二六事件
1937 「第九回青龍社展」に《狭壁》入選 代用教員を辞め、一等通訳官の子弟の家庭教師として一年間モスクワに滞在 日中戦争開始
日本軍が南京を占領し大虐殺を起こす
1938 「第六回春の青龍社展」に《ラクダ》(広島県立美術館蔵)入選
川端龍子と同じ大きさの絵を描いて「青龍社展」に落選、以後一切の公募展出品を辞める。
歴程美術協会の会員に推挙され、「第一回歴程美術協会展」に《故郷》、《崇円の像》、《けだもの》出品
モスクワから帰国し東京・豊島区長崎のアトリエ村に入居
1939 「第二回歴程美術協会展」に《馬》、《鳥》出品。実験的な水墨の抽象を試みる。
その後、船田玉樹とともに歴程美術協会から脱退し、銀座・紀伊国屋画廊で二人展開催
銀座・紀伊国屋画廊で初個展を開催
「第二十六回二科展」に《白樺の林》で入選
ドイツ軍がポーランドへ侵攻、第二次世界大戦はじまる
1940 福沢一郎らが設立した美術文化協会に参加。「第一回美術文化協会展」に出品
銀座・紀伊国屋画廊で個展を開催
岩橋英遠、船田玉樹らと研究会を結成。「第一回研究会展」開催
日本の統治下にあった南洋群島に半年間滞在し、多数のスケッチを描く。
「第二十七回二科展」に《パラオ島民集会所》が入選
銀座・紀伊国屋画廊で南洋の個展開催
日独伊三国同盟調印
大政翼賛会結成
1941 銀座・松坂屋で岩橋英遠、船田玉樹と第一回三人展開催
「第二回美術文化協会展」に《柳暗》、《放牛》、《烈風》出品
モスクワ公使の子弟の家庭教師として再びモスクワに赴任し半年間滞在
「第二十八回二科展」に《やすみ場》が入選
丸木位里・赤松俊子結婚
日本軍がハワイ真珠湾を攻撃、日米戦争はじまる。
1942 銀座・松坂屋で岩橋英遠、船田玉樹と第二回三人展開催
「第三回美術文化協会展」に《牛》、《龍虎》出品
銀座・菊屋画廊で個展を開催
「第三回美術文化協会展」に十輪子の名で《群猫》、《花》、《子宝調隊》出品
「第二回南洋美術展」に南洋の素描五点を出品
「第二十九回二科展」に《伸びゆく日本》が入選
『ヤシノ木ノ下』土岐由岐雄作(小学館)。『ヤシノミノタビ』丸山薫作(帝国教育出版部)
1943 「第四回美術文化協会展」に《花王》、《風影》、《梅》出品
広島・世良画廊で靉光と二人展を開催
銀座菊屋画廊で個展を開催
「第三回九室会展」に《像》、《猿》出品
「第四回美術文化協会展」に十輪の名で《双猫》、《騒樹》出品
「第三十回二科展」に《物語》が入選
『カモメサン』石川光男作(国華堂日童社)。『ミナミノシマ』巽聖歌文(中央出版協会)
1944 「第五回美術文化協会展」に《竹》、《梅》出品 「第五回美術文化協会展」に《地球儀》、《インドソケイの花》、《解氷期》出品
『太陽のこども』南江治郎作(国民図書刊行会)
銀座青樹社画廊で「丸木位里・赤松俊子素描展」開催
1945 東京空襲のため南浦和へ疎開
沖縄に米軍上陸、激しい地上戦となる。
8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾投下。数日後に位里、続いて俊が広島に入る。 半倒壊の両親の家を修復し、一ヶ月ほど滞在。九月中旬に東京へ帰る。
この頃、日本共産党に入党
1946 「第六回美術文化協会展」に《高原》、《松の図》など出品 「第六回美術文化協会展」に《少年》、《飢え》等出品
『ジャックトマメノキ』塩谷太郎作(アソカ書房)。『ゴボウノオウチ』森田たま作(実業之日本社)。
日本童画会の設立に参加
日本美術会結成に参加
岩崎知弘(後の画家いわさきちひろ)が上京して丸木夫妻のアトリエを訪れる。
この頃よりアトリエにて人体デッサンの勉強会をはじめる。
1947 「第一回前衛美術展」に《竹》、《牛》出品
「第一回日本アンデパンダン展」に《牛》、《梅》出品
『ふしぎなたいこ』トルストイ童話(小学館)。『白いむく犬』(アソカ書房)
「第一回前衛美術展」に《人民広場》、《解放されゆく人間性》出品
「第一回女流画家協会展」に参加。翌年の第二回展の前に創立会員になり、以後出品を続ける。
「第一回日本アンデパンダン展」に《菊》、《モスコーの四季》出品
前衛美術会結成に参加
1948 「第二回前衛美術展」に《高原》、《牛》など出品 銀座天元画廊で滞ソ小品展開催
『絵のない絵本』アンデルセン作(季節社)。『イーハトーヴォ物語』宮澤賢治著(小山書店)
神奈川県藤沢市片瀬に移り住む。
1949 「第三回前衛美術展」に《牛》出品 『柿の木のある家』壺井栄著(山の木書店)。『絵ハ誰デモ描ケル』赤松俊子著(眞善美社)
1950 「第一回選抜秀作美術展」に《牛》出品 「第一回選抜秀作美術展」に《作品》二点出品 共同制作《八月六日》(後の原爆の図第一部《幽霊》)を発表 以後三十年以上にわたり《原爆の図》の発表を続ける。
絵物語『ピカドン』がポツダム書店より刊行。占領軍により発売禁止、原画没収処分
1953 東京国立近代美術館「日本近代絵画の回顧と展望」展に《牛》出品 世界婦人大会に出席のため《原爆の図》三部作を持ってデンマークへ。 ハンガリー、ソ連、中国、ルーマニアなどを訪れる 世界平和評議会より国際平和賞ゴールド・メダル賞受賞
この頃、東京都練馬区石神井谷原に移り住む。
1954 「第七回日本アンデパンダン展」に《鵜》出品 「第七回日本アンデパンダン展」に《鳩笛》出品
「第一回現代日本美術展」に《祖母子》出品
アメリカのビキニ水爆実験により第五福竜丸が被曝
画文集『ちび筆』丸木位里・赤松俊子著(室町書房)。『絵は誰でも描ける』丸木位里・赤松俊子著(室町書房)。
1955 「第三回日本国際美術展」に《牛》、《梅》出品
1956 「第二回現代日本美術展」に《山》、《山》出品 原爆の図世界巡回展のため中国を訪問
北朝鮮、モンゴル、ソ連を経てオランダに滞在中、位里の母・スマの不慮の死を聞く。
九州・チッソ水俣工場の水銀廃液による水俣病の公式発見。
1957 「第四回日本国際美術展」に《石林》出品 赤松俊子をあらため丸木俊とする ソ連美術アカデミー二百周年記念式典に招待されソ連を訪問
1958 「第三回現代日本美術展」に《傘富士》、《八ヶ岳》出品 『でてきておひさま』うちだみちこ作(福音館書店)。『生々流転』丸木俊子著(実業之日本社)
1959 「第十三回女流画家協会展」に《アムステルダム》、《自画像》出品 「原爆の図展」のため、ソ連画家同盟と平和委員会の招待でソ連を訪問
1960 「第十三回日本アンデパンダン展」に《紅梅》出品
「第四回現代日本美術展」に《飛翔》(東京国立近代美術館蔵)、《休息》出品
北京の「日本現代画展覧会」に《群牛》出品
『こまどりのクリスマス』渡辺茂男訳(福音館書店)。『ししおうのなさけ』村岡花子文(鈴木学術財団) 京都大学同学会平和賞受賞
1961 「第六回日本国際美術展」に《臥竜梅》(東京国立近代美術館蔵)出品、優秀賞受賞 『そりにのって』神沢利子作(福音館書店)
1962 「第十三回選抜秀作美術展」に《臥竜梅》出品
「現代絵画の展望」展に《休息》出品
「第五回現代日本美術展」に《三陸》出品
ソ連で開催された「日本現代美術展」のため、岩崎巴人とともにソ連を訪問
兜屋画廊にて個展開催。《クレムリン》等出品
「第十六回女流画家協会展」に《ロシア人形》等出品
1963 「第十四回選抜秀作美術展」に《三陸》出品
大丸東京店で「丸木位里・岩崎巴人 ソビエトを描く」展開催
『カラスだんなとおよめとり』石井桃子訳(岩波書店)。 『空からの歌ごえ』いぬいとみこ作(理論社)
1964 「第六回現代日本美術展」に《竹林》(広島県美術館蔵)を出品
中村正義の発案による「日本画研究会」に参加
「第七回十一会展」に《千田の海》出品。以後約十年間出品を続ける。
『うみのがくたい』大塚勇三作(福音館書店)。『ポケットの中のひみつ』岡野薫子作(フレーベル館)
位里と俊、日本共産党内の十二名連盟で、党改革の意見書を提出。 渡部義通、佐多稲子らと共に除名される。
1965 「第一回縄々会展」に《九龍の滝》、《穂高》、《松韻》、《海》を出品 銀座・資生堂ギャラリーにて個展開催
『しあわせの花』神沢利子作(理論社)
千葉県松戸市八ヶ崎に移る。
大江健三郎『ヒロシマ・ノート』(岩波書店)に絵物語『ピカドン』挿絵が使用される。
1966 「第七回現代日本美術展」に《伯耆大山》を出品
米国各地を巡回した「国際芸術見本市」に参加
針生一郎企画による日本画廊「戦争展」に参加
埼玉県東松山市下唐子に移り住み、美術館建設にとりかかる。
1967 ブラジル「第九回サンパウロ・ビエンナーレ」に《樹林》、《房総の海》、《紅梅》等出品
「第九回日本国際美術展」に《牡牛》、《牡丹》を出品
『ねずみじょうど』瀬田貞二再話(福音館書店)
原爆の図丸木美術館が開館
ソビエト芸術アカデミー名誉会員に選ばれる。
1968 「第一回大河展」に《樹海》、《長門の海》、《樹林》、《湖上の八ヶ岳》を出品
「第八回現代日本美術展」に《おぼ》、《暗い道》を出品
原爆の図丸木美術館が財団法人として認可される。
1969 「第九回現代日本美術展」に《竹林》を出品
「第二回大河展」に《牡丹》、《三陸の海》、《妙義山》を出品
『赤神と黒神』松谷みよ子作(ポプラ社)
『うさぎのいえ』内田莉莎子再話(福音館書店)。『ロシアのわらべうた』内田莉莎子著(さえら書房)
1970 「第三回大河展」に《海》出品
丸木位里墨画集『臥竜』(造形社)
『ブランコのり』佐藤義実作(フレーベル館)。『グリムどうわ』大塚勇三訳(学習研究社) 東松山に古くから伝わる「小高文庫」が丸木美術館に寄贈され、一部を陳列室とする。
広島より被爆した家の材料を運び、「原爆観音堂」を建立する。
栃木の阿部恒二・山中鹿之助両氏の協力により、茅ぶきの古い農家を復元し、「野木庵」が完成する。
『日本の伝説(全五巻)』松谷みよ子文(講談社)
「原爆の図展」のためアメリカへ。グランドキャニオンなどでスケッチを多数描く。
1971 『ねずみじょうど』瀬田貞二作(福音館書店) 『せむしの小うま』内田莉莎子訳(学習研究社)。『十二のつきのおくりもの』内田莉莎子再話(福音館書店) 『日本の伝説』が「第三回ブラチスラバ国際童画ビエンナーレ」でゴールデン・アップル賞受賞
チェコスロバキア各地を旅行
丸木美術館の隣に「百龍窯」完成。「唐子焼」初窯出し、以後しばしば焼物の絵付けを行う。
1972 山形、酒田、佐渡へスケッチ旅行 『幽霊―原爆の図世界巡礼』丸木俊著(朝日新聞社)
『蛙よ、木からおりてこい』水上勉作(新潮社)。 『チワンのにしき・太陽のむすめ』君島久子・田中かな子訳(学習研究社)
1973 『ごしきのしか』生源寺美子作(学習研究社)。 『おおむかしのむら』たかしよいち作(福音館書店)。『ふえをふく岩』君島久子作(ポプラ社)。 『三びきのくま』瀬田貞二作(福音館書店)。『あかがえるのビルとタルタル』関根栄一作(国土社) ヨーロッパ各地へスケッチ旅行
『あかざばんばとガラ』瀬川拓男作(太平出版社)
1974 銀座・永井画廊で「丸木位里水墨画展」。以後毎年個展を開催 『ポケットの中のひみつ』岡野薫子作(フレーベル館)。 『コン太のしっぽものがたり』今西祐行作(大日本図書)。 『手ながの目』たかしよいち作(岩崎書店)。『つつじのむすめ』松谷みよ子作(あかね書房)。 『星の小ぼとけさま』川村たかし作(文研出版) 丸木美術館増築完成し、《原爆の図》全十四部を陳列
丸木美術館栃木館が栃木県岩舟町に開館
1975 「第一回東京展」に《房総の海》出品 『三びきじし』渡辺節子作(ポプラ社)。『おつかいありさん』関根栄一詩(国土社)。 『かさじぞう』(世界文化社)。
銀座・資生堂ギャラリーにて個展開催
ヨーロッパ各地へ写生旅行
アウシュビッツを取材し、パリにて人体デッサン数百点を描く。
1976 『明りになったかたつむり』北畠八穂作(岩波書店)。 『くじゃくのはなび』君島久子訳(偕成社)。『おしらさま』菊池敬一作(小峰書店)。 『三平旅のものがたり』斉藤了一作(国土社) ヨーロッパ各地へ写生旅行
アウシュビッツを取材し、パリにて人体デッサン数百点を描く。
1977 東北地方を訪れ、蔵王連峰を描く。
大阪・国立国際美術館「日本の美 その色とかたち」展に《臥龍梅》出品
神田・檜画廊にて「チェコスロバキアスケッチ展」を開く。以後毎年個展を開催
『雁がとぶ古城 チェコスロバキア旅のスケッチ』丸木俊著(朔人社)。 『女絵かきの誕生』丸木俊著(朝日新聞社)。
『千代とまり』松谷みよ子作(講談社)。『きつねのおきてがみ』菊池敬一作(小峰書店)。 『うしかいとおりひめ』君島久子作(偕成社)。『あそびましょ』松谷みよ子作(偕成社)。 『くさらなかった舌―日本霊異記』水上勉作(平凡社)
銀座・永井画廊にて「アウシュビッツ制作のための五百裸婦デッサン展」
東京の平岩厳氏より寄贈を受け長尾當代氏の協力により「流々庵」が完成する。
講演のため能登を旅行、以後たびたび能登を訪れる。
1978 神奈川県立近代美術館「近代日本画の巨匠」展に《樹林》、《牛》出品 『八郎太郎』菊池敬一作(小峰書店)
パラオ(現・パラオ共和国)にて、パラオ博物館主催の「丸木俊回顧展」。パラオ、ヤップ島を訪問
インド・カラ芸術アカデミーに招待され、一ヶ月間インドに滞在
「原爆の図展」のためフランス各地を旅行。スケッチを多数描く。
『ルルの家の絵かきさん』宇佐美承作(偕成社)
1979 『まえがみ太郎』松谷みよ子作(偕成社)。『りゅうになりたかったへび』松谷みよ子作(大日本図書) ブルガリア美術協会の名誉会員ならびにソフィア名誉市民に認定される。ブルガリアを訪問
初めて水俣を訪問し、スケッチを多数描く。
1980 神奈川県立近代美術館「戦後の日本画展」に《休息》、《房総の海》出品 『ひろしまのピカ』(小峰書店)。第三回絵本にっぽん大賞受賞。 後に、アメリカ、イギリス、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、スペイン、 オーストリア、アイルランド、フランス、中国で翻訳出版され、全米図書館協会ミルドレッド・バチェスター賞、 米国ニューイングランドエリア・ホーンブック・ノンフィクション賞、 婦人国際協議会ジェーン・アダムズ賞等受賞。
『かっぱの目は星の色』菊池敬一作(小峰書店)。『うさぎのまごころ』武鹿悦子作(世界文化社)。 『ねずみのくれたふくべっこ』松谷みよ子作(第一法規出版)
丸木美術館友の会が発足し『丸木美術館ニュース』が発行される。
映画『水俣の図・物語』撮影のため、再び水俣を訪問
1981 宮城県立美術館「開館記念特別展 現代日本の美術」に《紅梅》、《樹林》、《昆明石林》を出品 『たけむすめ』君島久子訳(小学館)。『くびかざりぬすっと』花岡大学作(同明社) 中国を訪問し、桂林、南京、西湖など各地をスケッチ旅行
1982 『心のふしぎをみつめて』岡部伊都子著(筑摩書房) 絵本『みなまた海のこえ』石牟礼道子作(小峰書店)。第三十二回小学館絵画賞を受賞
「反ファシズム・トリエンナーレ国際具象展」のためブルガリアへ行き、スケッチを多数描く。
新版・絵物語『ピカドン』(東邦出版)
沖縄に取材制作のため一ヶ月半滞在する。
1983 原爆の図丸木美術館増改築が完成
《沖縄戦の図》制作のため、二ヶ月間沖縄に滞在し、多数のスケッチを描く。
1984 絵本『おきなわ島のこえ』(小峰書店)。一九八四年講談社文化賞・絵本賞を受賞
中国の女流画家、周思聰を招待し展覧会を開く。
NHK日曜美術館にて「いくさ世の画譜」放送。地方の時代映像コンクール優秀賞、特別賞(平和賞)
『鎮魂の道―原爆・水俣・沖縄』丸木位里・丸木俊著(岩波書店)
イタリアへスケッチ旅行、多数描く。
《地獄の図》の制作のため長崎に一ヶ月半滞在
1985 『とうろうながし』松谷みよ子作(偕成社) 「反ファシズム・トリエンナーレ国際具象展」のためブルガリアへ行く。
中国美術家協会の招待で、中国西北部へスケッチ旅行。敦煌、酒泉、トルハン、カシュガルなどを訪れる。
1986 山口県立美術館「戦後の日本の一断面展」に《昆明石林》、《紅梅》、《房総の海》を出品
いわき市立美術館「日本画―戦後の歩み展」に《伯耆大山》、《牡丹》を出品
東北各地をスケッチ旅行。山形県立川町・歓喜寺に《奥のほそ道図》を描く。
『転校生とぼくの秘密』野矢一郎作(小峰書店)。『うかれガラス』金善慶作(筑摩書房) 原爆の図丸木美術館収蔵庫完成
関東大震災後に虐殺された朝鮮人を悼む「痛恨の碑」建立
フランス各地へスケッチ旅行。その後パリに滞在して、人体デッサンを多数描く。
1987 『言いたいことがありすぎて』丸木俊著(筑摩書房)
ビデオ絵本『ひろしまのピカ』(小峰書店)
沖縄読谷村に二ヶ月滞在して、《沖縄戦 読谷三部作》を取材、制作
本橋成一写真集『ふたりの画家』(晶文社)
絵物語『ピカドン』復刻新版(小峰書店)
1988 山口県立美術館「日本画・昭和の熱き鼓動」展に《池》、《ラクダ》を出品
群馬県立近代美術館「近代の水墨画展」に《樹林》、《牡牛》、《房総の海》を出品
埼玉県立近代美術館「花の表現展」に《紅梅》を出品
画文集『生々流転』丸木位里著(岩波書店)
ボストン児童館で「ひろしまのピカ絵本原画展」
『太陽征伐』張良澤文(小峰書店)
アメリカ・マサチューセッツ州立芸術大学より「名誉芸術博士号」を授与され、ボストンを訪問
日本橋東急「米寿・喜寿記念 丸木位里・丸木俊展」
1989 『絵を描く人に贈る遺言 丸木位里・丸木俊との対談』平松利昭著(樹芸書房)
「反ファシズム・トリエンナーレ国際具象展」のためブルガリアに滞在。各地をスケッチ旅行
1990 『十一月のほうせん花』皇甫任著(径書房) 本間美術館「丸木位里・丸木俊 ヨーロッパを描く」展
1991 広島市現代美術館「広島の美術の系譜―戦前の作品を中心に―」展に、《池》、《ラクダ》等八点出品
宮城県美術館「昭和の絵画 第一部 伝統と近代」展に、《ラクダ》出品
原爆の図丸木美術館新館完成
1992 広島市現代美術館にて「丸木位里展」開催。代表作六十一点出品
1993 滝川市美術自然史館「丸木俊・丸木位里 絵本原画展」
1994 沖縄・宜野湾市に佐喜眞美術館が開館し、《沖縄戦の図》を常設展示
1995 10月19日 死去(94歳) 夕張市美術館「丸木俊 絵本原画展」
1995年度エイボン女性大賞を受賞
池田二十世紀美術館にて「丸木位里・丸木俊の世界」展
致道博物館にて「丸木位里・俊 現代日本画展」
ノーベル平和賞にノミネートされる。
埼玉県民栄誉賞を受賞。広島市政功労賞を受賞
1996 ヨーロッパ各地へスケッチ旅行 一九九五年度朝日賞を受賞
『遺言 丸木位里・俊の五十年』菅原憲義著(青木書店)
1997 原爆の図丸木美術館創立三十周年「丸木位里遺作展」
1998 第二十四回人人展「特別陳列・丸木位里を偲ぶ」に《九龍の滝》、《臥牛》等四点出品 宮城県立美術館、兵庫県立近代美術館「絵本原画の世界展」に『十二のつきのおくりもの』絵本原画を出品。
新見美術館「丸木俊絵本原画展」
英語・スペイン語版付新版『ピカドン』がろばのみみ舎より発行
1999 原爆の図丸木美術館「丸木俊展」
『どんぶらこっこ すっこっこ』村上ひさ子文(福音館書店)
秩父別町名誉町民になる。
2000 一月十三日 死去(八十七歳)
NHK新日曜美術館「描きたいことがありすぎて 画家丸木俊の生涯」放送
第三十回赤い鳥文学賞特別賞を受賞
原爆の図丸木美術館「追悼 丸木俊展」
2001 原爆の図丸木美術館「丸木位里 生誕100年展」 神奈川近代文学館「子どもの本の世界」展に『ひろしまのピカ』絵本原画を出品
『いのちの花』そのだひさこ作(解放出版社)
2002 女子美術大学ガレリアニケ「丸木俊展―いのちをみつめて―」
秩父別町郷土館「名誉町民 丸木俊絵画展」
『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』小沢節子著(岩波書店)。 第十五回倫雅美術奨励賞
原爆の図丸木美術館「丸木位里・丸木俊の描いた中国」
2003 『いのちの四季』吉田鷹村書、小山光夫短歌(明石書店) 原爆の図丸木美術館「丸木位里・丸木俊の水辺の風景」
2004 原爆の図丸木美術館「丸木位里・俊作品展 原爆の図をめぐる絵画表現」
2005 原爆の図丸木美術館「没後十年丸木位里展」 NHK「あの人に会いたい 丸木俊」放送
2006 東京国立近代美術館「モダン・パラダイス」展に《臥竜梅》出品
富山県水墨美術館「いわさきちひろ展」に《臥牛》、《梅》、《鵜》出品
新潟市新津美術館、下関市立美術館、萬鉄五郎記念美術館「日本の絵本芸術展」に 『ロシアのわらべうた』絵本原画を出品 原爆の図丸木美術館「旅を描く 丸木位里・丸木俊作品展」
テレビ東京「美の巨人たち」放送
2007 原爆の図丸木美術館開館四〇周年記念「丸木俊展―女子美術時代から《原爆の図》まで」
北海道立旭川美術館、新潟市新津美術館、北九州市立美術館分館「丸木俊・スマの世界」展
原爆の図丸木美術館「丸木俊展 女子美術時代から《原爆の図》まで」
藤沢市三〇日美術館「藤沢と丸木位里・丸木俊」展
2008 ちひろ美術館・東京「ちひろと水墨」展に《臥牛》等出品 町田市立国際版画美術館、高知県立美術館、沖縄県立博物館・美術館「美術家たちの『南洋群島』」 展に《ヤップ島》、《パラオ島》等を出品
原爆の図丸木美術館「丸木俊 絵本の世界展」
桐蔭学園メモリアルアカデミウム「丸木位里・俊展 原爆の図から始まる平和への願い」
原爆の図丸木美術館「丸木位里・俊《足尾鉱毒の図》展」
2009 さいたま文学館「『こどものとも』と埼玉の絵本作家」展に『そりにのって』、 『どんぶらこっこ すっこっこ』絵本原画を出品
原爆の図丸木美術館「没後十年 丸木俊展」
2010 原爆の図丸木美術館「没後十五年丸木位里展」