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2003.12.25.発行 第78号

企画展報告 安星金展―生への批評的観点

小沢節子さんが倫雅美術奨励賞、豊田直巳さんが平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞

NHK国際短波放送・夏季特集〜「原爆の図」は今

リレーエッセイ・10/水島恵理さん


企画展報告 安星金展―生への批評的観点
10月15日〜12月14日
ソウル在住の現代美術家・安星金(アン・ソングム)さんの展覧会が終了しました。 会期中は3873人の観覧者がありました。
「旧日本海軍旗」としての旭日旗 (現在はイージス艦に掲げられるなど、海上自衛隊の中で復活している)をモチーフに した迫力あるインスタレーションが会場の半分を占めました。
以下は10月18日に行われたオープニングでパフォーマンスを行った大串さんの文章です。

〈安星金展―生への批評的観点〉 をうけて
大串孝二(美術パフォーマー、空間演出家)

 私は今回の安さんの〈旭日旗〉の作品を1つの〈警告〉と受け止めています。
私にとりましてははずかしながら旭日旗の名は不明でした。今回、安さんがここでその旭日旗を提示したことに驚きました。
それは韓国の人にとり、癒されぬ傷の象徴であるのかという思いとともに、韓国の置かれている政治的緊張感と 受けとらざるをえませんでした。

その旗が示すのは、かつて一極集中的天皇制のもとに、軍部が権力を握り、戦争を進めたことですが、今回のこの提示が それに対する抗議と、また新たに軍事力復活への危惧が含まれるのであれば、前者に対し我々日本人は謝罪をもって常に その痛みを背負い続けなければならないと考えます。
後者に対しては私は次の考え方を持っています。
一つの権力、一極集中という意味において、この現実社会はあまりにも多様化し、寸断化されているという事実です。
そのために人々は気力を失い、前にもいけず後にもさがれずに座り込んでいる状況が見えてきます。
皮肉にもこの〈負の原因〉がブレーキとなって権力への一極集中はなされないだろうと考えるのです。
無気力状態がつくり出す意識の張力のゆがみが亀裂を生み、あちこちに穴のあいた状態が生じています。

すなわち個々人の中にある同義的には権力意識、国家意識がゆがみ、亀裂が生じている。そして問われるべきことは私達は その亀裂を超えて在ることができるのか否かということ。
私達は今それらに対しての正念場に立たされているのではないかと思うのです。
世界現実の中で、日本のかかえる現代社会は最も早くこの状況に入っているのではないかという感じをもつのです。
私達は無気力に座り込む現代社会のかかえる状況の中で、立ち上がる根拠を一刻もはやく探しあてなければならない と考えます。私は安さんの〈旭日旗の提示〉の中に見えるこの問題が今、最も切実であるように思えるのです。


安星金から観客へのアンケート
1 日の丸の旗は国旗にふさわしいと 思いますか?
   はい/154 いいえ/160
2 かつて帝国陸海軍の軍旗、今は朝 日新聞社のマークとして知られている旭日旗の方が日の丸の旗よりもお好きですか?
   はい/144 いいえ/174
3 君が代の歌は国歌にふさわしいと思いますか?
   はい/83 いいえ/172
4 小泉首相の靖国神社参拝を今後も続けるべきと思いますか?
   はい/67 いいえ/216
5 日本の植民地支配と「大東亜戦争」を大筋肯定する、問題の歴史教科書(扶桑社版)を支持しますか?
   はい/37 いいえ/200
6 イラク戦争後占領下のイラクに自衛隊を派遣することに賛成ですか?
   はい/36 いいえ/218
7 小泉政権が存続すれば、中央集権、官僚主導の体制を変えるいわゆる「構造改革」に成果が上がると思いますか?
   はい/19 いいえ/175
8 教育基本法を改めることに賛成ですか?
   はい/61 いいえ/127
9 現行の憲法を変えることは必要ですか?
   はい/93 いいえ/142
10 現在の象徴天皇制のまま天皇制を存続させることに賛成ですか?
   はい/98 いいえ/115
11 拉致問題でいたずらにナショナリズムをもりあげて北朝鮮を一方的に非難しながら、北朝鮮との「国交正常化」ができる と思いますか?
   はい/11 いいえ/202
12 朝鮮半島の南北分断を固定化し、統一を妨げているのはアメリカと日本・中国・ロシアだと韓国では言われていますが、 その点で日本の部分的責任を認めますか?
   はい/152 いいえ/36

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小沢節子さんが倫雅美術奨励賞、豊田直巳さんが平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞
小沢節子さん、「原爆の図」の評論で倫雅美術奨励賞を受賞
当館の評議員で、早稲田大学講師の小沢節子さんが『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』 (岩波書店・02・7月発刊)で、第15回倫雅美術奨励賞を受賞しました。
同賞は評論、研究、創作の三活動を奨励、援助することを目的に、1989年、美術評論家の故河北倫明氏によって 創設されました。
選考対象となるのは過去2年間に日本国内で発表された美術評論、美術史研究、展覧会企画で、今回は27件22名の推薦の 中から、美術評論部門で小沢さんの受賞となりました。
選考委員の方々は、「『原爆の図』がどのように受容されたかを的確にまとめている。丸木夫妻の生い立ちから、 詳細かつ正確に記述した労作」「『原爆の図』はたいへん気になっていた絵画であるが、はすかいに見ていたような 気がする。こうした点を小沢さんは突いた。美術と社会という重要なテーマを浮き上がらせた」と評価しました。
12月1日におこなわれた献呈式には美術館スタッフも出席しました。
小沢さんは献呈式のスピーチで、「私の受賞が『原爆の図』の再発見・再評価の一つの契機になれば嬉しい。同時に 『原爆の図』が再発見・再評価され、新たな解読や役割が求められる時代状況というのは、必ずしも丸木位里さん、 俊さんが願っていた『平和な21世紀』の到来と言うのとはほど遠いものであるわけで、それについては複雑な気持ちがする。 芸術家としての生涯をかけて『20世紀の暴力と戦争』をテーマに描き続けた彼らの努力も、何一つ現実を変えることは 出来なかったかもしれないが、そうした絶望を捉えながらも、彼らが願い続けたことを私なりに受け継いで行きたい と思っている」と述べています。
小沢さんは今、単行本に収録しきれなかった若き日の丸木夫妻の軌跡を書き継いでいます。
◆小沢節子さん著作  ※お求めの方は丸木美術館事務局にご注文下さい。
『「原爆の図」描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』 (岩波書店 2415円)

豊田直巳さん、 平和・協同ジャーナリスト 基金奨励賞を受賞
先日の企画展『戦火の下の子どもたち』や、今年三度にわたる講演(うち一度は友の会企画)など度々当館にも 協力いただいている写真家の豊田直巳さんが、このたび平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞しました。
この基金は市民の側に立って平和と協同に関する市民の活動を積極的に報道するジャーナリストを励まし、支援するという 目的で1995年8月に設立されたものです。
受賞の対象となったのは、パレスチナ問題やイラク戦争における、カメラによる一連の報道活動です。
イラク戦争では、マスコミ各社がバグダッドを脱出した後も現地に残って精力的な報道を続けたことが高い評価を受けました。
「発表された作品は量的にも群を抜いており、圧巻」「戦争によって被害を受ける民衆、それに子どもにカメラの焦点を あてている」などの賞賛の声があげられています。
豊田さんは11月20日から12月4日まで戦争下に暮らす人々の取材をするためイラク各地を訪れ、現在は新聞・テレビなどで その様子を報告しています。
◆豊田直巳さん著作
『イラク 爆撃と占領の日々』 (岩波書店 1890円)
『「イラク戦争」の 日』 (七つ森書館 1890円)
『パレスチナの子供たち』 (第三書館 2100円) ※お求めの方は丸木美術館事務局にご注文下さい。

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NHK国際短波放送・夏季特集
「原爆の図」は今
前号の美術館ニュースでも取り上げた海外向けのラジオ番組「『原爆の図』は今」の 抄録を掲載します。
たいへん興味深い内容の放送でしたので、ぜひご一読下さい。

2003年8月6日放送より抄録
[お話]ジャン・ユンカーマン 崔裕景
[朗読]山崎努
[朗読・ナレーション]加賀美幸子

「原爆の図」は、丸木位里・俊夫妻が描いた十五部の絵画です。
二人は、広島に原爆の落とされた数日後、位里の故郷である広島に駆けつけました。
そこで目の当たりにした被爆者の群像を、「幽霊」「火」「水」から「からす」「長崎」まで35年の歳月をかけて描き続け、 それぞれに絵の内容について詩のような言葉を添えました。
「原爆の図」は世界二十数カ国で展示され、丸木夫妻はノーベル平和賞候補にも推されました。
位里は1995年、俊は2000年に亡くなっています。

「原爆の図」は今、埼玉県の丸木美術館に展示されています。
木立に囲まれた美術館のかたわらを流れる川の音は、「原爆の図」の被爆者へ手向ける水とも聞こえます。

1975年、一人のアメリカ人が丸木美術館を訪れました。
名前はジャン・ユンカーマンさん。そのとき23歳でした。
ユンカーマン(以下J) 日本に初めて来たのは高校生のとき。 広島と長崎をまわって資料館などを見たけれど、そこに抜けているのは人間の像、人間の顔なんですね。
丸木美術館の「原爆の図」を見たときに、初めて被爆者の顔を見たという感じがしたので、大変ショックを受けて 感動しました。

ジャン・ユンカーマンさんは1952年に生まれました。
父は朝鮮戦争に従軍した軍医で日本にも駐留していました。
本棚には原爆の資料や写真集が並び、幼いユンカーマンさんはそれを見ておびえました。
 やっぱり怖かったですね。
まだ子どもだから理解はできてなかったかも知れないけど、あの当時は意識的には誰でも、大人の中では原爆が 大きな存在ではなかったかと思います。


世界は冷戦の時代でした。
 ぼくが一番よく覚えているのはキューバ危機です。
62年、ぼくは十歳でした。当時、ぼくは死ぬんだなと思っていたんです。
核戦争が起こるという恐れが強かったんで、泣き出して、お母さんのところへ走っていったことを覚えています。

1964年、アメリカは北ベトナムに爆撃を開始し、ベトナム戦争への介入がエスカレートしていきました。
十二歳のユンカーマンさんは小さな平和団体に入って平和を訴えるボタンをつけたり、ステッカーやポスターを貼ったり しました。
高校生のとき、ユンカーマンさんは日本に留学して広島を訪れました。
 平和公園に行って原爆ドームを見て、犠牲者のことを考えると 深い責任感を感じたし、アメリカが原爆を落としたことには特別な責任があるとぼくは思うんですけどね。
スタンフォード大学日本語科を卒業し「原爆の図」に出会ったユンカーマンさんは、「原爆の図」をアメリカの人々に 紹介したいと映画の勉強を一から始めました。
十年がたちました。望みがかなって1985年、丸木夫妻のドキュメンタリー映画「劫火」を監督したとき、ユンカーマンさんは 「劫火」、地獄の炎を描いている位里さんのひとことに強く打たれたのです。
 天国なんてないと言うんですね。
誰だって地獄に落ちると。善と悪というように分けられないんですね、世の中は。
戦争が起こったら、戦争をやった人だけが責任を持つんじゃなくて、ぼくたちにも戦争を反対しきれなかったところに 責任があるんじゃないかという発想で、とても大事だと思うんです。

映画「劫火」はアカデミー賞候補にノミネートされ、今もアメリカで上映されています。

2002年、ユンカーマンさんは世界的な言語学者ノーム・チョムスキー博士が平和を訴えて講演するドキュメンタリー映画 『チョムスキー 9・11』を監督しました。
在、ユンカーマンさんは、なぜアメリカが世界中の反対を押し切ってイラクを攻撃したかについて考え続けています。
ジャン・ユンカーマンさんにとって「原爆の図」は今、どんな存在なのでしょうか。
 人間とか人生の存在を否定するのが原爆です。
原爆は人間の存在を否定するものなんです。
それに対して「原爆の図」は、とても強い武器、ウェポンになるんです。
人間の大切さを訴える武器になると思うんですね。
そういう力になり得るということは、ぼくにとって大きな勉強になったし、今でもそういう仕事ができるといいなと思う モデルでもあるんですけど。


丸木夫妻の「原爆の図」は、そのほとんどが被爆者の群像です。
しかし第14部「からす」では、画面を覆っているのはからすの群れで、黒い翼の間からわずかに人間が見え隠れしています。
その上を韓国の伝統衣装チマ・チョゴリが飛んで行きます。
日本が朝鮮半島を植民地にしていた時代に強制連行され原爆で亡くなった朝鮮人の亡骸が、からすのついばむままになって いたという話をもとに描かれています。
2002年の秋、ソウルで、韓国で初めての本格的な「原爆の図」展が開催されました。
企画したのは崔裕景(チェ・ユギョン)さん、38歳。ソウル大学の講師で文学と美術を教えています。
崔さんが初めて「原爆の図」を知ったのは、1990年に日本人の友人からもらった一冊の画集でした。
その頃崔さんは、母が少女時代を過ごした日本に留学し、美術を学んでいました。
崔裕景さん(以下C) 日本で最初に 感じたのは、8月になると広島や長崎の話ばかり流れるじゃないですか。
韓国の人は長い間苦しめられたのに、なんで日本人はこれほど無関心なんだろうと思って、すごく腹が立ったんですね。
「原爆の図」も素直な気持ちで見られなくて、本棚に置き放しにしていたんです。


そして十年がたちました。
2000年、光州事件20年を記念して開催した光州ビエンナーレ展に、韓国で初めて「原爆の図 からす」が展示されました。
俊さんは、かねてから韓国の人たちに「からす」を見て欲しいと願っていました。
展示の話を聞いた俊さんはことのほか喜び、翌日亡くなりました。
この光州ビエンナーレで一点だけ展示された「原爆の図」の「からす」と、崔さんは初めて正面から向きあったのです。
 まず、作品を見たときに衝撃が ありました。
加害者である自分を発見して、それもこんなに素晴らしい作品として残している作家がいるということから、初めて丸木の 作品に関心を持ったんです。
それから私は「からす」を見てすごく解放感を感じたんです。
それは日本のものは何でも好きになっちゃいけない、あるいは憎まないといけないというものからの解放です。
原爆を広島と長崎に制限して考えるのではなく、普遍的な問題として考える機会が、丸木の作品展を通してあったらいい と思ったんです。

しかし、韓国で「原爆の図」を見て欲しいという崔さんの企画を受け入れてくれる美術館や団体はありませんでした。
 「原爆の図」やりますと言うと、最初に返ってくる言葉が 「どうしてやるの」なんです。
「丸木ってどういう画家ですか」ではなく、「なぜ原爆の図をやるんですか」という言葉です。
説明しても「私たちはもっと苦しい歴史を味わってきたんですもの」というので、結局、自分たちの力でやろうと思って。

崔さんは友人たちに呼びかけて、「原爆の図」の展覧会を開催するための団体を作りました。
メンバーは崔さんと同じ30代から40代の200人。今、韓国の中枢を担いつつある世代です。

2002年10月、ソウルの繁華街ミョンドンの画廊で「原爆の図」展が一週間にわたって開かれ、毎日300人が訪れました。
「世界中が話し合って核戦争が起きないようにしたいですね」 「来る前は原爆を投下された無念さを描いた絵 と思っていたが、実際に見ると、原爆の深刻さを訴えている絵だということがわかりました」など、若い人の感想です。
ソウルの「原爆の図」展を訪れた人々のうち、7割から8割を占めたのは20代の若者でした。崔さんが大学で教えている 学生たちと同じ年代です。
 ワールドカップの時、いろんな インタビューがテレビや新聞にあり、日本についてどう思うかというのが多かったのですが、彼らは「自分たちは戦争を 知らないから、日本人は悪いかもしれないけどそんなに嫌いじゃありませんよ」という答えが多かったんです。
仲良くするのはいいんですが、はっきりしなければならない歴史までも曖昧になってはいけないんじゃないかという 不安感を持ちました。
そういう人たちが来て原爆に関心を持ってくれたわけで、やっぱりやって良かったなと。
これが初めの一歩になるんじゃないかと思いました。


「からすは何をしているの」「なぜ人がいっぱい死んでいるの」「何人死んだの」「子どもも死んだの」「それはいつなの、 どこなの」「なぜ白いチマ・チョゴリがあるの」…「原爆の図」の展覧会の会場で、子供たちが溜息を漏らします。
中には「原爆の図」を熱心にスケッチしている小学生たちもいます。
崔さんは小学生の頃を思い出しました。
 美術の時間はポスターを描く 時間のようなものだったんです。
同じ顔をしている人間が北にいるということも考えられない教育をされてきた私たちとしては、赤い顔をしている鬼を 描いて「守ろう韓国、忘れるな朝鮮戦争」と必ず描いて。
これは私だけじゃなくて、同年代の人は同じ教育を受けて、同じ考えを持っていたと思うんですけど。
崔さんは梨花女子大学に入学し、民主化を推し進める学生運動に参加しました。
北朝鮮に対する気持ちは揺れ動きながら変わっていき、今では兄弟のようにも感じています。

崔さんにとって南北の統一はもはや夢ではありません。
 本当に戦争と隣り合って生きて いるんです、私たちは。特に韓国の人はね。
そこに核が使われる可能性は十分あるわけだし。
統一は、よく言われるように同じ民族だから一つにならなければいけないから統一ではなくて、戦争から韓国の人も 解放され、北の人も解放され、周りの人も平和に生きるために統一が必要だと思う。
丸木の展覧会は一度やったから終わりではなく、何度も韓国で公開されるべきだと思うし、状況が変わるたびに作品が 私たちに語ってくるものは変わってくると思うんですよ。
南北が統一した後にあの作品を見ると、たぶん違って見えてくるでしょうし。

崔裕景さんにとって「原爆の図」は今、どんな存在なのでしょうか。
 私は、丸木の作品に「これから何を するんだ」ということを問われたんだと思います。
美術を学んだものとしてどう生きるか。
それに対する私なりの答えとして、私たちが知らなければならないこと、しかし知らないこと、そういうテーマを選んで、 いろんな人と一緒に見て聞いて考える、そういう場を作っていきたいと思っています。
私のこれからの生き方への一つの大きな転換を、丸木作品に出会って見つけ出した、あるいは与えられたと思うんです。


「原爆の図」の展覧会場を、広島で被爆した韓国の人々が訪れました。
「まったく私はこういう絵の中を歩いとったですよ。私の歩いた道と状況がそのまま表現されていて、胸がつまるものが あります」
ひとりの男性は、絵を指して涙ぐみます。
「私の兄貴ですよ。昭和18年に日本の城陽にいました」
お兄さんは徴用されて8月6日に広島で行方不明になり、生きているのか死んでいるのか、いまだにわかりません。
崔さんは励ますように「原爆の図」を指し示します。
 暗い中で、その中で描いた一本 の花を見てくださいと私は言うんです。
あなたがこれを見て、どういう未来を作りたいのかということを、問いかけているんだと思うんです。
私の目にとどまっているのは真ん中のひまわりです。
ちょっとだけ枯れたひまわりなんですが、みんなが死んでいく中でも花が咲く。
これは、きっと死だけではなくて希望と再生を描きたかったんだろうと。私はそういうふうに感じたんです。

「原爆の図」に、今、私たちは何を見るのでしょうか。
 人間とか人生の存在を否定するのが 原爆です。原爆は人間の存在を否定するものなんです。それに対して「原爆の図」は、とても強い武器、 ウェポンになるんです。人間の大切さを訴える武器になると思うんですね。
〈終〉

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リレーエッセイ//10 今日は美術館クラブの日だから
水島恵理さん(丸木美術館友の会)
「ママ、へんなムシいたよー。」 娘が走ってくる。
見ればなにやら蜘蛛のような虫を観察している息子がいる。
いったい何をしにきているのやら。ワークショップの前後はいつもこんな感じだ。
都幾川に下りて繁みをのぞきこんでくるみをひろい、驚いたうぐいすに威嚇されては喜んでいる。

母という名の『時間泥棒』はいつも子どもたちを追いかけまわしているから、せめてひと時・・・そう思う。
ひと月にたった一度のワークショップ。
子どもたちも心待ちにしている。なぜなら、これまでの世界には見当たらなかった不思議がたくさんあるから。
こんな絵の描きかたがあったの?  こんなきれいなものを使って作っちゃっていいの?  こんな作り方ってありなの?
いつだって嬉しいびっくりがいっぱい詰まっている。行くたびに驚き、だからおもしろい。何をするのか聞いてはいても想像がつかないのだから。

いつも一緒にいるはずなのに、子どもたちも思いがけない顔を見せてくれる。
兄妹それぞれに。  スタッフの皆さんや初めて会った方々に声をかけていただきながら自分なりの世界を表現しているのを見るとき、見すごしていた成長に気づき私自身もあたたかい気持ちになれる。
この子たちがこの美術館の意義を知るのはまだ先かもしれない。それでもいいのだろう。
今はまだここに集まる人々の優しさと、木立の向こうに流れる都幾川、そしてどこまでも続く空があるだけで。

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