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2001.12.11.発行 第72号

中国で「南京大虐殺の図」を展示実現へ/水原孝

丸木美術館訪中団報告・参加者ひとこと感想

美術運動史研究会第46回例会 参加報告/岡村幸宣

リレーエッセイ・4/吉武輝子


中国で「南京大虐殺の図」を展示実現へ
水原 孝(丸木美術館理事長)

こんどの中国訪問で、われわれは平和を求めてやまない中国の人々から心あたたまる三つの贈り物を手にすることができた。 有り難いことだと思っている。
第一に挙げなければならないのは、来秋の日中国交正常化三十周年を記念して北京、南京両抗日戦争紀念館で 「南京大虐殺の図」「原爆の図」を展示する道が開かれたことだ。
北京について三日目の十九日午前、盧溝橋の近くにある中国人民抗日戦争紀念館を訪問した。
この紀念館は、写真をそえて日本軍が中国を侵略した歴史的な経過を明らかにするとともに、 特別に二つのコーナーを設けて、人形を使い日本軍の残虐さを示す象徴的な事実を立体的に表現している。
日本陸軍の将校が日本刀をふりあげ、正座して両腕を後手にくくられている中国市民の首をはねようとしている姿。 もう一つは七三一部隊の一室で中国市民の生体解剖がおこなわれている図である。
見終わって同館の副館長張量さんにお会いした。
人柄を示す暖かい眼差しの張さんに「中国の人々に与えた惨害を申しわけのないことだと心から思っています。 二度とこういう過ちを繰り返さず、平和を守るため、日中国交正常化三十周年に丸木位里・俊両先生の鎮魂の図、 『南京大虐殺の図』『原爆の図』を展示させていただきたい」と述べると、張さんは即座に 「記念の催しをしなければと考えていたところです。結構な提案で賛成です」と快諾してくれた。 そして「南京の副館長にも話を通しておきます」と付言していただいた。
同夜空路南京に向かい、翌二十日の午後、侵華日軍南京大屠殺紀念館を訪ねた。なだらかな丘をくだり、同館を囲む塀には、 生き埋めにされた市民の足、もがいている両の手、強姦された女性が刻まれていた。
日本軍が惨殺した市民が埋められているという丘の端に、犠牲になった人々の白骨と頭蓋骨が安置されていた。 手を合わせ冥福を祈った。
献花の後、応接間に通され陳平穏副館長とお会いすることができた。陳副館長は「南京の犠牲者は三十万人に上る」 と語ったうえで、様々な角度からその根拠を明快に説明された。
私は「周恩来元総理の『前事不忘后事之師』の教えを固く守り、日中の平和友好を促進するため正常化三十周年を記念して 『南京大虐殺の図』を展示したい」と申し出た。
陳副館長は快諾し「双方で連絡し話をにつめるか、東京の駐日中国大使館を通して話を固めてもらいたい」と述べた。 こうして丸木美術館が日中の平和と友好を深める第一歩をふみ出すことができた。
第二に触れなければならないのは、五年前と様変わりしていることだった。
北京、南京、上海、どの都市も、住宅用アパートは高層建築に建て替えられ超高層ビルが林立している。 上海に至っては二十階以上のビルが百五十棟に達しているということだった。
それだけではなく二十年前は、「時計、ミシン、自転車」をもつことが願いだったが、いまは「ババ抜き、マンション、 マイカー」に変わり、「収入も三十倍、一方物価は十倍」より豊かになったと、北京の岳、南京の周二人のガイドさんが、 中国の未来と暮らしに自信と希望をもっている、と語ってくれた。
それがわれわれに生きる元気を与えてくれた。
われわれの行動を見守っていた周さんがわれわれの平和への態度に打たれたのか、別れ際に大きな声で 「南京市民を代表して感謝します」と述べてくれた。
また北京に着いてから上海をたつまで終始行動をともにしてくれた岳さんは「丸木美術館友の会に入会し、 日中友好と美術館のために尽くしたい」と語ってくれた。
これが第三のわれわれへの心のプレゼントだ。
こんどの旅は誠実に生きることの大切さを教えてくれた。

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丸木美術館訪中団報告
鈴木茂美(丸木美術館事務局)
11月17日快晴、空路4時間、丸木美術館訪中団11名は無事北京に到着。井上さん(北京大学生)、現地の案内役、 岳さんと合流。

翌日、万里の長城へ。最高齢1918年生まれの岡村さんが元気に階段を歩く姿が印象的。
午後から古い家並みが残るフートン(横丁)を輪タクを連ねて巡る。
「丸木夫妻と交流のあった周さんもこのあたりに住んでいた」と菅原さん。彼は著書『遺言』で丸木夫妻の業績を追い、 95年に周思聡さんを取材している。周さんはその後位里さんの後を追うように亡くなられた。

19日、抗日戦争紀念館へ「原爆の図」の図録を贈呈。紀念館からも図録・資料をいただき交流を深める。
盧溝橋・天安門・故宮博物院を見ながらひたすら歩く。夕刻南京に到着。
中山陵・南京博物院では偶然にも洋画家劉迅さんの絵が飾られていた。彼は北京美術界の代表として周さんらと 来日したおり丸木美術館を訪れ、「丸木夫妻の中国美術界へ与えた影響は大きい」と話している。
訪中の最大の目的、侵華日軍南京大屠殺紀念館へ。見学のあと参加者全員で献花、特別室で交流、図録の交換。 副館長陳平穏さんと水原理事長の意見交換がされた。
中華門、散策後ホテルで参加者の意見交換。岳さんから丸木美術館友の会加入の発言。中国友の会の誕生である。

上海へ列車の旅。立ち並ぶ高層ビルを見つつ上海博物館へ。2時間半でも十分ではないほど、数、内容ともすばらしい。 まざまざと歴史の違いを痛感。
夕食は上海カニ。しかしこれがコース料理ではなく別注。あれれ――。

新たな出会いをどのようにつなげていくか課題もできた。今度は敦煌に行きたいなどと話し、賑やかな旅の終わりとなった。

参加者ひとこと感想

大木さん
中国には何度か来ているが、南京は初めて。
14歳の時何も知らず、知らされず、南京陥落のお祝いの提灯行列をした。
そんな自分が悔しくて、悔しくて。私はだまされていた。
折り重なる白骨や残忍な写真資料を見ながら、涙が出て止まらなかった。

浜川さん
南京大虐殺などはいろいろ言われているし、本なども出ているが、実際に現地で南京や盧溝橋を自分の目で見て 感じるものがあった。
少しでも多くの人達に見ていただきたい、そんな旅行でした。

岡村さん
このまま中国が発展したら、すごい国なのでびっくりした。
博物館は広くて見るだけでもきつかったが、あとは特にきつくなかった。
とにかく楽しかった。良い経験をしました。

今井さん
初めての海外旅行。中国の大きさに驚いた。
南京や盧溝橋などは知識としてはあり、実際すごいひどいことをしたと思うが、僕らの世代が謝るという意味について、 また謝罪とは何か、これから何をしたらいいのか考えさせられた。

渡辺さん
中国の近代化には驚いた。中国の古い家並みをしっかり保存してほしいと思った。
南京大虐殺、日本の侵略に対し、二度とこのようなことが起こらないように私たちも反戦平和の声を上げていきたい。

桑名さん
上海カニでぼられたのが残念。
(注・帰国後連絡ミスだったとわかり、旅行社より返金がありました)

菅原さん
楽しかった。企画の段階で個人の希望も叶えられたらさらに良かったが、団体旅行なので無理かもしれない。

井上さん
丸木美術館のもつ社会的意義からも丸木の訪中団が盧溝橋に行くということは意味があったと思います。
この社会的意義を貫くと同時に、夫妻が描いた中国を巡るのも丸木の歴史の後付になると思います。
同じように社会的メッセージをもつ美術館(少数民族の伝統画等)を訪ねることも考えられます。
日本も中国も抗日戦争云々言っても通じない時代の空気があります。日本に歴史認識がないと中国は思っていないのです。
「歴史認識を具体的に未来に向けてどう有機的に展開していくかのアイディアがない」といわれています。
丸木が中国と関わっていくのであればここを考えなければなりません。

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美術運動史研究会 第46回例会 参加報告
岡村幸宣(丸木美術館事務局)
11月10日、神楽坂エミールで開かれた美術運動史研究会第46回例会に参加しました。
同会は、近現代の日本美術を研究対象とし、「美術家の社会への働きかけに注目して研究する」という趣旨の研究会です。

今回は、丸木位里・俊の『原爆の図』がとりあげられ、平塚市美術館学芸員の尾崎眞人さんと、 早稲田大学講師の小沢節子さん(丸木美術館評議員)が、スライド映像などを使いながら、 それぞれの研究成果を発表しました。
会場には約20人の参加者が集まり、質疑応答など含めて3時間にわたる熱心な討論が続きました。

尾崎さんは『「原爆の図」を通して――絵画の全体』、小沢さんは『初期「原爆の図」の特質と日本巡回展の意味―― 「語り」の成立と大衆性の獲得』と題しての発表でした。
両者に共通していたのは、これまで充分になされてきたとは言えない『原爆の図』の美術作品としての位置づけや、 社会学的、運動論的なさまざまな視座からの検討を、政治的先入観から離れて行っていこうという姿勢です。
ともに、戦争や原爆の図が描かれた時代を直接的に体験していない、若い世代であるという点でも共通しています。

『原爆の図』第一部が発表されてから50年の歳月が流れ、また、制作者である丸木夫妻も今はなく、作品をとりまく環境も、 人も、社会も、大きく流れて変化しつつあります。
こうした変化の中で、次の世代に『原爆の図』がどのような形で受容されていくのか、ある意味で大きな節目の時期を 迎えているのかもしれません。
逆に言えば、ようやく『原爆の図』が、本当の意味で客観的な立場から、その内容を検討されるだけの時間が経った と言えるのでしょう。

今回の研究発表の内容は、次号の美術館ニュースで詳しく報告いたします。どうぞご期待ください。

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リレーエッセイ//4 絶望することなく
吉武輝子(丸木美術館理事)
10月11日から29日まで、わたくしが世話人をつとめる「戦争への道を許さない女たちの連絡会」が中心になって、 「テロも報復戦争もNO」との反戦の志を持った女たちの座り込みが国会周辺で行われた。

民主主義は一人から始まる。
坐るものが一人いればよろしいと腹をくくってのスタートだったが、のべ400人の女たちが参加したのではないか。
だがメディアは、戦争になだれ込んでいく。
ブッシュやブレアや小泉などの強面の顔ばかりを報道し、反戦の志を高々と掲げたごく当たり前の人々の動きは 一切報じようとはしなかった。
無視されつづけられていくと孤立感の中で、時折、もうなにもやっても手遅れではないかという、絶望感が突き上げてくる。
だが夜パソコンを開くと世界各国から女たちの反戦運動のメッセージが画面いっぱいにあふれてくる。
戦前は国が完全に情報管理を行うことが出来た。
しかしIT時代の現代は世界中が戦争になだれ込んでいるかのようにメディアが偏った報道をしていても、 パソコンの中から個々の表情が語る恐怖と暴力の秩序を根絶させたいとの願いと行動の息づかいが聞こえてくる。
それらのすべてを印刷して座り込みのさなかに開かれるミニ集会で読み上げた。

最初は少数意見であっても、客観的に正しい側の意見が多数派に転化する可能性を信じさせてくれるメッセージを 読み上げるたびごとに、世界の平和勢力が多数派に転ずるまで諦めることなく、「NO」の意思表示をつづけなければ と言う決意が切々とわき上がってくるのが感じられたのだった。
今も、世界各国から女たちのメッセージが送られつづけている。

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