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2000.7.25.発行 第68号

丸木俊さんを偲ぶ会報告/針生一郎

平沢貞通展 復権への道


「丸木俊さんを偲ぶ会」報告
5月5日、丸木美術館の開館記念日にあたるこの日、1月に亡くなった 丸木俊先生を偲ぶ会が行われました。 全国からたくさんの賛同金が寄せられ、4日のプレイベントも含めてのべ1200人を超える参加がありました。
会の詳しい内容は、8月発行予定の「報告集」をご覧いただきたいと思いますが、ここでは偲ぶ会セレモニーでの 針生一郎さんのご挨拶を掲載し、ご報告に代えさせていただきます。

針生一郎
実行委員長 丸木美術館理事


丸木俊さんを偲ぶわけでありますが、なんといっても位里さんとのこのご夫婦、どういう夫婦だったのか、 それからお二人の共同制作がどういうふうなものだったのか。
かなり激しい葛藤もその制作のプロセスとしてあるんですけれども、しかし絶妙のコンビであったということも 疑いようのない事実としてある。
そこらへんがまだ私たち外部の者には分かっていないと思うんですね。

これから皆さんの追悼の言葉をいろいろ伺うわけでありますけれども、それぞれの丸木俊像、 丸木夫妻像というものが微妙に食い違っていると思います。
それはそのお二人の仮面的な側面というものを知って、そして、ああ、そういう面もあったのか、 ということをここで認識しながら、改めて俊さん、そして位里さんの全体像に迫るための出発点だというつもりで お聞きになってください。

お話しになる方も、それは痛切な思い出がおありかもしれないけれども、 その丸木像というものを固定してはならない。
それを前提として、これから追悼の言葉、偲ぶ言葉を伺い、そしてみんなで全体像をゆっくりと考えていきたい というふうに思います。
そういうことが一番、お二人の仕事を受け止め、さらにお二人の人柄を偲ぶ、一番有効な道だというふうに私は考えます。 (抜粋)

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企画展報告
平沢貞通展 復権への道
占領下の闇の部分に光があてられようとしています。

GHQが「日本を共産主義の防波堤にする」と公言してから、連動するかのように奇々怪々な事件が多発しました。

1948年の帝銀事件。
翌年には下山・三鷹・松川事件。
突然の自殺・原因不明の脱線事故・活動家の逮捕・死刑判決。

陰謀説が囁かれながらも、いずれも真相究明がされぬまま、戦後55年が経過しました。
今、この闇の部分が暴かれようとしています。

1950年「原爆の図」が誕生した時代にはこのような背景がありました。
だからこそ「原爆の図 第一部 幽霊」もGHQを刺激しないようにと画題を「8月6日」に変えたのでした。

平沢貞通さんは帝銀事件の容疑者として事件発生の7ヶ月後に逮捕され、1955年に死刑が確定します。
公判廷では一貫して否認しますが、1987年、95歳で獄死します。

死刑が確定してから32年間、11680日。
毎朝「今日が死刑執行日か」と思いながら獄中で過ごし、絵を描き続けてきたのです。
どんなに辛く苦しい日々だったのか、私達には想像することしかできません。

そして今、自白供述書の疑惑など、新たな証拠が出てきています。
再審へ、復権への道が探られているのです。

平沢貞通が死と向かい合いながら、ぎりぎりの日々のなかで描き続けた絵と、帝銀事件の数日後に描かれた 穏やかな風景画を展示します。
それらの貞通の絵を通して帝銀事件との関わりをこの機会に再点検し、多くの皆さんが平沢貞通の人生を 想像してみてくださることを願っています。

また最新情報をビデオ上映いたします。
帝銀事件とはなんであったのかを再考するために、関係者の講演も企画しましたので、ぜひご参加ください。

●講演とビデオ
「平沢貞通発掘の旅」平沢武彦氏
9月23日(祝)午後2時〜
●連続講演会 
 講演とビデオ(予定)
10月 「芸術と人権」  針生一郎(美術評論家)
11月「復権への道」  遠藤誠(弁護士)

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