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1999.11.25.発行 第65号

第3回光州ビエンナーレ/針生一郎

企画展報告 Piece For Peace/白須純

公開講座報告に代えて/小沢節子


第三回光州ビエンナーレ
特別展示「芸術と人権」について
原爆の図第十四部「からす」等出品へ
針生一郎(理事・美術評論家)
第三回光州ビエンナーレ
2000/3/29〜6/7
韓国光州市ビエンナーレ館他

わたしの人権を基軸とする芸術観は、戦後日本の現実との対立を通してはぐくまれた。
19歳で日本の敗戦に直面したわたしは、天皇を絶対として侵略戦争にのめりこんだ少年の自分を深く反省し、 思想再建の新たな軸を求めて彷徨した。
だが、戦争中の「滅私奉公」のスローガンを裏返したように、私的欲望の充足を自由とうけとめた戦後に日本は、 天皇や国家権力に代わって私的欲望を内から規律する、民衆の「公」の原理をついに形成しえなかった。
なぜなら、戦後の日本政府は侵略戦争について一度も公式に謝罪せず、戦争責任の追及も対外賠償、 戦後補償もうやむやにすませ、象徴天皇制の温存と主権在民、人権擁護、武装放棄を抱き合わせた占領軍の 押しつけの憲法を新生国家の理念としながら、拡大解釈とごまかしでひたすら空洞化してきた。
近年は戦争の罪悪への直視を「自虐史観」として排撃するキャンペーンがおこる一方、 「周辺地域」への米軍出動時に自衛隊を海外派遣する日米安保新ガイドライン国連法、盗聴法、国歌、国旗法、 住民基礎台帳改悪法などが成立して、新たな戦時ファシズム体制に向かいつつあるので、民衆公的原理は未成熟のまま ふみにじられている。

もともと芸術は私的関心の表現から出発するが、その作品に他者の感覚や想像力を解放する力がみとめられる と芸術的価値をおびて流通し、そういうコミュニケーションが民衆の公的原理の礎石となるだろう。
わたしはそれをめざして半世紀近く美術批評をつづけ、戦後各地に生まれた多くの美術館も近現代美術と 観衆を媒介する活動を続けてきたが、依然として観衆の大部分は作者の肩書き、名声、年功序列を含む商品の倫理でしか 作品をうけとめていない。
その背景には資本主義が戦前を上まわる規模で発展すると、私的欲望は大量生産と大量消費の商品にほぼ吸収され、 労働力も金もなくその構造からしめだされる人々の人権は無視されたままだ、という事情がある。

とりわけ1970年代以降、芸術家も経済大国の現実に自足した上、「芸術の自律性」の観念にしばられて、 モダニズムの流れのなかで他の作家とのわずかな差異に、自己のアイデンティティをみいだそうとする。
だが、「芸術の自律性」とは本来芸術家が政治、経済、社会、文化のあらゆる問題を、芸術固有の機能で表現しながら、 さまざまの制約に抗してたたかいとるもので、主題から表現まで芸術固有の領域の範囲内で完結することではない。
まして、ミッシェル・フーコーが権力のあらゆる社会機構への分散と偏在を指摘した後期資本主義の支配構造は、 そこからもっと差別され、抑圧され、疎外された人々の人権の視点からしか透視しえないし、自己のアイデンティティと それらの他者の人権を重ねあわせなければ、芸術を通しての公的倫理にも達しえない。

その意味でわたしは1970年代以降、主に日本以外の国々の人権を扱った芸術に注目してきた。
1960年代後半以来、ソ連、東欧諸国およびアメリカなどを訪れて、わたしはスターリン主義的強権支配に抵抗する 美術家たちや、ヴェトナム戦争、黒人差別を告発するキーンホルツなどの作品にまず注目したが、 キーンホルツはベルリンで客死し、ソ連、東欧の抵抗の芸術家たちは多く亡命してキバを失った。
1970年代以降、わたしが一作一作に注目し敬服してきたのは、美術のパトロンとしてコレクション、展覧会、 美術館などに金をだす企業、政府機関、個人のイデオロギー的制約を実名をあげて客観的に検証するハンス・ハーケの 作品と、ナチスに迫害されたユダヤ人など、被抑圧者の直面した状況を人物像ぬきで再現しながら、 ヨーロッパ史をとらえ直すアンゼルム・キーファーの作品である。

だが同時に、東アジアの開発独裁政権のもとで苦悩する農民や犠牲者の姿を見つめてきた、韓国をはじめタイ、 フィリピン、インドネシアの民衆芸術運動にも、わたしは積極的な交流を通して学ぶところ多かった。
さらにイスラエル領内および各地に分散したパレスチナ人、中東のイラン、イラク、トルコ領で少数民族として差別され、 北欧に亡命したものも多いクルド人、ヨーロッパ諸国で差別されるいわゆるジプシーなどにも、 すぐれた美術家がいることを交流を通して知った。
6年前、ノルウェイの未知の画家から作品写真と手紙をうけとった。
わたしの紹介によって東京の画廊で6回個展をひらいたラインハルト・サビエは、現代資本主義が社会的矛盾を しわよせしたまま弱者としてきりすてる、老人、子供、病人、戦争難民などの人権を追及して反響をよび、 いま日本の美術館数館を巡回中の本国でも未実現の回顧展で記録的な入場者を集めている。
またそういう眼でみれば、前述のように人権小国である日本にも、あるいはだからこそ美術界から孤立して戦争、 原爆、公害などに犠牲者の人権から抗議しつづける美術家が、少数だが貴重な存在としていることが確認される。

「芸術と人権」の特別展示には、第3回光州ビエンナーレそのものが新しいミレニウムの幕開けとして、 光州事件のあった5月を含む2000年春に設定された以上、光州事件の主題を中心に韓国民衆芸術運動の作家たちを 大きく取りあげざるをえない。
その他戦争、民族差別、公害に対する批判と抗議だけでなく、女性、老人、児童、同性愛などの人権擁護にも 眼をくばったが、残念ながら招待作家三十五名の枠内では少ししか選び出せない。
情報資本主義のどんな事件でも一過性の情報としてすぐ忘れてしまう健忘症に反して、これらの制作には歳月を経ても ひとつの主題に固執する執念が必要だ。
だが、そのほかに検閲や社会的タブーをくぐりぬけて作品を公開し、大衆を説得するための表現方法が重要である。
まさにそこにこそ人権にもとづいて表現の自由を拡大しながら、「芸術の自律性」を獲得するとともに、 公共の論理をはぐくんでゆく決定的なポイントがある。

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企画展報告
Piece For Peace ピース・フォー・ピース
丸木美術館に触れた、若き作家たち
白須純(出品作家)
「ピース・フォー・ピース―丸木美術館に触れた、若き作家たち」展が、 9月28日から11月28日まで美術館企画展示室で開催され、6人の新しい世代の作家たちの作品が展示されました。

出品作品は「奸計」(鷲見純子)、「反感U―核の死」(港万尋)、「SOULV」(トーマス上原)らの油絵、 アクリルなどの作品と、「The Origin of Life」(谷口聡子)、「蜂の巣状の」(鈴木吐志哉)、 「見知らぬ国の民話」(白須純)らの版画作品が、それぞれ会場の半分を占めました。

今回の展覧会を通じて明らかであったのは、丸木美術館が新しい時代の中での自らの役割を模索している ということであり、新世代の作家とどう向き合い、どのような機能を提供していくか問うているということでした。
丸木夫妻と接点を少なくする新世代の作家が誕生する中で「反戦・反核」の精神母体としての役割と美術館としての 機能のあり方を今回のピース・フォー・ピース展を契機に具体的に進め始めようという意欲を強く感じました。

しかし「歴史」には通じているものの「今」を語るのに決して長けてはいない美術館側と、 また逆の立場にいる作家側との時間軸のズレに決定的な合意点は見出せなかったかと思います。
これは「反戦・反核」といういわばカテゴライズされた言葉を使うことに作家達がシビアなスタンスを取り、 度重なるミーティングの最中でも「平和・反戦」というテーマが時としておそろしく具体性を欠いた「言葉」そのものに なってしまう傾向を避けた為だと思います。

それに対して救いであったのは、私たち全員が様々なポジションを通して少なくとも―平和というものから 自分達の姿を照らしだそうとする作業の中にいる―ということを確認できたことでした。
作家達の視点は常に個から出発して、再び個へ還っていくという道のりの中にあり、 自然体としての個が中心にあります。
そしてテーマである自然・生命・魂といったものは共に歩んでいくパートナーであり、 その存在の危機には非常に敏感であるということです。

10月24日に会場で開かれた「作家トーク」は、観客との交流の中でもう一度自分達の考えを 洗い出してみようとする、作家と美術館、両者にとって良い機会でありました。
当日は二十数人ほどの観客を前に作家達が作品のテーマや技法、さらには現在置かれている制作環境などについても 率直に話し、その反応から新たに自分達を振り返り―仮定の中に留まるにせよ―求められている役割の中に その姿を映し出してみる機会になったのではないかと思いました。

また、丸木美術館がこういった新しい交流の場を積み重ねていく中で、未来へ向かう新しい構想が 鍛えあげられていくことが最も大切なことでしょう。

なお、当日は評論家のヨシダヨシエ氏にも出席していただき、作家全員が適切な評論を通して自分達の作品と 再び新鮮な出会いをするという貴重な体験をしました。この場を借りてお礼申し上げます。

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公開講座報告に代えて
体験と記憶
小沢 節子(美術評論家・富山大講師)
「戦後美術における戦争体験の表象化」というような話をいくつかの大学でするようになってから、三年程になる。
そのつど焦点は移動しているのだが、丸木夫妻の原爆の図、香月泰男のシベリヤ・シリーズ、 浜田知明の初年兵哀歌シリーズなどを中心に、水木しげるのマンガや、広島・長崎の被爆市民の描いた絵画、 「従軍慰安婦」とされた韓国のハルモニ(おばあさん)たちの描いた絵画などを紹介したりしている。
いずれも、学生たちにとっては祖父母あるいはそれ以上の世代にあたる人々であり、むろん話しをする私自身も 戦争体験などないのだから、体験を語り継ぐというよりは、彼らの残したイメージのなかに戦争の記憶を読み解く というような内容の授業となる。
けれども学生たちのなかには、予想外に生き生きとした反応を示すものもあり、なるほどこんな読み方もあったか と学ぶことも多い。

たとえば、ある男子学生は、授業で見た作品のなかから将来自分の子どもに見せるとしたら、三つの作品を選ぶと レポートに書いた。
香月が敗戦直後に見たという、満州鉄道の線路わきに放り出された日本人のリンチ死体を描いた「1945」、 日本兵に強姦され中国の広漠とした荒野に置き去りにされた死体を描いた浜田の「風景」 (この作品が「風景」と題されていることについては、学生たちはそれぞれに衝撃や感想を綴っていた) という二作品を見せて、最後には、やはり香月の「海拉爾(ハイラル)」という風景画を見せてやりたいという。
これはシベリヤ・シリーズのなかでもどちらかというと地味な作品なのだが、「氷の塊りのようになった 真冬の海拉爾の街の底からのぼる煙り」が俯瞰され、その煙りに人間と家族の温もりを感じながらも 「絵がかけて家族と一緒にいられるなら何もいらない、とうらめしかった」という説明文が付されている。
加害と被害という困難なテーマを描いた絵を選びながら、最後には、ある意味で普遍的な家族への思いを伝える絵を 自分の子どもに見せたいというこの学生は、こうした絵画作品のなかに、戦争の多様な相貌を垣間見たのだろうか。

また、日本兵と一体化した満開の桜の木の下に裸の少女が倒れているという姜徳景(カン・ドッキョン)の 「奪われた純潔」は、従軍慰安婦だった彼女の体験にもとづく作品である。
何人もの女子学生が、自分にとっては今まで何の疑いもなく美しいものと思ってきた桜の花が、 日本の戦争の被害者にとっては、こんなふうに見えることもあるのかとショックを受けたと語った。
当初は、今時の若い人たちに戦争の話などしても、どんな反応があることかと案じていたのだが、 こちらがボールを投げかけてみれば彼らもそれなりに受け止めてくれるようである。
こうして自分なりに様々な問題の在りかを見つけだす若い学生たちであるから、原爆の図に対しても、 予備知識はないなりに、あるいはかえってそれゆえに、思いがけないような新鮮な指摘をしてくれたり、 あるいは私が最近考えていることにも、いろいろな反応があったりする。 
そちらについてはここでは触れないけれど、今回の丸木美術館での公開講座に自分なりに反映させたつもりでいる。

戦争の体験、すなわち当事者の直接体験を語り継ぐことは、私たちには不可能である。
そして体験者たちが時間の経過とともにいなくなりつつあるなかで、現在、問題にされているのが、 彼らの―体験ではなく―記憶を、どう継承していくかであり、どのような記憶を日本人の歴史として選択していくかが 論争の的となっているのである。
学生たちの何割かが、私の授業に真面目に向き合ってくれたのも、そうした記憶の問題が、表象=イメージという形で 語られた時には、彼らにとっても、思いのほかアクセス可能なものだったからではないだろうか。

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