水俣の図 (1980年)
270×1490(cm)

「水俣は遠いアジア日本のことではない。
ブルターニュが危ない。
バスクが危ない」



水俣のことを教えてください、とフランスで言われました。
帰国してすぐに水俣へ行きました。
戸をあけた時、若い娘さんが発作を起こしていました。
「早く、タオルを」
と、母親が呼んでいます。
発作のため、ひざとひざがすれ合って皮がむけ、
血が出る、というのです。


その娘さんは目鼻だちよく、黒髪が苦しげに汗にぬれていました。
弓のようにのけぞってあえぎながら新しい客を見ています。
わたしたちは描くこともならず、失礼を心にわびながら立ちすくんでいました。



水俣チッソ工場がたれ流した廃液の水銀を魚が食べ、
猫が食べ、人間が食べ、魚や鳥やたくさんの生物たちが
病み苦しみ死んでいったのです。



この家では、母親は軽い水俣病にかかっていました。
母親の胎盤を通した水銀に毒されて、
重傷の娘が生まれました。
生まれながらの水俣病患者になっていたのです。


認定患者2200人、申請患者18000人の苦しみは
今も続いているのです。
不知火の海が逆行に美しく輝いていました。
海のまわりの町や村や、島々で、たくさんの人が死に、
10万人を越える人びとに悪い影響を及ぼしていることを、
この澄んだ水に淡い島影を浮かべる美しい風景は物語ってくれません。

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