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OKINAWA つなぎとめる記憶のために
| 丸木美術館 開館記念日 5月5日(水/祝) 講演:「《沖縄戦の図》と私のコレクション」(14時) 佐喜眞 道夫(佐喜眞美術館館長) ※当日は高校生以下入館無料。11時30分、12時30分、13時30分に東武東上線森林公園駅南口に美術館の無料送迎車が出ます。 開館記念日その他の催しはこちらから。 沖縄戦終結から65年 追悼企画 6月26日(土)午後2時 朗読:「おきなわ島のこえ」「ウンジュよ」(14時) 谷 英美(アローンシアター) 略歴 講演:「〈原爆〉と〈沖縄〉から視る戦後日本―「OKINAWA―つなぎとめる記憶のために」にふれて―」(15時) 石川 翠(美術評論家) 講演を予定していた当館館長の針生一郎が5月26日に逝去しましたので、石川さんにおいでいただくことにしました。ご了承ください。 ※参加自由。当日の入館券が必要です。13時30分に東武東上線森林公園駅南口に美術館の無料送迎車が出ます。 (送迎には事前予約が必要です:0493-22-3266まで) その他の交通(市内循環バス運行日です) |
関連商品のご案内
季刊・数量限定の商品もございますので、
お早めにご注文ください。




| 《原爆の図》を描き、戦争とは何かを生涯かけて問い続けた丸木位里・丸木俊夫妻が、最後にたどりついた場所。それが沖縄でした。 丸木位里は、「沖縄を描くことがいちばん戦争を描いたことになります」という言葉を残しています。 1945年3月の米軍沖縄上陸。 数か月におよぶ地上戦の末、沖縄の人びとは米軍に追い詰められ、味方であるはずの日本軍にも死の選択を突きつけられ、次々と命を落としていきました。 そこには、極限の戦闘状態における軍隊の真の姿とともに、近代以降、沖縄が強いられてきた複雑な歴史の影が透けて見えたのです。 そしてその影は、敗戦後の米国統治の時代を経て、1972年の日本復帰後も米軍基地の集中という形で続いています。 本展では、米軍普天間基地の一部を返還させた土地で、丸木夫妻の《沖縄戦の図》を展示している佐喜眞美術館の協力により、丸木夫妻が沖縄戦を取材して描いた絵画を中心に、複雑な歴史の“記憶”を想起させる沖縄の芸術家たちの絵画、立体、写真、映像などを紹介します。 これらの作品と向き合うことで、普天間基地の移設問題で揺れる沖縄からの人びとの声を実感し、国家による“記録”とは別の視点から語り継ぐ“記憶”の意味を再考することができるでしょう。 |
〈出品作家〉
(名前をクリックすると出品作品にジャンプします)
安次嶺金正(あしみね・かねまさ)
安谷屋正義(あだにや・まさよし)
新垣安之輔(あらかき・やすのすけ)
オサム・ジェームス・中川(おさむ・じぇーむす・なかがわ)
嘉手川繁夫(かでがわ・しげお)
儀間比呂志(ぎま・ひろし)
金城明一(きんじょう・あきかず)
金城満(きんじょう・みつる)
金城実(きんじょう・みのる)
近田洋一(ちかだ・よういち)
玉那覇正吉(たまなは・せいきち)
照屋勇賢(てるや・ゆうけん)
仲里安広(なかざと・やすひろ)
比嘉豊光(ひが・とよみつ)
丸木位里、丸木俊(まるき・いり、まるきとし)
山城見信(やましろ・けんしん)
山元恵一(やまもと・けいいち)
前期:4/17〜5/13/後期:5/14〜7/10
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丸木位里、丸木俊(まるき・いり、まるき・とし)![]() 沖縄戦―きゃん岬 丸木位里は1901年広島県生まれの水墨画家。丸木俊(赤松俊子)は1912年北海道生まれの油彩画家。1941年7月に結婚。 1945年8月に原爆投下後の広島に入った二人は、想像を絶する惨状を目の当たりにして、1950年2月に共同制作《八月六日》(原爆の図 第1部《幽霊》)を発表。 以後、30年以上にわたって全15部の「原爆の図」連作を描きながら、国内各地及び世界20数カ国で巡回展示を行った。 1953年国際平和文化賞受賞。1995年にはノーベル平和賞の候補となる。 位里は1995年、俊は2000年に逝去。 「原爆の図」以後、《南京大虐殺の図》(1975年)、《アウシュビッツの図》(1977年)、《水俣の図》(1980年)と絵筆をすすめていった二人は、1982年の冬から本格的に沖縄戦に取り組みはじめる。 1983年には《暁の実弾射撃》、《集団自決》など「沖縄の図」8部連作を発表。1984年には絵本『おきなわ島のこえ』(小峰書店)を刊行し、大作《沖縄戦の図》を完成させた。その制作の様子を前田憲二監督は映画『おきなわ戦の図 命どぅ宝』に記録している。 1986年には《沖縄戦―きゃん岬》、《沖縄戦―ガマ》を、1987年には「沖縄戦―読谷三部作」を発表するなど、丸木夫妻はその後も沖縄と深く関わり続けた。 「沖縄を描くことがいちばん戦争を描いたことになります」という位里の言葉は、加害と被害が複雑に交錯する戦争の実相を追い続け、人間の心の深層を見つめてきた丸木夫妻にとって、沖縄が最後にたどりついた重要な場所であることを示している。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 沖縄戦―きゃん岬 | 1986年 | 180×360 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 沖縄戦―ガマ | 1986年 | 180×360 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 暁の実弾射撃 | 1983年 | 180×180 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 久米島の虐殺(1) | 1983年 | 180×180 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ※後期のみ展示 | |||
| 久米島の虐殺(2) | 1983年 | 180×180 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ※後期のみ展示 | |||
| 集団自決 | 1983年 | 180×180 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ※後期のみ展示 | |||
| 喜屋武岬 | 1983年 | 180×180 | 水墨彩色・和紙 | 佐喜眞美術館 | ※後期のみ展示 | |||
| 絵本原画 おきなわ島のこえ | 1984年 | 24.5×28.5 | 彩色・和紙 | 個人蔵 | 6点展示 | |||
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仲里安広(なかざと・やすひろ)![]() Key Stone(要石) 1965年沖縄県島尻郡南風原町生まれ。 1989年琉球大学卒業。1990年琉球大学研究生修了。 第42回沖展彫刻部門奨励賞。1991年第19回県展県知事賞。1992年沖展奨励賞。1994年沖展奨励賞。 《Key Stone(要石)》は、アメリカ合衆国と日本という二国の国旗を重ね合わせた大作。 星条旗のストライプの赤い部分は、1945年からの沖縄の歴史を箇条書きにした文字で埋め尽くされている。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| Key Stone(要石) | 2003年 | 245×370 | 木(合板)、アクリル、石、鉄線、布 | 佐喜眞美術館 | ||||
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近田洋一(ちかだ・よういち)![]() HENOKO 家族の肖像 1938年日本の委任統治領「南洋群島」ロタ島に生まれる。 1946年、母の郷里の沖縄県石川市(現・うるま市)に引き揚げ。 1957年琉球新報社入社。1960年に演劇集団「創造」を結成する。 1973年東京支社に転勤し、翌年依願退職。魚市場の労働などで生計をたてながら、濱田庄司に陶芸を学ぶ。 1975年、埼玉新聞社に入社し、1980年から1984年までルポルタージュ『駅と車椅子』を100回余連載。1984年度日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞。 2005年に妻を失い、彼女の出身地の旧石川市に埋葬。その後、米軍再編中間報告でキャンプ・シュワブにV字形滑走路ができることを知り、滑走路の延長上に妻の墓があることから、抗議の意味を込めたコラージュ作品《HENOKO 家族の肖像》を制作。この作品は2006年「平和のための埼玉の戦争展」に出品され、注目を集めた。2008年逝去。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| HENOKO 家族の肖像 | 2007年 | 180×210 | ミクスドメディア・コラージュ | 佐喜眞美術館 | ||||
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比嘉豊光(ひが・とよみつ)![]() 島クトゥバで語る戦世 1950年沖縄県読谷村生まれ。1975年琉球大学美術工芸科卒業。 1997年より比嘉康雄、村山友江らとともに、沖縄戦を体験者に方言“島クトゥバ”(戦時中は日本/ヤマトゥによって使用を禁じられた)で語ってもらい、映像に記録して後世に残す活動「琉球弧を記録する会」を開始する。 ビデオ作品『島クトゥバで語る戦世』は、2003年山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品された。 2007年佐喜眞美術館での写真展にあわせて写真集『わった〜「島クトゥバで語る戦世-684-」』(ゆめあ〜る)刊行。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 島クトゥバで語る戦世 | 2007年 | ― | 映像 | 佐喜眞美術館 | ||||
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玉那覇正吉(たまなは・せいきち)![]() 異国の船 1918年沖縄県那覇市久米生まれ。1944年、東京美術学校彫刻科卒業。 1949年の第1回沖展に招待出品され、1950年「五人展」に加わるなど沖縄美術界の基礎を作る。 「ひめゆりの塔」、「乙女像」、「一中健児の塔」などの設計や制作に関わり、多くの記念碑を残した。 1968年琉球大学美術工芸科教授に就任。1984年逝去。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 異国の船 | 1969年 | 64×94 | 油彩 | 佐喜眞美術館 | ||||
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金城明一(きんじょう・あきかず)![]() 青海の美風 1954年沖縄県島尻郡東風平町生まれ。 沖縄工業高校を卒業後、県内看板会社に就職したが、画家を志し大阪・中の島美術学校に学ぶ。 帰郷後に沖縄の風景を新鮮に感じるようになったことから、離島や山原を歩き回りながら、失われつつある沖縄の原風景を描き続ける。島の匂いが漂う独特の風景は人気が高い。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 青海の美風 | 2007年 | 30号 | 油彩 | 佐喜眞美術館 | ||||
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照屋勇賢(てるや・ゆうけん)![]() 結 You-I |
1973年沖縄県生まれ。1996年、多摩美術大学油絵科卒業。 ニューヨークを拠点に活動し、社会への鋭い批評を発する作品を発表し続ける。 《結い You-I》は2002年「VOCA展」奨励賞受賞作。 沖縄を代表する伝統的な染色技法の一つである紅型(びんがた)は、本来、美しい自然や花の姿が表現される。 しかし、彼は「こんな自然が今の沖縄のどこにあるのか?」と問いかけ、パラシュートで降りてくる米兵や戦闘機、ジュゴンの生息地を脅かすヘリコプターを鳥や花の絵柄に併存させ、現代の沖縄が抱える政治的緊張を捉えてみせた。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 結 You-I | 2003年 | 170×150 | 紅型(麻) | 佐喜眞美術館 | ||||
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安次嶺金正(あしみね・かねまさ)![]() 道 1916年沖縄県国頭郡名護町生まれ。1941年、東京美術学校油彩科を卒業。 1948年那覇・古波蔵にて第1回個展を開催。 1949年第1回沖展に疲労した厚化粧の娼婦を描いた《私はつかれた》を出品するなど、敗戦後の打ちひしがれた沖縄の現実を見据える作品を発表した。 1950年安谷屋正義らと「五人展」を結成。 1961年、琉球大学美術工芸科の教授に就任。1993年逝去。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 道 | 1971年 | 82×102 | 油彩 | 佐喜眞美術館 | ||||
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安谷屋正義(あだにや・まさよし)![]() 白い基地 1921年東京府北豊島郡生まれ。1943年、東京美術学校図案科卒業。 敗戦後は、首里アートコロニー(那覇市首里儀保町、通称:ニシムイ美術村)を拠点とし、1950年に安次嶺金正、玉那覇正吉、金城安太郎、具志堅以徳とともに、沖縄で戦後最初の美術グループ「五人展」を結成。 1961年、琉球大学美術工芸科教授に就任。 1963年の第1回個展(銀座フォルム画廊)に《白い基地》を発表するなど、「戦火によって、心を寄せるべき数々の遺産を失い、又歴史的、地域的重荷を負わされた、沖縄の芸術家に課せられた苦悩や矛盾」を抱える作品を描いた。 沖縄タイムス社のマークや琉球煙草、オリエンタル煙草のデザインを手がけ、デザイナーとしても活躍。 1967年第1回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞、同年逝去。 1969年には琉球政府立博物館で「安谷屋正義遺作展」が開催されている。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 白い基地 | 1961年 | 91×61 | 油彩 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 首里の石畳 | 1951年 | 53×45.5 | 油彩・板 | 佐喜眞美術館 | ||||
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山元恵一(やまもと・けいいち)![]() 月桃かおる |
1913年沖縄県那覇市西村生まれ。 1938年、東京美術学校油彩科卒業。 帰郷後は県立第二中学校に赴任、1945年に東恩納・文化部芸術課美術技官となる。 戦後は首里ニシムイを拠点に沖縄のモダニズムの先達として活動。 その風貌から「ガンジー」の愛称で呼ばれた。 1951年第3回沖展には、朝鮮戦争の前線基地とされた沖縄の苦悩をシュルレアリスム風に表現した《貴方を愛する時と憎む時》を出品。 1971年琉球大学美術工芸科教授に就任。1973年第7回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞。 1977年逝去。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 月桃かおる | 1972年 | 79×97 | 油彩 | 佐喜眞美術館 | ||||
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儀間比呂志(ぎま・ひろし)![]() 待つ |
1923年沖縄県那覇市生まれ。 1940年、当時日本の統治下にあった「南洋群島」テニアン島に渡り、沖縄芝居「球陽座」で働く。 やがて彫刻家・杉浦佐助に出会い、弟子入り。 1943年徴兵検査のため帰国。 1946年から大阪市立美術研究所で油彩画を学び、上野誠に木版画を学ぶ。 メキシコ壁画運動の影響を受け、「戦後、沖縄と本土との間にできた精神の断崖みたいなもの」を埋めるために精力的に創作を行う。 1971年、絵本『ふなひき太郎』(岩崎書店)が毎日出版文化賞を受賞。 1980年、『戦がやってきた』(集英出版)で沖縄タイムス芸術選賞絵画部門大賞受賞。 2006年、絵本『沖縄いくさ物語八重山編 みのかさ隊奮闘記』(ルック)刊行。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 待つ | 1960年代 | 91×72.8 | 油彩・キャンバス | 佐喜眞美術館 | ||||
| 赤い屋根 | 1959年 | 73×61 | 油彩・キャンバス | 佐喜眞美術館 | ||||
| 掠奪の日の記録 | 1960年 | 28×38 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 竜舌蘭 | 1959年 | 49×38 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
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金城実(きんじょう・みのる)![]() 狂える謝花昇 |
1939年沖縄県勝連町浜比嘉島生まれ。 1965年京都外国語大学卒業。 1970年沖縄での反米暴動・コザ事件に刺激され、沖縄戦などを主題にした彫刻制作を始める。 1990年には丸木夫妻とともに熊本、長崎、鹿児島、佐世保を巡回する沖縄作品展「命どぅ宝の世界」を開催。 1997年より、戦争と人間を主題にした長さ100mの壮大な彫刻作品《銃剣とブルドーザー》の制作を開始。2007年に完成し、読谷補助飛行場にて展示を行った。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 狂える謝花昇 | 1972年 | 38×25×27 | ブロンズ | 佐喜眞美術館 | ||||
| 詩人山之口獏 | 1973年 | 47×32×36 | ブロンズ | 佐喜眞美術館 | ||||
| 漁夫マカリーの首 | 1978年 | 56×42×32 | ブロンズ | 佐喜眞美術館 | ||||
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新垣安之輔(あらかき・やすのすけ)![]() 蝶と戦争―風― |
1940年沖縄県那覇市首里生まれ。 1964年、東京芸術大学絵画科卒業。 1967年第19回沖展絵画部門に入選。 1972年喜村朝貞、山城見信と「洋画三人展」開催。その後も「五人展」や「'76展 物質とその彷徨」など前衛美術活動を展開。 《蝶と戦争》は、1980年頃に高校の美術教師として生徒たちに版画の技法を教えるため制作された。 沖縄には「死者は蝶になってこの世によみがえる」という伝承がある。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 蝶と戦争―哭― | 不詳 | 31.8×40.9 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 蝶と戦争―風― | 不詳 | 31.8×40.9 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 蝶と戦争―虜― | 不詳 | 33.4×24.3 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 蝶と戦争―末― | 不詳 | 31.8×40.9 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 蝶と戦争―業― | 不詳 | 31.8×40.9 | 木版 | 佐喜眞美術館 | ||||
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山城見信(やましろ・けんしん)![]() 恍惚と不安の水辺 |
1937年沖縄県那覇市松山生まれ。 1943年、戦争のため国頭村桃原に移住。 1960年第19回創元展入選。 1961年より沖縄盲学校に赴任し、造形クラブを結成。その活動の成果を1979年『美尻毛原の神々 美咲養護学校における土の造形学習・その実践』(私家版)に発表する。 1976年には豊平ヨシオ、喜村朝貞、新垣安之輔、新垣安雄、真喜志勉とともに6人のオブジェによる「’76展 物質とその彷徨」を開催。 1991年沖縄タイムス社芸術選賞大賞受賞。 1997年佐喜眞美術館、2001年浦添市美術館にて個展を開催。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 恍惚と不安の水辺 | 1999〜2000年 | 117×80.5 | ミクスドメディア | 佐喜眞美術館 | ||||
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金城満(きんじょう・みつる)![]() 鉄の記憶 01 |
1959年沖縄県那覇市生まれ。 1984年琉球大学美術工芸科卒業。1993年琉球大学院修了。 佐喜眞美術館では1996年「『石の声』表現行為が導きだすもの」、1997年「迷い鯉」、1999年「鉄の記憶〜加害の痕跡」と継続してプロジェクトを行い、2009年11月に薩摩侵攻400年をテーマにした個展「金城満展2009〜Triple sugar『ぬけがらの音』」を開催した。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 鉄の記憶 01 | 2000年 | 60×30 | 綿布、石膏地塗り、ニカワ、顔料、油彩、箔、釘 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 鉄の記憶 02 | 2000年 | 60×30 | 綿布、石膏地塗り、ニカワ、顔料、油彩、箔、釘 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 鉄の記憶 07 | 2000年 | 60×30 | 綿布、石膏地塗り、ニカワ、顔料、油彩、箔、釘 | 佐喜眞美術館 | ||||
| 鉄の記憶 08 | 2000年 | 60×30 | 綿布、石膏地塗り、ニカワ、顔料、油彩、箔、釘 | 佐喜眞美術館 | ||||
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オサム・ジェームス・中川(おさむ・じぇーむす・なかがわ)![]() Chibu Gama #003 1962年米国ニューヨーク生まれ。生後7ヶ月で両親と共に帰国し、15歳まで東京で育つ。 現在は米国インディアナ大学芸術学部写真学科長、准教授。 2008年より妻の故郷である沖縄に滞在し、沖縄戦での住民の自決の“記憶”を刻み込んだ壮大な断崖を撮影する「BANTA」プロジェクトに取り組む。 現在は沖縄において神聖な意味を持つ場であり、やはり沖縄戦で多数の住民の自決の現場となった洞窟(ガマ)を撮影する「GAMA」シリーズを制作している。 2009年夏に佐喜眞美術館で個展を開催。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 003) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 005) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 007) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 008) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 011) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 014) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 015) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 016) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 018) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| BANTA Series(OKINAWA 019) | 2008年 | 160×53 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ※前期のみ展示 | |||
| Chibu Gama #003 | 2009年 | 102×152 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ||||
| Chibu Gama #005 | 2009年 | 102×152 | ピグメント・インクジェット・プリント | 個人蔵 | ||||
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嘉手川繁夫(かでがわ・しげお)![]() 光の門 1929年沖縄県美里村(現沖縄市)生まれ。 沖縄県立第一中学校時代に沖縄戦を経験し、戦後米軍占領下の沖縄で代用教員などを経た後牧師を志し上京。 「泰西名画展」で見たゴーギャンの絵に触発され、多摩美術大学に入学して絵画を学ぶ。 平和への希求と沖縄の根源的なイメージの定着を目ざした独創的な作品は高く評価され、60年代には日本装飾派の結成やモダン・アート・センターの創設など多方面に活躍するが、やがて画壇から遠ざかり沈黙の時を過ごす。 1984年には埼玉県飯能市吾野に転居。古民家風の自宅兼アトリエに、長年収集した古民具と自らの作品を並べる独特の空間をつくり出した。 2008年夏、沖縄県立博物館・美術館で「哀愁と血の造形 嘉手川繁夫の世界」展を開催。 |
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| 作品名 | 制作年 | 寸法 | 材質/技法 | 所蔵 | 備考 | |||
| 光の門 | 2008年 | 194×224 | 油彩・キャンバス | 個人蔵 | ||||
| 光の園生 | 1980年 | 162.1×112.1 | 油彩・キャンバス | 個人蔵 | ||||
| 愛の園生 | 2008年 | 145.5×112.1 | 油彩・キャンバス | 個人蔵 | ||||
| 円形の未来へ | 2010年 | 178×80×55 | 古鉄、油性塗料ペイント | 個人蔵 | ||||
| 円い家 | 2010年 | 75×85×25 | 古鉄、油性塗料ペイント | 個人蔵 | ||||
| 五輪の花 | 2010年 | 96×306×30 | 古鉄、油性塗料ペイント | 個人蔵 | ||||
| 円形郷 | 2010年 | 74×91×50 | 古鉄、油性塗料ペイント | 個人蔵 | ||||
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谷 英美(たに・えみ)![]() |
1965年東京都板橋区生まれ。 1982年『夜をふっとばせ』(曽根中生監督)で映画デビュー。 1986年『オズの魔法使い』ドロシー役で初舞台。 2001年よりアローンシアターを主宰。 童謡詩人・金子みすゞの生涯を描いたひとり芝居『空のかあさま』をライフワークとしながら、幅広く活動中。 「ウンジュよ」 元・埼玉県立高校教諭、宮里政充の作。 「ウンジュ」とは沖縄言葉で「あなた様」の意。 集団自決で息子を手にかけた母親の声を伝える文学作品。 |
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