原爆の図丸木美術館 HOME
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丸木位里・丸木俊


足 尾 鉱 毒 の 図

  



2009年 37日− 66


足尾鉱毒の図 第1部 足尾銅山(1987年 第2回臥竜展出品 群馬県太田市蔵

田中正造という人は代議士だが、改めて調べてみると、これが大変な人なんだね。
今の政治家はみんな、ああいう人を手本にしなくてはいけないんだ。
田中正造が、国会で足尾銅山の鉱毒公害について一所懸命訴えても、
誰一人として取り上げようとしなかった。
最後は身も心もボロボロになってね、しらみにまみれて倒れて死んだそうだ。
最後の最後まで闘った人なんだ。その生き様にとても感動してね。
これは描かなきゃいかんと思ったんです。
丸木 位里  

 水墨画家・丸木位里(1901-1995)と、油彩画家・丸木俊(赤松俊子、1912-2000)は、共同制作《原爆の図》の連作で知られ、南京やアウシュビッツ、水俣病、沖縄戦など戦争や国家の近代化の歩みのなかで虐げられた人びとの姿を描きました。二人が晩年に取り組んだ連作が《足尾鉱毒の図》。
日本の公害の原点とも言われるこの事件を、丸木夫妻は現地取材を重ねながら全部で6点の連作に描きだしています。
今展は、《足尾鉱毒の図》を所蔵する群馬県の太田市の協力により、丸木美術館では13年ぶりの公開が実現しました。この機会にぜひご覧ください。

関連講演会
4月19日(日)
花崎皋平さんのお話を聞く会
「民衆思想家としての田中正造」

5月6日(水祝)午後2時〜
田中正造大学
坂原辰男さん講演
「足尾鉱毒事件は終わっていない」



足尾鉱毒の図 第2部 押し出し(部分)(1987年 第2回臥竜展出品 群馬県太田市蔵


足尾鉱毒事件と丸木夫妻



1877年 足尾銅山が古河市兵衛の経営に移る
1883年 足尾銅山に大鉱脈発見
1884年 製錬所が新設され、産銅量が激増
1885年 鉱毒被害について最初の新聞報道
1890年 田中正造、第1回衆議院選挙に当選
1891年 田中正造が帝国議会に「足尾銅山加害之儀ニ付質問書」を提出
1896年 渡良瀬川大洪水、鉱毒被害甚大となる。被害民が鉱業停止請願事務所設置
1900年 被害民約3,000人が大押し出しを行い、68名が検挙される(川俣事件)
1901年 丸木位里誕生。田中正造、明治天皇に鉱毒被害直訴
1902年 鉱毒処理のため谷中村に遊水地計画
1907年 旧谷中村残留民家強制破壊
1912年 赤松俊子(丸木俊)誕生
1913年 田中正造没
1987年 丸木夫妻、第2回臥竜展に足尾鉱毒の図第1部《足尾銅山》、第2部《押し出し》出品
1988年 丸木夫妻、第14回人人展に足尾鉱毒の図第3部《渡良瀬川の洪水》、
       第4部《直訴と女押し出し》出品
1989年 丸木夫妻、第15回人人展に《足尾鉱毒の図 谷中村野焼き》、《大逆事件》出品


花崎皋平さん(哲学者)のお話を聞く会
「民衆思想家としての田中正造」
2009年4月19日(日)午後2時30分より 場所:原爆の図丸木美術館


花崎さんは田中正造に関して以下のように紹介します。
「従来は、足尾鉱毒事件で農民の側に立って、鉱毒廃止を訴えた政治家、義人としてだけ位置づけられてきたが、資料が発掘されるにつれ、思想家としての重要性が認識されてきている」と。
「ピープルの思想を紡ぐ」(2006年、七つ森書館)という本で、花崎さんは田中正造を「明治政府のイデオロギーに真っ向から対立し、近代国家と国家主義をともに乗り越える民衆本位の普遍的で恒久的な心理を自前で創出した偉大な実践家」であり、「弱者や少数者や障害者の差別・抑圧・排除に抵抗した人」であると紹介します。また、今日の課題と取り組むにあたって、田中正造を想起し、学ぶことは、きわめて重要であると。
丸木位里・丸木俊が《足尾鉱毒の図》を描かずにはいられなかったその想いと、この田中正造の思想はまっすぐにつながっているように感じています。
米国で発生した金融危機をきっかけとした新自由主義グローバリゼーションの破綻は1930年前後の大恐慌の時代と比較される事態になりつつあり、現在の社会システムがもたらす環境破壊が人間の生存さえも危うくしていることは多くの人に知られるようになりました。いままでとは違う私たちが進むべき新しい道を創り出すことが急務になっています。それを考える上でも、花崎さんを通して田中正造から学べることは少なくないように感じます。
原爆の図丸木美術館で《原爆の図》とともに《足尾鉱毒の図》を鑑賞し、花崎さんを通して田中正造の思想に触れるという稀有な体験は、表面的な社会変革の話だけではなく、人間存在のコアな部分にせまる体験になりえるのではないかと考えます。この機会に一人でも多くの方が参加されることを期待します。
(原爆の図丸木美術館理事 鶴田雅英記)

坂原辰男さん(田中正造大学)講演会
『足尾鉱毒事件は終わっていない』
2009年5月6日(水/祝)午後2時より 場所:原爆の図丸木美術館


谷中村事件で足尾鉱毒事件は終了し、田中正造が亡くなったことですでに過去の歴史としてなっている。が果たしてそうだろうか?
谷中村事件は1906年の藤岡村との合併による強制廃村とそれに続く強制破壊、その後、残留民は大正の初期まで仮小屋の中で闘いつづけた。しかし渡良瀬川に鉱毒は大正、昭和と流れ続けた。そして1958年足尾の源五郎沢堆積場の決壊によって鉱毒は群馬県太田市毛里田の農地を汚染し甚大な被害がでた。そのため農民は渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会を結成し古河鉱業に損害賠償を請求する運動を起こした。そして1974年、12回に及ぶ調停によって15億5,000万円の損害賠償額を勝ち取った。
だが、足尾には現在14ヵ所の堆積場が存在する。その堆積場は、鉱毒を含む鉱さいが含まれているのである。植林するという緑化事業により決壊を防ぐ努力がされているが、それでも3年前にも決壊が起こった。道路への流失は無かったものの中・下流では不安は尽きない。
今回は、鉱毒事件を被害者の視点にたって現在の鉱毒問題を考えてみたい。
(田中正造大学事務局長 坂原辰男記)