作家略歴     出品作品一覧


ギャラリートーク
針生一郎
(丸木美術館館長・美術評論家)


4月23日(土)午後2時
参加無料(当日の入館券が必要です)
当日は午後1時に東武東上線森林公園駅南口より送迎車が出ます。


今回の“Piece For Peace”は私の提案で、結成以来わたしが議長のJAALA(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)の会員だが、近年他界した身近な画家3人の遺作展となった。
福田恒太はわたしと同年で、わたしが東京に出た1948年、花田清輝、岡本太郎らの〈夜の会〉、その若手常連による〈世紀の会〉で出会った。
その後50年代にわたしが組織した〈新具象〉、60年代の〈反戦と解放展〉、78年結成のJAALAと、彼はつねに事務局長格で、運動面では韓国、タイ、パレスチナでも知られる。
だが、その通夜に彼が敗戦直後北川民次を訪れたと聞いて、彼の民衆像にプリミティヴ志向が底流したことが分り、晩年の記憶と現在、仮面と素顔、ヴァーチァル世界と日常をモンタージュし交錯させた作風まで、再評価する必要を痛感した。

嘘が透けて見える時代 2002年
高頭祥八は舞台芸術学院出の変り種で、78年ブレヒトの『子供の十字軍』を長谷川四郎訳、自作の挿絵で自営の朔人社から出版して注目された。
その後夫人の実家のある岩手県に移り、東松照明写真展、タイやパレスチナの美術展、映画〈水俣の図〉上映会などを主催したほか、わたしの企画した〈冤罪と人権展〉やJAALA展に出品したが、夫人と別れて新潟、埼玉など転々とするうち消息不明となった。
彼が90年代に丸木美術館評議員となったほか、函館に彫刻長谷川四郎像をつくり、福音館書店から絵本を何冊も出したと知ったのはその死後で、枠にはまらぬその全貌を見とどけたい。

パレスチナ 大地・聖なるものへの侵略 1979年
原之夫は長崎で7歳のとき被爆し、上京して画家として暮らすうち妻子と別れ、73年銅版画に新生面を開拓した。
82年以降福田の後JAALA事務局長、同じころ新日本文学会に入って事務局にも加わり、小説も3冊出版した。
だが、長崎に戻って病院に十万人中数人の難病と診断され、銅版のニードルも握れぬ握力低下状態で入院中、銅版画集出版を念願し、その刊行後ほどなく死去した。
ふりかえると、彼の小説があらゆる筋立てをこえて人びとにのしかかる心の闇への怨嗟呪詛であるのと同様、彼の銅版画も渦文を大写しにした抽象作品まで、一瞬の光芒のあと世界をとじこめた核の闇への凝視にほかならない以上、その闇を無限に凝視する以外、原之夫を受けつぐ道はないだろう。

(針生一郎)

きざし T 1990年代初期

作家略歴
福田恒太
(ふくだ・つねた 19325-2003)


「世界が見ている」1988年
1925   栃木県栃木市に生れる。川端画学校洋画科終了。
1945   兵役
1947〜48 二科展に初入選、2回出品したが公募展の閉鎖性に疑問をもち審査制公募展への出品をやめる。                          
1953〜56 青年美術家連合結成に参加、ニッポン展(都美術館)
1953〜64 日本アンデパンダン展、読売アンデパンダン展(都美術館)
1965 日本美術家連盟に推薦される(会員)
1970〜73 サンフランシスコアートインシテイチュート大学院に学ぶ。ニューヨーク、メキシコシティ等で個展。この間カナダ、メキシコ、ガテマラを訪ねる。帰途ヨーロッパに3ヶ月滞在。
1974 東京都美術館の改築を機に無所属美術家の結成を提唱、美術館で初めて個展開催。
1978 日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議(JAALA)結成に参加。
同会議事務局長に就任。隔年で東京都美術館にて国際展「第3世界とわれわれ」を開催。パレスチナ美術家総同盟の招待でレバノン、シリア、ヨルダンを訪問
1984 「アジアの中の日本展」パリのエスパースジャポン他で開催。出品者代表として展覧会に出席。
1994 「戦争展」に出品(地球堂ギャラリー) 以後毎年出品
1998 「戦後日本のリアリズム展」(名古屋市美術館)
1999 東北アジア第3世界美術展」(ソウル美術館)
2003 4月14日永眠

高頭祥八
(たかとう・しょうはち 1931-2003)


「帰りくるもの」
1931 群馬県生まれ、舞台芸術学院卒業。
1950-80 サロン・ドートンヌ展、ル・サロン展、ボザール国際展(いずれもパリ)に入選。タイ・インディペンデント・アーチスト展(バンコク)などに招待出品。
前衛美術展、日本アンデパンダン展、第三世界とわれわれ展(いずれも東京)、アジアの中の日本展(パリ)、ジャパン・アート・ナウ(サンフランシスコ)などに出品。
1977 自ら設立した朔人社より丸木俊のチェコスロバキア画集『雁がとぶ古城』を発刊。
1978 ブレヒト作、長谷川四郎訳「子供の十字軍」原画展。
1981-89 フィリピン・CAFPA国際美術展(マニラ)、冤罪と人権展(東京・大阪・広島・仙台他)などに招待出品。
この間、写真家・東松照明展やパレスチナ総合展などを開催する。
1986 第12回人人展招待出品
1991 「子供の十字軍」絵と彫刻と版画展・ブレヒトの夕べ(小淵の森フィリア美術館)

原之夫
(はら・ゆきお 1938-2003)


「死の雲・伝単」1970年代前半
1938 長崎市生まれ
1945 8月同地で被爆
1956 佐賀大学教育学部特設美術科入学
1958 同大中退、上京
1961〜 個展、グループ展などで作品を発表
1973 銅版画を始める
1974-76 自由美術に銅版画を出品
1978 JAALA(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)に参加
1982 新日本文学会入会
1991 長崎平和絵本シリーズ2『悲しい顔のマリア』(汐文社)出版
1996 『ふたつの街』(新読書社)出版
1997 『被爆の底で』( 同上 )出版

出品作品一覧
福田恒太(14点)
足裏 1945年 足裏 1945年
洗濯 1946年
洗濯 1946年 占領下 1949年
牛と少年 晩秋 1954年
火花 1956年 門番 1957年
群れ 1963年 反省 1964年
パレスチナ讃歌 1979年 世界が見ている 1988年
殺戮 1995年 嘘が透けて見える時代 2002年

高頭祥八(24点)
『子供の十字軍』絵本原画 少女とおさな子 1978年
『子供の十字軍』絵本原画
ポーランド1939年  1978年
『子供の十字軍』絵本原画
東の国のうわさ  1978年
『子供の十字軍』絵本原画
少女とおさな子 1978年
『子供の十字軍』絵本原画
二人の少年 1978年
『子供の十字軍』絵本原画
村へ来た犬 1978年
『子供の十字軍』絵本原画
消えていった子供たち 1978年
『子供の十字軍』版画 1978年頃
パレスチナ
タルザータルの風 1980年
パレスチナ
大地・聖なるものへの侵略 1979年
追放された支配者たち 1987年
蜃気楼 帰りくるもの 『金冠のイエス』ポスター
太平洋横断ぼうけん旅行  1991年 鹿踊りと山猫 青い大きなクジラ 回遊の始まり 2002年
月の山 1 月の山 2 ザトウクジラ 1990年代
マッコウクジラ 1990年代 ドン・キホーテ 1970年代 サンチョ・パンサ 1970年代
子供の十字軍 犬 1978年頃 巻貝とあほうどり 2001年頃

原之夫(24点)
燃える街 1970年代後半
浮遊 T 1980年代末 浮遊 U 1980年代末
不安 T 1980年代後半 不安 U 1980年代後半
扉 1970年代後半 遠い記憶 1980年代後半
刻 1970年代後半 ナガサキ 1970年代前半
壊れた天使 1970年代前半 マリア 1970年代前半
死の雲・伝単 1970年代前半 燃える街 1970年代後半
廃墟の街 1970年代後半 コウノトリの死 1980年代半ば
架かる 1990年代半ば 架かる 1990年代初期
断層 T 1980年代半ば 断層 U 1980年代半ば きざし T 1990年代初期
きざし U 1990年代初期 トライデント パンジー 1980年代末 トライデント 1980年代末
作品 作品

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