| 2002.7.2.(火)〜9.28.(土) | |||
| 丸木位里・俊夫妻の原爆の図が初めて中国で展示されたのは1953年。 コペンハーゲンの世界婦人大会に参加した俊が、その帰途に原爆の図3部作を持って立ち寄ったときのことです。 「原爆」という名を使わずに「日本人災害の図」としての展示でしたが、展覧会はとても大きな反響を呼んだといわれています。これが、俊にとって初めての訪中となりました。 1956年、原爆の図10部作世界巡回展のために、丸木夫妻は二人そろって中国を訪れます。 全10部作を表装する間に夫妻は、西安、重慶、昆明、成都、漢口、南京、蘇州、上海、杭州などを巡り、北京で展覧会を開いたあと国慶節にも参列しています。 こうして次第に中国との交流を深めていった夫妻は、1972年の国交回復後、1981年、1985年の2度にわたって中国美術家協会の招待を受け、スケッチ旅行に訪れました。 1981年には桂林、南京、蘇州、杭州、上海、1985年にはシルクロードの敦煌、ウルムチ、トルファン、カシガルなどを巡りました。 とくに日本軍支配下の炭鉱労働者の姿を描いた「坑夫の図」の画家・周思聰との親交は深く、1992年には、体調を崩していた彼女への病気見舞いという形で最後の訪中旅行をしています。 今回の展覧会では日中国交回復30周年にちなみ、丸木夫妻の5回の訪中による作品の中から共同作品「火焔山」のほか、位里の作品17点、俊の作品24点を紹介します。 水墨画を得意とする位里は中国の広大な山水風景に魅せられ、人物デッサンが得意な俊は各地方の風俗などを細やかに観察しながら、数多くの作品を残しました。 中でも4曲1双の大作「火焔山」(1985年制作)は、社会的主題を中心に展開してきた夫妻の共同制作としては非常に珍しく、ラクダや飛天など中国西方の風景・風俗を描いた作品で、夫妻がかの地で受けた印象の強さを伺わせるという点で、たいへん興味深いものです。 中国に深い愛着を寄せていた夫妻のこれらの作品は、私たちにとっても親しみ深い身近な中国の姿を伝えてくれることでしょう。 (岡村幸宣) |
| 出展作品 | ||
| 共同制作 | ||
| 火焔山 1985 | ||
| 丸木位里 | ||
| 中国の風景 1 1956 中国の風景 2 1956 中国の風景 3 1956 昆明石林 1957 石林 1981 桂林陽朔 1981 |
桂林 1981 昆明石林 1981 中国 黄山 1981 西湖 1981 くもり日の火焔山 1985 敦煌 鳴砂山 1985 |
蘭州から酒泉への道 1985 万里の長城 1985年 万里の長城 1992年 北京風景 1992年 中国天安門 1956年 |
| 丸木俊 | ||
| 北京から南京へ 1953 昆明湖 1953 蘇州農村風景 1953 中国の風景 1956 中国の風景 1956 中国の風景 1956 中国の風景 塔 1956 中国の風景 北京国慶節 1956 |
桂林の市場 1981 桂林 1981 紅星 1981 杭州 六和塔 1981 越劇 楊汀女將と 1981 オレンジの衣の仏さま 1985 金色の仏さま 1985 朝もやの仏様 1985 |
火焔山 1985 火焔山 1985 カシュガルの踊り 1985 草原のくらし 1985 鳴砂山 1985 万里の長城 西の果て 1985 北京 1992 北京にて 1992 |
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